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一歩進んだ日常へ1

 冬の晴れ空。気温はまるで春が近いみたいに暖かい。早上がりだった僕は、職場からバスに乗って中心街へ降り立った。

 ここから歩き慣れた帰り道を行きたくなるけど、残念ながら元住んでいた家は解約済み。今は反対の方向になってしまっている。

 しかしこの日は生まれ変わったみたいな感覚で気分が良い。だから僕は、家に帰る道じゃなくて、歩き慣れている方の道へ行った。

 レンガ作りからコンクリートへ変わってしまった大きな銀行の前を行き過ぎて、路上ライブはもうどこでも行われていないビル街を見送った。

 足取りを軽く弾ませて、どうせなら花束でも買っておけば良かったかな。なんて、甘い妄想を抱いている。

 それがつい数日前には、他国で指名手配犯となり、また他国で牢屋に入れられた男だってことは、通り過ぎる誰もが知らない事だ。


 外の天気がいいからか、ヴィレッジサンド店は看板の下にカフェテリアを出していた。

 褐色の木製テーブルは全て空席。たった今、ランチに来ていた最後の客が帰って行ったようだ。食器類を片付けてクロスでテーブルを拭く女性が見える。

 今なら二人きりだ。なんてラッキーだ。

 急ぎそうな足を抑えつつ、僕は大人の余裕を振りまいてゆっくりと彼女に近付いた。

「こ、こんにちは」

 声をかけるとこのウェイトレスは振り返った。

 そして僕だと分かると明るい笑顔になる。

「なーんだ君か。久しぶりね。遅めのランチ?」

 こんな風に気さくに話してくれるのは嬉しいけど、ちょっと気落ちした。

「なーんだ、って何だよ……」

「ナンパにしてはかなり下手な挨拶だったから業者さんかと思ったのよ。今時、若手の業者さんの方がもう少しマシな声掛けが出来るから」

 人をいじめるみたいに丁寧な文句を付けられてしまう。せっかく大人の余裕を見せようと思っていたのに。

「慣れない事をしたってダメよ?」

「……はい」

 穏やかな日差しの中、僕も彼女も気を許して笑っていたと思う。

 きっと歩道を行き交う他者からは、二人が良好な関係を築いていると微笑む目が向けられているだろう。

 しかしウェイトレスはパッタリ笑うのをやめた。それからクロスをテーブルの上に置いたまま、じーっと僕の顔を覗き込んできた。

「な、なにか付いてる……?」

 ウェイトレスはそのまま「んんー」と、細い目で唸った。

「……君、何か感じが変わったような」

「えっ、ええ?」

 喜んでいいのか微妙だ。

 でもウェイトレスは僕のことを、男らしくなったとか、頼もしくなったとか、そんな嬉しいことを言ってくれた。最後には「気のせい?」と、自分に問いかけてはいたけど。

 僕は色々な事があって何か成長を遂げたのかもしれなかった。

 だったらドンッと男らしいところを見せなくっちゃと僕は張り切った。

「あのさ、次の君の休み。僕とデートしない?」

「デート?」

 ウェイトレスは大きな瞳をもっと大きく見開いている。僕からデートの誘いをしてくるなんてかなり意外だったんだろう。

 あまりにも驚かれると僕は逆に少しショックを受けそうだったけど。ここで引いては男が廃ると自分を奮い立たせた。

 それにもうひとつ僕には、とっておきのダメ押しがあった。勝算を得るためにも出し惜しみはしない。

「リーバー・ツヴァイン監督のホラーサスペンス『カナリアの血指輪』あれ、観たよ」

「ええっ!?」

 それについても彼女はもっと驚いた。

 いつかに僕のことを試すような意地悪を言いつけて、それを本当に試練として乗り越えて来たものだから「本当に!?」と、信じられないみたいだ。

 僕は実に勇敢な男らしく「うん」と頷いた。感想はあえて言いたくないけど。

