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第1話 五月の水曜、午前十時

 晴れわたる五月の水曜日、午前十時の社長室。

 謝罪の声が響く。


「本当に、申し訳ございません!」


 いっぱいに頭を下げた。

 目の前に、私のスカートが見えるくらい。


 社長はいつもの表情を崩さず、黙って私を見詰めている。

 小なりといえど一社の社長が、就活生からすっぽかしを食らったにしては冷静と言えるかも。

 だけど、無言の圧力は明らかに、私からの説明を求めていた。


「あの、次からは……こんなことはないようにします」

「うん、どうやって?」


 社長は、私の尊敬する人だ。

 リーマンショック後、就職市況のふるわない中、お祈りメールばかり続いていた私に「この会社には君の力が必要なんだ」と言ってくれた唯一の人だった。


 創立二十年の今、社全体で不景気も震災も乗り越え、東証一部上場が視野に入ってきた。

 これは、初代社長に溺愛された息子――現社長の情熱を持った仕事ぶりの賜物だろう。

 どんな相手とでも胸襟を開いて会話できる、人たらしの才能。

 弊社エンジニアの尻ぬぐいで謝罪に行った社長が、謝罪で済まさずお客様から新規契約を取ってきた……なんて伝説が社内にはゴロゴロしている。


 入社から十年経ったが、彼に質問を受けると緊張する。

 唯一の正解以外、彼は認めない。


「……その、前日に、リマインドの連絡をするようにいたします。今回は、まさか社長面接を連絡もなしにすっぽかすなんて思ってもみなくて、あの……」

「言い訳はいらないよ。今回の件について、僕は怒っている訳じゃない」


 私の口上を、社長は片手で遮った。それから、黙り込んだ私を見て、目で先を促す。緊張で、胃が軋むような気がしてくる。


「その……」

「前日に連絡したところで、本人にその気がなければ連絡も出ないだろうね」

「で、でも――」

「――根本的なところで間違っているよ、君」


 じっと見つめられると、緊張で喉が引き絞られるようだった。


「そもそも学生が『この会社の面接なんてどうでもいい』と考えた段階で、僕らは負けだ」


 彼の言うことは、まさに正論だった。

 表面的な対策しか思いつかない自分と違い、きちんと問題の根本を見て、忖度なしに指摘する。


「僕は君たちによりよく働いて貰うため、新しい評価制度を導入した。上司と部下の相互評価を取り入れたり、やる気のある社員は若手でも管理職に素早く登用する――君も、その一人じゃないか? 実際に、君を登用したおかげで、よりフレキシブルな人事制度が実現できるようになった」

「はい……いえ、その点は確かにその、評価いただいたことはとても嬉しく……」

「モチベーションを持って仕事をすることが、最も仕事の効率を上げる。その点を更にアピールして、『この人たちと一緒に働きたい』と心から学生に思って貰うこと。それが人事の仕事じゃないかい?」


 正しい。彼は圧倒的に正しい。

 でも――


「……お言葉ですが、社長」


 保身とプライドが反論を口にさせた。

 どんなに社長が有能でも、現在の採用市況に関しては、私の方がよく勉強しているはずだもの。


「多くのデータが示しているように、昨今の採用は売り手市場で学生には高望みの傾向です。バブル後に生まれた彼らには『夢』というものがありません。どんなに企業がやりがいを強調しても、仕事の面白さよりも労働条件が重視されます。当社は労働条件で法的基準に達していない箇所があり、つまり――」

「つまり、当社は学生にとって魅力的ではない、と言いたいのかい?」


 声の冷ややかさで、熱していた頭が冷えた。

 いつの間にか、冷静だった社長の目に怒りが灯っている。


「『夢』を知らないなら、見せてあげるのが君の仕事だ。いつも言っているだろう、我々は『モラルの奴隷』になってはいけない、と。僕らに必要なのはモラルではなく、道徳だ。法的に規制されているかどうかではなく、道徳――自分がこうしたいという気持ちを重視すべきなんだ」


 社長が席を立つ。そして、うなだれたままの私の前に、一冊の本を差し出した。


「君の仕事は評価している。これを熟読して、次は、熱意のある対応を頼むよ」

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