獣人奴隷少女を買って育てている魔女と、なんとしても秘密を守りたい獣人奴隷少女の話
「な……! あ、あなた、獣人族だったの……!?」
私の新しい主人――魔女のリリエラ様はそう言って驚いた声を出した。
はっと、私は頭から突き出た猫のような耳を手で押さえた私は、おそるおそるリリエラ様を見た。
リリエラ様の美しい顔は驚愕の表情を浮かべて私を見ている。
「あ……見ちゃいました、よね?」
リリエラ様は何度も頷いた。
見られた。
私はそれを悟って観念した。
これで終わりだ、何もかも。
私はがっくりと項垂れた。
「バレたらご主人様に嫌われてしまうと思って……」
私は蚊の鳴くような声で釈明した。
『お前獣人族かぁ、獣人族はいい値がつかねぇんだよなぁ』
奴隷商のおじさんは、競りに出される前の私を見てそう言った。
何でも、獣人族は鋭い牙と爪を持ち、奴隷として扱うには危険なので高値がつきづらいらしい。
おじさんは困ったように唸り、そしてそこらへんにあったスカーフを私の頭に巻きつけて、頭から生えた耳を隠した。
『これでよし、と。だがなお前、お前の新しいご主人様はあの名高い魔女のリリエラ様だ。なんとか獣人族であることは隠し通すんだぞ』
おじさんはよく言い聞かせるように私に言った。
そして、怖い顔で付け足した。
『なんとか頑張れよ。そうじゃねぇとお前、放り出されちまうぞ』
放り出される。
その一言に、私は震えた。
私が今まで生きてきた間、浴びせられ続けた暴言、暴力、冷たい眼差し――。
あんな世界に一人ぼっちで放り出されるのは、もう二度とゴメンだった。
なんとか隠し通すしかない――そう覚悟して数日。
意外にも、リリエラ様は私を家族のように扱ってくれた。
寝る場所は専用のベッドだし、食事は同じものを食べさせてくれるし、あまり力のいる重労働はさせたがらない。
その上、私が興味深そうに見ていた時、ロウソクに火を灯す程度の簡単な魔法さえ、懇切丁寧に教えてくれた。
妹ができたみたいだわ、と言われたときは、私はどう反応をしていいかわからず、恥ずかしさに縮こまるばかりだった。
そんな訳で二週間も経つと私はすっかりと油断し、リリエラ様と結構親しく話をするようになっていた。
だが、生活にアクシデントはつきもの。
さっき、うっかり掃除バケツの水をひっくり返してしまった私は、頭からずぶ濡れになった。
すぐにリリエラ様がすっ飛んできて、大笑いしながらタオルで頭を拭いてくれた。
だがその時に頭のスカーフを取られ、獣の耳が飛び出てしまったのだ。
もう終わりだ。
私は獣人族であることを理由に放り出される。
またあの冷たくて暗い世界に一人ぼっちだ。
そう覚悟して、私がぎゅっと目を瞑った瞬間だった。
あははは、という笑い声が聞こえて、私は顔を上げた。
リリエラ様はひっくり返らんばかりに大笑いし、目尻の涙を拭って言った。
「あなた、そんなこと気にしてたのね? そんなことで私があなたを嫌いになるわけないじゃない、パロムは馬鹿ね」
正直、驚いた。
こんなに暖かな言葉をかけてもらったのは、奴隷になって以来だった。
思わず胸が熱くなり、私はしどろもどろに言った。
「だって、だって……獣人族は爪も牙もあるから嫌われてるって……!」
「それは奴隷がほしかった場合の話。私はあなたを奴隷として雇ったつもりはないもの。使い魔として、家族として雇ったつもりだわ」
そう言ってリリエラ様は私の頭を撫でた。
「そんなこと気にしなくていいのよ。私、ずっと妹が欲しかったのよ。あなたは私のそばにいてくれればいいの、ね?」
私の目頭が熱くなった。
