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泡沫の夢を見て

作者: そうしょう

 それが一時の、泡沫の夢だとしても。


 *


「うっせぇんだよォッ、オカマ! 馬鹿!」

「ちょっと、汐! 口が悪いわよ! あとオカマじゃないわ!」


 ホノカが貴船神社に着いてすぐに飛び込んできたのは、そんな怒号だった。

 支持地――領域――水の拠点は、常に水の結界が張り巡らされている、清らかな神社である。数千の時を経ても尚、穢れを知らないその場所は、他の物件が取り壊され、時代と共に消えていく中でも唯一残り続けた。人々の信仰と地脈の恩恵、水が集う場所として、アカツキの夜が再び執り行われる日まで、結界の中心に建てられているのだ。

 従者たちの姿を認めると、彼女達の王であるホノカは、微苦笑を浮かべて声を掛けた。

「こんにちは、湊さん、汐さん。お取込み中?」

「あらっ、王様!」

「ふんっ」

「こら、挨拶しなさい、汐! ……って、どこにいくのよ!」

 短いスカートの丈を翻し、汐は纏う【霊布】と呼ばれる、特殊な布をひらめかせ、貴船神社の奥へと走り去った。追いかける気はないのか、嘆息した湊が、ホノカを振り向く。

「毎回毎回、ごめんなさいね。見苦しい姿を見せて……」

「平気だよ。汐さん、ご機嫌ななめ?」

「ふふ、いつもの口喧嘩よ」

 鮮やかに笑みを浮かべる湊は、異姓でありながらどこか艶めいたものがあり、中性的というよりかは、女性らしく見える。

「お茶にしましょう、今日は美味しいお菓子があるのよ」

 勧められるままにお茶菓子を頂きながら、ホノカはほぅ、と息をつく。ホノカが王として覚醒して、早、一か月。アカツキの夜、と呼ばれる八月末までの日は思った以上に無いのだが、今はまだ、穏やかな日々が続いている。

 正直、ホノカが王として覚醒してからは混乱続きで、何度も戸惑うことがあった。だが、優しくて頼り甲斐がある湊と、少し口調言動は荒れているが根は素直(だとホノカは思っている)汐のサポートがあり、ホノカは王として何とか踏ん張れていると思う。

 一般人だったホノカだから、現状をどう受け止めればいいのか、未だ分からないが。

「……湊さんと汐さんは、何だか、姉妹みたい」

「あら、そう?」

 ふふ、と小さく笑うホノカに、少しだけ驚いたように目を瞬かせる湊は、唇の端に笑みを浮かべたまま追想する。

「そうねぇ、でも、最初の頃は本当に……大変だったのよ」


 *


 湊は、産まれた時から従者だった。

 水の地脈に、偶然選ばれたのではない。定められ、刻印され、もしくは、呪いだったのだ。

 もう随分前の話。かつての水の王は、禁忌を冒してしまった。それは、地脈から吸い上げた圧倒的な力にて、己の使命を果たすどころか、ニホン全土を水没させようと目論んだのである。当代の王たちにより水の王は挫折し、倒れたが、地脈は怒りをあらわにした。

