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セイギノミカタ  作者: 鬼束哲雅
1/1

僕は生きているのか?死んでいるのか?どこまで続くんだ?続けなければならないんだ?

「よりによって、なんでこんな所なんだよ。暗いし怖いし不気味だし・・・。つうかなんで俺なんだよ」

山本賢治はぶつぶつと文句を言いながら、薄暗い遊歩道を歩いていた。


東京近郊の、いわゆるベッドタウン。

昭和50年頃に大規模な開発が行われ、山ひとつが住宅地となった街である。

但し最寄りの駅まで歩くにはかなりの距離があり、殆どの人はバスを利用するか、自家用車で駅まで往復している。

住宅地の中にはバス停が数か所あり、各々自宅に近いバス停で乗り降りする。


「まあ、ぼやくなって。順番だから。たまたまだよ」

伊能洋介はにこやかに笑いながら応える。


二人が歩いているのは、住宅街に入って一番最初のバス停を降りた目の前にある大きな公園の中である。

多くの住人はバス停から自宅まで、街灯のある歩道を歩くのだが、家の場所によっては、この公園の遊歩道を行った方がショートカット出来るのだ。


「昼間はきれいな公園なんだろうね。良く整備されているし、池もあるしさ」

伊能が言う。


「そりゃ昼間は良いかも知れないけどよ。今10時だぞ?こんな時間に歩いている奴なんぞ誰も居ないぞ?そもそもなんで女ひとりでこんなとこを歩いてたんだよ。明るい道を通りゃいいのに。襲って下さいって言っているようなもんだぞ?」


