6話 ドラコ村
カタン、と小さな音が耳に届き、ゆっくりと意識が覚醒していく。
視界に入ったのは、一週間で見慣れてしまったつらら岩ではなく、木製の温かみのある天井だった。
「おや、目が覚めたのかい」
そう声を掛けながら現れた人物を見て、私は驚いた。
現れたのは大層美しい女性だった。白銀の煌めく髪を一つに結び、翡翠の瞳は大きく、優しい色を浮かべている。簡素な服を着ているが、そんなことも気にならない程の美女だ。
しかも、女性の耳は見たことがないほどに尖っていた。美しい姿と特徴的な尖った耳は、ファンタジーの物語に登場する「エルフ」のようだ。
そして、女性はあの洞窟に現れた男性と同じように、体の中心に光の球体を持っていた。
「あ、ここは……」
無意識に問おうとして、私はっと口に手を当てた。未だにか細くはあれど、声を出すことが出来るようになっている。
「あぁ、会話はできる程度に回復したようだね。ただ、薬で回復したとは言え、魔力枯渇になってたんだ。暫くは安静にしてな」
「……まりょく、こかつ……?」
儚い印象を抱かせる見た目の美女から飛び出す気安い口調に若干の違和感を感じつつ、聞いたことの無い単語を復唱する。
「なんだい、知らないのかい?」
美しい翡翠の瞳が、不思議そうにパチリと一つ瞬きをする。女性は不思議そうに聞き返した私に驚いたようだった。
「一体何処の深窓の令嬢なんだか……。いいかい、魔力枯渇ってのは、魔力の使い過ぎで魔素の器が空っぽになっちまった状態のことさ。魔力は一度枯渇すると、薬を使わなきゃ治らないし、放置しようものなら死に至る。枯渇しないように魔術を使うのは、魔術を使う者の間じゃ常識さ」
魔力。枯渇。魔素の器。魔術。
ファンタジーめいた単語の羅列に、私はうまく反応を返すことが出来なかった。そんな私を後目に、女性は吸い飲みを差し出す。反射的に口を開けば、ぬるめの水が喉を潤した。もしかしたら、意識がない間にもこうして飲ませてくれていたのだろうか。喉の渇きは大分癒えていた。
「まぁ、あんたに何があったのかは知らないけど……。今はゆっくり体を休めることだけ考えな。私の名前はリーサ・フルトグレーン。ここは、アールヴル族が暮らすドラコ村だ。危険なことは何もないよ」
「あ、えと……私は暁 里桜と言います。あの、アールヴル族、というのは? それと、ドラコ村というのは一体どのあたりにある村なんでしょうか……?」
ひしひしと感じる嫌な予感。
女性が当然のように話す単語の殆どが理解できないこと。
女性の見た目が、ただの人間には見えないこと。
電化製品一つ見当たらない室内。
洞窟の中で時間を過ごしていた間にも考えていた。
――もしかすると、ここは。
「ドラコ村はドラセナ王国の最北端に位置する村さ。……ドラセナ王国は流石にわかるよな? イグドラシル大陸内の大国さ」
常識の通用しない、全く別の世界なのではないかと。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あ、ちょっとあんた!」
目の前で突然目を閉じたリオと名乗った少女に慌てて声をかけると、リオはどうやら意識を失ったらしい。容体が急変したのかと思ったが、どうやら気絶しただけらしかった。
「かーちゃん! ねーちゃん、目ぇ覚めたのか⁉」
リオとリーサが会話しているのが聞こえたのか、リーサの息子であるダンが部屋へ飛び込んできた。その右手には、リオをこの村へ連れてきた張本人であるアルヴィンの手が握られている。やんちゃ盛りのダンにとって、Sランク冒険者であるアルヴィンは天上の存在であり、憧れの人物だ。アルヴィン達が村に滞在して二日経つが、ダンは終始アルヴィンに付きまとっている。
「ダン、うるさい! ここは病人が寝てるんだから、静かにしな!」
「か、かーちゃんの方が声でけぇよ……」
「うっさい!」
ガンっ、と鈍い音を立ててダンに拳骨が落とされる。痛みに声を上げそうになったダンは、しかしリオが寝ていることを思い出し、頑張って声を抑えようとしている。やんちゃではあるが、根が素直な心優しい少年である。一言多いのが玉に瑕だが。
「大体あんた、アルヴィンさんに迷惑かけるんじゃないよ。遊びで来てるんじゃないんだからね」
