捜索‐指名手配になった‐
「アルゼレア? ああ、聞いたことあるね」
三軒目の図書館で見事に当たりを引いた。
「本当ですか!」
「ああ、本当だよ」
館長のおじさんはカウンターの向こうで新聞を広げたまま、平坦な抑揚で僕と会話する。
「ちょうど昨日だ。君と同じ背格好の男らが訪ねてきたよ。その少女を探しているってね。本を持っているとかは言ってなかったと思うけど」
喜んだのも束の間だった。
しかも気を落とすにはまだ早い。館長は同じ口調で続けて告げる。
「少女について詳しそうな男がいたら一報くれって言われてるけど。そりゃあ、あんたのことかい?」
それで僕は氷漬けになった。
館長にはそこまで興味が無い内容みたいで、新聞から目を離さずに話きっていた。だけどもし僕の表情を見たならば、たぶん答えが出ているようなものだったと思う。
「い、いや……ただの野次馬ですよ」
「そうかい」
おかげで命拾いしたようなものだ。一言返事で話が終わったことにする。
僕は転けそうになりながら後退りで館長から距離を取った。
狭い場所にみっちり置かれた本棚に挟まり、身を隠したけれどやっぱり館長自身は僕に興味が無いみたいだ。
館長の代わりにカウンター上にある電話が「いつでもお前を見ているぞ」と艶を光らせていた。それに館長が手を掛けないか。僕は本の隙間から祈った。
しかし困ったことになっている。アルゼレアについて詳しそうな男なんて、それじゃまるっきり僕のことだ。
……しかも。
館長は「少女に詳しそうな男」と言っていた。つまりは、もう僕に目星を付けている事にならないか。
僕が各所でアルゼレアのことを聞き回っているという情報も、きっと例の男たちに伝わっているんだ。
「ひえぇ……」
もう指名手配されている。
僕は自分で関係者だと言いふらして歩いていたようなものだった。
本の背表紙に両手の平をずりずりと擦らせながら僕は脱力していった。過度のストレスだ。目眩がする気がするし、お腹も痛くなるような気がする。
足元の絨毯に絡まるゴミもよく見えるくらいまで、低く小さく丸くと膝を抱えていた。
「…………スティラン……メーベル」
うずくまった場所で見つけた本の背表紙に書いてある。
スティラン・メーベル。どこかで聞いたことのあるような気がした。でもそうじゃない気もする。
それは人名だけど、僕があの時に聞いた名前に似ていたかもしれない。
ただしメーベルはきっと女性の名前だ。僕が聞いたのは男性名だったような。
「スティラン……?」
思いつく男性名を当ててみるけど分からない。
本を抜き取る前に、ここの本棚がどういうカテゴリーの場所なのか見回した。親切なプラカードなどは挟まれていなかった。
しかし周りのタイトルからすると、たぶん政治関連なのかなと思う。僕は「スティラン・メーベル」の本を取り出して軽く開いてみた。
政治系の自己啓発本によくある定説がまずは飛び出すのかと思ったら、最初にあったのが縮小された家系図だった。
その後で目次がまとめられている。
どうやらこの本はスティラン・メーベル本人の自分語りでは無くて、人生を全うした故人となってから他者が彼女について述べた本みたいだ。
家系図を眺めて男性名を探した。僕に身に覚えが無いか照らし合わせたけど、ピンと来るのが無い。
やっぱりもっと別の名前だったのか……。
意識をそこばっかりに集中している。すると突如ベル音が打ち鳴らされた。
それは館内全てに響き渡る大音量だ。
僕と他の人も同時に手から本を床に落とした。
非常用サイレンくらいの警告音に聞こえたけど、あのカウンターにあった電話が鳴らした音だった。
人との会話でも手放さなかった新聞を置いて、館長が応じている。
それなりに大きな声で聞こえてくる館長の話し方は軽い。電話の向こうで何かトラブルが起こっているらしいけど、軽快に笑っているから身内話なんだと思った。
こちらはその隙にそっと本を元に戻し、この図書館を抜け出した。
* * *
