16話 初めての旅
「……馬に乗るのは初めてだと言っていたが、慣れるのが早いな」
「アルヴィンさんの腕と、ヴィンドのお陰でしょうか」
優雅に走る馬の背に乗った私は、緩やかにその首筋を撫でつける。
ヴィンドとは今私とアルヴィンさんが乗っている馬の名前だ。艶のある黒毛で凛々しい顔立ちのヴィンドは、一見すると気性が荒そうなのだが、とても賢い子なのか、乗馬初心者の私を気遣って走ってくれているような気がしてならない。アルヴィンさんとヴィンドの付き合いは長いようで、自分の手足のようにヴィンドを操るアルヴィンさんの乗馬スキルのお陰でもあるのだろうけど。
「まず目指すのは……サンデリアーナ、というところでしたっけ」
「あぁ、サンデリアーナは商業都市でな。バザールや巨大市場が有名で、海沿いにあることから漁業も盛んな街だ」
「へぇ……、随分大きな街みたいですね」
ドラコ村が素朴だっただけに対比がすごいことになりそうだ。
商業都市サンデリアーナは、ドラコ村から二~三日馬で走ったところにあるらしい。ドラコ村から最も近隣の街でその距離なのだから、ドラコ村がどれほど辺境にあったのかが伺える。
ドラコ村とサンデリアーナの距離だと野宿は必須だ。サンデリアーナについてしまえば、その後は点々とした村や街を経由して王都に向かえるそうなので、道中で最も大変なのは今なのかもしれない。
「慣れてきたのならもう少しスピードを上げようか。出来るだけ早い内に街へ着くに越したことはない」
「そうですね」
同意すると、私の両脇に回されていたアルヴィンさんの腕が、ぴしりと手綱をしならせヴィンドへ指示を出す。途端、ヴィンドのスピードが上がり、重力に従って上半身が後ろに倒れるが、後ろにはアルヴィンさんがいるため、後頭部がアルヴィンの胸当てにぶつかる程度で済んだ。速度の上がった馬上では舌を噛んでしまいそうで、先ほどのように会話を交わすことは難しい。
それから暫く、ヴィンドが地を蹴る音と、風が鳴らす草木のざわめきだけが辺りに漂っていた。
「今日はこの辺りで野宿をしよう」
どれほど走っただろうか。日が落ち、辺りが薄暗くなり始めた頃、アルヴィンさんはヴィンドを停止させた。馬上からは、森の中に小さな川が流れているのが見える。近くに水場があるなら拠点とするには最適だろう。
先にヴィンドから降りたアルヴィンさんの手を借りて降りるが、その途端腰やお尻に鈍痛が走る。走っている間は特に意識していなかったが、やはり初めての乗馬ということもあって体に負担が掛かっていたらしい。
「大丈夫か?」
「は、はぃ……」
「……やはりもう少し速度を落とした方が良かっただろうか」
「いえいえ、大丈夫です! 今はきっと降りたばかりだから痛むだけで、すぐに良くなりますよ」
「それならいいんだが……」
気遣ってくれるのはありがたいが、サンデリアーナ、そして最終目標である王都へは出来るだけ早く着きたい。そのためなら、腰やお尻の犠牲など些細な事だ。
手早く野営の準備を行うアルヴィンさんに続き、私は食事の支度を始めた。王都へ向かう旅の道中、食事関連は私に一任されることとなった。というか、それ以外では役に立てる気がしなかったので、役目をもぎ取ったともいう。
集めた木の枝に火を灯すのはアルヴィンさんだ。アルヴィンさんは火の魔術は使えないらしいのでどうやって火を灯すのだろうと見ていると、荷物の中から艶やかな黒色をした石を二つ取り出した。アルヴィンさんが二つの石を擦るようにぶつけると、小さな火種が散った。火種はすぐに木の枝に移り、やがて木の枝全体を炎で包み込んだ。
「おぉー……、そんなに簡単に火が付くんですね」
「火の魔石だ。威力は見ての通りだから戦闘には役立たないが、火の魔術が使えない人間にとっては生活に必須なものだ」
確かに、小さな火種が生まれたくらいだから、戦いには使えないかもしれない。感覚としてはライターやマッチのようなものだろうか。
ドラコ村では、リーサさんが炎の魔術を使えたため、料理中は専らリーサさんの魔術にお世話になりっぱなしだったが、魔石があれば誰かの魔術に頼らなくても済みそうだ。
「……そもそも魔術が使えれば、もう少し役に立てそうなんだけどなぁ……」
