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あの時の女の子1

 小舟の方とは打って変わって、背後の大客船は賑やかしい。

 ここに来て人の幸せを喜べなくなった僕は、振り向いてやるもんかと強気になり小舟のクルーに歩み寄る。

「チケットをお持ちですか?」

「あ、はい」

 しかしポケットに手を入れた時。何か背中の方で揉めている声が聞こえた。

 数秒前は強気だった僕だけど、野次馬心で後ろを振り返った。

「チケットを持っていない方は入れません!」

 大型客船での切り詰めた声が聞こえる。

 なんだ。それだけなら大したことじゃないな、と僕は思えただろう。

 でも大声を出す船員の側に居たのが、あの赤髪の少女だったから目を見張る。

「……すみません。でもどうしてもその国に渡りたくて」

「乗船したいのであればチケットを購入してください!」

 船員は一点張りだった。でもそれが正しいし、僕も彼女の方が非道だと思っている。

 乗船口が詰まっていると、後ろに並ぶ人達が不満を垂れだしていた。

「船に……」

「あまりしつこいと警察を呼びますよ!」

 それを言われると赤毛の彼女は少し身を引いたようだ。

 船員も、彼女が後退りするのを諦めたものだと思って、後に並んでいるお客のチケットを先に確認しだす。

 だけど彼女のそれはフェイクで、船員の隙を盗んで中に入り込もうとした。

「おい! お前何を!」

 彼女は船員に阻まれて手を掴まれた。

「は、離して!」

「警察だ! 警察に連れていく!」

 ここまでは傍観できた。

 船員の手から身をよじって逃れられた彼女が、船員から平手打ちを受けるまでだ。

 よろけて倒れ込みそうになった彼女を僕は後ろから抱えて立たせた。

「すみません。僕の妹がご迷惑を」

 ポケットからくしゃくしゃに握ったままのチケットを渡す。

 もちろん船員は突然出てきた僕を怪しんでいる。だけど受け取ったチケットは睨みながらでも開こうとしてくれた。

「こっちだ!」

 その短い隙に僕らは船内に入る。

 後ろでは船員の怒る声が聞こえたけど、阻まれることなく上手くすり抜けられた。あとは人混みに紛れてしまえばこっちのものだ。

「あ、あの」

「はぐれないで来て」

 僕は彼女の手を引いたまま人の多いところを選んで歩いた。幸いなことにエントランスも大部屋も人があふれかえっている。

 だけどきっとすぐに捜索が始まるだろうから、まずはどこかで身を潜めたい。

 空いている部屋は無いだろうかと考えていると、ちょうど「海を見に行こうよ!」と少年が廊下のある扉から出てきた。

 後からその家族もエントランスへと続いていた。

 その扉の上には『展望部屋』とのプレートが掲げてある。おそらくボックス席だろうと思う。

 人気のある部屋でなかなか入れたものじゃ無いけど、今がチャンスだと僕は急いだ。

「間に合え……!」

 どこかの芸術家がデザインしたランタンや小物も飾ってある片側廊下だ。今はそれを眺めている場合じゃない。

 一方に個室が並んでいて閉まった扉は先客のある部屋だった。

 前方からも空いた部屋を探して家族客が歩いて来ている。僕は早足になり、ここだけは幸運が向いてくれと祈っていた。

 すると願いが通じて空いている部屋を見つける。前方の家族客が気付かないうちに僕らはそこに入れた。

 扉を閉めて息を整えれば「やっぱり空いてるわけないわね」などの声が聞こえた。

「……えっと、どうして」

「どうしてじゃない。何をしているんだ君は!」

 静かに揺れ出す船の中。問題は起こっていても出発はしたようだ。

 僕は彼女に問いかけたつもりでいたのに、知らずに少し怒った言い方をしてしまったみたいだった。

 それで彼女が少しだけ落ち込んでしまう。

「ごめんなさい」

 僕が掴んでいた手はもう離していて、彼女はその手を胸のところに持っていた。

 やっぱり黒いレースの手袋をした彼女で間違いなかった。そして彼女が両手で抱えるのが本だったということに今初めて気がついた。

「とりあえず座ろう」

 聞きたいことが山ほどある。

 それが目的で目クジラ立てているとまるで警察官と同じだ。僕は気持ちを切り替えることにして大きな窓の方に視線を向ける。

「ほら、海が綺麗だよ。せっかくだから眺めておこう」

 そう言うと彼女は頷いた。そして僕の目の前にそっと座ってくれた。


 展望部屋の個室は王室をイメージした装いだ。壁も天井も金やピンクの大きな花模様がついた壁紙で統一されているのがそう思わせた。

 あとは白革のソファーかな。それにだって細かな模様がびっしりと縫い込まれている。

 せっかくの展望部屋なのに、これだけガチャガチャしていれば落ち着けそうもない。いいや、むしろ。部屋より外の海をご覧くださいという計らいなのかな。

 柄物ばかりで相当狭く、ソファーとテーブルで部屋の全てを使ったような場所だった。