180㎝を超える長身の山本は、上下黒のジャージ姿。ジャージには金色の三本線が入っている。

着る人によってはスポーツマンに見えるのだが、既に青年とは呼べない歳の山本の頭は短い金髪で、いかにも悪そうな顔つきをしている。

どこからどう見てもチンピラ以外に見えない。


「この道を通った方が家に近かったらしいよ。確かに女の子ひとりで歩くかなあ、って思うけど、ずっと住んでると慣れちゃうのかもね。」

「そんなもんかねえ」


ふた月ほど前、この公園で帰宅途中の20代女性が襲われた。

幸い命に別状は無かったが、ナイフで顔を切られており、かなりの重傷と言えた。

まだ精神的にとても立ち直れる状態ではなく、当初入院していた病院は退院出来たものの、今も家から出ることさえ出来ない。


「あ、賢治さん、ちょっと待って。居るかも」

「ん?」


少し先、距離にすると30メートルはある辺り。遊歩道横の雑木林の中から、押し殺したような男の声と、すすり泣きの女の声が聞こえて来た。

と言っても、山本賢治にはまだ何も聞こえない。


伊能の耳にははっきりと聞こえて来た。

その能力は特殊、と呼んでも良いレベルだ。伊能の聴力は異常なほど発達している。

まるでネコ科の猛獣が、真っ暗闇の中でも完全に獲物を見ることが出来るようにである。


「居るね。またやってるみたいだね・・・」

「クソ・・・、許せねえな」


伊能を先頭に、ふたりは何の躊躇もしない様子で、雑木林に入って行った。


仰向けの女の上に、若い男が馬乗りになって首を絞めている。

街灯が届かず暗いため、どちらの表情もはっきりしないが、女のブラウスがはだけて白い肌が露になっていることだけはここからでもわかる。

山本と伊能に気付く様子は全く無い。


「おい」

男まであと3歩くらいの距離まで近づいたところで、山本がドスの効いた声をかけた。


「ひっ」

首を絞める手を離した男が猛烈に驚き、山本を凝視する。

次の瞬間、男の腹部に山本のつま先が突き刺さった。

いつものことだが、山本は手加減をしない。


男は体を九の字にして、横たわってうめいている。


「もう大丈夫ですよ」

伊能は仰向けのまま動けない女の横にしゃがむと、声をかけながら抱き起こす。


服はどろだらけになっていてもみくちゃだが、パンツスーツのスラックスは履いている。


「良かったな、襲われる前で」

顔に全く似つかわしくない優しい声を山本がかける。

もっとも、襲われる前、ではないのだが。


何が起きたのかわからない様子で、しかし助かったことだけは理解した様子で、声にならない泣き声を漏らしながら、うんうんとうなずく。

体の震えは止まらないが。


次の瞬間、山本の大きな声が響いた。


「伊能ー! ミニナイフじゃねえぞ!? なんだよこれ!?」


立ち上がった男が大型のサバイバルナイフを正面から山本の胸に突き刺し、対峙している。

被害者の女に声をかけていた山本が男の方に振り返ったとたん、いつの間にか立ち上がった男に刺されたのである。

こんなものでさされたら本来即死は免れないが、最初の一撃のナイフが刺さったまま、山本は男の両腕をつかみ、微動だにさせない状態で、伊能に怒鳴っていた。


驚いた伊能は、しゃがんで被害者の背中を抱きかかえたまま、

「あっ」

「いや、果物ナイフじゃないかって、鑑識が・・・」



「クソっ、やばいぞこれ・・・」

山本は腕をつかんで対峙したままである。

山本の迫力に圧され、男は全く動けない。


「とにかくここから離れましょう」

伊能はそう声をかけると軽々と女を抱きかかえ、今しがた歩いて来た公園の入り口に足早に向かった。

「あ、あ、あの人は・・・?」

「大丈夫です、すぐに戻りますから」


入り口に向かう途中にちょっとした広場があり、そこには街灯とベンチがあった。

伊能は女をベンチに座らせると、やや早口で言った。

「すみませんが僕は戻りますので、少しここに居て下さい。警察がすぐに来ますから」


戻りながらスマートホンを出して電話をかける。

「もしもし。伊能です。はい、〇〇公園に居ます。それが、暴行の現場に出くわしまして。~ はい、幸い無事です。ただ、ちょっとまずいことに、賢治さんが・・・。

はい、はい、恐らくそうなると思います。一応回収班をお願い出来ますか」



男には何が起きているのか分からなかった。


2か月前、帰宅途中のOLをこの公園で襲った。

襲おうと思ってここに居たわけではなく、被害者のOL同様、家への近道として歩いていただけだった。

その日は通っている大学でむしゃくしゃすることがあり、誰かにぶつけてやりたい気持ちは確かにあった。

とは言え、通りがかりの人間を遅くうようなことは全く考えていなかった。

ただ、最近護身用に買った小型のバタフライナイフを持っていたことが、男の心に急変をもたらした。

多少の格闘技経験もある。

魔が差した、と言えなくもないが、許されることではない。


当然事件になっているはずだが、なぜか報道もされず、警察が自分のところに来ることも無かった。

男は味をしめた。


「この野郎・・・」

自分が刺した男が、目の前で鬼の形相で睨んでいる。

腕をつかまれていることもあるが、あまりの恐怖に動くことが出来ない。


山本賢治は急速に体が寒くなって行くのを感じていた。

サバイバルナイフは刺さったままの状態のため、外への出血はそれほど無いが、胸に深々と刺さっており、生きているのが不思議な状態だった。

震えも出てきている。

「やばいな、こりゃ死ぬな・・・、そろそろ」


山本は男に倒れ掛かりながら、耳の近くで、かすれた声で伝えた。

「悪いな」

間を置かず、山本の身体から力が抜け、操り人形の糸が切れたように、足元から崩れ落ちた。

男には、山本の言葉の意味がわからなかった。

いや、それを考える時間が、男には残されていなかった。テレビのコンセントをいきなり抜いた時のように、男の視界からすべてが消えた。



男は目の前に、うずくまるように倒れた山本を仰向けのかたちに寝かせると、ゆっくりとナイフを抜いた。

周りを見回すと黒いリュックと、サバイバルナイフの鞘が落ちている。

ナイフを鞘に戻し、リュックにしまうと、後ろから伊能の声がした。


「賢治さん!」

男はゆっくりと振り返り、にやりとしながら言った。

「よう、早かったな」


「あちゃあ、やっぱり死んじゃいましたか。すみません、僕も居ながら・・・」


「まあ仕方ねえよ。回収班は呼んだか?」


「はい、念ため呼んでおきました。多摩署まではヘリだと思うんで、20分以内には着くと思いますよ。被害者の対応には警備部が来ると思います。女性は入り口近くのベンチに居ます」