アルヴィンさんが灯した火を見つめながら、小さく呟く。
一応私は、『魔力枯渇』という症状に陥っていたわけで、それはつまり『魔力を持っている』ということらしいのだが、アルヴィンさんが持っていた『魔力を感知する鉱石(導石、というらしい)』は、私に何の反応も見せなかった。
魔力を持っているのか、持っていないのかがはっきりしなかったため、手っ取り早く魔術が使えるのか、ドラコ村滞在中に試してみたことがある。アルヴィンさん曰く、『魔術とは、体内に魔力があれば呪文一つ唱えれば発動出来る』との事だったので、アルヴィンさん監修の元呪文を唱えてみたりしたのだけど、結果は実らず。呪文を唱えた後に訪れた静寂が、いたたまれない羞恥心を与えただけだった。
結局、私が魔力を持っていないのか、それとも魔力はあっても魔術が使えないだけなのか、詳しいことは何もわからなかった。単純に、異世界人だから魔術が使えない、ということだけなのかもしれないけれど。簡単な生活魔術が使えるようになれば、少しは道中役に立てそうなものだけど……。残念ながら、ないものねだりだ。
「世の中には、魔術が使えない人もいる。気にすることはない。……リーサが、リオは料理が上手いと言っていた。期待しているぞ」
私の呟きを聞いてか、アルヴィンさんが言う。
そうだ、私は確かに魔術が使えないけど、使えないからこそ、今自分で出来ることを精一杯しなくては。
「……はい、頑張ります! 私、川で水を汲んできますね!」
私は近くに見えた川へと向かった。
手元にある食材は、リーサさんに貰った燻製とパン、森の中で見つけた薬草類と、アルヴィンさんが獲った動物の肉だ。
豚らしき動物は、私が川に水を汲みに行っていた間に獲り、その間に下処理まで済ませてくれていたらしい。川は見える範囲にある場所だったし、水汲みにそう時間をかけたわけでもないのに、戻ってきたら生肉が用意されていたものだから驚いた。……次からは下処理のやり方を見せてもらうべきだろうか。スーパーでパックに入れられたお肉しか見たことの無い私は、動物の処理方法など知識でしか知らない。正直、あまりグロテスクなものは得意ではないけれど、怖いからやりたくない、など言っている場合ではない。少しでも、自分で出来ることは増やしていかなければ。
「アルヴィンさん、これってなんのお肉なんですか?」
「モーピッグだ」
「モーピッグ? ……ただのピッグではなく?」
「白黒の斑点模様が特徴の魔物だ。それほど強い魔物でもないし、味もいいから、専ら食用として使われている」
「魔物⁉ え、魔物って食べられるんですか……?」
「中には体内が毒素塗れで食べられたもんじゃない魔物もいるが、食べられる魔物は少なくない。角や革といった部位が装備や薬の素材になることもある」
「へぇ……、魔物、なんですねこれ……」
魔物が存在するということを聞いた時から、いつか出会うだろうと覚悟していた。一体どんな恐ろしい魔物がいるのだろうかと思っていたが、まさか初めて見る魔物が、綺麗に下処理されたピンク色の肉塊だとは。別に魔物に襲われたいなんて自殺願望はなかったけど、なんだか少し複雑な気持ちになってしまった。
それにしても、魔物とはただ危険な生物なのかと思っていたが、食用になり、装備や薬の素材になるという中々有用な生き物らしい。危険な生き物であり冒険者たちが討伐を続けているのにも関わらず魔物が絶滅しないのは、魔物が危険であると同時に利用できる存在でもあるから、という理由もあったりするんだろうか。
「……魔物の肉に抵抗があるなら、他のものを獲ってくるか?」
「え? いえ……、大丈夫です。私が住んでいた所には、郷に入っては郷に従えという言葉があるんです。『新しい土地に来たら、その土地の風習や習慣に従うべき』って意味なんですけど……。私も、この世界の習慣に慣れないと」
「……そうか。あまり無理はするなよ」
何となく、アルヴィンさんがもの言いたげな表情を浮かべていた気がしたが、アルヴィンさんはそれ以上何かを言うことなく野営の準備を再開した。アルヴィンさんの様子が気になりつつも、私は未知の食材であるモーピッグの調理に取り掛かった。