3話 王都ゲアナ -side.A-
イグドラシルの異変が解消されて一夜明けた今日。ドラセナ王国の王都ゲアナにある冒険者ギルドは、魔物退治依頼を受ける冒険者たちで賑わっていた。足が遠のいていた魔術師たちが戻ったことで、元々往来が盛んなギルドはいつも以上に騒がしい。
イグドラシル大陸を襲った異変の影響は、ここドラセナ王国にも及んでいた。
満足に使用できない魔術に、増殖した魔物、大陸が消滅するのではないかという恐怖。特に冒険者ギルドに所属している魔術師たちには死活問題であった。何せ、魔術を使おうとすると不規則な確率で魔術が暴発してしまうのだ。市民たちが使うような生活魔術ではなく、魔術師が使うのは危険と威力を孕んだ魔術だ。一つ間違えてしまえば、怪我程度では済まない。
そのため、魔術師たちは冒険者として活動することが出来ず、資金調達が出来ない日々が続いていた。イグドラシルの異変が解消されたことを一番喜んだのは、魔術師なのかもしれない。
「結局、イグドラシルの異変ってのはなんだったんだろうな」
「帝国が呼んだっていう聖女様のおかげで、元に戻ったんだろ?」
そして、ギルド内での話題は、もっぱらイグドラシルの異変の解消と、それに関与していると宣言した帝国のことであった。
「ありゃ本当のことなのか? 確かに、帝国が聖女だのなんだの言いだした翌日にはこれだ……。無関係ではないだろうが、相手が帝国ってのが、なぁ……」
帝国が宣言したのは、昨日のことだ。かの国は突如イグドラシル大陸全土へ向けて、とある宣言を行った。
曰く、『我が国、スカビオサ帝国に残された秘術 聖女召喚術を使い、聖女様をお呼びした。かの聖女様のお力により、大陸全土を揺るがした凶事は収束するだろう』とのこと。
秘術とは何なのか。そもそも、『聖女』とは一体何なのか。
帝国以外の国にとっては聞き覚えのない単語の数々に、ドラセナ王国を始めた国々は宣言に対して懐疑的であったが、実際に収束したのだから、帝国が関与しているのは間違いないのだろう。
「結局帝国が何かしたのかはわからないが、とりあえずイグドラシルが元に戻ってよかったぜ」
冒険者たちがそんな会話を交わしている中、一人の男がギルドの戸を開いた。男の名前は、アルヴィン・バーリフェル。アルヴィンは、掲示板付近に集まっている冒険者たちとは違い、まっすぐにギルドの受付窓口へと足を運ぶ。何人かの冒険者たちがアルヴィンの姿を見てざわついていたが、アルヴィンは一瞥することさえない。
ギルドの受付嬢であるマーリンは、アルヴィンの姿を見つけるとにこやかな笑顔を浮かべた。
「お待ちしておりました。アルヴィンさん」
「ギルド長が俺を呼んでいると聞いたが」
「はい、上でお待ちです。ご案内しますね」
マーリンに連れられ、アルヴィンは許可された者しか立ち入ることの出来ないギルドの三階部分へと足を運ぶ。いくつかの扉を通り過ぎた後、一際大きな扉が目に入った。ギルド長の執務室である。
「ギルド長。アルヴィンさんがお見えになりました」
ノックの後にマーリンがそう言うと、扉が音を立てて勢いよく開かれた。
「アルヴィン‼ 待っていたよ、ささ、早く!」
中から現れたのは冒険者ギルド ゲアナ支部のギルド長であるトール・アベニウス。ギルド長なだけあって有能な人物なのは間違いないが、生粋の魔道具、魔術オタクである彼は、己の趣味に関するもののこととなると頭のネジが二三本は軽く吹っ飛んでしまう。昔馴染みということで、魔術が絡む、非常に面倒な依頼を個別指名されたことも少なくはない。
そういう時のトールは、今のようにしてテンションが高いことが多い。アルヴィンは「これは面倒な頼みになりそうだ」と内心ため息をつきながら、トールに促されるまま執務室に足を踏み入れた。
「すみません、アルヴィンさん。ギルド長、昨日からこの調子で……」
