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メーベルの館2

「僕は医者です。って言っても精神医ですけど。……って言っても、免停中なんですけど……」

 補足ばかりで言葉には格好が付かない。

 慣れた手付きでスマートに取り出せた医師免許証には、普段目にしない用紙も一緒の大きさに折りたたんで貼り付けてある。

 それをそのままトリスさんに手渡した。彼は用紙を開いて書かれてある文字を読んだ。その後ゆっくりと顔を上げて眉間にシワを寄せていた。

「裁判所通知?」

「ええ、恥ずかしながら。誤診を訴えられてしまいまして」

 苦笑をしている僕の元へ医師免許証と裁判所通知の書類が戻ってくる。

 免許証には大学を卒業したばかりの若い僕の写真が付いているんだ。まさか自立する年に、こんなことになるなんて思いもしないだろうに。

「教授の元で修行して、いよいよ自分の名前でやっていこうとした矢先。僕は自信過剰になってしまったんですよね。あの辺りでは名前の通った人を怒らせてしまって、押し売りの偽医者だとレッテルが付いて、すぐに就職難民。せっかく素晴らしい人達の元で働けるようになっても免停で退職ですよ……」

 僕はテーブルのシミを一点に見つめたまま無気力に笑った。

「だから免停になった時は少し落ち込んだんですけど、逆に諦めも付けられたというか。実家に帰る理由も出来たというか」

 言いながら、でも結局実家には帰っていないんだよな。と、しんみり思った。

 年々物忘れが激しくなると家族からの手紙に添えられている。たぶん何年も顔を見ていない息子のことなんて、すっかり頭に無いんだろうな。

 テーブルのシミから視野が広がり、僕はトリスさんと会話をしていたのだと思い出した。

「す、すみません。自分の話が長くなってしまいました。アルゼレアのことです。彼女の話がしたくて僕はここに来たんですよ」

 このまま話し込んで夜を明かしている暇はないんだった。

 早く要件を告げてお城へ来てもらうよう説得しなくちゃならない。

 しかしトリスさんは、しきりに周りに注意しながら僕に顔を近づけた。そして息のかかる距離で静かに告げる。

「私もだよ」

 まずはその一言だけだった。僕はそれがどんな意味なのか分からずに「はい」と返事だけ返す。

 しかし次の言葉は長い。

「ロガン株には免疫抑制作用がある。フェリックス症候群、マスピスタ感染症に見られる細胞活性の過剰を落ち着かせるんだ。ライデン製の液薬とは違う。毒性を与えて細胞破壊を進めるのとは訳が違う」

 それは突拍子もない医学的な話だった。

 知った病や病状でも、不意に降りかかると頭の中で理解に追いつくのに手一杯になる。

 でもトリスさんは、僕の待ったを聞かずに続けた。

「あれは本来危険なものでは無いんだ。しかし私も君と同じ偽医者と呼ばれている。正しさを産んでもそれは悪にされる。薬を作っても毒と見なされる」

 そして最後に「君なら分かるだろう」と力を込めて言われた。

「あれは新薬の研究論書だったんですね」

 生物兵器の何かしらだと思って恐れていたけど、薬となれば多少僕の専門内で親近感が湧く。

「内容は読んでいないのか?」

「その前に取り上げられてしまいました」

 トリスさんの目がカッと見開かれた。

「今、どこにある?」

「たぶんこの国の王様のところです」

 答えると、まん丸だった目はゆっくりと細くなっていった。

「セルジオ……ラルフエッドか」

 どうやら知った人のようだ。僕には今ここで初めて聞いた名前だったけど。

 トリスさんは難しい顔で何か悩んだ後、僕のよく知る彼女の名前を口にした。

「あの子は。アルゼレアはセルジオ城にいるのか?」

「います。でも」

 トリスさんが蝋燭の火を消すような音を出し、僕の言葉を止めた。口では言わないけど、それ以上は良くないと眼の圧で伝えているように思う。

 だけど独り言として「良かったよ」と口にした。その時だけはよっぽど安堵したのか、口元が緩んだところが見られた。

 共通話題になり口数が多くなったトリスさんでも、やっぱり緊張は解けていないようだ。

 しかしそれは僕に対しての緊張じゃなく、だんだん周りへの警戒なんじゃないかと思えてきた。

 そうなると、廊下で見た人気の無い小部屋の奇妙さが際立ってくる。

 棚の裏、チェストの中、飾り柱の影。そこに出来た暗闇に何者かが潜んでいるんじゃないかと、僕はひとりで身震いを起こした。

 トリスさんは辺りを見回してから僕に囁く。

「私はあの本を捨てようと思っていたんだ。あの子が偶然見つけて、後で託すことになったが、気持ちは今も変わっていない」

 そして、おそらくアルゼレアが僕に話したように、トリスさんにも本への思いを伝えたんだと思う。それについてのトリスさんの答えがあった。

「読まれなくていい本はある。あれは誰への手紙でも無い。私が友人への力示しに綴ったのはそうだが、若いあの子が手にして危険に巻き込まれるくらいなら、どうか燃やして欲しい」

 残酷なことに、僕が抱いていた思いと同じだ。

 そしてもっと酷いことに、僕の心の中ではやっぱりそうかと腑に落ちている。トリスさんの言葉の方がすんなりと受け入れられてしまうんだ。

 あの風が吹き抜ける冬の麦畑では、アルゼレアの言うことは綺麗事だって本当は頭の中では分かっていたのかもしれない。

 それでも言わなかったのは、共感したとか応援したいとかという気持ちじゃなくて、細く伸びたばかりの麦の芽のような、か弱さが愛しいからだ。

 それが分かったら自分が最低極まりないと辛くなる。

「……でもアルゼレアは後悔しないと言っていました」

「君が後悔している。それに私もだ」

 希望の若芽はすぐに現実で覆い隠された。

「とにかく、ここに来たのがあの子じゃなく君で良かった。この屋敷ではアスタリカ警察が私を見張っている。部屋の中にも何か通信機器が隠されているだろう。君はこの夜のうちに城へ行ってラルフエッドに今私が話したことを伝えるんだ」

 僕ひとりで帰される流れが出来る。

 しかし考えがどうであろうと、大事な人を救うには彼自身が必要だ。

「ダメです。あなたも一緒に来て下さい。でないとアルゼレアを助けられません。要求しているのは本じゃなくてあなたなんです」

「それは分かっている。しかしだな……」

 これまで強気だったトリスさんが言葉を弱くした。

 何かここに居なくちゃいけない理由があるのかと思って僕は聞く。

「……ラルフエッドには会いたくない」

「会いたくない?」

 新薬を開発したというトリスさんが、急に隠居した老人のように小さく丸くなってしまう。

 どうやら老人特有の頑固さを静かに身にまとったようだ。この部屋から絶対に出ないとソファーに沈み込んで、スパークリングワインをちびちび飲みだした。

「会いたくないってどういう理由ですか」

「会いたくないものは会いたくない」

 ……困った。

 日付が変わるまで、そんなに時間は残されていない。

 アルゼレアを助けるためなら明け方まで時間はあるけど、外で待つジャッジが手伝ってくれる時間は少ないという意味で僕は少し焦ってきた。


(((次話は明日17時に投稿します


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