はい、と小さく頷いた私は、必死になって涙をこらえた。
嬉しかった。
獣人である自分を受け入れてくれたことが嬉しかった。
だが、リリエラ様はまだ知らない。
私のもうひとつの秘密を。
絶対にこれだけは隠し通さなければならない。
なぜなら、耳なんかよりもそれは遥かに巨大な爆弾だからだ。
実は、私は私ではない。
私は、僕なのだ。
リリエラ様は妹がほしかったと言っていた。
だったら――これがバレたら致命的だ。
つまり、獣人の奴隷パロムは――実は男の子だったのです。
◆
『なんだぁお前、男だったのかよ!? 綺麗な顔してるから女の子だと思ってたぜ。もう競りは終わっちまったのに……!』
競りの後、奴隷商のおじさんは露骨に困った表情を浮かべた。
なんでも、獣人の男は気性が荒いので、奴隷としてはもう全く人気がないらしい。
だが生憎、競りは終わり、契約は妥結されて、代金はもうリリエラ様が支払った後だった。
結局、おじさんは考えるのを諦めたように言った。
『まぁ、しょうがねぇよ。なんとかお前女の子のフリしろ。そんで頃合い見てバラしてみるしかねぇよ』
そんな無茶苦茶な――。
僕が困っていると、おじさんは更に怖い顔で言った。
『でねぇとお前、喰われるぞ、魔女に』
――なんでも、獣人族の肉、特にオスの肉は人間よりも遥かに柔らかくて、しかもメスより魔力が強いらしい。
その若さを保つため、定期的に魔力を補充する魔女にとっては効率的な栄養を含む肉であるそうなのだ。
そして、まだ十歳ぐらいの獣人は肉も柔らかいので、魔女からはそれはそれは美味そうに見えるだろう、ということだった。
僕はその一言を聞いて震えた。
奴隷商人に捕まり、売られた時点でも絶望したのに。
その上売られた先が魔女で、その上喰われる?
ハムみたいに? ソーセージみたいに?
よくて追放、悪くて皿の上。
僕は絶望的な気分だった。
だが、今はそんなことはどうでもいい。
リリエラ様は奴隷の僕を本当の家族のように扱ってくれた。
その上、リリエラ様は若くて、美しくて、博識で、優しい。
この人の側にいられるなら、僕は使い魔でもペットでもよかった。
この人に放り出されて、また一人ぼっちに戻るのは嫌だった。
だから「僕」は「僕」を封印して「私」になった。
たとえ耳がバレても、男の子であることだけはバレるわけにはいかない。
僕が改めてそう決意した時、リリエラ様が言った。
「さ、頭からずぶ濡れになったし、着替えさせてあげるわね」
――いきなりの大ピンチが来ました。
「あっ、あのっ! ぼ――あ、いや、私が自分でします!」
「何を遠慮してんのよ。さ、服脱いで。濡れた服を洗濯しなきゃ」
「それも自分でやります! あ、あの、部屋に行きますね!」
「あら、そう? 遠慮しなくていいのに……」
そう言って強引にリリエラ様の手からバスタオルを奪い取り、僕はあてがわれた自分の部屋に入った。
そこでタオルを巻きつけて濡れた服を脱ぐと、かなり慌てて服を着替えた。
リリエラ様が用意してくれたエプロンドレスはどれも足がスースーする。
でも我慢だ。ここにいられるならたとえ全裸だって我慢できる自信がある。
濡れた服を抱えて僕は部屋を出た。
「き、着替えました」
「よしよし。濡れた服は干しておいてね」
「は、はい」
僕が物干し場に服を干して戻ってくると、リリエラ様は柔和に笑った。
「さぁ、水かぶって身体が冷えちゃったでしょ? 一緒にお風呂入ろうか」
――叫、と、内心に僕は悲鳴を上げた。
お風呂? 絶対ダメだそんなもの。
何があっても一発でバレるコースじゃないか。
しかもリリエラ様と一緒に?
