あの頃の香りがした2
大通りに出たところで靴屋の屋根で雨宿りをしている少女を見つける。
僕が急いで駆けてきて、すぐ隣に滑り込んでくるものだからその少女は驚いたに違いない。
「突然降ってきたね」
息を切らしながら街に降り注ぐ大量の水を見上げる。
「フォルクスさん、お仕事は?」
「今日は早く終わってきたんだ。最終日だから遊んで来いって」
明るく話しかけながらアルゼレアを傘の中に入れて歩きだす。
「大事な用事があるって話してあったから、たぶん店長は僕の用事を違うものと履き違えたのかもね。でもこの雨だと遊ぶにしてもなぁ……」
気がつくと僕ばっかりが喋っていた。
アルゼレアが何となく浮かない様子だと感じたのは、僕がたくさん喋った後だ。
ずっと黙っていたアルゼレアだったけど、少し沈黙ができると遠慮がちに言った。
「リサさんと、お食事に行かれたら」
アルゼレアからそんなこと気に掛けてくれるってことは、きっとリサと僕の話をしたんだろう。
「リサさんとフォルクスさん、お似合いだと思います」
「そう? リサは昔も今も素敵な人だからそう言ってくれるのは嬉しいかな」
濡れた地面を歩く歩幅が揃っていたのに少しずつ離れていく。でも僕は彼女を置いて行ったり先に行かせたりはしない。
「僕は君と居るって決めたしね。アルゼレア」
割と得意げになって彼女の顔を覗くわけだけど、アルゼレアは見返して来なかった。賛同も特に得られなかった。
信号を待つ間も返事はもらえなくて、僕の内心はだんだん不安の念に駆られた。
だけど行動が起こったのは信号が変わった時だ。
横断歩道の途中でふと僕の手にザラついた布地を感じる。それが彼女の黒い手袋の手だって気が付いたら、僕は後ろ方向へ手を引かれたのだと思った。
「こっちの道じゃなかったっけ?」
だけどアルゼレアは「合ってます」と言う。
そのまま手を繋いでおきながら一区画歩く間、僕は考えていた。
「……寒い?」
行き着いたのがそれだ。だってレース生地はこんな季節の防寒グッズには適していない。
歩きながらアルゼレアは僕の問いかけに少し頷く。やっぱりそうかと僕も納得する。
「ちゃんと冬用の手袋にした方が良いよ。霜焼けになっちゃう」
あまり自分の手が暖かいとは思っていないけど。少しでも暖められるならと思って彼女の手を離さずに歩いていた。
道中でアルゼレアが僕の不意をつく。
「リサさんとは両思いだったんですよね」
傘とアルゼレアの手とで両手が塞がった僕は、動揺を他に逃す術がなく少しの間心がうろたえる。
「えーっと……リサから聞いた?」
「ジャッジさんから」
その名が耳に入った途端僕はむせ返ってしまった。
でもリサから話すことは無いと思っていたから、ジャッジから聴いたのなら理解はできる。
他に要らないことを言っていないだろうな……。と、ひとり傘の影に隠れて目くじらを立てていたら、繋いだ手を僅かに引いて質問を投げられた。
「恋人同士だったんですか?」
僕から視線を落としてもアルゼレアは前を向いたままだった。
それを良いことに、僕は眉間に力を入れながら少し唸る。
「……たぶん両思いだった。って感じかな」
苦し紛れにそう答えることにした。
だって数年経った今、僕は相手の気持ちを知ったばかりだ。
まさにさっきリサを振ってしまった。とは、さすがに言うことでも無いかな。
でもアルゼレアは、僕が濁した「たぶん」という部分に引っかかったみたいだった。
「お互い気持ちは伝えなかったんだけど、僕らにはお節介な共通の友人がいるからさ」
「ああ。ジャッジさんですか」
「そうそう」
街中に恋人同士なんて溢れている。なのに、ちょうど僕らの横を相合傘で通り過ぎる二人を軽く目で追った。きっと僕が少し悲観的になったせいだ。
「大学で同学年だったんだ。でもリサは見合いが決まって早くに退学したし、僕も勉学に忙しかった。じっくり恋愛する時間なんてふたりに無かったんだよ」
なんて口で言ったばかりだけど。違うよな、と僕は思うんだ。
「当時の僕って勤勉な姿を見せたいことに必死でさ。気持ちを伝えるとかは本気で忘れていた。恋愛に疎すぎるって事でジャッジには殴られそうになったことがあるよ」
ハハハと笑えるのは、もう昔の話だからだ。
アルゼレアにも今後の教訓じゃないけど、僕の失敗談を活かして欲しいなと思った。でもそれってすごく年寄りになったみたいだって自分で笑っている。
当然アルゼレアは一緒になって楽しんでくれたりしない。
でもその代わり、僕の失敗談に感想を述べた。
「素敵だと思います」
「えっ? そ、そう!?」
僕が全く意図していない感性だった。僕は傘を持たない手で頬をぽりぽりと掻く。話しているうちに彼女の手は離れていたらしい。
雨粒が弾く音と、車の車輪と水の音。
結構な騒音の中で事務所はもう目の前だ。
屋根に入って傘を畳んでいると、ドアを開けずに待っていたアルゼレアがひとりで呟いていた。それは僕にもかろうじて聞こえた。
「大人なんだ……」
「ん? どうかした?」
彼女は返事を返すよりも先に、傘が閉じたらすぐに建物へ入ってしまった。
後を追いかけた僕も、中に入ったら彼女の呟いた言葉やその後のやりとりなんかはすっかり頭から抜け出てしまう。
(((次話は明日17時に投稿します
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