厄災のおかげ
いつぶりかのエシュ神都。その簡素な住宅地にある大きめの家は懐かしい。ノックをしてリサの名前を呼び、すると中からまた懐かしい人が顔を出した。
「ティナー?」
親しく僕を呼ぶ彼女は、まん丸な瞳をさらに大きく丸く見開いている。
「ど、どうしてあなたが?」
「ジャッジを連れてくる役で」
ねえ、と後ろを振り返ると。こっそりとどこかに行こうとしていた男と目が合った。即座に捕まえてリサに理由を話させる。しかしリサには何もピンと来るものがなかったみたいだ。
そうなれば……ジャッジを問い詰めるしかない。
「これは。どういうことなの? 鍵がここにあるかもって言ったんだよね?」
「そ、そう思ったんだけどなぁー。はは、ははは……」
このやりとりをリサは「懐かしいわ」と言って微笑んでいた。
「とにかくうちに入って。何かご馳走するわ」
よく片付けられた丁寧な暮らしぶりが玄関からも伺える。ジャッジはそこで靴を揃えずに入っていくし、その靴を揃えるのがリサなのは納得はいかない。
「ティナー? どうぞ?」
僕は留まった。何かがいけないと分かっている。
「ごめん。僕はいいや。ジャッジを送りに来ただけだから」
「あら、そうなのね……」
気まずくなる僕たちのことは知らずに、ジャッジは人の家の中から僕をひたすら大声で呼んでいた。
「じゃあね。さようなら」
くるりと引き返してエシュの街中へ紛れた。特に後腐れもない僕だ。観光するより家に帰って勉強がしたい。最短で戻れる交通機関は何だろうと看板を見ながら歩く。
唯一好きだったエシュの巨大な砂時計のオブジェクトも見てみたいけど。あいにく教会関係の建物は出入りが規制されているみたいだった。おそらくオソードの一件があったのことだろう。
エシュの大きな神殿は立派な外見を見上げるだけにして、僕は家路を決めることにする。サッと振り返って大通りを渡ろうかという時だ。
「あれっ?」
赤髪の女の子が見えた。いや、赤髪ならわりと多い。だけどその女の子は黒い手袋をはめていたし「フォルクスさん」と、口が動いている。なんならこっち駆けててきた。
「フォルクスさん、お久しぶりです」
「アルゼレア? アルゼレアで合ってる?」
「はい」
まさかの再会だ。そしてまさかの展開になる。
交差点手前で僕がアルゼレアを見つけたように、僕のことも見つけた人がいたんだ。
「おーい! フォルクスー! リサがこれ持って行けってー!」
振り返るとジャッジが小さなハンドバッグを持ち上げて見せていた。それからアルゼレアのことにも気づいたみたいだ。「娘っ子ー! 元気ー!?」とも言う。
「……リサさん」
まずい。と思った。
ジャッジが僕のところに追い付いてきたら、そのハンドバッグを僕にしっかりと持たせる。
「また来てね。とさ」
余計なひと言を言った。
サァーッと冷めていくのは僕と、そしてアルゼレアもだった。
「……」
アルゼレアの赤髪はサッと翻して消えてしまう。信号機が点滅でも構わずにアルゼレアは走って行ってしまった。危うく車にも轢かれそうになっていた。僕が呼び止めるにも、追いかけるにも手遅れで。
「ジャッジ……。お前はほんと厄災だよ」
厄災は照れくさそうに「どうも」と言う。
街を下ったところの歩行者天国で無事にアルゼレアに追いつけた。「違うんだよ!」と伝えたら、アルゼレアから足を止めてくれたんだ。すぐに正面に回って息も切れ切れに理由を話す。
「本当に浮気とか一切しないので。本当に信じてほしいです!」
怒っている時の表情も無表情でいるアルゼレアだった。彼女が今どれくらい僕に不信感を抱いているのかが測れない。とにかく「違うんだ」と言い続けるしかない。
すると、フッとアルゼレアが笑ったように思う。わずかに口元が緩んだのを僕は見逃さなかった。
「……分かってます。ちょっとビックリしただけです」
「ああ、よかった。ビックリさせてごめん」
安心で解放された僕はアルゼレアを抱きしめそうになり、開いた腕をそっと仕舞う。歩行者天国では多くの買い物客が行き来していた。恋人に対して、信じてほしい! だなんて、切実に伝える男を横目で見ていく人は多かった。
でも、一応確認を。
「抱きしめても良いかな?」
「ダメです」
彼女からのオッケーも出ないということで、仕方なく諦めるしかない。
それにしても。まさか偶然アルゼレアと出会うなんて思ってもいなかった。確かにエシュに行くとは聞いていたけど、こんなに広い国の中でバッタリと出会えてしまうなんて嬉しくなる。
「セルジオから戻ってきたんだね」
「はい。明日にはアスタリカへ行きます」
「そっかそっか。お疲れさま」
「フォルクスさんも」
僕とアルゼレアは感動の再会に抱きしめ合えなくても、ただじっと見つめ合っているだけで幸せが膨らんでいく。
やっぱり写真で見るよりも実物の方が数億倍可愛いんだよなぁ……。ホワホワとした微優しい時間が二人の間に流れていた。そんな時、僕とアルゼレアの間にサッと紙が割り込んだ。
「そこのお熱いお二人さ〜ん。超〜お得なお部屋。いかがです〜?」
チラシ配りのねちっこい喋り方も気になるけど。それよりチラシに注目がいく。たちまち二人は黙りっぱなしになった。聖なるエシュ神都の風紀を乱す気がするチラシだったから。
数字に目がいく僕。確かに超〜お得だというのはそうだ。ニューオープンというのも好印象ではあるよ。レジャー施設と、うたっているのは少々語弊が大きいと思うけど……。
「僕たちは結構です」
行くよ、とアルゼレアの手を取って行く。チラシ配りの人は特にひっついて来てまで、それを渡したかったわけでもないみたい。
「昼ごはん食べた?」
「まだです」
「じゃあ、そことかで食べない?」
近くにあった適当な料理店だ。綺麗めだし、そこそこ人気もありそうな。ありきたりな店なんだけど。アルゼレアが頷いてくれるから一緒にメニュー看板を眺めた。
「見てよ、海鮮ドリアがある」
「ランチメニューがお得そうですね」
一緒に行動する時間は今までたくさんあったわけで。すでに互いの好みを知っていた。
「……って。そんなにケチじゃないよ。僕は」
「そうですか?」
うう……。異論はあるけどまた次の時にする。
店に入ろうというタイミングでアルゼレアがあたふたし始める。カバンの中を探って慌てているみたいだった。聞くと財布を置いて来てしまったんだそう。
「こっちが出すから良いよ」
しかし財布は、この前に入った店に置いてきたと言うからそれは大変だ。「すぐに戻ってきます」とアルゼレアは走って行ってしまった。意外とおっちょこちょいな部分もあるんだな、と僕は軽く笑っていた。
そしてすぐに戻ってきた。あとはゆっくりと昼食をとって、これまでの話をして過ごした。
(((次話は明日17時に投稿します
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