何度も言うが、リリエラ様は美人で、その上スタイルも抜群だ。
ダメだ、どんなに頑張っても絶対に男の部分を抑えられない自信がある。
僕は断固として首を振った。
「あ、いえいえ! ぼ――私はリリエラ様の後でいいです! 一緒にお風呂なんてそんな滅相もない!」
「何を恥ずかしがってんのよ。あなた使い魔でしょ? お風呂ぐらい遠慮することないのよ。身体も洗ってあげるから」
「アッ、そういうのホントダメなんです! あ、あの……!」
僕は必死に頭の中で言い訳を練り上げ、そしてつまらないことを言った。
「じっ、実は私の身体は傷だらけで……! お見せするには凄く見苦しい身体っていうか……!」
――真っ赤な嘘だろ、それ。
リリエラ様の表情が曇った。
「傷? 誰にやられた傷?」
「あ、いえ、孤児で奴隷だったので、そういうのは当たり前で……」
「そう……大変だったのね……」
リリエラ様は悲しそうな表情を浮かべた。
その表情を見て、僕もちくりと心が痛んだ。
なにしろ、全身傷だらけなんて真っ赤な嘘だったからだ。
僕は奴隷身分になってからは結構手厚く面倒を見てもらった。
奴隷商人のおじさんがそういう業界人にしては善人だったお陰だ。
特に奴隷同士のケンカやイジメは「商品に傷がつく」という理由で絶対禁止。
だから僕は孤児の奴隷ではあるが、身体のどこにも傷なんかないのだ。
リリエラ様は呆れたように言った。
「あなたね、そういうことは早く言うもんよ。……ほら、服脱ぎなさい。傷跡を消す軟膏を塗ってあげるから」
――アアッ、墓穴掘った……!
僕は目の前が真っ暗になった。
全身傷だらけ、と言ったお陰で、絶対全裸にされるコースじゃないか。
しかも僕の身体は生まれたてのように無垢な身体だ。
どこにも殴られたり蹴られたり根性焼きされた痕なんてない。
二重に嘘がバレてしまうじゃないか。
「あっ、ああーっ! いいんです、ホントそういうのいいんです! どうぞお構いなく!」
「何よさっきからおかしな言い訳して。遠慮することないんだってば。ほら、この膏薬を塗ればどんな傷跡も綺麗に取れるんだから服脱いで」
「こっ、困ったなぁ……! ホントにいいんです、こういうのって見方変えれば勲章みたいなもんでしょ? 斬られた傷はもののふの誉れ……」
「何訳のわからないこと言ってんのよ。ほら、観念しろ!」
あーれー、と悲鳴をあげながら、僕はリリエラ様に襟ぐりに手を突っ込まれてひん剥かれた。
リリエラ様はしばらく僕の肩口を眺めてから、不審そうに言った。
「……どこかに傷あるの?」
「あうう……」
「なんだか凄くつるっとしてるけど……」
「あ、そこ、そこじゃないんです。傷は膝とかにあって」
「膝に?」
リリエラ様は僕を転がすようにして体勢を変えさせ、膝小僧を見た。
「あーあー、確かに傷あるわね。でも凄く小さくない? 気にするほどのもの?」
そりゃ嘘だから仕方がない。
それは僕が子供の頃、転んで膝を擦りむいた痕だった。
でも現状、傷は他にはないのだからこれで誤魔化すしかない。
「あの、奴隷商人のおじさんが凄く膝を攻撃してくる人で……よくここを叩かれたり殴られたり……思い出す度に怖くて……」
「膝を?」
「膝を集中的に」
「何だかマッサージ屋みたいな奴隷商人ね……まぁいいわ、これが気になるなら薬塗ってあげる」
そう言ってリリエラ様は薬指で軟膏を傷痕に塗った。
途端に、塗られた部分がキラキラと輝いて、本当に傷痕が消えた。
凄い、さすが魔女の霊薬だ。
僕が驚いていると、リリエラ様が言った。
「さぁ、傷痕も消えたし、お風呂行こっか」
――そういえば何も解決してないんだよね!
僕は誤魔化しきれたと安心した自分を呪った。
ひとつ躱したと思ったらまた来るのだ。
僕はぶんぶんと首を振った。
「あのっ、本当にいいんです! 一緒にお風呂とか滅相もない! 頭とか自分で洗えるんで! 背中も手を回せば全然――!」
「何を言ってんのよ。ほら、もう私たちは家族なんだから遠慮することないの。それとも何? まだ何かそうしたくない理由があんの?」
「そっ、それは……!」
僕は必死に言い訳を考えて、そして、自分でも全く思いがけない事を言った。
「あっ、あのっ! 私、お湯をかぶると男の子になっちゃう呪いを掛けられているんです!」
――何言ってんだ!?