 色んな意味で酷い映画だったことは間違いない。もう僕はホラーサスペンスというジャンルには二度と手を出さない。

 驚いてばかりだった彼女は、ようやく僕が本気なんだって分かったようだ。初めて僕のことを意識し、視線を泳がせていた。

「あれ? もしかして照れてる?」

 逃げていた視線が再びこっちに帰ってきたら、彼女はプイッと顔ごと逸らしてしまう。

「歳上の女性をからかわないで」

 そう言って止まっていた手を動かしだした。

「二歳しか変わらないだろう」

「精神年齢が君よりもずーっと上なの。女性に年齢の話をするなんて最低よ」

「僕からじゃないよ。君が先に言ったのに」

 こんな小さな言い合いも何故か嫌じゃないんだ。

 それに、何だかんだあってもデートの誘いはちゃんとオッケーをもらった。


「ええー。白衣じゃないのー?」

 デート当日は、こんなガッカリ声から始まる。

 待ち合わせ場所で出会って二秒後だ。彼女の私服を眺める隙も与えてくれなかった。

「白衣はだって仕事着だし、日常使いしてるわけじゃないよ」

「今日一番の楽しみだったのに……」

 嘘でしょ、と彼女は本当に落ち込み、ついには「帰ろっかな」と言い出した。

 それだけは勘弁してほしくて、白衣ぐらい職場から持って来れないかなんて僕は考え出す。でも、彼女はそうやって困らせるのが楽しいらしい。

「うそうそ。それより私の私服を褒めてくれないの?」

「えっ、ああ。うん、ええっと。かわ……いいよ」

「それだけ? あと四つぐらい褒めてよ」

 今日のデートはきっちりリードするという一番の目標が、早くも彼女によって乱されていた。

 こっちは「可愛い」も言い慣れていないのに。これは大変な一日になりそうだ。

「もう行くよ」

「あっ、ちょっと待って」

 待ってと言われてしっかり待ってしまう僕。

「はいっ」

 そして見ると、彼女は僕に片手を差し出していた。何かを手渡すわけじゃなくて、何も持っていない手のひらを僕の方に向けている。

「だってデートでしょ?」

 お洒落なのかジンクスなのか細い銀の指輪を二つはめた綺麗な手のひら。どうぞ繋いでとそこにあると、そっと触れてみたくは……なる。

「繋がないよ。早く行かないとチケットが売り切れちゃう」

 本心の方は少し後悔の念があるけど、僕はその手を取らなかった。

 置いて行かない距離でゆっくり先に行っていると、彼女も駄々をこねながらも横に追いついた。

「ねえ、それって君が硬派だっていうアピール? それとも潔癖症?」

 潔癖症について一般人の認識はまだまだ甘いな。なんてことは今ここではどうでも良くて。

「そういうのはちゃんと付き合ってからじゃないと嫌なの」

「ええー!? 君って真面目ね!!」

 おそらく大人の恋を積んできた彼女だからそう言うんだろう。きっと僕の厄災である友人だって同じようなことを言いそうだ。

 真面目さが取り柄な僕の良さが分かってもらえたかと思ったけど、彼女は「ねえ」と口を尖らせた。

「なーんか前より生意気になってる気がする」

「な、生意気!?」

「急に男感出してきてなんか嫌な感じ」

「ええっ!?」

 数々の不運を乗り越えて、ようやく幸運が巡ってくるようになった。デートまで漕ぎ着けたのはその運が良かったからだと思う。

 しかし関係を進めるには運頼りじゃなく自力でやらなくちゃいけない。

 僕はその恋愛に関する実力を、そんなに持ち合わせていないことを痛感しつつある。


(((お知らせです。投稿頻度を週一にします。

(((執筆が間に合わなく……いや、良いお話にするためにも、ゆとりのある時間を頂戴させて下さい!


 毎週月曜日17時。

 すみませんがお願いします。(>_<)


(((次話は来週17時に投稿します



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