牢屋‐軍人の素顔‐
意識が戻ると僕はたぶん牢屋の中にいる。鉄格子と石の地面で思いつく場所がそれしか無かったからそう思った。
ここはアスタリカの警察署だろうか。しかし僕の記憶では、降りしきる大雨の中でアスタリカ警察が後退していった光景が浮かぶんだけど。
僕は横になったまましばらく考えた。
部屋の中に光源は無くて、たぶん廊下側の灯りがこちらにも少し届いている。
暗がりの中で見える範囲を見回すと、窓は無いし、他に扉も無いし、椅子も机もトイレも無い。
ほんとに何も無い部屋から何が見えるかといったら、鉄格子越しに人の影が見えた。
誰か居る。そう思った時、どこからかうめき声のようなものが聞こえた。
人の影は椅子に座っていたらしい。だけど立ち上がって声のする方へ歩いて行ったようだ。
「痛てて……」
このタイミングで僕はゆっくりとこの身を起こしている。
固い地面のせいで関節がポキポキ言った。痛むのも歳のせいだと思うと少し辛いな。
たった一つある出入り口に近付いたけど、やっぱり施錠は怠っていなかった。
とはいえ、さすがに僕じゃどうすることも出来ない。とりあえず明るい場所に居ようとだけ心掛けることにした。
室温は寒くもなく暖かくもなく。鉄格子にもたれかかっても程よい冷たさで頭が冴えそうだ。
そして冴えてきた頭で思い出す。
僕は「アルゼレアは!」と、心で叫んだ。
すると、まさに僕の心の叫び声に反応したタイミングだ。廊下の方で軍服を着た男が現れる。立ち位置によって顔は逆光だ。でも声で誰かは分かった。
「彼女は人質です。ちゃんと暖かい部屋で迎えられていますよ。ご安心を」
聞き覚えのある丁寧な物言いは、車で国境を超えた時にジャッジと知り合いだった運転席の軍人だろうと思った。
「怪我もしてない?」
「ええ、全く」
「そっか。なら良かった」
僕にとっても一応知人だ。彼からアルゼレアの安否が聞かされると僕は安堵した。
その返事には「お気楽なものですね」と男は聞かせるように呟いている。
「あなたは我々の作戦が遂行するまでこの監獄で待機ですよ。食事は最低限のものしか与えられませんし、寝具もそこの石板です。あまり喜んでいられないのでは?」
「そんなことないよ。僕は命があるだけで十分だ」
「……医者精神はさすがですね」
前向きなことを言ったつもりだっけど、僕は少し失笑を買ってしまったみたいだ。
「あなたのことは調べさせていただきました。間違いが無いか確かめていただけませんか。フォルクス・ティナー殿」
特に手元に資料があるわけでもなく、彼は脳内の記憶を頼りに語りだす。
「家族関係は両親と歳が九つ離れた妹がひとり……」
先に生年月日や生まれた場所などの個人情報がまとめられる。その正確さに僕はおののいた。さらに続けるのは僕の経緯だ。
「アスタリカ支配圏トロン国にて独立し、医学科大学を受講。卒業とともに精神医師免許を取得するも、レーモンド家伯爵との裁判判決で停止処分。他にも不運が付きまとうあなたは、裁判所通りで少年から不必要な新聞を買わされる。家路のバス停で雨に打たれる。ヴィレッジサンド店のおまかせメニューで唐辛子をふんだんに盛られる。友人の男に退職金をすり取られる。地下鉄の終点地で大吹雪に遭う。そして極め付けは指名手配。アスタリカの契約アパートも特定され、出国した後この牢屋におさまった……というところでしょうか。これからも不運が続きそうで楽しみですね」
際限なく続くのかと思って怖かったけどここまでだった。
しかしなんて不運な男がいるもんだ。そう思って笑ったのはこの男の方もだけど僕もだ。僕は僕が可哀想でたまらない。
「どうしてアルゼレアに出会う前の出来事を知ってるんだ?」
「あなたの友人が楽しそうに話してくれましたから」
ここでもしてやられた。
もう何度「ジャッジ……」と僕は言うんだろうか。
「ああ、そうだ。ヴィレッジサンド店のウェイトレスと、大学での元想い人アルミン・リサ。お二人とは恋仲に至れず。でしたね。こちらも不運ということに入れておきましょうか」
それこそアイツしか知りようのない情報だ。
僕のことよりもアイツを牢屋に閉じ込めておいてくれよと本気で腹が立ってくる。
「ジャッジはどこ行った!?」
ここから出せ!! と、ほとんど同じ声量で訴えた。
男は意味深にフッフッフと笑っていた。ようやく僕が囚われの身らしい態度になったのを喜んでいるのかもしれない。
「ジャッジさんはもうすぐここに来ますよ」
「……そっか」
なら匙は投げ置きだ。言いつけたい事は直接ジャッジにすれば済む。
突然大きな声を出してすみませんと鉄格子の中から僕は謝った。
さすがに男は「面白い人ですね」と口にして、またフッフッフと同じ調子で笑っていた。
「あなたは人の名前を覚えるのが苦手でしたね。私の名前は覚えておいでですか? マーカス・トワイラーン。是非この顔もお見知りおきを……」
その時は確かサングラスを掛けていた。でもさすがにサングラスで暗い牢屋を見回るのは難しいだろうから外していた。
逆光だったことを彼は意識していたんだろうか。一歩一歩踏み出して彼の表情が明るくなり、僕にも見える角度に向いた。
初めて目にした彼の素顔を、僕はまるで冷徹そのものだと思った。
眉や目尻も髪先も、まるで曲がった事を嫌うように鋭く流線型だった。
丁寧な物言い、笑い声。どれも寄せ付けない雰囲気をまとっている。
「意外でしたか?」
「ええっと……」
答え方に戸惑っていると、マーカスさんはポケットからサングラスを取り出して掛けた。彼のすっきりとしたフェイスラインによく似合っていた。
サングラスを掛けることで気が強そうに見える効果はだいたいよくある。でも、マーカスさんみたいにマイルドさを演出する効果は初めて見た。
「に、似合ってますね」
本心で口にする。
マーカスさんは口角をあげて微笑んだ。そのサングラスを掛けていれば、爽やかな微笑みにしか見えない。
しかしその奥の目はちゃんと笑顔でいれているんだろうか……。
「では失礼します」
確かめられるはずもなくて、足音を立ててすぐに行ってしまった。
話し相手がいなくなり、とりあえずここでジャッジを待つ。
アイツは僕のことをベラベラと喋るし、アルゼレアを軍人の人質になんかしてしまうし許せない。
アイツだけが牢屋の外から僕に会いに来るなんて事も癪だ。
これまでの元凶を全てひっくり返し、僕はイライラを増幅させるばかりだった。そうとは知らずに能天気にリズムを踏む足音が聞こえてくる。
僕はその男が目の前に現れる前に、鉄格子を掴んで威嚇していた。
(((次話は明日17時に投稿します
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