5話 不思議な少女 -side.A-
アルヴィンは洞窟を抜ける道を歩きながら、腕の中で安らかに眠っている少女に視線を落とす。
目的地である原始の森についたのは、トールからの依頼を受けて一週間経った頃だった。
一歩足を踏み入れただけで濃密な魔素の気配を感じさせる原始の森は、なるほど確かに危険区域と認定されるだけのことはあると納得した。飽和した魔素は、強制的に魔素の器に入り込み、器に収まり切れなくなった魔素は、身体に影響を及ぼしてくる。アルヴィンは、体内の魔素を消化するため、普段以上に魔術を使って魔物を倒しながら、原始の森を進んだ。
しかし、こんな環境であるなら、件の魔術師は原始の森から出ているか、既に事切れている可能性がある。
せめて遺体だけでも弔ってやれたら。
そう考えながら魔物を倒しつつ進むと、やがてアルヴィンの視界に石像が見えた。
「……なんだ、これは?」
緑に覆われた草木の中、不自然にぽつんと一つだけ生えている石。
長方形の形をした石はアルヴィンの腰ほどの高さがあり、不思議な模様が石全体に彫られていた。魔術関連のものなのだろうか。古代文字に少し形が似ているような気がしたが、生憎アルヴィンに読むことはできない。おそらく正式に読み解けるのは、専門の知識が有るものだけだろう。
「随分昔に森に入った人間がいるのか……?」
人の手で作られたことは明らかだが、石は老朽化しており、所々が欠けている。周囲の草が石に巻き付くようにして生えていることから、相当長い間放置されていたことが伺えた。この立ち入り禁止の森に入り込んだ人間はいたようだが、随分昔の話のようだ。
不思議な石像だが、今回の件に関係はないだろう。
そう思いながらも、半ば無意識に石像を撫でた。
――そのとき。
勢いよく体内の魔力が減っていき、特大の魔術を使った時に感じる疲労感がアルヴィンに襲い掛かった。
すぐさま、手で触れている石像に自身の魔力が吸収されていることを理解した。
「なっ……⁉」
気付いた瞬間、石像から手を放そうとしたが、アルヴィンの左手は張り付いたようにして石像から離れようとしない。アルヴィンは「チッ!」と舌打ちを零し、手が離れないならば石像を壊そうと、腰に携えた相棒に手を掛けた。
しかし、アルヴィンが石像を壊す前に魔力吸収が終わり、それと同時にアルヴィンの手は呆気なく石像から解放された。その時点で、アルヴィンの魔力は三分の二程消費されていた。全身に軽い気怠さを感じたが、幸か不幸かここは魔素が飽和している原始の森だ。消費された魔力はすぐに回復した。
だが、これ以上魔力を吸い取られていたら、完全に魔力枯渇状態となってしまうところだった。一度魔力が枯渇状態になると、周囲にいくら魔素があろうとも、自然回復することはない。特別な薬を使用しなければ枯渇状態は解消されないし、解消後もしばらくは安静にしていなければならない。戦闘時において魔力枯渇は戦闘不能と同義である。
強制的に魔力を吸い取るこの石像は、一体何なのか。そして、魔力を吸い取った結果、石像がどういった反応を示すのか。
いつでも反撃出来るよう、アルヴィンが攻撃態勢をとって石像を見据えていると、石像は砂のような粒子となって風と舞う。そよぐ風に連れ去られて姿を消した石像があった場所に、深い地下へと続く階段が現れた。
ここは一体どこに続いているのか。先ほどの石像のように、トラップでもあるのか。
暫し試案したものの、階段の先に不穏な空気は感じられない。殆ど明かりもなく、ほの暗い階段だというのに、アルヴィンにはこの先に危険があるとは思えなかった。
冒険者として経験を積んできたアルヴィンは、自身の直感を信じることにし、階段を降りて行った。
そして、その先で見つけたのが、この少女だった。
少女は十代後半ほどの若い少女だ。酷く衰弱している様子は、魔力枯渇に陥った人間の症状に似ていた。特別な薬でしか回復しない魔力枯渇は、放置し続ければ死に至る。一般的に、枯渇してからもって三日が限度だといわれている。
少女は、痩せた体に、乾いてひび割れた唇から、しばらくまともに食事を取っていないことが伺えた。魔力枯渇により食事がとれない状況になったのだとしたら、少なくとも三日以上は経過しているはずだ。
また、あの不思議な石像に守られた先の洞窟に、たった一人、裸体の状態でいたなど、少女には不可思議な点が多すぎた。
少女は、衰弱して薄汚れているものの、目鼻立ちの整った見目麗しい少女だった。アルヴィンより随分小さな手にはたこの一つもなく、足の裏は柔らかい。身なりさえ整えれば、どこかの姫か令嬢と見紛うことだろう。
この少女は、一体何者なのか。
彼女こそがトールの探している魔力の持ち主なのだろうか。
魔力に関してはすぐに調べたいところだが、やはり少女は魔力枯渇状態なのか、アルヴィンの持つ鉱石はピクリとも反応しない。
もしかしたら少女はどこかの令嬢で、誘拐されて閉じ込められていただけであり、探している魔力の持ち主とは関係ないのかもしれない。
しかし、少女が一体何者であるかはさておき、うら若い乙女を一人で捨て置くという選択肢は、アルヴィンの中に存在しなかった。ひとしきり森の中は探したものの、少女以外には誰も見つけることが出来なかったのだ。一度、ここで引き揚げた方がいいだろう。
アルヴィンは、腕に少女を抱き、原始の森に最も近い場所にある小さな村、ドラコ村へと歩を進めた。