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エリシュとの話

 世間から見れば事件なんて何も起こっていない。ただいつも通りの平日だ。旅行シーズンが重なると交通機関はいつまでも混み合っていて、バスのラッピングや街中のセールスの声でガヤガヤとしている。

「あっ、先生。やっと出勤ですかぁ〜?」

 アスタリカの大きな病院。僕は道中で新聞売りから買わされずに乗り切れたと気分良くしていたっていうのに。この病院で内科先生に捕まってしまったから、やっぱり今日の僕はついていない。

「あの、僕のことを先生と呼ばないでください。ただのお見舞いに来ただけなので」

 内科先生については、第二次神話戦争勃発の危機を、まるでスポーツ観戦をしているかのように観ていたことが印象深い。あんまり彼のことは好きじゃないんだ。

「急いでいるのですみません」

 会釈をして足早に去ろうとする。後ろから「今度一緒に飲みましょう!」と声を聞かせてきた。病院内なのによくもそんな無神経なことを叫べるもんだ。

 集中治療室に顔を出すと片付け作業をしているようだった。そこで僕は部屋を案内してもらった。アスタリカの街並みと、晴れていればエシュの大聖堂も少し見える。最上階の入院室だった。

「失礼します。目が覚めたと聞いたので」

 そっと部屋に入ってひとつだけあるベッドに近付く。

「申し訳なかった。それと、助けてくれてありがとう」

「いえ。私は結構錯乱状態で。ほとんどアルゼレアという女の子が対応してくれたおかげです」

「しかしあなたは医者なのだろう?」

 ベッドに横たわった男は天井を見つめたまま言う。僕は答えるのに若干勇気が必要だったけど、椅子を用意している間に心を整えて「そうです」と答えた。

 患者さんのネームプレートには必ず名前があるはずなのに、彼の場合は真っ白なままだ。だから僕はエリシュさんって呼ぶことにした。その呼び方が正しいのかは分からない。

「エリシュさん、何があったんですか」

 僕の問いは予期していたものだと思う。エリシュさんは、ふーっと息を吐いたらすぐに話し出せた。

「逃げたんだ」

 話し始めの一言目がこれだった。


「神託とは……私には荷が重すぎたんだ。秘密を守り抜くのは過酷で孤独だった。この使命から降りようにも誰が許可を出してくれるだろう。私はいつだってひとりだ。神の言葉を聞くのも出来ないただの人間だというのに」

 鍵のことも話される。

「君の友人には迷惑をかけてしまって申し訳ない。ロウェルディ殿とは話せる仲なので助けになれるだろうと思ってやったことだった。しかしとんでもなく周りを混乱させてしまうことになるなんて。ロウェルディ殿に全てを話したことも間違いだったようだ。いっそ皆が望むように神殺しをしてくれとまで私は言った」

「そこまで追い詰められていたんですか」

「……そうだな。詳しいことは他言できないが、私のような人材には幾つもの決まりがある。『神を殺してはならない』に似た決まりも、そのうちに入っているだろう」

 ちょっと憶測まじりなのが気になってしまう……。

 僕が知らない世界に思いを馳せていると、窓を開けてくれとエリシュさんの声がかかった。僕は立ち上がって窓のサッシに手をかけた。ふわっと風が入っては来るけど真夏の暑い風だった。

