10話 初めての笑顔
本を読んでいると、コンコンと軽いノックの音が部屋に響いた。
「はーい? どうぞー」
きっとまたダン君が遊びに来てくれたのだろうと軽く返事を返すと、一拍の後に扉が開かれる。
「……え、アルヴィンさん⁉」
まさかの人物に私は思わず椅子から立ち上がった。
アルヴィンさんは度々この家に顔を出すことはあったし、勿論話すこともあったのだけど、部屋にまで来たのは初めてだったのだ。
「具合はどうかと様子を見に来たんだが……。あぁ、すまない、読書の邪魔をしてしまったか?」
「あ、いえ、大丈夫です。体調の方も皆さんとてもよくしてくださって、お陰様で出歩くのにも問題ない程度に回復しました」
「それは良かった」
「おや、アルヴィンさん。そんなところで突っ立ってないで、ほら入った入った」
アルヴィンさんの背後から、ティーポットとカップを持ったリーサさんがやってきた。
あけ放たれた扉から敷居を跨ごうとしなかったアルヴィンさんの背中をぐいぐいと押し込み、私の正面に無理やり座らせたかと思うと、てきぱきとお茶を淹れ始める。
「いや、俺は長居するつもりは……」
「何言ってんだい、いつもはダンがいるせいで二人でゆっくり話したこともないだろ? その内、二人で王都まで行くってんだし、ここらで親睦を深めておいた方が、旅も気楽になるってもんさ。折角なんだ、ゆっくりしていきな」
突然のことに呆気に取られている間に、お茶を淹れ終わったリーサさんはさっさと部屋から退室してしまった。
残されたのは、棒立ちの私と、無理やりソファに座らされたアルヴィンさんと、湯気の立つティーカップが二つ。
「……とりあえず、座ったらどうだ?」
ぽつりと呟かれたアルヴィンさんの言葉に、私はおとなしくソファに腰を下ろした。
「……すまない、顔を出すだけのつもりだったんだが……、あの様子だとすぐに帰ろうとしても止められるだろうな」
「あ、いえ、私はいいんですが、アルヴィンさんお忙しいんですよね? お時間大丈夫ですか……?」
アルヴィンさんは、どうやらとある人物を探すために原始の森――私が倒れていた場所だ――に訪れていたらしく、私を見つけたので一時ドラコ村に帰還したのだけど、現在も引き続き原始の森の探索を続けているらしい。残念ながら、いまだに探し人は見つからないらしいけど。
「問題ない。あぁ、そうだ。あなたに紹介する予定の魔術師から連絡が来た。あちらも早く君に会いたいと言っていた」
「その魔術師さんって、今アルヴィンさんに探索を依頼した人でもあるんですよね? ……探している人、見つかりそうですか?」
「いや、それが何の手掛かりもなくてな……。人がいた痕跡もないし、既に原始の森から離れているのか……。ひとまず捜索の依頼は中断し、あなたを王都まで連れていくことを最優先事項にすることが決定した」
「えっ⁉」
「このままむやみに捜索を続けた所で見つかりそうにもないしな。……こちらのことは気にしなくていい。あなたは、あなたの居場所に帰ることだけを考えていろ」
「……はい。ありがとうございます」
居場所、という言葉に、脳裏に浮かんだ幼馴染の姿を何とかかき消す。思い出せば思い出すだけ、今傍にいてくれないことを嘆いてしまいそうになる。
気落ちしそうになる心を奮い立たせていると、ふとアルヴィンさんが私の隣に置いていた本を指さした。
「その本、懐かしいな。俺も小さい頃に読んだことがある。……この世界を知ろうと勉強していたのか?」
「あ、はい。私にはこの世界の常識が全く分からないので、少しでも何か知ることが出来たらと……」
「……突然見知らぬ世界にやってきてしまったというのに、リハビリといい、読書といい、あなたはとても前向きに元の世界へ帰るための努力を重ねているんだな」
「……なんとしても帰りたいんです。残してきた人達がいるので……。きっと心配してる」
「……俺にはあなたを帰してやることは出来ないが、少なくとも外敵からの脅威から守ることと、この世界の知識を教えてやることは出来る。……あまり一人で悩まないようにな」
そう言うと、アルヴィンさんは私の頭をくしゃりと撫でた。
「あ、りがとうございます……」
……余計なお世話かもしれないけど、アルヴィンさんは自分の目の力強さを自覚した方がいいと思う。そんな目で見つめられ、そんな言葉を聞かされれば、変に勘違いしてしまう女性がいるんじゃないだろうか。
強い意志を秘めた菫色の瞳に見つめられて少し落ち着かない気持ちになった私は、話題を変える選択肢を選んだ。
「そうだ、この本に魔術のことも少し書かれていたんですが、アルヴィンさんも魔術って使えるんですか?」
「あぁ。とはいっても、俺は戦闘では剣を中心としているし、あまり得意ではないんだが……」
そう言うと、アルヴィンさんは掌をかざした。
ピキピキ、と乾いた音が響き、一瞬肌に冷気が触れたかと思うと、一瞬のうちにしてアルヴィンさんの掌の上にいくつもの氷の結晶が生み出される。
「わ、ぁ……! これは氷の魔術ですか?」
「そうだ。俺は氷、風、光の三属性持ちだ。その中でも最も氷との相性がいい」
アルヴィンさんの掌をまじまじと見つめた私は、ぐいっと身を乗り出して氷に触れてみる。――冷たい。私の体温で少し溶けてしまったのか、表面の水気が増した。何処からどう見ても、本物の氷だ。
「……夏場にはとても重宝しそうな魔術ですね。この氷、食べるのも問題ないんですか?」
「…………魔術を見て真っ先に思いつくのが、食べることなのか」
ふっ、とアルヴィンさんは思わず息を零した。どうやら笑われてしまったらしい。
……食いしん坊だと思われたのだろうか。
「この氷は食べることも可能だ。食べてみるか?」
「……遠慮しておきます! ……今は」
完全に面白がった様子のアルヴィンさんに、ふいと顔をそむけたものの、ちょっと魔術で出来た氷を食べてみたいと思ったのも事実。
そんな私の心情を察しているアルヴィンさんは、暫くの間くつくつと笑顔を浮かべ続けていた。
よく考えればこの時初めてアルヴィンさんの笑顔を見たんだけど……。内容が内容だったのでなんだか複雑な気持ちである。




