トリスの部屋‐鋼のマーカス‐
「それでセルジオに行ったんですか?」
「いいや。約束は約束だ。私はアスタリカ政府に裏切りの罪で殺されるなんて御免だと思ったんだ。なんとか抗いながら仕事をしていたよ。でもやっぱりそれもバレてしまってからは、とある民家に幽閉だ」
僕とトリスさんが初めて出会った場所だなとすぐに分かった。茂みの先にあった一軒家だったな。「あそこは恐ろしかった」と、トリスさんが震えている。幽霊的な恐怖には少し弱いみたいなんだ。
「そうだ! 休暇を偽ってセルジオ王国へひっそり渡ったことがある。その時にマーカスやラルフエッドと仲良くなったんだ」
ラルフエッド王……少し前のセルジオの王様。僕も会ったことがあるし、一応会話もしたことがあったっけな。でも……。僕が不吉なことを思うのと同時に、トリスさんもそのことを憂いた。
「ラルフエッドの王位は短かったね。彼はセルジオの指導者にしては人想いで善人だった。私に身内のマスピタス病患者を診させてくれるほどだ」
その実績があって本を書いたらしい。セルジオに内緒で渡っていたということが周囲にバレないように本には工夫をした。身内に伝えるために創作文字を用いたというわけ。そこからアルゼレアとの絡みに繋がってくる。
「じゃあトリスさんはセルジオで兵器を作っていたわけじゃないんですね」
「ははっ。それを聞いてくるだろうと思っていた。ニュースでは私のことをマーカスが推薦したと言っていたね。あれは違っていて、実は私から立候補をしたんだ」
どうして、と聞かなくても「どうしてか気になるだろう?」と言われて、何もかもを見透かされている。
「有能とは『大きな力を生むこと』だけが全てじゃない。いかに『正しく動かせるか』こそ有能であると言えるだろう。私のいない開発部では世界を破壊し尽くす代物が出来上がってしまう。そんなものを打ち上げてみたら、一体この星で誰が勝利の歌を歌えると思う?」
はっはっは、とトリスさんは高らかに笑っていた。僕はその、世界を破壊し尽くす代物ってやつが恐ろしくて、ただただ息を飲んでいた。
「私は兵器など作らんよ。兵器を作らせまいとするのが私の役目だ」
「……安心しました」
知り合いが反逆者だったり悪党だったら嫌だなと思っていたんだけど、今はトリスさんが開発部に入っていてくれて良かったと思える。
「……というか。そうと知っていたなら教えてくれったって良いのに」
「ん?」
トリスさんに覗き込まれて、つい内心が口に出てしまってたのに気付いた。何てもないことにするのも失礼かと思って少し話す。
「マーカスさんが毎回僕を試すような事ばかりを言ってくるので、いらない想像でだいぶ振り回されている気がするんです」
「ほう。確かにマーカスは口下手なところがあるな。どんなことを言われたんだね?」
僕はあまり愚痴っぽくならないように気をつけながら話した。だけどそれは難しかった。
「世界平和を望んでいるって言っていましたよ。僕はセルジオやマーカスさんのことをあまり知らないですけど、この国とこの人って平和とはだいぶかけ離れている気がするんです」
「鉄の国と鋼のマーカスとくればそうだろう」
そうそう。ロウェルディ大臣が『鋼のマーカス』って呼んでいた。あれは一体なんなんだ? 確かにマーカスさんはサングラスを掛けていなければ、鉄よりも固い物に例えて良さそうなほど響かない感じがするけど。
トリスさんはそれについてもよく知っていた。
「昔の言われだよ。マーカス・トワイラーンは死刑執行部に配属されていた軍人だったから、無慈悲に人を殺すということに慣れていた。やれと言われたらやる男だったのでその名がついたらしい」
ここまでは真剣な表情で話していたけど、その次には柔らかく微笑んでいる。顎に手を添えて、何かうっとりとしていた。気にならない訳がないから「どうしたんです?」と僕から聞く。
「ああ、すまない。……これは言うなと言われているんだけどね? 実は私はマーカスの結婚式に参列したんだ」
「えっ!?」
「驚くだろう。あの男にも家族がいるんだ。結婚式は……たしか、もう九年前だったか。娘さんや息子さんが美男美女でね。マーカスと奥さんのルーナさんによくよく似ている」
写真があったかな、と言い出してトリスさんは席を立った。それは是非とも見てみたいもので僕も手伝ったけど、本の山をひとつひっくり返しただけでは出てこなかった。
トリスさんと僕は汗をぬぐいながら、手付かずの場所を眺めて一緒にため息を落としている。探すのはまた今度にしようという意見で一致しているみたいだね。話のまとめとして最後にトリスさんは呟いた。
「愛を知ると人は変わるものだね」
その言葉を自分にも落とし込んでみたかったけど全然ダメだった。僕は何にも変われていない。まだ愛を知っていないってことなのかな……?