「いや、俺は構わないが……。それより、彼女は目を覚ましたのでは?」
「あぁ、ついさっき目が覚めて少しだけ話をしてたんだが、気を失っちまってな」
「……大丈夫なのか?」
「特に体調に異常はないよ。……ただ気になるのは、私が話した内容に対して衝撃を受けて、気を失ったって感じだったんだよねえ」
「かーちゃん、なんか失礼なこと言ったのか?」
「バカ言うんじゃないよ。私はただ、この村の位置と国の名前を教えてやっただけさ」
リーサは、リオの額に濡れたタオルを置きながら、何かを考えこむ。そして、アルヴィンを静かに見据えた。
「アルヴィンさん……。彼女、素性が知れないって言ってたね?」
「あぁ、原始の森で見つけたんだ。あの時はまともに話せる状況でもなかったんでな……」
「この子……、自分が魔力枯渇になってるって理解してなかったみたいだよ。そもそも魔力枯渇って言葉自体初めて聞いたって顔してたね」
「えぇ⁉ 魔力枯渇なんて、デニスだって知ってるぜ⁉」
デニスとは、リーサ達一家の隣の家に住む三歳の男の子のことだ。魔力枯渇は、そんな小さな幼子でさえ知っている常識だ。
「……それだけじゃない。アールヴル族のことも、ドラコ村のことも、ドラセナ王国の名前ですら聞いたことないみたいだったよ」
「え、えぇぇ? このねーちゃん、何者……?」
三人の視線がリオに注がれる。リオは静かな吐息を返すだけだ。
「……ま、危ない子って感じじゃないしね。素性は知れないけど、体調が良くなるまでは家で面倒みるよ」
「……すまないな」
「英雄アルヴィンさんの頼みなんだ。気にすることないよ」
リーサは溌剌とした笑顔を浮かべ、当然のように言ってのける。ドラコ村はアルヴィンに多少のことでは返しきれない恩がある。村総出で恩を返さねばと考えていたところなのだ、アルヴィンの願いは渡りに船。受け入れる以外に選択肢などなかった。
「あぁ、そうだ。一度目が覚めたということは、魔力枯渇の症状は治まったということか?」
「ひとまずは、ってところかな。動き回るのはまだ暫くは無理だろうけどね。この子が衰弱していたのは魔力枯渇だけが原因って訳でもなさそうだから、元気になるには少し時間がかかっちまうよ」
万全とは言わないものの、魔力枯渇が回復したということは、多少なりとも魔力も回復しているということ。
トールから預かった鉱石は、鉱石を触った人間の属性を確認するためだけの道具だ。意識のない少女相手に使っても正常に作動するだろう。
アルヴィンは、首から下げていたネックレスを外し、リオの小さな手に握らせた。
「なんだい、そりゃ?」
「今任務でとある人物を探していてな……。彼女がその人物なのかどうかを確認するための道具だ」
「……あれ? さっきまですげー綺麗な青色してたのに、今度は真っ白になっちまったぞ?」
アルヴィンの氷属性の影響を受けて、青色に輝いていた鉱石は、リオの手に触れた途端、その色を失った。それは鉱石のありのままの姿……、つまりなんの魔力の影響も受けていない状態と同じであった。
(……“マナシ”か? いや、それならそもそも魔力枯渇に陥るはずがない……、どういうことだ?)
リオが魔力枯渇に陥っていたのは、医者でもあるリーサの診断によるものだから、まず間違いがない。魔力枯渇とは、その名の通り、魔力が枯渇する状態のことだ。当然、魔力を持っていない人間が、魔力枯渇になるはずがない。そのため、リオ自身も多かれ少なかれ魔力を保有できる人物である……はずなのだが。確認のため、アルヴィンが再び握ってみれば、鉱石は瞬く間に冷たい青色に変色していくので、鉱石の性能自体に問題はなさそうだ。
(鉱石に問題はない……、ということは、彼女自身に何か……)
アルヴィンが目線を下ろすと、そこには健やかな吐息を零して眠る少女の姿。気絶したという話だったが、悪い夢は見ていないのか、穏やかに眠っているように見える。
(……俺がここで考えてても仕方がないか)
「アルにーちゃん、仕事終わった?」
「あぁ、とりあえずな。あとは彼女が目を覚ましてからにするとしよう」
「やった! それじゃあさっきの続き! 剣術教えてくれよ!」
「あんた……、少しは遠慮って言葉を知りなさいっ!」
ゴツン、とまたダンの頭上に大きなたんこぶが一つできた。