 いわく、何故、このような事をしたのか、と。

 ……当時、湊は王の従者であり、誰よりも王のそばに仕えていたが、……結局彼の真意など分からないままだった。

 水の地脈は、アカツキの夜目前まで――王がいないままだった。

 それでも、王は必要だ。王には役割があり、彼等は自然を治めなければならない。その役目を担う従者では負担も大きすぎたが、湊は甘んじて、その罰を受けた。

 王の失態は従者の失態だ。……その悔恨を、前世を抱いたまま、湊はこの世に産まれ落ちた。

 その湊だが、水の拠点である貴船神社に近づくのは禁止されていた。その禁止が解かれたのはつい先刻――二十歳になる前の事だった。


 そして、出会ったのだ。

 独りの、少女に。


「アナタ――アナタ、従者?」

 湊の来訪に驚いたらしい少女は、目を丸くする。浸していた小さな泉から、真白な足を引き上げると、裸足のまま駆けていった。

 逃げ出した少女に唖然としながら、湊は前世を思い出す。

「……いいえ、あの子はかつて、いなかった。……ワタシ以外にも、従者がいたのね」

 驚愕に心を弾ませながら、湊は少女と仲良くなろう、と思った。


 思った、のだが。


「な、なんなのあの子は!」

 堪忍袋の緒が切れる、とは正にこの事か。一週間、貴船神社に通い続けた湊に対し、まるで嘲るが如く、少女は湊を無視し躱し、翻弄した。

「従者は力を合わせて、支持地を守らなくちゃいけないのに……」

 それは、湊の使命である。

 重いため息を、グッ、と堪え、少女を思い浮かべる。……湊よりも幼い、十代前半の年頃だろう。薄いコバルトブルーに白を混ぜたような、色素の薄い長い髪。それをヘアバンドで留めていて、髪の隙間から覗くのは、これまた海を映したかのような昏い蒼だ。パッチリとした一重の眼は、いつも、湊を避けるか、睨み付けるかして、湊を強く拒絶する。

 何故、だろう。

「考えても仕方ないわ。……とにかく、名前くらいは知りたいわよね」

 そう、思った時。ふいに、警鐘が頭の隅で鳴った。ドクン、と大地が脈打つような感覚に、すぐさま、異変を感じる。

「結界が」

 歪んだ、誰かが貴船に足を踏み入れたのだ。

「……この気配は、木の構成員かしら? 厄介ねぇ」

 支持地ごとに、特徴がある。例えば、木なら中距離戦が得意だ。銃で狙われれば、接近戦を得意とする湊にはひとたまりもない。軽く眉を寄せながら、とにかく、荒らされるわけにはいかないので駆け出す。

 それよりも早く、少女が飛び出した。

「え――」

 少女は、こちらを一瞬一瞥し、更にスピードを上げる。纏っている布が閃くのを、呆然と見詰め、すぐに湊も彼女の後を追った。


 慌てて向かった先で、少女の声が響く。

「凍れ、踊れ、打ち砕け!」

 高々に紡がれた言霊と共に、湊の頬を冷気が撫でた。ひゅぅ、と零した息が冷たい。

「氷……」

 白い靄が視界を覆う。晴れた頃には、足元に転がる数体の氷結と、毅然とした表情で立つ少女がいた。

 今のは、少女がやったのか。目の前にしても、如何せん信じられない。そもそも、水の従者に限らず、水の構成員の殆どは、防御の術に特化している。だから、これほど大規模な氷の術は珍しいのだ。

 困惑する湊の前で、少女はゆっくりと振り向く。

「…………なに?」

 それは、初めて湊が聞いた、少女の自分への言葉だった。

「ワタシは、湊。巻坂 湊よ。アナタは?」

「ミナト? ……アタシ?」

「アナタの名前を教えて頂戴」

 名前、と少女は唇を動かす。

「汐。……アタシは、汐」

 そして、汐は続けた。

「――出ていって。従者だか何だか、知らないけど。アンタはいらない」


 などと、言われたが。

 翌日、湊はカフェでコーヒーを啜りながら、ため息をついた。

「何なのあの子。何が、いらない、よ」

 貴船には構成員の姿も無かった。かといって、水の支持地に従者以外がいないわけではない。それは、湊が各地を彷徨い、手ずから構成員を探してきたのだ。ずっと、地脈が指し示す方向へ行き、スカウトし、力を蓄えてきた。幸い、前述の通り、自分達は守りに長ける。なので、襲撃されたとしても己の身を守ることができる。一つの場所に留まる事は無いが、水の構成員はあちこちに滞在していた。これは仕方の無い事だ。木の王は幻想郷に留まり、火の王は国を抱いているという。けれど、水の王は未だ居らず。まとめる者がいなければ、村としても、国としても成り立たない。

(だから、従者同士で手をこまねいているわけにはいかないのに)