「世界平和という目標もあながち的外れではないよ」
思い出したかのようにトリスさんが話題を戻し、僕の意識もそっちに集中した。
「どういうことですか?」
「近年、アスタリカ勢力が劣ってきている。こないだロウェルディが逮捕された件も、アスタリカ勢に大きな傷をつけただろう。この次、アスタリカの権力者は王族に戻るか、はたまたエルサ教が得ることになるか揺れると思う。しかしマーカスはどちらも重要視しているみたいだ。二つの候補者の敵がエシュ神都であることに同じだからね」
「エシュ神都はそんなに弱いんですか?」
「弱い。土地も小さいし、色々な部族が集まった国だから団結力も少ない。アスタリカ帝国は大きな国だ。ましてやエルサ教が戦うとなれば各地に信者がいる。ほんの一日で勝敗が付くと思うよ」
想像したよりも重い話になっていた。僕は「へー」と相槌を打つくらいで、のんびりと聞いてしまっていた。
失礼にならないように質問を挟んだりはしたけど、正直……世界平和なんて大それたテーマに真剣に耳を傾けるほど、僕の方は切羽詰まっていなかったから。
どっちかっていうとマーカスさんの結婚式の写真の方が気になるくらい。話を聞きながら、沈黙の間にはちょっと本を動かしたりしてみている。
一方、話したがりのトリスさん。「これも言うなって言われているんだけど……」と、何か渋っていた。
「言えないことは別に結構ですよ」
拒否されると逆に話したくなる心理を使ったわけじゃない。ただトリスさんが、ここまで話したなら隠すのも良くないかと割り切れる人のようだっただけ。
「マーカスがエリシュの鍵を見つけたと話しているのを聞いた」
「ええっ!! 本当ですか!?」
それは渋ってもらっては困る! むしろ絶対に聞いておきたい話だった。
「エリシュの鍵はどこにあったんですか!?」
僕の勢いに押されて本の山が少し崩れていた。勢いに押されたのはトリスさんもで、僕が身を乗り出すのをちょっと引き気味で後ずさり。
「ど、どこにあったというよりも。……いや、これはやっぱり君に話すべきではないか」
「いいえ! 話してください! ここまで話したのなら隠すなんて良くないと思います!!」
僕とアルゼレアの愛も掛かっているんです!! とまでは叫んだりしないけどさ。
「……ゼノバが持っている」
ほとんど口の動きで読み取れるくらいの小音で言った。僕の興奮がこんなにも一気に冷めていくのは初めてだ。血の気が引くって言っても過言じゃないかもしれない。
「どういう経緯で手に入れたのかは分からない。だけど私はそう聞いた。……すまない。やっぱり話すべきではなかったね。君やアルゼレアさんにこれ以上苦労を掛けたくないと思っていたんだが」
聞いてしまった以上は何かしら動くだろうと思われている。しかし残念ながら、今回はその通りなんだ。
マーカスさんの世界平和計画や、家族への想いはまあまあ分かったよ。そのことは僕よりもマーカスさんが上手くやるんだと思うから、特に気に留めることはないんだ。
でもアルゼレアとのことは僕の行動次第だ。なんとしても鍵を取り戻してゼノバ教皇を阻止しないと。
「情報をありがとうございます!」
「ああ、待ちなさい!」
僕は待たない。急いでアルゼレアのところへ戻るんだ。
(((次話は明日17時に投稿します
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