僕は自分の口をついて飛び出てきた言葉に驚いた。
案の定、リリエラ様も仰天した目で僕を見ていた。
「何よそれ、本当なの?」
「あ、うう……」
「お湯をかけられると男の子に……なんでまたそんな呪いを?」
「あ、あの、獣人族の故郷にそういう泉があって……そこに落ちるとそういう呪いを受けちゃうんです」
「なにそれどういう理屈? あなたの故郷ってどこよ?」
「凄く東の方だとは聞いてるんですけど、詳しいことは……」
「泉に落ちたのは覚えてるのに?」
「あっ、いや……と、とにかく、気持ち悪いですよね、男の子と一緒にお風呂なんて。だからすみません、お風呂はひとりで入ります……」
僕は蚊の鳴くような声で言った。
これで僕は放り出される可能性が出てきた。
何しろ、たとえ嘘でも呪われた身なんて、普通は手元に置いておきたくないはずだ。
いくら誤魔化すためとは言え、そんな嘘を言ってしまうなんて……。
僕は自分の馬鹿さ加減に腹が立った。
しばらく、リリエラ様は何かを考えていた。
随分沈黙した後、リリエラ様は言った。
「なるほど――わかった。私があなたの呪いを解いたげる。だからお風呂で男の子に変わるところを見せて」
――知らなかったのか? お風呂からは逃げられない……!
これはどうも年貢を納めるしかなさそうだ。
僕は肩を落とした。
「どうしても、お風呂に行かなきゃならないんですね……」
「え? まぁ、あなたの呪いがどんなもんかわからなきゃ解呪の方法もわからないからね」
「ありがとうございます、呪いが解けるなら私も嬉しいです……」
「泣いてる……辛かったのね。大丈夫よパロム、私が絶対にあなたを女の子に戻してあげる!」
リリエラ様は僕の肩を抱いて握り拳を作った。
嗚呼、この人はどこまでも優しい。
優しいからこそ――バレた時が怖い。
観念した僕は風呂場に連れて行かれた。
◆
リリエラ様のお風呂は天然の温泉らしい。
お風呂だけはこだわったの、という言葉通り、広くて暖かだ。
僕はそこにバスタオル一枚で連れてこられた。
「とにかく、お湯を被れば男の子になっちゃうのね?」
「は、はい」
「そして水を被れば女の子に戻っちゃう」
「そうです、その通りです……」
「随分高度な呪いね……魔女としても興味深いわ。でも大丈夫。この魔女リリエラが必ずどんな呪いも解いてあげる! 大船に乗ったつもりで安心なさい!」
リリエラ様は僕を元気づけるかのように微笑んだ。
僕はそっちの方を直視できなかった。
同じくバスタオル一枚になったリリエラ様は既にかなり目のやり場に困る格好をしている。
考えるな、見るな、胸の谷間とか、うなじとか……と念じながら、僕は椅子の上に座らされている。
「じゃ、お湯をかけてみるから目を瞑っててね。……行くわよ」
その一言と共に、僕の頭からざぶざぶとお湯が掛けられる。
なんだこれ……。
僕はあまりの茶番劇に吹き出しそうになった。
お湯をかけられたら男の子になる?
