彼女からの話
「おーい。朝から何やってんだよ」
居候がようやく起きた。僕が気にせず物音を立てたからだ。それにしては起きるまで随分かかっていたな。
「何って見て分からない? 荷造りだよ」
「荷造り? どっか旅行でも行くのか」
「帰るんだけど」
僕の荷物はトランクバッグひとつで足りるほどの最小限。家具や小物は部屋の備え付けだからそのまま置いて行って問題ない。問題があるとすれば、唯一処分しなくちゃいけないこの大型お荷物なんだけど……。
「お、俺を見捨てるのか!?」
そのお荷物は涙ながらに僕にすがった。肩を揺らすのだけじゃ僕が何にもなびかないと分かって、トランクバッグの上に覆い被さった。
「どいてよ。鍵掛けたいんだけど」
「い、嫌だ!!」
子供みたいに言うなよ。
するとジャッジがアルゼレアのことを持ち出してくる。
「娘っ子を置いて行くのかお前! 振られるのが怖いからって一番卑怯なやつだぞ!」
「するわけないだろ。一緒に戻るんだ。僕もアルゼレアも元いた場所に仕事がある。それに彼女はやりたいことだってあるんだから」
トランクバッグを無理やり引っ張った。そうしたらジャッジを振り落とせた。鍵を閉められたら荷造りは完成だ。
「契約者以外が住むことは法律違反なんだから、ジャッジもこの家を出て行ってよね」
「む、無理だろ! 普通に考えて……」
言葉の途中でバタンと扉を閉めた。ジャッジの声は聞こえなくなり、彼が追いかけてくる前に逃げてしまおうと急いで階段を降りた。だけどジャッジは別に追いかけて出てくるという気もなかったみたい。
普通に考えて、ちゃんと自分で住む場所と稼ぐ仕事を見つけなくちゃいけないんだよ。僕は自分の部屋を軽く眺めてから、さようならと去っていく。
朝食はあとにするとして、先にアルゼレアに会わなくちゃいけない。そして一緒にトロン島へ帰ろうと提案するつもり。断られたらそこまでかもしれないね。僕は僕らしく、至って平凡な日常へ帰るのを希望するよ。
開店支度をする花屋の角を曲がった。ちょうど出勤時間に被る時間に出てきてしまったことを後悔し、クオフさんの家へはバスで行くか地下鉄で行くかと少し悩んだ。
二つの道を交互に見ていると、ふと馴染みがあるようなシルエットを見つける。しかし朝靄で若干ぼやけているし、かなり遠い場所なので違うかなと思った。
交通手段を悩むのを忘れたままシルエットを眺めていると、どうやらこっちに向かっているみたい。だんだんと近づいて来て、赤い髪の毛の女の子だと分かった時、相手の方から僕ものとへと走って来たんだ。
「……アルゼレア?」
そうかもしれない、とまで思えた時に僕からも歩み寄った。
「フォルクスさんですよね、よかったです」
「アルゼレアじゃないか。どうしたの?」
彼女は息を切らしている。走って来たのはそうだけど。この距離を走っただけでは、そこまで息が切れるということはないと思う。
「すぐに伝えないといけないと思って」
だけどちょっと待ってくださいと、アルゼレアは胸を押さえていた。僕は彼女の背中をさすろうかと思ったけど、何を思ってか右手を引っ込めてしまっている。
まさか別れを切り出すためにやって来たのか。でも、そんなに急いで走ってまでして言うことかな。それだったら、もう一度デートをしようとか前向きなことを言って来そうな気がするかも……。
ふう、と息が整ったアルゼレア。まっすぐに僕を見上げた。
「白銀の妙獣に会いました!」
嬉しそうな声でひと息に言った。
「……え?」
「昨晩、白銀の妙獣に会ったんです!!」
もう一度。僕の聞き間違いもないみたい。彼女は僕との関係の話じゃなくて、白銀の妙獣に会ったことを嬉しそうに告げているのか。
「え、ええっと。オソードが戻ったってこと?」
「違います。でも、オソードのある場所がわかりました。国立図書館です!」
そして僕は彼女に手を取られてしまう。
「一緒に来てください。開店時間の前に探さないと」
「えっ、ああ。うん。そ、そうだね」
気圧される僕はたじたじだけど、そう答えた。
するとやっとアルゼレアが僕のトランスバッグに気付いたようだった。僕の決意を感じ取ってそっと手を離してくれるのかと思った。違った。むしろぎゅっと握った手はいつまでも離そうとはしない。
「朝から出掛けていたんですか?」
「まあ、そうだね……」
決意の弱い男だ。僕は。
「これはジャッジの荷物なんだ。ちょっと待ってて、すぐに置いてくるから」
部屋に再び戻ってきた僕を見たジャッジが何を言って来たかは聞いていない。それよりもアルゼレアを待たせてあることが気がかりだし、とんぼ返りして彼女の元へ戻った。
一緒に地下鉄へと走っていく。もちろん手は繋がずに。
(((次話は明日17時に投稿します
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