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君が医者を辞めなくてよかった

 中心街の外れに大きなビル群がある。赤茶色の塗料で壁の色を統一したもので、医療施設というよりか、学者の集う場所のようにアカデミックな佇まいだった。

 そしてその一帯全てが大学病院だというから驚いた。構内図を見ると現在地を探すだけで結構な時間が取られてしまうほどに広い。

「こっちだ。フォルクス君」

 真っ先に案内掲示板に飛びついた僕とは反対に、医院長は半分背中を見せて歩き出していた。急いで後を追いかけると、分かれ道をすんなり曲がったり出来て迷っていそうもない。

「来たことがあるんですか?」

「うん。昔にね。研修でも来たよ」

「研修で大学病院に!?」

「そういう時代だったんだ。当時は停戦期限がまもなく切れるってことで、医療現場はヒヤヒヤもんでね。内科専攻なのに外科の手術までテストされたなぁ」

 気軽に言っているけど、考えたら相当辛いものだ。専攻と違う分野を体験させられるのは僕にとって地獄になるだろう。医者になる選択もやめていると思う。

 ちょうど医院長が「君ならどうだい?」と、聞いた。色々考えるだけでちょっとフラつきそうになる僕だった。夏の暑さにやられたせいにせず、正直に答えることにした。

「実は、僕も最初は内科専攻だったんです。でも実習に入ると血が苦手だと分かってしまって。それを顧問に相談したら、大学を退学するか一番不人気だった精神科へ行くかを選べということで、精神科になりました」

「ああ……そうか。それなら僕の経験を君がしたら、医者になるのをやめそうだ」

「はい。その通りだと思います」

 僕らに挨拶しながら通り過ぎていく学者さんたちは何科なんだろう。みんな、しゃんと背筋を伸ばして凛々しく歩いている。僕よりうんと若くて未熟な彼らだけど、同じ医師免許を取得した途端に僕の先を行くんだろう。

 日当たりの良い庭のベンチに、ひとりの男の影が見えるような気がした。背中を丸めていて、世間から一番求められていない分野をひたすら勉強している。そういうはみ出た男をだ。

「君が医者を辞めなくてよかった」

 僕が聞いたその一言に、男の影がふと顔を上げた気がする。その男は僕の妄想であり、現実に引き戻されると誰も座っていないベンチだけがそこにあった。

「フォルクス君。自信を失うことはないよ。もっと君に出来ることを考えたら良い。分野はあくまで専門だ。医療という枠組みでは境目なんて無いんだよ。だから自信を持ちなさい」

 それに似た言葉をトリスさんにも言われた事があると思い出した。マスピスタ感染症患者に、何の薬をあてがうのが正解なのか判断がつかなかった。あの時の僕が今も消えていない。

「誤診をしました……」

「いいや違う。君の判断は正しかった。急いで電話をくれた通りだったじゃないか」

 電話で僕は医院長にお願いをしたんだ。僕が診た患者さんがマスピタス病を患っているかもしれないから再診してほしいと。そして、実は僕がレーモンド伯爵に診断を下していながら、本当は違うんじゃないかって思っていたことも全て打ち明けた。

「僕は別の病かもしれないと疑っておきながら精神医ではありがちな診断を下しました。医者としてあるべき行為ではありません。今すぐ医者をやめるべきです」

「それが本心なら、君は間違っている」

 いつも褒めてくれるばかりの医院長からダメ出しを受けるのは初めてだ。怒っているのかと思って顔を見上げた。少し微笑んでいながらも真面目に僕を見つめていた。

「医者業とは疑うことが仕事だ。慎重になるあまり妥当な判断を下すことも多々あるだろう。君が今回レーモンド伯爵の病に気付けなかった理由は知識不足のみだ。本を食う勢いで頭に入れれば君は落ち込んだりしなかった。でもそんなものは誰にも出来ない」

「出来ない?」

「ああ、出来ないとも。だから横の繋がりを大切にしなくちゃいけないよ。今回のように、私や他の医療者に声をかけることが大切だ。君はそれが出来て、伯爵に医療を施せる。何も君が医者を辞める理由なんてありはしない」