 グ、と唇を噛み締め、湊は窓の外を見詰める。

「大体、あの場所にずっと引きこもってるから良くないのよ。……外に連れ出して、ショッピングして、……」

 汐は。

 あの子は、ずっと独りだったのだろうか。

 貴船神社に張られた結界は、人を撥ねる。

「やっぱり、諦めるわけにはいかないわよねぇ……」

 呑み込んだコーヒーが、やたらと苦いような気がした。


 *


 足取りこそ重く、湊は貴船神社を訪れる。そこでふと、結界の綻びを見て眉を寄せた。

「またどこかの誰かが襲ってきたのね」

 手を添え、力を流し込む。すると、淡い青の輝きは、綻びを包むように吸い込まれると、ヒビ痕一つなく消えてしまった。満足の出来に一人頷き、歩を進め、

 長い階段の上、鳥居の下で、少女は膝を抱えこんでいた。

「…………汐?」

 名を呼ぶが、少女は顔さえ上げない。言葉に出来ない違和感を覚えながら、階段に足を掛けた、その瞬間。

 グラリ、と少女の身体が傾いだ。

「――ちょっ、」

 地面を蹴り、階段を飛び越えた時間は僅か数秒にも満たない。咄嗟に展開した結界をバネにし、跳躍。汐の身体を抱き留め、湊は地面を転がった。

「あっ、あぶないわね?! ちょっと、アナタ――」

 冷や汗を流しながら湊は少女の顔を見下ろし、その額に浮かぶ玉の汗に顔を顰めた。

 ふぅふぅと息を吐く様は尋常ではない。

「具合悪いの? 凄い熱……」

 とりあえず、抱え上げて小屋に移動する。質素な部屋には、薄い布団があるだけで、その体を降ろしてから改めて少女を見る。

 発熱、不自然な呼吸、酷い汗。薄ら開いた双眸は潤み、霞んでいる。


 ひとまず、彼女を医者に見せなければ。

 そう思った湊に、地脈が直接、否、と伝えてくる。


「…………なんですって?」

 今、何と言った。

「汐は、この場から離れてはいけない……? こんな熱を出した子を放っておけというの?!」

 それが、呪いだと。告げられた言葉に、湊はヒクリと肩を揺らす。

「呪い…………」


 脳裏を過ぎる過去がある。

「この世界は呪われている。だから、呪いから解き放とう。できるはずだ、僕たちなら」

 自信に満ち溢れ、毅然とした態度で、あの人は言った。その理想が美しく、その誠実さが人を引き付けた。

 だが、結局のところ。


「それでもこの子は関係ないでしょう」

 頬に掛かった髪を指先で払うと、湊は立ち上がる。とりあえず必要なものを取りに貴船を離れなければならない。結界を強化し、湊はその場を離れる。

 少女が、熱に浮かれた瞼を押し上げ、その後ろ姿をジッ、と見詰めている。


 *


 幸いにして、汐の熱は一日で収まった。変化があったのは、その日から三日後の事だ。

 湊はいつも通り、貴船に足を踏み入れた。そして、連なる階段の上。そこに、仁王立ちで腕を組み、立ちふさがる様に佇む汐が、湊を見下ろしていたのだ。

「……」

「え、何? どうしたの?」

 こちらを、ジッ、と見下ろし。警戒の色は光り、表情は険しい。全く、読みとれない様子に湊は立ち止まる。

 そのくせ、口を開こうとしない汐に、湊はとうとう根負けした。

 もう、本当に意味が分からなかった。汐の性格も、仲良くなりたいと言う想いも、思春期特有の感情だからか、単に、性別の問題なのか。

「ワタシね、今日で来るのはやめにするわ。仲間を集めないといけないし、これから、アカツキの夜までにもっと他の支持地は活性化する。各地を回る必要も出てくるだろうし」

 貴船は所詮、一つの拠点に過ぎない。何より、汐がいてくれるのであれば、この地が失われる事もないだろう。

 だから、と踵を返そうとした湊に、汐がようやく、口を開いた。

「ここは、アタシの居場所」

 思わず、湊は少女を見上げる。

「アタシには、ここしかない。アタシはどこにもいけない。……アタシは、ずっと独りだった」

「汐……」

 地脈に囚われた少女は、この地に縛られている。寄ってくる者は、部外者で、その都度、汐は追い払ってきたのだろう。

 何年も、何年も。

(――ああ、だから。ワタシを、追い出そうとしたのね)

