7話 状況確認
意識が浮上し目を開いてすぐ視界に入った木製の天井に、私は自分が気絶したことを思い出した。そして、何故気絶したのかも。
(ドラセナ王国……、ドラコ村……、アールヴル族……)
頭を掻きむしりたい気分になったが、生憎そこまでの元気がなく、持ち上げた右腕でそのまま両目を覆い隠す。
目覚めたばかりの頭を何とかフル回転させ、自身の持つ知識の引き出しを漁るものの、そんな土地も、種族の名も聞いたことがない。
あの美しい女性――リーサさんは、ドラセナ王国とはイグドラシル大陸にある大国だと言っていた。辺境ならまだしも、大国と豪語するほどだ。決して勉強が不得意ではなかったのに、一度も聞いたことがないというのはおかしな話だ。そもそも、イグドラシル大陸という大陸そのものの名前すら聞き覚えがない。
そして、リーサさんというあの女性のことだ。
見たことがないほど美しい容貌に、先端が鋭く尖った珍しい形の耳。言葉遣いこそ少々荒々しかったものの、見た目だけで言えば、昔見たファンタジー映画に出てくるエルフの姿を彷彿とさせるには十分すぎるほどだった。
幼馴染といたはずが、何故か自分だけがまるで“飛ばされた”ように洞窟にいたこと。
男性が言っていた“冒険者”という職業。
男性とリーサさんが身に宿した不思議な光る球体。
聞き覚えのない大陸と国名。
魔力という非現実的な単語。
それらの要素を繋ぎ合わせて浮かび上がるのは――信じられない、幻想染みた空想。
「……ここは、異世界」
私の呟きは、誰の耳に届くこともなく、空虚に消えていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「よかった、大丈夫そうだね。いきなり気絶したから驚いたよ」
「すみません、ご迷惑をお掛けして」
目覚めてからそれほど経たずに再び部屋へ訪れたリーサさんは、私が目覚めていることに気付くと、美しい顔に優しい笑みを浮かべた。幻想的な美しさは、やはりエルフを彷彿とさせる。
「そうだ、アルヴィンさんを呼んでくるよ」
「アルヴィンさん?」
「あんたをここに連れてきた人さ。少しだけ話をしたって言ってたけど、覚えてないかい?銀髪の美青年さ」
おそらく洞窟に現れた冒険者を名乗る男性のことだろう。あの時は姿形よりも、光の球体が気になり過ぎていたため、申し訳ないことに容姿を全く覚えていない。
しかし、男性が私を救ってくれた人物であることに間違いはない。お礼も言いたかったので、すぐ是非にと頷いた。
「じゃあ呼んでくるから少し待ってな」
そう言ってリーサさんが部屋を出ていくと、やがて遠くから少年のように高くはしゃいだ声色と足音が近づいてきた。重厚な音を響かせる足音と、時折混じる金属音は、洞窟で聞いたものと同じだった。
「あ! ほんとに目が覚めてる!」
弾丸のように部屋へ飛び込んできたのは、癖のある赤毛と頬に散ったそばかすが可愛い少年だった。顔立ちはあまり似ていないが、美しい翡翠の瞳はリーサさんと揃いだ。リーサさんの息子さんだろうか。
「俺、ダンって言うんだ! ねーちゃん起きるの待ってたんだぜ!」
「え? 待ってた?」
「ねーちゃん、どこから来たんだ? どっかの悪い奴に攫われて、それをアルにーちゃんが助けてくれたんだろ? すげーよな、まるで英雄譚みたいだ! 英雄アルヴィンと攫われの姫ってタイトルで本出したら、ぜってー人気になるよ!」
キラキラと輝く大きな双眸で見つめられ、私は思わず横になった状態のまま身を引いた。興奮気味に食ってかかる少年――ダン君だったが、その背後に大きな黒い影が落ちる。
黒い影――リーサさんは、ゴンっ、という骨に響くような鈍い音を立ててダン君の頭に拳を振りかざす。痛みに悶えるダン君の姿に慌てた私は、この光景が既に本日三回目であり、フルトグレーン家では当たり前の光景であることを、まだ知る由もない。
「あんたはホントアルヴィンさんのことになると煩いんだから。アルヴィンさん、あたし達は席を外すよ。彼女に聞きたいことがあるんだろ?」
「あぁ、すまないな」
「いいってことよ。ほら、ダン。アルヴィンさん達の邪魔になるから行くよ」