「そうか。しかし腹がすげえ痛え。内臓やっちゃったかも知れねえな。病院行くしかねえか・・・」


「手加減しないで蹴るからですよ。自業自得ってやつですね」

伊能が笑った。


「ひっ」

うしろで息をのむ声がした。


被害者の女が、気になって戻って来ていた。

見てわかるくらい、足ががくがく震えている。

前に進むことも、逃げることも出来ないでいる。


目の前の光景が全く理解出来ない。

自分を襲った男が、先ほど自分を抱きかかえて運んでくれた男と、普通に話している。

その横には、助けてくれた男が倒れている。

-死んでるの?-

-何?-

-何?-

-何?-


「あ~、こりゃ一番まずいな。伊能!」

「はいっ」


伊能はすぐに女のもとに駆け寄ると、

「大丈夫ですから落ち着いて下さい。ちょっと説明が必要になりますが、あなたは安全な状況なんです。我々は警察ですから」


伊能は来ていたジャケットの内ポケットから警察手帳を出し、中を開いて女に見せた。


女はぶるぶると震えたまま、うんうんとうなずき、しかしこう言った、

「わたし、あの人に襲われたんです。刺した人」


「はい。それは私も見ていたんでわかります。あの人も警察官なんです」

「えっ? え?」


男はしゃがむと、倒れている山本のジャージのポケットから警察手帳を出し、女の方に開いて向けた。

「安心しろ。大丈夫だ」


「はい?」

-この人たちはいったい何を言っているの?-

-怖い。殺される?逃げなきゃ。-

-もう何がなんだかわからない。-

頭がフル空転していた。

もう声も出ない。

めまいがする。気が遠くなる。


女は気を失い、その場に崩れた。

いや、完全に崩れ落ちる前に、ギリギリで伊能が抱きかかえていた。


「ちょっと賢治さん!シャレにならないですよ!」

伊能が言う。


「いやすまん。思わず・・・」「どうする?その娘?」

男が言う。


「とりあえず本部に連れて帰るしかないでしょう・・・。所轄でこの状況を話されても面倒ですし。管理官に相談しましょう」


少しすると、ゴミ回収車が公園に到着した。20メートルほど後ろには、黒塗りの大型SUVが停まった。

清掃車から降りて来た男たちは、小さなタイヤの付いた四角いゴミ箱、1.5m四方はあろうか、を押して伊能達の元に到着した。


「伊能さん、お疲れ様です」


「お疲れ様です。申し訳ありません、こんな時間に」

伊能が丁寧にあたまを下げる。


「おう、悪いな、遅くに」

伊能のうしろから、男が声をかけた。

その言葉使いとは裏腹に、爽やかな大学生だ。


「あれ?賢治さん? ずいぶん若くなりましたね~!」

「はたちくらいじゃないすか? ぷっ」

「賢治くんて呼んだ方が良いですか?」

回収班の男たちが、笑いながら声をかける。


「うるせえよ。なりたくてなった訳じゃねえ」


「けどご家族も居るでしょうし、しばらく大変ですね・・・。身元は判っているんですよね?」

回収班のひとり、佐久間が聞いた。30歳くらい、細いがかなりがっちりした体格をしている。少し前に流行った“細マッチョ”と言うやつか。


「ああ。警備部から来てた内容と一致してる。鬼束淳也、21歳。三鷹大の3年生だな。こいつの記憶の限りじゃあ、悪い奴じゃねえ。やっぱり例の宗教サークルが原因だな。ここんとこしょっちゅう出入りしてる。」


「おにづかあつや? なんか格好いい名前じゃないですか。良かったですね、賢治さん!」

佐久間がにこやかに応える。


「ふざけんな!どんだけ面倒かお前も知ってんだろ。くそっ、こいつなんで刺したりするかな。しかもうまく心臓刺しやがって。痛てえ思いした上にくそ面倒くせえことになりやがって・・・」

「けどまあ、男で良かったわ。班長みたいに、男か女かわからなくなったら困るかなら(笑)」


その時、うしろから声がかかった。

「おい賢治、あたしが何だって?」


「ひっ! は、班長!? どどどどど、どうしてここに?」


「ちょうど多摩署に来てたんだよ。警備部が行くって言うんで一緒に来た。おまえ、簡単に殺られてんじゃねえよ。どうすんだよ、そんな子供みたいに若くなっちまって」


「はい、すみません、気を付けます!」

『あんたにだけは言われたくないよ・・・』と賢治は思ったが、とても言えない・・・


班長と呼ばれるこの女、20代の半ばくらいにしか見えない。

どこからどう見ても、誰が見ても、いわゆる「美人」でもある。

背も高い。170センチはある。

恐らく10人が10人惚れてしまうくらいの美貌である。


但し・・・

その気持ちを全て萎えさせてしまうくらいの殺気を漂わせている。

目つきもかなり悪い。


「伊能、被害者はその娘か? 死んでるのか?」


伊能は自分の上着を草むらの上に敷き、その上に被害者の女性を寝かせていた。

「いえ、気絶しているだけです。ただ実はその・・・、移動したのを見られてしまって・・・」


「・・・。くそっ、面倒なことになったな。消すか?」

目つきがさらに悪くなる。


「バカなことを言わないで下さい!江戸時代じゃないんですよ! とりあえず今夜は本庁に連れて帰ります。身元は今調べて貰ってます。明日の朝にでも説明するしかないですね」

伊能が少し怒った顔で応える。


「冗談だよ。江戸時代だって消しやしないって(笑) それじゃあ、桜田門に戻るとするか」

この女が言うと冗談に聞こえない。


回収班は山本賢治、いや、さっきまで山本賢治だった男の死体をトラックに載せ、走り去った。


班長、伊能、気絶したままの被害者、そして新たな賢治となった鬼束淳也の4人は、警備部職員の運転する大型SUVに乗り込んだ。


夜の公園は、秋を感じさせる肌寒い空気と静寂につつまれた。

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