教皇の本性
それなりに大きな書庫だというのも魅力だけど、本が天井近くにまで収納されているのが圧巻だった。ただの倉庫にしては見た目を重視しているなという印象。
「ここも昔のままの書庫なんでしょうか。本の大きさに合わせて戸棚のサイズが変えてある……」
口数の少ないアルゼレアも途端に喋った。静かに胸を踊らせているのもなんとなく分かる。
古本に素手で触るのが怖い僕は、両腕を抱えたまま静かに外観だけを見て回った。本棚の本は背表紙にタイトルのないものばかりだから興味をそそられない。
目についたのは勉強机の方。日記なのか報告書類なのか、日付と途中までの文字が綴ってある。文字と言っても暗号みたいな数字がほとんどだ。それだって暗号を読み解くのをすぐに諦める。
ちょうどアルゼレアの方を振り返ったら、彼女は隣部屋への扉を開けようかというタイミングだった。
そうやってあの少女は、ひらひらと吸い込まれていくように動く。警戒心とか躊躇が無いのが少し怖い。だから僕は彼女を寸前のところで引き止めた。
「待って。一人で行かないで。危険が及ぶ場合は僕も一緒だ。いいね?」
アルゼレアは頷いた。分かってくれたならその扉は僕が開けてあげる。錆びれてもいない綺麗な装飾付きの扉だ。開いた向こうはまたまた本がいっぱい。同じく天井までびっしりと本。
「すごい量だ……全部エルサ教にまつわる本なのかな」
「いいえ。多分ここにあるのは民衆が書いた本だと思います。レーベル表記も差別番号も無いですし、紙の種類もばらばらなので」
「へえ。物知りだね」
……やっぱりアルゼレアは本のことだけなんだなぁ。そして本が近くにあると僕のことなんか見えなくなっちゃうんだよね。それっきり僕が声をかけても、彼女は鋭い洞察力を働かすばかりで答えてくれなくなってしまった。
つまらなくなった僕に「ねえ、君」と、ラファエルさんが手招きをした。胸を踊らせていて少年に戻ったかのようなラファエルさんだ。宝物でも見つけたのかな。
「これがゼノバ教皇の本性だよ」
どれどれと散らばったテーブルに置いてあるものをひょいと見た。なんでもない用紙ばかりだったし手紙もある。他人の手紙に興味がないと細かい文字を読もうと思わないけど、一部に「軍資金」と見えたらちょっとだけ覚悟した。
「……いやいや。きっと昔の資料か何かでしょう」
「君は現実逃避型だな。ここにばっちり最近の日付が書いてある。アスタリカ帝国と戦う気があるという証拠だよ」
それでも僕は、うーんと唸っていた。証拠だなんて言ってしまえば、同じ場所に散らばった用紙は、武器を買った領収書だったり軍事基地の手配書だったりはするんだけど。いやいや……うーんと言いたい。
「あまり断定しない方が」
「いいや。真実は真実として受け取るべきだろう。あの人は紛れもなく戦争を引き起こそうとしている」
ラファエルさんは僕が渡したカードを出した。
「エルサの民は非認可の団体なんだ。けれども彼らはゼノバ教皇を最も崇拝している。とある情報ではゼノバ教皇が設立したものなんじゃないかと噂が出回るほどだ! ……この脅威が分かるかい?」
熱い語りとともにどんどん距離を迫られていた。ある種の脅迫に似ているかもしれない。
「え、ええっと……どうだろう」
「軍隊を作ろうとしているに違いない」
言い切った。
「そ、そうなんですか……」
僕にはラファエルさんの方が今は怖い。アルゼレアは相変わらず本に熱心で助けてくれる感じでもないし、このまま彼の手の内に引き込まれてしまうんじゃないかという恐怖だ。
ロウェルディ大臣の頼み事の上、このままだとラファエルさんにも陰謀に協力してくれなんて言われかねない。だったらもうアルゼレアと脱出する。そうと決めて彼を押し返した時、そのタイミングで人の声が耳に入った。
男の人が会話をしているみたい。あえて見つかってしまおうか。その方が余計な問題から回避できるだろうか。咄嗟に頭を巡らせたけど、外での声に「ゼノバ」の名前が聞こえたから、それどころじゃなくなった。
僕は急いでアルゼレアのところに駆けて、彼女と物陰に身を潜ませる。
「すみませんね。すっかり遅くなってしまった。今夜は色々と騒ぎが起こって大変だったので」
「いやいやこちらは急がない。逆に無理に押しかけて申し訳ないくらいだ」
和やかな会話はこの書庫に入ってくる。鍵が開いていることの不思議には触れなかったようだ。ラファエルさんとの遭遇も無いみたいだから、彼もどこかに隠れたか。先に逃げたりしたのかな。
棚か何かの戸を開ける音が鳴る。「これなんですよ」と知っている方の声が言った。ゼノバ教皇だ。対してもうひとりの声は分からない。ロウェルディ大臣やマーカスさんでは無さそう。
「ほう。これがアルゴ船の羅針盤とか言う骨董品……。思ったよりも美しいな」
「これを使えば予知夢が見れると噂ですが。まあ、噂はあくまで噂でしょう。私は何も感じたことがない」
「開けても良いかい?」
「ええ、どうぞ」
少しの間、沈黙になる。
「……針が無いじゃないか」
「そうですよ。だからきっとこれは壊れている」
おじさんが二人で笑う声が響いていた。どうやら宝物はあったみたいだけど、ハズレだったらしい。ガッカリするより笑い合えるなんて良い関係のようだ。……今なら飛び出しても穏便にいけるかも。
アルゼレアに伝わらないだろうけど見つめて合図した。黒レースの手袋をしっかりと握る。今度ははぐれたりさせないように……しかし。
「ロウェルディの仕送りはどうだったかね? 使い物になりそうか?」
「はっはっは。仕送りとは良い言葉を使いますね。ですが残念ながらまだまだ吠えています。あなたの方から言って聞かせてもらえると助かるんですけど」
「あれは反抗期だ。私の言うことなんてちっとも聞かないぞ」
さっきと同じように、おじさん二人が愉快そうに笑い合っている。だけど僕たち、この話題では出るに出られないだろう。せっかく繋ぎ止めた手も力が抜けて、いつのまにか離してしまっているし……。
「必要なものがあれば何でも用意させよう。まだ権威が私に残っているうちにどうか使ってくれ」
「頭を上げてください。我々は対等でしょう」
「そうだが、もはや私は忘れられた。死んだ権力だとも言われている」
ゼノバ教皇と話すのが誰だか分からなかったけど、その死んだ権力というのは耳に覚えのある言葉だった。ロウェルディ大臣がこの国の王を指す時に使っていた。だとしたら、まさかと思った。
(((次話は明日17時に投稿します
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