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01.モノクロの日常

 何もない日常を、生きていた。

 無感動で、無気力で、無価値な。

 そんなモノクロの日々を、ただ生きていた。


 客観的に見れば、特段不幸な人生を送ってきたわけではなかった。両親が死んだわけではない。バカをやれる仲間も、まあ、何人かはいる。マンガやアニメでよくあるような、天涯孤独だとか、訳ありの出生だとか、そんなものでもない。だけれど自分は、ただただ無気力に生きていた。

 きっかけは、およそ三年前。隣の家にいた幼馴染の少女が、突如消息を絶った。

 もちろん、騒ぎになった。事件だ、誘拐だという人もいて、警察が捜索に出向く事態にまで発展した。

 それでも、彼女は見つからなくて。一週間経って、警察が撤退した。一か月経って、もはや生きてはいないだろうと、周りの人が見切りをつけた。それでも一生懸命に探して――ついぞ、彼女が見つかることはなかった。

 彼女とは一番親しい人間だったから、話もたくさん聞かれた。どこに行ったと思うか、いなくなる前はどんな様子だったか、原因に心当たりはあるか――そんなことを、警察や、その子の家族や、はたまた地元のマスコミにまで、嫌というほど訊かれた。

 そんなことがあったもんだから、なんだか、もう、疲れてしまって。逃げるように地元を離れ、東京の大学に入った。それが、二年前のこと。

 だけど、一番仲の良かった幼馴染を突然失って、今まで通りの生活を続けられるほど、自分は強くはない。

 寝る。起きる。大学に行く。帰る。また寝る。

 そんなルーティンを、およそ二年ほども続けていた。


「……はぁ」


 感情のない溜め息を吐く。困ったなと頭の中で思い浮かんで、すぐに消えた。

 あてどなく、夜の路地を歩く。星一つ見えない夜空に対して、傍の街灯が野暮ったいほどに明るかった。


「……何やってんだろ」


 自分に向けて、そう吐き捨てた。結局どこに行ったって、やることもやりたいこともない。だというのに、夜に出歩いていたのは、いったいなぜだろう。

 期待していたのだろうか。何もない日常が大きく変わるような、そんなダイナミックで、ドラマチックな事件でも。

 それとも、飽いた日常がすっかり壊れてしまうような、そんな何かでも起こることを。


 ……。


 いや。

 いっそ、“壊して”しまおうか――そんな考えが浮かんで、すぐに立ち消えた。

 畢竟自分からこの日常を手放す勇気など、自分にはないのだと――そう自嘲した。


 ――――そんなことを考えていると、突如、足元から体の自由が消えた。


「っ!」


 レンガ造りの階段だった。足を踏み外したのだと理解したときには、もう自分の身体は強く地面に打ち付けられていた。

 頭を強く打って、意識が朦朧として、息が出来なくなる。

 それでも自分の身体は、重力に従って、階段に打ち付けられながら落ちていく。

 そして、終点――アスファルトの地面が目の前に迫ってきて。

 あっけない幕引きだ、などと思う間もなく――そこで自分は、意識を手放した。








 ひどい頭痛と太陽の光で、自分は目を覚ました。


「……痛っ――」


 頭痛だけではなかった。全身が、叫ぶように痛む。腕が上手く動かせない。立つことも、これでは無理だろう。

 朦朧とした意識の中で、記憶を手繰り寄せる。

 ああ、そうだ、自分は階段から落ちて。そして、意識を失って。

 全身を強かに打っても、死ぬまでは行かなかったらしく。こうして日が昇るまで、ここに倒れていたらしい。


「いっそ死ねれば――」


 続きを口に出すことは、止めた。何と言おうと、今自分はここに生きている。それは変わらない。

 生きててよかったのか、死ねなくて口惜しいのか、それを考えている余裕もない。

 とにかくここに寝ていたら迷惑だ。無理にでも動いて、救急車を呼ぼう。そう思って、石畳に寝転んでいた体を動かそうとして――。


 ――ふと、動きを止めた。


「……石、畳?」


 自分が寝転んでいたのは、アスファルトではなく、どこか異国のような雰囲気すら感じる石畳の上だった。

 おかしい。こんな景色、自分は覚えがない。住んでるアパートの近くにも、何なら地元にも。ある種、懐かしさすら感じる景色を、自分は今に至るまで見たことがない。精々、アニメやゲームの中くらいのものだ。