「早く戻らなければならないな。私があの城を長期間留守にするのは良くないはずだ」

 点滴の液が落ちる音がしている。彼が驚異的な回復力を見せていると聞いているけど、そんなにすぐに戻れるかなと僕は隠れてちょっと首を傾げた。

「とにかく君には感謝する。世界を救ったも同然だ」

「いえいえ。僕はそんな大それたことはしていません」

 僕が苦笑をしていても、同じような笑い声は彼の方から届いてこなかった。

 窓の外はすこぶる晴れていて、遠くの山の手前にエシュ神殿の屋根が少し見えている。そしてやっぱりエシュ城は見えない。時計塔だってない。

「あ、そうだ」

 その時僕はひとりの別の人物が頭をよぎった。

「ケンっていう人を知ってますか? あの時、エシュの間に入る直前で出会った人なんですけど」

 エリシュさんは相変わらず天井を見つめたままで答えた。

「ケン……。名前にそう付いて、あだ名としてケンと呼ばれる人物なら、何人か外交しているが」

「全身を隠していて、なんだか不思議な匂いがする人なんですけど」

「匂い?」

 人っぽくない人で……。なんて言うのはやめた。曖昧な記憶であまり人のことを惑わしたくない。それこそ巻き込みもしたくないと思ったからだ。

「ここではゆっくり休んでください」

 無難な言葉をかけておいて病室を出てからは、もう二度と僕がエリシュさんと出会うことはなかった。


 セルジオ大使館へは向かわずに、そのまま自宅へ直帰するために歩いている。というか、もうお世話になんてなるもんかと思っている。不満を抱えて地面を鳴らしていると、僕の足音を聞いてか目の前にあの人が立っていた。

「何かドラマでも再現しているんですか」

 僕から嫌味を投げかけたつもり。目先に車を停めて立っている男性はサングラスから眉を動かしている。

「一体なんのことでしょう?」

 おどけられてムッとした僕。提げていた紙袋を投げつけたかったけど、街中だし大人だからという理由だけでやめておいた。僕を待ち伏せしていたマーカスさんにはしっかりと両手で渡してあげる。

「何でしょうか。プレゼントですか?」

「お借りしたジャケットです。私物が入っていたみたいなので気をつけてください」

 目の前で中身を確認するマーカスさんは「あっ」と、さぞ驚いたみたいにリアクションをしてみせるけど。そんなことしたって無駄だ。全部この人の仕業だってことは分かっている。

「もう僕にもアルゼレアにも関わらないでください」

「平凡な日常を送れなくなると?」

「そうです。では」

 行こうと思っていた道はバス停への方向だ。ここから反対方向へ引き返したら地下鉄にも乗れる。アスタリカの交通は便利だ。やっぱり住むならこの国が良いんだろうな。

「……あ、それと。ひとつ良いですか?」

「はい。何でしょう?」

 完全にお別れする前にひとつ上から物を言っておきたかった。

「ちゃんと家族には頻繁に会った方が良いと思います。奥さんが他の男の人を家に連れ入っていたら後悔しますよ」

 指を立ててマーカスさんに言い聞かせてやった。しかし彼はプッと笑う。笑っている場合じゃないって怒るのも良いけど、僕には二つ目の手札があった。

「じゃあ成人した娘さんが彼氏を家に連れてきているのはどうですか? 大学を中退して職にも就かずに何でも屋でお小遣い稼ぎをしている男です。性欲の有無を物差しに女性と付き合うか測っている最低な男なんですけど、口が軽くて軽率でも何故か女性にモテる。そんな男が今夜にでも」

「フォルクスさん? ジャッジさんのことを挙げているようですが。私の娘に限ってそんな哀れな男と接するなんて皆無です」

 しかし、フッと笑うのは僕の方だった。なんたって僕は初めてマーカスさんを言いまかせてやったんだ。

 いつものサングラス姿でいても、爽やかな笑顔を忘れたマーカスさんは困ったように首の辺りを触っている。

「では。さようなら」

 僕が引き返してもマーカスさんがしつこく声をかけてくるようなこともなかった。むしろ車のエンジンを掛けて早々に行ってしまった。そこでも僕は勝手に勝ちを得たと思って、しばしスキップで街中を進んでいる。



 *  *  *



 全てのことが思い出からも去った頃。新しい季節をいくつも跨いだって変わらないことの方が多かった。

「おじさん、新聞買わない?」

 新聞売りのターゲットにされるくらい僕も変わっていないのかもしれない。

 次のスポーツ大会の準備に不備や金銭トラブルがあっという話題。新聞はその事で持ちきりだ。そして批判家を除いた世間はスポーツ記事を見ながらビックニューフェイスに浮かれていた。

 ロウェルディ大臣が出所したことや、ゼノバ教皇が少し表に立つのを控えるといったニュースもそれはそれは荒れたけど。……でも。スポーツの興奮には明らかに劣る。だってもうどの店でも政治の話なんかしていない。

「また会議だって……」

 小さく追いやられた情勢記事に目を落としながら、ひとりで僕が誰に言うでもなく呟いてあげたくなるくらい。

 世界平和のための話し合いらしいけど、実際のところはどうなんだか。僕は新聞をたたんで鞄の中に放り込んだ。

(((次話は最終回です。明日17時に投稿します


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