執務室にはトールの秘書であるバート・レンノが疲れた様子で立っていた。突拍子のないトールに付き添う彼は苦労人としても有名だ。重厚な机の上に聳え立つ書類から察するに、仕事が手につかない程トールを興奮させる何かがあったのだろう。きっとバートは、何とか仕事をさせようと奮闘したに違いない。残念ながら、今回もトールの勝利だったようだけど。
「お前もいつも大変だな、バート」
「いい加減ギルド長には落ち着いてもらいたいものですよ……」
「何を言っている、バート! これが落ち着いていられるものか!」
興奮覚めあらぬ様子のトールは、勢いよくソファに腰掛けると、夢見心地で語りだす。
「あの魔力……、美麗な姿はまるで美しい宝石のように光輝き、世界を包み込むほどに膨大な魔力量……、あぁ今思い出しても夢のように美しい光景だった。これほど魔眼持ちであったことを感謝したことはない」
「……そんなに凄い魔力が見えたのか?」
トールは、人の持つ魔力量を視認できる特別な眼である『魔眼』の持ち主だ。
『魔力』とは、世界のあらゆる場所に存在する『魔素』を体内で変換したもののことを指す。魔術を使うにあたり必要なのが、魔素であり、魔力なのだ。
周囲の魔素を取り込んで保管する『魔素の器』、魔素を魔力へと変換する『変換器』、魔力を魔術として発動させる『解放器』。大半の人間はこの三つの器官を持っており、それらのお陰で魔術を使うことが出来ている。
ちなみに、魔素の器は人によって大きさが異なり、大きければ大きいほど大量の魔力を蓄積することが出来るので、その分威力の高い特大の魔術を放つことが可能だ。魔素の器の大きさがそのまま魔術師としての素質を表していると言っていい。
魔眼持ちのトールには、オーラのようにゆるりと揺れる魔力が見えるらしく、彼曰くオーラは人によって個体差があるらしい。
一般人レベルであれば体に薄く纏わりついているように見え、魔術師ともなると全身を厚く包みこむようなオーラが見える。
また、色にも個人差があり、透き通るような白だったり、燃えるような赤、中にはヘドロのように濁った色を持つものもいるらしい。色は本人の精神状態から影響を受けているのか、濁った色を持つ人物は大抵碌な人間ではないらしい。
「あぁ……、俺はこれまで40年間生きてきて、あんなに素晴らしい魔力は見たことがない」
バートが差し出した紅茶で口を潤しながら、アルヴィンは考える。
「それを見たのは昨夜のことなんだろ? イグドラシルの異変と何か関係があるのでは?」
「やはりアルヴィンもそう思うか! そうだろう、そうだろう、あれほどの魔力なんだ。昨日突然解消されたイグドラシルの異変とも、何か関係しているに違いない!」
「……それで、俺を今日ここに呼んだ理由は? 魔力に関する調査なら、俺より魔術師相手の方が適任だと思うが」
アルヴィンも魔術はそれなりに使えるが、あくまでも戦士として活動している。魔術に関する知識面では、魔術師たちの方が上だろう。
しかし、アルヴィンの提案にトールは首を振る。
「それがダメなんだ。何せ、その魔力が見えた場所は――原始の森だ」
「……おい、まさか俺に原始の森を調査しろとは言わないだろうな」
「流石アルヴィン! 話が早い!」
原始の森は、王都ゲアナからいくつかの街を超えた先にある森の名称だ。イグドラシルから最も近い森とも言われている原始の森は、イグドラシルからの影響を強く受けているのか、魔素の量が異常に多い。本来であれば魔素は人を手助けするエネルギーであるが、多すぎるとそれは害となる。その上、魔素の量が多い分、魔物の量も尋常ではない。
そのため、原始の森は、何人も寄り付くことの無い立ち入り禁止区域として国が選定している。
「あそこは立ち入り禁止区域だが、アルヴィンなら大丈夫だ。何せSランクの冒険者様だからな。安心してくれ、国からの許可もばっちりだ!」
