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トリスの部屋‐セルジオ軍人‐

「マーカスとの出会いを聞かせてあげよう」

 天井に絵を浮かべているのか、やや上を向きながら静かに語られる。



*  *  *



 その月は厳しい冬で、身動きも出来ないほど雪が積もっていたという。トリスさんの居場所は、いつかに僕とジャッジで向かったアスタリカの北西の地。密集しすぎて縦に伸びた住宅街で、その隙間にある日陰の建物だった。

 静かな晩、トリスさんはお酒に酔っていたという。それはお祝いのお酒で、トリスさんの研究結果が表彰された後のものだ。研究員たちはすでにそれぞれの家に帰っていて、トリスさんだけが一人で居残っていた時、マーカスさんがやってきた。

「お初にお目にかかります。ひとまずお話を聞いていただけますか?」

 自分の素性も明かさずにやってきた若男。その目つきが恐ろしく不穏だったとはトリスさんも感じたらしい。マーカスさんはサングラスをかけていなかった。

 しかしこの若男が生真面目であるということがすぐに分かった。と、トリスさんは告げている。殺される覚悟で家の中に入れた若男は、丁寧にも靴の雪を落としてから、厚手コートも玄関で脱いで入ったんだそう。

 生真面目じゃなく、ただ礼儀が良かっただけでは? これは僕がトリスさんに投げた言葉。トリスさんの答えはこうだ。人を殺すのに礼儀なんていらないだろう? その通りだと思った。

 客人に出せるものが酒類しかなく、トリスさんとマーカスさんは一杯酒盛りをしたらしい。そしてその席でマーカスさんはトリスさんに告げた。

「素晴らしい研究結果を見ました。よろしければ、その結果を高く買いましょう。是非私の国へいらして研究を深めてください」

 トリスさんはこの話を断っている。その後でマーカスさんが軍人であることやセルジオ王国から飛んできたということも聞いた。でもやっぱり断ったんだそう。何故なら……。

「買い手ならもう付いてある。明日の朝からアスタリカ政府の元で働かされる」

 表彰式はその日の午後。夕方にはもうロウェルディ大臣が動いていた。トリスさんの腕を見込んで、うちで働いてくれないかという同じような内容で。トリスさんはその書類にもうサインを書いていたらしい。

 しかし、その話をマーカスさんに伝えた瞬間から、尽かせるつもりで浴びていたお酒が急に不味くなった。進まない晩酌の中で、ぽろりと愚痴が出てしまったと言う。

「本来なら私は、こんなことに加担するべきではない。医者はどうあっても医者として生きるべきなんだ。たとえ毒を作れと命じられたとしても、その毒が人間を害するものであってはならない。世の中は医者を甘く見すぎている」

 それを聞いたマーカスさんは、すぐにトリスさんの意図を汲んだ。

「アスタリカに協力する気はないのですね」

「無い。私は誰とも協力しない。戦争に使う兵器を作るなどもってのほかだ」

「ではどうしてアスタリカの契約にサインを書いたのです? 望んでいない場所に飛び込むほど金銭に困っていたのですか?」

 トリスさんは嫌な記憶が蘇って酒瓶を投げつけたという。マーカスさんはさすがに訓練された身だったからか、瞬時に避けて当たりはしなかった。それもまた腹が立って叫んだ。

「違う! 金の話じゃない! 私は医療と研究を甘く見ている連中を正したいだけだ! 特に有権者にいる人らは勘が捻じ曲がっている! 私の研究は、敵兵士を根絶やしにするための作戦ではない! 因縁に打ち勝つための切り札ではない! 威厳を周知させるための援助でもない!」

 さらに投げつけた酒瓶をマーカスさんは片手で受け取ったという。トリスさんはそれに驚いて、怒りに任せるということからは解放されたようだ。

 マーカスさんは最初からずっと何も驚かないで話を聞いていた。この後の返事も情のないものだった。

「では、セルジオはあなたにアスタリカ帝国と契約した金額の四倍を支払いましょう。なので翌朝までに、うちにいらしてください」

「……ふん。分かったぞ。私の考えなど不要で、元からその金額で連れて来いと王から言われてきたんだな」

「それはどうでしょう。あなたがそう思いたいのであれば構いません」

「……」

 トリスさんはこの時、マーカスさんが大っ嫌いになったんだそう。僕もここまでの話を聞いていて同じ気持ちだ。彼について不審に思ったり不思議だと感じたりしてきたけど、ようやく僕もマーカスさんのことが嫌いだって断定できそうなところまで来た。

 僕自身の気持ちがスッキリしそうなところで、もう話はお腹いっぱいになってしまいそうだった。しかし続きが肝心だとトリスさんの話す口が止まらない。マーカスさんが去り際に言った言葉が、彼を見直すきっかけになったんだそう。

 しんしんと雪が降り始める玄関扉を開けた時だ。ちゃんとマーカスさんが帰っていくかを見送るためにも、トリスさんは玄関まで見送りにやってきた。

 ちなみにマーカスさんの持ちかけた話はもちろん引き受けることにはなっていない。「また来ます」とマーカスさんが言ったも、トリスさんにはどうでも良いことだとこの時は捉えていたという。

 そして去り際にマーカスさんが言った言葉がトリスさんの胸を打つ。

「あなたの考え方はうちでは通用しませんよ。セルジオ王国には有権者など存在しませんので」

 それから後腐れなく去っていったという。

 マーカスさんが伝えた最後の言葉の意味を考える間も無く、その晩のニュースではちょうどセルジオ国情のニュースが入ってきていた。当時王座に座っていた人物が暗殺されたという内容だったようだ。

 セルジオ王国は王権が次々に変わる。誰かに仕えていたら、晩には主人が殺されている。あくる日には葬式があり、その場で素知らぬ顔をして別の人物に仕えることが出来たなら、その仕人はもはや人間ではないだろう。トリスさんはそう考えた。

 で、あるなら誰にも仕えないことが合っている。「有権者など存在しない」つまり、その国では自分の意思で何もかも動かなければならないということだ。上手くやれなかったら下のものに殺されるだけだ。

 その、非常にシンプルな構造にときめきを感じた。トリスさんはここまでを僕に熱く語った。



*  *  *


(((次話は明日17時に投稿します


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