そりゃ一体どんな呪いなのだ。
そんな1/2の呪い、実在するなら大層面白いフィクションに違いない。
しばらくザブザブとお湯をかけられた後、リリエラ様は僕の身体をじろじろと眺め回した。
「なんか見た目はあんまり変わってないけど……」
「あ、いや、変わってます……」
「えっ、どこが?」
「どこが、って……」
「あ、いいいい。察した。なるほど、本当なのね」
リリエラ様はちょっと慌てて僕の言葉を遮った。
「で、水をかけられると女の子に戻ると」
「は、はい……」
「じゃあ水をかけてみるわね。冷たいけど我慢して」
そう言って、今度は頭から水をぶっかけられた。
冷たい! 思わず叫びそうになるが、なんとか歯を食いしばって耐えた。
また、リリエラ様が僕の身体を眺め回した。
「……どう? 消えた?」
「は、はい、消えました」
「本当? 嘘ついてない?」
リリエラ様はかなり疑った視線で僕を見た。
「ほっ、本当です! 僕は女の子になりました!」
「僕――?」
「あ、いや! 私、女の子になっちゃいました!」
「そう……呪いは本当なのね。それにしても興味深いわぁ、一体誰がこんな呪いを……」
「な、何でも昔、世を儚んだ乙女が泉に身を投げた呪いとかで……」
どんどん嘘が膨らんでゆく。
僕がもじもじと身体をよじっていると、リリエラ様が吹き出した。
「ま、仕方ないわね。呪いの解呪には時間がかかるの。気長にやっていくしかないわ」
「そ、そうですか。すみませんリリエラ様、僕の、あ、いや、私の呪いを解いてくれるなんて……」
「家族だもの。遠慮することはないわ」
そう言って、リリエラ様は僕の頭をポンポンと叩いた。
「ま、男の子の身体で魔女とお風呂に入るのは気が引けるんでしょう? お風呂は私が入った後でいいわ。とりあえず、脱衣所で待ってて」
え? と僕はリリエラ様を見た。
リリエラ様は慈愛の微笑みを浮かべた。
「あなたがそこまで気にしてるのに無理に誘って悪かったわね。私はちゃちゃっと浸かってすぐ上がるから、後でゆっくりお風呂に入ればいいわ。ね?」
僕は、また涙が滲みそうになった。
この人はどこまでも優しくて、僕を気遣ってくれるのに。
僕は生涯、この人に嘘をつき続けるしかないのか。
ちくちくと痛む胸を押さえて、僕は俯いた。
「――どうしたの?」
「リリエラ様、あの……」
もう限界だった。
この人には僕の全てを受け入れてほしい。
たとえそれで追放されても、この優しく美しい人に生涯嘘をつき続けるよりはマシだった。
「リリエラ様、私……いや、僕は……!」
そう言って、一歩リリエラ様に詰め寄った途端だった。
僕の踏み出した右足が床に転がっていた石鹸を踏み、僕の足が滑った。
「わわっ――!?」
そのまま、僕は背中を打ち付けるようにして転倒した。
「いてて……!」
全く、命がけの告白だと言うのに失敗してしまった。
頭を押さえながら起き上がった僕は、リリエラ様が驚愕した目で僕を見ていることに気づいた。
「パロム……」
転倒したショックで、僕の身体に巻き付いていたタオルが剥がれ落ちていた。
リリエラ様の目が、僕の身体のある一点を凝視していた。
「あなた、男の子だったの……!?」
リリエラ様が、呻くように言った。
慌てて僕はバスタオルで身体を隠した。
「あ……見ちゃいましたか?」
リリエラ様が頷いた。
僕は項垂れて、小さな声で言った。
「バレたら、リリエラ様に嫌われてしまうと思っていました……」
僕はいたずらを懺悔する子供のように、風呂場の床を見た。
「リリエラ様は妹がほしかったって言っていたので、男の僕では嫌われてしまうと……」
それでも、それでも、嘘をつき続けて嫌われるよりはマシだ。
僕はぎゅっと手を握りしめ、がばっと頭を下げた。
「お願いします、僕をここに置いてください」
必死になって、頭を床に押し付けた。
「どんな辛い仕事もやります。食べ物は残飯でもなんでも構いません。寝ろと言われたら外でも納屋でも寝ます。だから――僕を見捨てないでください」
それがどれだけ絶望的な可能性か思いついて、涙が溢れた。
でも、僕はこの人に捨てられるのだけは嫌だった。
