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大雨

 僕にとって製本事務所を訪れるのは二日ぶりだ。ここでは一日のうちでも何度か行き来しているアルゼレアが扉を開いてくれた。

 アルゼレアはもうここの人とはすっかり打ち解けているんだろうか。そんな予想をしながら僕らは事務所の中へ挨拶をする。

 ベンジャミンさんじゃなく、僕の知らない人が顔を出せばアルゼレアのことはすぐに分かったみたいだった。

 でも、なんだか様子は穏やかじゃなかった。

 雨の話をする間もなく僕らには「中へ入って」と早口で言われた。

 中へひょいと足を踏み入れれば、さっきの人が僕らとすれ違って入り口の扉に鍵をかけている。

 別のところでは他の人が動いて窓のカーテンやブラインドを閉めていた。

 一体どうしたんだと思っているところにベンジャミンさんが現れる。

「ちょうど良かった、君も来たのか。すぐ作業室に入って」

 僕が知る中では物腰の柔らかな彼しか見たことがなかったけど、今は鋭い目つきになって他の作業員に素早く指示を飛ばしていた。

 暗がりの階段を降りて、久しぶりに依頼の本と対面する。

 その本は中腹あたりでページが開かれていてペーパーウェイトで押さえてあった。周りには走り書きのメモと、何か専門書がいくつも重ねてある。

「解読は実はまだ終わっていない。でもそれどころじゃないよ君たち」

 足音を気にせずに降りてきて、ベンジャミンさんは早速この本に体を寄せた。

「いいかい? まず、依頼者への報告として伝えておかなくちゃいけない」

 そう切り出すと彼はパタンと本を閉じてしまう。そして僕とアルゼレアを近くに寄せるようにして話を聞かせた。

「この本の著者は正真正銘スティラン・トリスで間違いない。印刷会社はオリバーノ社。当時はセルジオ国の大手会社だった。製本されたのは四十二年前だ」

 内容は……と言いかけて一度深呼吸をする。

「この本の内容は研究論書。彼は生物学でウイルスや菌類について学んでいる。危険な研究をした経緯と結果が書いてあるんだ。人体を使った行為もしている。世界の認可範囲を大いに越えていることになる」

 ここまで話してベンジャミンさんはアルゼレアの目線まで腰を下ろした。

「分かるよね?」

 この本が危険であることを認知できているかの確認だ。

 アルゼレアは深く頷いた。

「分かります」

「よし」

 こちらにも目線が向けられ、同じで僕もそう答える。

 スティラン・トリスの名が大犯罪者だというのは間違いではなく本当だった。

 そして、彼の研究論書を所持しているとか持ち出しているとなると、もれなく部外者だとは認めてくれるわけが無い。

「次にもっと大事なことだ。本当は言うなと言われている……」

ベンジャミンさんはさらに僕たちを近付けた。

「この本を手に入れたいと思っている人がいるんだ。残念ながらその手はこの事務所にも届いている。私は、アスタリカの情報機構から兵器に関する本を依頼されたら渡すよう言いつけられていた。君たちが来るのも電話が鳴る前からアスタリカ警察に知らされていたんだよ。ただ」

 地下室にまで届くドアベルが言葉を遮った。

 外から声がかけられても中の人は誰も応えない。ドアノブを回しているけど鍵が掛かっている。

「アスタリカ警察ですか」

「そうだ。今日君が来ることも少し前に連絡が入っていた」

 アルゼレアのことだ。僕も一緒だってことはたぶん連絡には入っていなかっただろう。

「君たちは裏口から逃げたら良い。ただし本はどうする?」

 何も物言わない本はじっと机の上で話を聞いているだけだ。

「正直私はこれをアスタリカに渡らせるのは気が引けている。きっと彼らはこの本を使って良くないことを引き起こすよ」

 冷たく光る眼光に胸がザワザワする。

 たしか、一気にたくさんの新聞を読んだ時にも感じた。嫌な予感が濃厚になっていく感覚と同じだ。

 その間にもドアベルとノックは鳴り止まない。アスタリカ警察は本とアルゼレアが必ずここに居ると確信しているんだ。

 逃しはしないと今にでも扉を打ち破って来そうな勢いがある。

「……ん?」

 突然異変に気付くのは、ここ三人同時だった。すると上の階で「うわああ!!」と騒ぐ声がした。

「ベンジャミンさん!! 火事です!!」

 知らせながら階段上から雨に濡れたような人たちが降りてくる。火は出ていないみたいだけどスプリンクラーが回って驚いたと言う。

 火事だと聞いてすぐに反応を示したのはアルゼレアだった。

 彼女は閉じていた本を取り上げて胸に抱く。

「逃げましょう!」

 駆けていく人の後ろに付いて裏口から外へ出て行ってしまう。

「待ってアルゼレア!」

 追いかけようとするとベンジャミンさんが僕の服を引いていた。何か短く言われたけど聞き取れなくて、僕はこの手に紙を持たされた。

「早く行って!」

 ここでアルゼレアを見失ってしまうと取り返しが付かない。僕も急いで彼女を追って外へ出る。

 地上へ登る階段を駆け上がり、顔を上げたらアルゼレアの後ろ姿を見つける。

 外は変わらず大雨だ。スプリンクラーに濡れていなくても数秒でびしょ濡れになった。

 大通りに出て人が多くなるとアルゼレアには追いつくことができた。しかし僕の後ろには裏口近くで鉢合わせになったアスタリカ警察だ。

 また追われることになり、僕らは逃げた。

 彼らに捕まることでアルゼレアと僕は大罪人になる。そしてトリスのその本が渡っておそらく戦争になる。

 行く手を阻むような雨が降り続いた。人の少ない通りでもやっぱり体力に限界はあるものだ。

 見えにくい視界で前方に人が立ちはだかり、後ろも人が立ってしまう。

 つまるところ挟み撃ち。それはもう終わりだということになる。僕もアルゼレアも走り過ぎて心臓が張り裂けそうになっている。妙案が浮かぶどころじゃない。

 前から、後ろから、ゆっくりと人影が近づいてきた。

「もうダメだ」

 そう口にした時、この大雨よりも大音量の銃声が鳴った。

 二人は咄嗟に身を寄せ合っていた。誰が撃ったのか、誰かが撃たれたのか、僕もアルゼレアも生きているのか、分からない中で前方の人影が去っていく。

「探しましたよ」

 人気も感じないうちに真後ろから声がした。

 慌てて僕らは振り向き、その人物はセルジオの軍人だったと思い出した。

「約束のお時間です。参りましょうか」

 傘が開かれて僕とアルゼレアを雨から守る。

 ゆっくりと歩かされると見覚えのある白い車が止まっていた。


 * * *


「逃走者を檻に入れておけ」

 あまり体に力が入らなくて抵抗する気力も起こらない。

 横向きのまま、おそらく誰かに運ばれた。そして冷たい石の地面の上にそっと置かれたのだと思う。

 鉄が擦れる音と、鍵が閉まる音だけ耳にして、またぼんやりと僕は眠っていく。


(((次話は明日17時に投稿します


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