 バシッと僕の背中を力強く叩いた。それによって危うく転びそうになる僕を笑っている。

「良い感じだよ君。良いじゃないか」

「た、叩かなくても」

 さらに僕の背中をバシバシ叩いていた。それが医院長の激励で間違いはなかった。ちょっと痛かったけど、僕に頑張れと言ってくれている。

 少し救われたかもしれない。きっと僕の本心では医者業を辞めたくなかった。たくさんの経験を経て、これからもっと頑張っていこうって努力したい気持ちを持っていたはずだ。

「ありがとうございます。頑張ります」

 本当に僕は救われた。


 迷宮のような内部に入り、エタノールの匂いが強烈に襲いくる。あんなに美観にこだわった建物でも、中に入った途端に通い慣れた病院のものと同じになった。それは免停中の僕でも医者気分になれて、ちょっぴり嬉しかったりする。

 学者が来客に対して挨拶を欠かさないのも、まるで医学大学の教授にでもなったみたいだ。僕はある程度胸を張って闊歩した。これがいつか本当に僕の威厳への対応になったなら。そう考えるとモチベーションも知らずに上がった。

 なんでも見抜く医院長が「悪くない心地だろう」と言ったけど、それはあえて、しらを切った。「緊張します」と嘘をついた。

 愉快な構内探索は突き当たりの大部屋にて終了する。僕らが足を踏み入れるなり、たくさんの人がこちらを向く。一応互いに挨拶をするけど、何かの実験室らしい。僕に用がある部屋なんだろうか。レーモンド伯爵は姿が見えない。

「ああ、君は! アルゼレアさんのボーイフレンドではありませんか!」

 アルゼレアと聞いてすこぶる驚いた僕だ。彼女がまさかここに!? と、思ったけど違った。彼女の名前を口にできる人物が、学者さんの中に混じっていたんだ。

「レニーさん!」

 トリスさんの親友である方だ。ここでは白衣を身につけていて、白髪まじりの髪の毛もしっかりと整えられていた。

「フォルクさん、会えて嬉しいですよ」

「僕もです。その節はアルゼレアがお世話になりました」

「何を言いますか。アルゼレアさんを巻き込んだことを、今こそここで責め立てるるべきでしょう」

 そう言って流れで謝られてしまった。僕もアルゼレアも全然気にしていないと話した。対してレニーさんは、自分の心臓に両手を当てて「よかった〜」とおどける。そういうチャーミングな人だったと記憶がブワッと蘇った。

 しかしそれにしても、こんなに活き活きとして若い人だっただろうか。あの時セルジオで見た時と比べたら、もっとご老人だと思っていたけど……。実は彼とはあまり接点が無くて記憶の個数も少ないんだよね。

 なのによくレニーさんは僕のことを覚えていたな。その理由はすぐに明かされる。

「見ましたよ。あなたの記事。危うく人違いかと思いかけてしまいました」

 医院長からも出た記事の話だ。まさかこんなところにも被害者を出していたなんて……。

「あの。その記事はあんまり信用しなくて良いですよ。情報源は僕の知り合いですけど、そいつは主観だけで勝手なことを言いふらしているんです」

 記事が僕にとって不幸であることを憐んでくれながらも、しかしレニーさんは喜んでいる。

「アルゼレアさんと君の名前が並んでいるのを見て、あなたたちが仲良くやっているのだなと安心できました。良いコンビのように見えましたからね」

 改めて言われると気恥ずかしいものがある。それから色々あって付き合うことになったとは、この場で話すのはちょっと気が引けていた。

「フォルクス君とアルゼレアさんは付き合うことになったんですよ」

 だけど医院長がポロリと言ってしまった。

「え!! そうなんですか!!」

 目出度い目出度いと、たいへんに喜ばれる。

「こんな時代にも明るい話題があるだけで人生が華やぐね」

 レニーさんの格言を年寄り臭いと茶化す医院長だった。トリスさんだけじゃなく、ここにも繋がりがあったのか。

「さあ、明るい話題はまだありますよ! これからは未来を見据えた我が研究所を案内しよう。伯爵の感染症に効果のある薬も実験が進んでいる。さあ来たまえ」

 僕のことはともかく、医療の方は常に前進する。白衣をひるがえしたレニーさんが格好よく、彼の後ろを歩くだけで気分が良い。学者さんもぞろぞろとついて来るしで、一層明るい未来が感じ取れた瞬間だった。


(((次話は明日17時に投稿します


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