「えぇ⁉ 俺もねーちゃんに話を……っ!」
「たんこぶをもう一つ増やしたいのかい?」
「い、いえ、なんでもないです……」
首根っこを掴んで引きずられていくダン君からは哀愁が漂っていたが、リーサさんを止められる人物はここにはいない。
音を立てて扉が閉まると、騒がしかったダンの余韻が残っているのか、妙な静けさが部屋中に漂った。
残ったのは、ダン君に手を引かれて現れた男性が一人。
この人が洞窟から連れ出してくれた人物なのだろう。男性はやはり光の球体を宿していたが、今度はそちらにばかり目をやらないように注意しながら、男性を眺めた。
邪魔にならない程度に短く整えられた髪は、キラキラと光る銀色だ。人工物ではない銀髪など初めて見たが、不思議と男性に似合っているように思え、違和感はない。
古く、年期の入った衣装は、丁寧に手入れが施されているのか、草臥れた印象を与えさせることなく、むしろ男性に誂えたかのようだ。腰に提げられている精密な模様の施された鞘に覆われた剣は、洞窟で見たものと同じものだろう。
そして、何よりも特徴的なのは、紫色の瞳だ。銀髪同様、紫色の瞳など見たことがなかった。いや、紫というより、やや青みが濃いその色は、菫色ともいうべきか。どちらにせよ幻想的な雰囲気を宿すその色は、思わず魅入ってしまうほどに美しい。そんな美しい菫色の双眸は、じっと私を見つめている。
「気分はどうだ? 魔力枯渇の症状は治まったはずだが」
「はい、大分よくなりました。ですが、体がまだ重くて……、すみません、こんな格好で」
「いや、気にしなくていい。リーサによれば、魔力枯渇以外にも体力そのものが低下していたという話だ。暫くは安静にしておいたほうがいい」
「あの……、あなたが助けてくださったんですよね? あのままでは、あの洞窟で一人朽ち果てるところでした。本当に、ありがとうございます」
「そのことで、いくつか聞きたいことがあるんだが」
男性は、私が横たわるベッドの脇に置かれていた木製の椅子に腰を下ろす。
「あぁ、その前に。俺はアルヴィン・バーリフェル。原始の森で会った時にも言ったが、冒険者をしている」
「あ、すみません。申し遅れました、暁里桜……、こちら風に言うなら、リオ・アカツキです」
「……リオか。いい名前だ、よろしく。それで、リオ。あなたは何故、あんな場所に?」
「……それは……」
そんなこと、私の方が聞きたい。
ついそんな言葉が口から飛び出そうになり、思わず口籠る。相手は命の恩人であり、決して私をこんな目に合わせた諸悪の根源ではないのだ。八つ当たりのような言葉を投げつける訳にはいかない。
しかし、それならアルヴィンさんの言葉になんと返すべきなのか。
今は害のない少女と見られているようだが、「異世界から来たみたいです」なんて言おうものなら、途端不審者扱いになってしまうかもしれない。
(いや……、ここには魔法?魔術?があるみたいだし、もしかしたら異世界から誰か人がやってくるというのも、ここでは珍しくないことなのかもしれない)
ならば正直に事情を話した方がいいのだろうか。もし私の身に起こった出来事全てがここでは常識ならば、帰る手段も知っているかもしれない。
それに相手が明らかに怪しい人物であれば話すのも躊躇するところだが、相手は命の恩人だ。リーサさんやダン君のアルヴィンさんに対する対応を見ても、どうやら権威のある人物らしいことも伺えた。口数はそれほど多くなさそうだが、どこか紳士的な印象を抱かせるアルヴィンさんは、人柄的にも信頼に値する人物だと判断した。そもそも、見知らぬ人物を躊躇なく助ける性格からして、人格者であることは間違いないだろう。
それらの考えを総合して、私はアルヴィンさんに事情のすべてを話すことにした。
「……あそこで横たわっていた理由は、私にもわかりません。私は、友人達と一緒にいたはずなのに、気が付いたらあの場所で眠っていたようなんです。……それに、リーサさんから聞いたイグドラシル大陸という大陸の名も、私が陥っていたらしい魔力枯渇という言葉も……、どれも私は聞いたことがない言葉です」