「僕、リリエラ様に捨てられたら生きていけない――いや、リリエラ様の側で生きて死にたいんです! 使い魔がダメなら、奴隷でもペットでも、部屋の置物扱いでもいいんです! それでダメなら僕を食べてください! リリエラ様と離れ離れになるぐらいなら、今ここで肉として喰われた方が嬉しいです! だからお願いします、リリエラ様、僕を……僕を……!」
捨てないでください。
その懇願は、リリエラ様が僕を優しく抱き締めてくれたことで終わった。
「リリエラ様――?」
ぼんっと、僕の顔が真っ赤になった。
リリエラ様は優しく僕の背中を撫でながら言った。
「パロムは馬鹿ねぇ……そんなこと、ずっと気づいてたわよ」
え? 僕はリリエラ様を見た。
「あなたがあんまり必死になって隠すから言い出せなかったの。私は男の子の使い魔がほしいって言ったのに、競り落としたあなたは女の子の格好をしてた。どうしてかなって思ってたんだけど……いずれにせよ、私はあなたが女の子でも男の子でも、最初から全然気にしてないわ」
リリエラ様が僕に笑いかけ、そして額にキスをしてくれた。
「あらためて、よろしくねパロム。どんな形であれ、私たちはもう家族なの。家族なんだから、ずっとずっと私のそばにいるの。いいわね?」
その一言に、僕の目からぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。
ずっとこんな言葉を掛けられたいと思っていた。
でも、それはできなかった。
僕は獣人で、そして男の子で、奴隷だったから。
そんな言葉を望んではいけないと思い込んでいた。
でも、リリエラ様は、リリエラ様は――。
「リリエラ様――!」
僕は大声で叫びながら、リリエラ様を抱き締め返した。
しばらく、わんわんと泣き喚いている間、リリエラ様はずっと背中をさすっていてくれた。
◆
好きなだけ泣き続けた僕は、ようやく落ち着いてきた。
「大丈夫?」
「はい! ――すみません、あんまり嬉しかったから、つい……」
「ふふっ、大丈夫よ。――さて、楽しいお風呂タイムはこれで終わり」
リリエラ様が立ち上がった。
「泣きすぎて顔が腫れてるわよ。お風呂で顔洗って来なさい。私は先に上がるから」
「はっ、はい!」
「じゃあ、ゆっくり浸かってね。お風呂から上がったら、あなたの大好きなビーフシチューで夕食よ!」
はい! と僕は大声で言った。
今日からは、リリエラ様の家族として。
そして使い魔として頑張るんだ。
必ず、この人に相応しい使い魔に、男になってみせる。
そう決意する大声だった。
リリエラ様は笑みを深くして、お風呂を上がって言った。
◆
ふう、とため息をついて、私――魔女リリエラは自室に戻った。
そして――思いっきりベッドに飛び乗った。
「ぃよっしゃあああああああああああ!」
私は快哉を叫んだ。
男の子、男の子、男の子だった――!
とっくに気づいていた、なんて嘘だった。
男の子、パロムは男の子だったんだ!
「しかもめっちゃ可愛い顔! 何よアレお人形さんなの!? あの子が使い魔!? 家族!? なにそれ最ッ高じゃない! 何よコレ一体どんなご褒美――あああああああああ!」
私は枕を抱き締め、ほぼ全裸でベッドの上を転げ回った。
心臓が爆発しそうだった。
パロムが人間でなく、獣人族だったように。
女の子ではなく、男の子だったように。
私にも秘密がある。
何を隠そう、私は――喪魔女歴425年の、筋金入りのモテナイ魔女だったのだ。
「絶対好みの男に育てる! 育てて喰っちまう! いや喰っちまわれる! 絶対旦那になってもらうんだから! 逆光源氏よ! 逆光源氏にするのよリリエラ! 残り物には福があるって本当だったのね! いやったああああああ!」
私は人生はじめての心臓の高鳴りを感じた。
言っちゃナンだが、私はいい女だ。
顔も美しいしまだ肉体的には若いしスタイルもグンバツだ。
そうであるから今まで言い寄られたことがないではない。
だが、全ての男は私のこの本性を見るなり離れていった。
ギャップがヤバい。
いい歳して少女趣味とか。
夢小説の読みすぎ。
魔女っぽくない。
飢婚者臭がもう無理。
今どき白馬の王子様待ちとかキツイ――。
そう言った言葉を投げつけられる度に1Gずつもらっていたら、今頃私は大金持ちだ。
そしてすっかり嫁き遅れた。
《喪魔女》――それが魔女集会内での私の通称だ。
