裁判‐判決‐
質問はだいたい出尽くしたようで一旦部屋が静かになった。
そっぽを向く伯爵と、俯く僕では話がまとまる事もない。裁判官の溜め息代わりに鼻を鳴らす音が鳴っている。あとは裁判官の判断に委ねられた形だ。
「まあ、ここは無難に原告者の希望に叶えておきましょうか」
「えっ」
ここだけは僕が少し声を出す。
何故なら伯爵は僕の死刑を望んでいるのだから。
そこへガチャリと扉が開けられる音が響いた。皆が予期できていなくて肩を震わせた。振り返って見ると見知らぬジェントルマンが立っている。
「あれ? ここでやってたんだ」
その彼も驚いていたようだったけど口調は軽かった。
会議中の部屋を無断で開けてしまったことを詫びもせず、むしろ挨拶無しで堂々と中に入ってきた。
「お疲れ様です」
「良いから。良いから。気にしないで」
そのやり取りは裁判官との間でのみ行われる。
年齢も風格も裁判官より格上のように思えた。おそらく上司か、もしくはもっと上級の役職の人物なのだろう。
信頼できそうな人が現れたと僕が内心喜んでいたら最速で裏切られた。
「君たち、そろそろ次の裁判があるだろう。原告の請求で済ませてとっとと終わらせちゃいなさい」
当人を目の前にしても平気でそんな風に言う男だった。しかも僕たちには尻を向けて、備品の箱を探りながら物申すという失礼な態度でだ。
「あった。あった」
備品の中から探し物を見つけたらしく、小箱を抱えて振り向く。
「なぁに。難航してる感じ? どれどれ……」
男性は部屋を出るついでに、会議中に打っていた文字を覗き込んだ。「ほうほう」と声を出して何かを理解している。
僕はまた適当なことを言うだろうと予感している。
「うーん。じゃあ判定ね」
男性が軽く指で机をトントンッと叩いた。
「レーモンド氏に一年間の禁酒令。フォルクス氏に一年間の医師免許停止令。加えてレーモンド氏はフォルクス氏に十二ヶ月分の給金を支払いなさい」
「な、なんだと!? 私が被害者であるぞ!!」
伯爵が勢いで立ち上がったことで椅子が真後ろに倒れた。
「まあまあそう怒らずに」
「部外者の貴様に何が決められると言う!!」
掴みかかる勢いには裁判官らが二人がかりで立ちはだかる。
「貴様も訴えてやるぞ!!」
男性は掴み合いになるのを無視した。一度「元気が良いね~」とだけ何となくで返事をしただけで余裕だ。
空いたタイプライターの席に座ると男性は手早く文字を打つ。
書き終わったら、自身のポケットの中から印鑑を取り出してその場で押していた。
「さあ、持って行きなさい」
即席で作られたペラっとした紙が一枚ずつ。僕と伯爵のもとに渡された。
それで一瞬静かになった伯爵に男性が告げる。
「フォルクス氏は君の希望通り職を失うんだ。最低限暮らしていける補助金くらい君から出してやりなさい。そうでなければこの冬空だ。死んでしまうでしょう?」
はっはっは、と何がおかしいのか笑っている。
用紙には僕の免停と一年間の補償金が振り込まれることが記載されていた。判子は裁判長の欄に押されていた。
やっぱり……なんて思いたくなかったけど、この人が裁判長だったんだ。この裁判所で一番偉い人物だったということだ。
「じゃあ解散。はい終わり~」
いくつも跨いだ扉が全て閉まると、僕はあっけなく外の空気に放り出されてしまった。
また入り口に立って七階建てのビルディングを見上げる気力も特に無い。
「原告と鉢合わせになりたくなかったらすぐに帰りなさい」
裁判長にそう言われたのを思い出して歩き出す。
体感時間は二十分程度だったけど、色々聞き取りが多かったからか時間はずいぶん経ったみたいだ。外では早めに退職したサラリーマンが夕食の店を探していた。
とぼとぼ歩いていたら僕のところにも煮物の匂いがやってくる。
「……お腹すいた」
嬉しいことに結果として僕の命は救われたわけだ。だけどその証明として持ち帰るのが、たった一枚だけの薄くて軽い紙。
なんだかなぁ、と僕は思ってしまう。
でも一連のことを医院長に話したら「そういうものさ」と言われそうだ。
「ああ、退職の手続きしないと……」
免停の手続きもしないといけないらしい。正直面倒くさい。
これから気を取り直して一生懸命生きよう! なんて気は、全然起きない僕だった。
せっかく命を救ってもらったというのに、腹ペコのまま何も考えない頭で家への帰路を歩いている。
働き出して間もないのに僕の退職を嘆いてくれる人は沢山いた。
それはとても有難いことで僕は色々な事が込み上がって泣いた。男泣きでも激励してくれる良い職場だ。
「一年後、また帰ってきてね」
お世辞を間に受けて僕は本当にそうしようと思った。
バス停まで見送りには医院長が付いて来てくれる。それにもなんて良い人なんだと僕は号泣した。
「実家に帰省するって?」
医院長が誰かから聞いたのかそう言う。
僕も鼻を啜りながら答える。
「はい。母親の面倒を妹に任せきりなので、たまには手伝おうかと」
「そうか、そうか。お母様も喜ぶだろうね」
「まあそうですね。だいぶ健忘症が入っているので、久しぶりに会う僕が分かるかどうか……」
苦笑して言う僕だ。だけど医院長は微笑みを絶やさない。
「ちゃんと覚えているさ」
そう言われれば、そんな気がして元気が出た。
バスが到着して乗り込むと、年上の大先輩にだけど僕は手を振ってさよならを告げる。
小高い丘に入って人工的な森を抜けたら市街が広がって見えた。
もうこのバスもしばらく乗ることも無いんだと思うと胸が痛む。
(((次話は明日17時に投稿します
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