 嫌な予感がして、ポケットに突っ込んでいたスマートフォンを見る。落ちた拍子に割れた画面――そこに淡々と、圏外を示す文字。


「……はは、」


 訳がわからなくて、乾いた笑いが漏れる。夢か、あるいは天国か。そうとしか考えられなくて、自分はもう一度その場に倒れ込んだ。

 ふと、こめかみに何かが流れる感触がした。触ってみると、手が赤く染まっていた。

 どうやら、額を切ってしまったらしい。


「……ここが天国なら、このまま寝ててもいいか」


 何も考える余裕はない。どうせ何をするでもない無味乾燥な毎日なら、ここでケリをつけてやろうか。他ならぬ自分がそう望んでいたのだから。後悔はないとは言わないが、不思議と、抵抗はなかった。

 ……このまま眠れば、楽になるだろうか。

 ああ、どうせなら、最期に。

 死ぬ前に、もう一度だけ、あいつの顔を見たかった――






「――、――――――!!」

「……っ!?」


 静まった周囲に響き渡る大きな声で、自分は手放しかけた意識を取り戻した。

 声の方を見ると、これまた知らない少女が、心配そうにこちらを見ていた。


「――? ……――――?」

「ちょ、ちょっと待ってくれ……」


 何かを言っているようだった。日本人でないのだろう、美しい銀色の髪を揺らす少女は、まるで聞いたこともないような言語で、こちらに語り掛けているようだった。

 英語をよく勉強しておくべきだったか、と後悔する。


「あー、あー……? えっと、そうだな……」

「……?」


 目の前の少女は、不思議そうな顔をしていた。とにかく何かを言おうと、頭を捻る。


「んー……フー・アー・ユー?」


 たどたどしいが、極力ネイティブらしく。“Who are you(きみはだれだ?)?”――これが通じなければ、どうしたものか。


「……?」


 小さく首を傾げた。

 ……駄目だ。通じている様子はない。この時点で、この少女と話すのは無理らしかった。


「――――、――……」


 少女が、困ったように何かを呟く。それはそうだろう。少女から見れば自分は、怪我をして倒れた、どこの者とも知らない男――それも、言葉が通じないときた。自分であれば、救急車くらいは呼ぶかもしれないが、それ以上関わりはしないだろう。

 すると少女はしゃがみ込んで目を閉じ、自分の額に手を当ててきた。

 どうした、血で汚れるから触らない方がいい――そう振り払う間もなく、少女は一つ、呟く。


「 usv tk rt…… 」


 耳元で、そんな言葉を囁いていた。自分の知る言葉とはどうやっても結びつかない言葉を呟いて、少女は、触れていた額の手を、そっと離す。


 つと、体が軽くなる感覚がした。


「……ん?」


 あれほどひどかった頭痛が、一瞬にして消えた。いや、体の痛みも、いつの間にかなくなっている。

 五つ数える間に自分の身体は、労せず立ててしまうくらいに治ってしまっていた。


「……は」


 どういうことだと、少女を見る。少女は未だ心配そうな顔をして、こちらを見つめていた。言葉が通じないとわかってはいるが、訊かずにはいられなかった。


「これは……君が? 俺に何をしたんだ?」


 当然、返事は返ってはこず。ただ困ったように少女は首を傾げるだけだった。

 さて、困った。知らない場所に、知らない少女。携帯は通じない。このままここにいても、何ができるわけでもない。

 到底どうにかなるとは思えず立ちすくんでいると、ふと少女が袖口を掴んできた。


「……?」


 控えめに袖を引いて、少女が道の先の方を指差した。


「……こっちに来い、って?」


 真似して指差し、そちらの方に一歩。少女は微笑んで頷いた。


「わかった。わかったから引っ張らないでくれ。袖が伸びる……」


 少女に手を引かれて、歩き始める。

 そうして少し歩き、ふと、思った。

 あれほど意味のない日々だ、生きていてもどうすることもない、だなんて思っていたのに。今はとにかく生きようと思って、少女の後を追っている。少女を追わず、あそこでただ留まっているという選択もできたはずなのに。何なら、望んでいたはずなのに。

 それでも今こうしているのは、なぜ。


(……結局、死にたくはなかった、ってことかな)


 そう思うと、少し納得できる気はした。

 畢竟自分が望んでいたのは、生きることそのものを終わらせることではなく。

 何もないモノクロの日常から、抜け出すことだったのだから。

 刺激のない毎日が壊れるのを、渇望していたのだから。


(……ここなら)


 不思議なことばかり起きている。いつの間にか知らない場所に来ていた。まるで聞いたことのない言葉を話す少女と出会った。いつの間にか、全身の怪我も治っていた。

 意味が分からない。恐怖や緊張、不安もあるが――何より、面白い。まるでファンタジーの世界に、来てしまってみたいだった。

 これが、例え夢であっても――謳歌してやろうじゃないか。


 いつの間にか、少女との距離が離れていることに気付いて。

 置いていかれてはたまらない、と。急ぎ足で少女のもとに戻った。

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