 お互い見つめ合うようなことは無くって、熱心に窓ばかりを無言でしばらく眺めている。

「……それにしてもよく晴れてるね。冬なのに海も空も青い」

 何か話さないといけないかなと思った僕は、下手な日常会話から始めたつもりだ。

 それに対して彼女はこくりと頷くだけに終わった。

 僕としては「そうですね」くらい言って欲しいものだった。

「……」

 やっぱり言葉は続かない。

 彼女は対人に微笑みなどは浮かべない。初めて出会ったバスの中でもそうだった。

 あれはただ、すれ違ったのと同じくらいの接触だったからなんとも思わなかった。けどこうして向き合うと少しはやりにくさがあった。

 つり目の効果もあって印象はドライ。

 不機嫌なのかな、と捉えられなくもない。ただ、時々わずかだけど表情が和らぐこともある。外でカモメが着水する瞬間を見つけた時も笑ったように見えた。

 年齢は絶対歳下。かなり若そうで、少女くらいの年齢の可能性もある……。

 そして僕はハッとした。

「ご、ごめん。もしかして同行者がいた?」

 一緒に旅行に来ている友人とか、もしくは親とか、はたまた恋人とかを僕は瞬時に想像して青ざめている。

 でも彼女は無表情のままで答えた。

「いえ。ひとりです」

 声は可愛らしい。ドライで淡々な物言いだ。

「そ、そっか。よかった……いや、良くはないか。ごめんね。なんか、余計なことしちゃったかもしれない」

「そんな事ないですよ」

 僕に気を遣って微笑みかけてくれる……ってこともしてくれない。

 別に人助けのつもりも無かったし、感謝されたい気持ちも無いんだけど。やっぱり僕の行動は余計だったのかな、と反省した。

 偶然の再会にほんのちょっと舞い上がってしまった事がそもそも間違いだったのかも。って。今更反省しても遅いんだけど。

 あとで船員に丁寧に説明してチケット代を払えば良いか。

 彼女に見られながら、こんなことを考えている時点でだいぶ最低だ。

「……あのさ。実は僕、この船に乗る予定じゃなかったんだよね」

 僕が苦笑するのは彼女に真っ直ぐ見つめられた。

 彼女の返事も待たずに話を続ける。

「だから乗船口で渡したチケットも全然違う方面の物なんだ……しかも一枚だし。そのうち船員がチケットを確認しに来ると思うから、僕から君の分も出しておくね」

 出費が痛い僕だったけど出来るだけにこやかに話した。

 いくらなんでも見ず知らずの男が金を出すという事になれば、彼女だって全力で止めるだろうと思っていた。

 しかし何故か彼女は罰の悪そうに目を逸らすだけだ。

「……」

 ……あれれれれ。

 僕の心の声はちょっぴり震えていた。

「観光するのもたまには良いかなって思ってね」

 動揺があからさまに出てしまう指先を隠すようにカバンの中に入れる。

 そこからさっきの旅行雑誌を手に取ると、旅行プランを考えるフリしてこの客船のチケット代を探した。

 素早く確認が済んだらスッとカバンから手を抜いた。

 笑顔を取り繕ったまま彼女に言葉を投げかける。

「君も旅行?」

 ただし頭の中では数字のゼロが浮遊していた。

 別に払えない額じゃない。二人分。ただし払ってしまうと財布もこの身も空になる。密かに震えていたら彼女が声を出した。

「じ、実は……」

「うん?」

 おおよそピエロのお面みたいな笑顔で首を傾げた僕だ。

 彼女は何か迷った上で、意を決したみたいに机の上に本を置いた。

 僕は黙ったまま長めに見守る。彼女が何も言い出さないのと、この本から何の仕掛けも発動しないので、ようやく「本?」と聞く。

「はい」

 でもそれは見たら分かる。

 雑誌とは違い、しっかり革表紙の張られた本。厚みもまあ薄い部類に入りそうなものだ。それが何なんだろうと、僕は彼女に目を移した。

「この本の内容が知りたくて」

 言いながら彼女が適当な場所で本を開くと、それが特別な物だと知る。

「……どこの言葉なの?」

「私にも分かりません」

 僕らの使う文字と形は似ている。だけどスペルはまるでめちゃくちゃだ。文法なんかも見方がまるでわからないものだった。

「図書館でも博物館でも分かりませんでした」

「それを知りたくてアスタリカに?」

「はい」

「ひとりで?」

 ほんの少し間ができてから彼女は「はい」と小さく答えた。

「すごいね! 君の行動はとっても勇敢だと思う!」

「え?」

 彼女には後ろめたい思いがあったみたいだ。そこに対して僕が全く用心していないことに驚いたと見える。

「僕は未来よりも過去にロマンを感じるんだ。だから君がその本の真相を解き明かしてくれたらと思うと、ちょっとワクワクした」

 そう言うと、彼女のこわばっていた顔も少しほころんでくれたような気がした。ちょっとは親しみを感じてくれたのかもしれない。

 それか、僕の下手なサービストークを見破られただけだったのかも。


(((次話は明日17時に投稿します


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