そんな私に降って湧いた大逆転ホームランの可能性。
パロムはあの顔だから、それはそれは美青年に育つことだろう。
ゆっくりとゆっくりと私好みの男に育ってもらう。
そして必ずや、喪の私を娶ってもらう。
私たちは家族なのだから、結局それが弟だろうが旦那だろうが構いやしないだろう。
425年、実に四世紀に渡る独り身生活にこれでグッバイララバイホタテ貝だ。
「待ってなさいパロム……明日からあなたを改造していってあげる! 覚悟なさいよ! ぶひぃ……ぶひひひひひ!!」
そう言って、私はダブダブと溢れて止まらない涎を枕に吸い取らせた。
◆
「ふう、結局バレちゃったな……」
広い風呂に浸かりながら、僕は天井を見上げていた。
最初はどうなることかと思ったが、結局全てが丸く収まった。
リリエラ様は僕がどんな姿でも構わないと言ってくれた。
ならば――たとえもうひとつ僕に秘密があったとしても。
決してリリエラ様は僕を見捨てないだろう。
「今日は満月か……」
僕は窓の外に浮かぶ月を見て、そう呟いた。
途端に、月の光に照らし出された僕の身体が、物凄い勢いで「成長」を始めた。
脂肪でぷよぷよだった身体は引き締まって骨ばった青年のものに。
猫のそれだったような耳はぴんと鋭く立ったものに。
子犬のようだった尻尾はふさふさと長い狼のそれに。
八重歯でしかない牙は吸血鬼のそれのように。
全てが一瞬で、もとに戻った。
「やれやれ、月明かりに照らされると正体が隠せなくなるんだよな……」
僕は鋭い爪が生えた手を月に透かした。
厳密に言うと、僕は獣人族ではない。
その中でも最高位の種族――人狼の王の生き残りだ。
そして実年齢も10歳ではない。
僕は齢529歳の、とびきりの古狼だった。
人狼の王族には、もはや正しい意味での生き残りはいない。
我が物顔で地上を闊歩していた人狼王の血はいつしか衰え、今では生き残りは僕ぐらいになってしまった。
人狼も、時代を降るにつれて零落し、高度な知能を持たないケダモノへと堕ちた。
人間たちの度重なる人狼狩りの影響もあり、僕ら人狼の血脈は今や風前の灯だった。
ひ弱な少年に姿を変えて正体を隠していた時、僕は奴隷狩りに捕まった。
そして、気まぐれにひ弱な奴隷のふりをし続けて三年。
魔女の家に奴隷として売られることになったときは絶望したものだ。
使い魔のような、ごく低劣な存在にまで堕ちた自分の血を呪った。
絶対にいつか逃げ出してやる、最初はそう考えていた。
だが、僕の思惑に、途中で大きな誤算が生じた。
どうやら僕はリリエラ様を――真剣に愛してしまったらしいのだ。
美しいリリエラ様。
優しいリリエラ様。
僕を受け入れてくれたリリエラ様。
あの人が欲しい。
どんな手段を使ってでも手に入れたい。
僕の人狼の血が疼き、野獣の欲望が掻き乱された。
どんな事があっても彼女は僕を受け入れてくれる。
否――どんな僕であっても受け入れさせる。
魔女は気まぐれで、孤独で、そして欲望に忠実だ。
人狼は誇り高く、強引で――そして魔女以上に欲望に忠実だ。
「リリエラ――あなたは本当に面白い人だ」
僕が舌なめずりすると、水面に写った顔にちろりと牙が覗いた。
赤い瞳が、僕の中に流れる血の興奮を伝えるようにギラリと光った。
「僕は必ず、あなたを自分のものにしてみせる。たとえ何百年かかろうとも、どんな手段を使おうとも、必ず――」
僕は人狼の王の声で笑った。
「人狼からは魔女であろうと逃げられませんよ」
満月だけが僕の秘密を見て、静かに微笑んでいた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
キショい話だとそしられるのは覚悟の上の題材です。
でもサスペンス・スリラーをやってみたかったんです。
面白かった!
そう思っていただけましたらブックマーク、
下記のフォームより★★★★★で評価等よろしくお願い致します
評価していただけると非常に励みになります。
よろしくお願いします。
【VS】
もしお時間ありましたら、これら作品を強力によろしくお願いいたします↓
どうかお願いです。こちらも読んでやってください。
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