一人でランチを食べるわけだけど妙な気分はまだ拭えていない。
トマトソースのパスタを注文して待つ間も、注文を済ませたんだっけと伝票を確認してばかりいる。
喫茶店の店長は昼前のサッカー中継に夢中だった。アルバイトが一人で調理も注文もこなし切れずにいて、全然この店は回っていないようだった。
「すみません。今は席がいっぱいで」
来る客を追い返している間、キッチンのフライパンは大丈夫なんだろうかと、僕だけじゃない他の席の客も心配している。
「お待たせしました!」
ランチセットが運ばれるが手前の席だった。僕が入店したよりずっと前から待っている人に違いない。
注文が追いつかない店でもいつもなら悠長に待てる僕。だけど今だけは、早く食べて早く帰らないとという焦りを起こして落ち着かない。
こんなに時間が掛かることが予想できていればテイクアウトでも良かった。
注文したものを取り消すというのも店長や他の客の目につくと思い、声を掛けにくいし。
「……」
前の席からふんわり上がる湯気を見ながら、僕はまた伝票に手を伸ばしかけていた。ハッとなってグラスの方に向けるも中身は空で。
結局、腕組みに仕舞って今度は窓の外を眺めることに集中する。それはそれで、僕を見張っている人物を見つけてしまうんじゃないかと不安になる。
まるで世界が一転したみたいだ。
余裕を持たせる術がなんにも見つからない。
「すみません。遅くなりました!」
トマトソースの香りでは無くて、ずいぶん前にお願いした空の水差しが今ごろ取り替えられた。
氷が入った水を飲むと非常に美味しく感じる。
ちょっと暑いなと思ってひたいを拭うと、季節外れにもほどがある量の汗をかいていた。
自分で分かっていたけど、平然を装おうなんて僕には無理な話だった。
頭の中では「自首しよう」の言葉がこだましている。別に僕は何の犯罪も犯していないんだけど。もうそこの境地に居ない。
「お待たせいたしました! トマトパスタです!」
最後の食事がやってきた。
赤々としたものをどうして僕は頼んでしまったのかと若干後悔の念に駆られた。最後の食事ならもっとスマートか豪快にいきたかったなと思った。
……でも。感謝して食べないと。
カラトリーケースからフォークを探し始める。
「いや~、腹へった~。座った瞬間メシが食えるなんてラッキ~!」
フォークは一向に見つからなかった。そして、僕と同じ席にもう一人の客が座っていることにも今気づいた。
僕が探していたフォークはそいつの手の中にあった。
「二人分にしては少ないなぁ」
「なんでお前がいるの……」
「ええ?」
色黒の肌にわざと白髪を合わせる奇抜な男だ。僕の質問を聞き返すけど、別にパスタを小皿に取り分ける手は止めていない。
「ジャッジ……」
「おうよ」
僕のたった一人の友人。ジャッジはフォークが足りないことに気付いてオーナーに言葉を投げていた。
すぐに二本目のフォークは運ばれてきた。オーナーじゃなくてアルバイトによってだけど。ジャッジは「悪い店だ」となかなか聞こえる声で言っている。
「で? なんでジャッジがアスタリカに来てるんだよ」
「そんなに不思議か?」
「当たり前だ。船に乗るお金なんて持ってないだろう」
万年金欠の男にチケット代が払えるわけがない。僕だって二人分支払うのは厳しくて……あれなのに……。
ばつの悪さに僕もパスタを負けじと自分のお皿によそった。
ジャッジは麺をむにゃむにゃ食べながら言う。
「不幸の匂いを辿ってきたらお前に当たったんだよ」
「なっ!?」
フォークに巻きつけた物が全部取り皿に落下する。
反論しない僕の目の前でジャッジは無配慮で笑っていた。
「ていうかお前。何をひとりでジタバタしてんだよ。はたから見たら危なすぎんだろ」
一部始終が見られていたことを知らされてしまう。
(((次話は明日17時に投稿します
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