 同じ従者であるとしても、唯一、地脈に弾かれない湊を敵視するのは当然だった。汐にとってこの場所だけが、汐の居場所で……湊は突然現れ、横取りしようとしたのだから。勿論、湊にその気持ちは無かったけれど、単に、汐と親しくなりたかっただけだけれど。

「アンタは、アタシの孤独を……分かって、くれる?」


 問い掛けられて。湊は、瞠目する。

 遠い昔に投げかけられた言葉は、結局理想のまま泡に成り、彼の王は一人、海の底に沈んでいった。取り残された【ワタシ】は、一人、ひとりで、

 また、この苦しい世界に目を覚ました。


 意味が、あるのだ。理由があるはずだ。呪いだけじゃない。湊がこの地に再び現れ、かつての禍根も残したまま、産まれ直したわけが。

 だからもし、この局面が、その一歩だというのなら。

「ワタシは、アナタの孤独なんて分からない。共有は、できない。感傷に同情だって……してやらないわ」

 汐に口を挟まれるより早く、でもね、と矢継ぎ早に口開く。

「これからは、アナタが嫌と言っても通い詰めてやるわ。独りが淋しいなんて思わせてもやらない。ワタシは従者、アナタも従者。ワタシ達二人で、これから、いつの日か出会える王様の為に、この土地を守るのよ」

 それぞれのやり方、それぞれの方法。汐に出来て湊には出来ない事。


 いつか。

 この地に、水の王が……現れるまで。


 *


 遠い日の回想を。……十年前のあの日を。若かりし頃を思い返し、湊は口先で笑った。

 二人の思い出を聞いていた、正面に座る王様は、薄い桃色の髪を揺らして微笑む。

「色々な事があったんだね。……私なんかが、聞いても良かったのかな?」

「いいのよ、当然じゃない。ワタシ達が待ち望んだ、王様なんだから」

「ふふ、そうか」

 とはいえ。湊のかつての王とは、似ても似つかない少女なのだ、ホノカは。

 どこにでもいる、一般人。普通の進学校に通い、普通に生活し、普通に結婚して、子供を産んで……そんな、普通から逃れる事となった少女。

 未だに、汐は彼女を、王、と認めづらいようだった。確かに、イメージする【王】とは異なる。民を導くことに長け、民を守る強さも見受けられない。

 けれど、地脈が選び、与えた水の力は絶品である。その力の前では、どんな矛も通さない。

 王が現れてしまえば、従者である湊と汐の役目も、多少は軽くなるかと思ったが。戦う力を持たない優しい王様を前に、そんなことを言っていられる場合ではないと気を引き締める事になったものだ。


 アカツキの夜は、近い。


 ……同時に、懸念がある。湊の王、ホノカに、時折翳りのようなものが見える。それは、日を追うごとに深まるようだ。このままでいいのか、この異常を解明すべきなのか。

「どうしたの、湊さん? ……具合でも、悪い?」

「ああ、黙り込んでごめんなさいね。平気よ。……さ、そろそろ、お暇としましょ。ワタシはまだやることがあるけど……ホノカちゃんはお休みの時間」

「子供扱い? 私、これでも、もう少しで二十歳になるんだよ」

 そうして、笑う。柔らかく、暖かな日差しのように。

 ……祈ってしまう。

 どうか、影が月を呑み込んでしまいませんように、と。淡い光がいつまでも、従者を包んでくれますように、と。

 祈りながら、戦うのだ。

 もう、絶対に、王を失わせなどしないと。


(ワタシが生まれた理由が――ここに、在るのなら)


 例え、今が、ひと時の夢だとしても。

 その日々が、永く続いてくれますように。


 柔らかな笑みに隠した覚悟を知るものは、まだ、誰もいない。


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