「……なんでそういうところだけ仕事が早いんだ。普段からそれ位しっかり仕事してくれたらいいのに……」
バートの悲しげな呟きを尻目に、トールはアルヴィンの眼前に一枚の書類を突き出す。どうやら本当に国からの許可を得ているらしく、これはその許可証だ。
「……ギルドが動かなくても、王国直属の騎士団や魔術師団が調査をすればいいんじゃないか?」
「いやあ、それが国にはまだ報告してないんだよね。国への申請理由は、鉱石の採取ってことにしてるから」
「何故だ? イグドラシルの異変に関連している可能性がある以上、国へも報告を上げるべきだと思うが……」
トールはこれまでの明るい表情を一変させ、物憂げに俯いて見せる。
「俺としては、あの魔力の持ち主こそが、イグドラシルの異変に関係していると思っている。だが、国に報告を上げてその存在が知れたとなると、あの魔力の持ち主は即座に国に囲われるだろう。下手したら……、帝国に目を付けられる可能性もある」
「……トールはその魔力の持ち主である誰かの存在を公にしたくないわけだな」
ドラセナ王国内の話で済むなら、それほど心配しなくてもいいだろう。現王は権力を笠に着るような人物ではない。
だがスカビオサ帝国が関わるとなると話は別だ。あの国に人権などない。一度帝国に目をつけられて拘束されようものなら、一生涯外へ出ることなく搾取され続けるだけだ。
「そういうこと。何故魔力の持ち主が原始の森にいるのかは分からないけど……魔物に襲われることだってあるだろうし、出来るだけ早い内に保護した方がいい。それこそ、帝国に見つかる前にね」
トールの私利私欲に走った依頼かと思ったが…、どうやら人助けの依頼だったようだ。見知らぬ魔術師が相手だが、命の危機と帝国からの脅威から守るため、アルヴィンはトールに一つ頷く。
「分かった、その依頼受けよう。……だが、どうやってその人物を探す? 俺に魔力は見えないぞ」
「それなら問題ない! はい、これ」
そういってトールが差し出したのは、緑色の鉱石がついたネックレスだった。
「これは……?」
「触った人の魔力系統を感知して色を変える石だよ。今は俺の魔力に反応しているから緑色。つまり風属性ってことだね」
アルヴィンがネックレスを受け取ると、石はゆっくりと色を変えていき、やがて寒気が伝わってきそうな程冷たい青色へと変貌した。
「今氷系の魔術が得意なアルヴィンが握ったから青色になったって訳」
「へぇ……、こんなものがあったんだな」
「魔術師にでもならない限りお世話になることはないからね。石自体も珍しいものだし、アルヴィンが知らないのも無理はない。……で、この石があれば俺がみた魔力の持ち主の判別も出来るというわけだ。あの魔力は特別なものだ。きっとあの魔力の持ち主がその石に触ったら、虹色に光るはずだよ」
「虹色……? 適正はなんなんだ?」
「全属性適正」
アルヴィンは思わず口籠る。全属性適正など聞いたことがない。
魔術は、火、風、水、氷、土、光、闇の七属性に分類されている。人には生まれ持った適正というものがあり、氷系の魔術が得意なアルヴィンは、その代わりに炎系統の魔術を使うことが出来ない。アルヴィンは氷、風、光の三属性持ちだ。トールは風、水、土、光の四属性持ちであり、ギルド長になる前は魔術師として名を馳せた冒険者だった。そのトールでさえ四属性が限界なのだ。全属性適正など、なんの夢物語か。
「色とりどりの美しい魔力……、あれはきっと全属性適正という証に違いない。この石もきっと俺の目に見えたように七色に輝くはずだ」
「……まるで夢のような話だが、トールがそこまで言うならそうなんだろう。それじゃあこの石は借りていくぞ」
ネックレスを首から下げ、アルヴィンは立ち上がる。出発は早ければ早い方がいいだろう。
「……頼んだよ、アルヴィン」
トールからの声を受け、アルヴィンは王都ゲアナを発った。




