#5 戦の眷属
【#5】
そして、時は今に至る。
「と! いうわけで」
アクセルリスは歯を見せて不敵に笑う。
「後はお前だけだよ、ゼットワン。それにしても疲れた……」
キザに気取ってはいるが、その実疲労困憊のアクセルリスであった。
「お疲れさまだ、アクセルリス」
檻の中から満足げなカイトラ。
そんな様子とは真逆のゼットワンは、震えた声音で話し出す。
「…………ふ、二人を倒したのか、お前」
「ま、端折って説明するならそうなる」
「!」
それを聞いたゼットワンの選択は早かった。
「おっと!?」
彼女は瞬時に消えた。
アクセルリスの手は虚空に放置された。
「……逃げ……逃げるんだ……!」
ゼットワンは自分が端になるように『領域』を貼り、その端から端へと高跳びしたのだ。
そして今、再び貼り替える。再び端から端へ跳ぶ。
これを繰り返し、ゼットワンは一行から逃げる手段としたのだ。
「成程。行き当たりばったりの傭兵頭で良く考えたものだ」
「って感心してる場合ですか!? 追った方がいいんじゃ!?」
「とは言うものの、わたしはこのように牢にブチ込まれている」
「私は速く走るの向いてないし?」
「疲れるからパスするわ」
「んひぃ~」
というわけで、アクセルリスは一人でゼットワンを追う羽目となった。
◆
無論、ゼットワンもやけっぱちで逃走を始めた訳ではない。
(この先──この先に必ず、依頼主たちが守ろうとしている何かがある──それを奴らに奪われなければいいのだ、要するに!)
窮地に立たされなお一層、頭が回る。否、立たされたから、だろうか。
ともかく、ゼットワンは生き延びるため、ただそのためだけに今必死になっているのだ。
そういう点ではどこかの誰かと似ている。
「!」
走るのその視界に映る、何か意味ありげな祠。
「あれだ、間違いない!」
時間が無い。中に何があるかもわからない。ともすれば、祠ごと回収するのみである。
「よしっ!」
祠を持ち上げようと手を回した瞬間、一人の魔女と目が合う。
アクセルリスではない。彼女は。
「あ──」
ゼットワンには見覚えがある。無い筈が無い。
依頼人。魔女枢軸の構成員。すなわち、戦火の魔女の側近。
「ゼットワン様? 貴女、今何を?」
「……奴らを、邪悪魔女を押し留める作戦は失敗した。ゆえに、私は隊長として、判断を下した」
「『ブツの保護』……ですか」
「その通りだ。切れ者で全く助かる」
「ふむ。貴女のその判断はきっと正しいのでしょう。傭兵らしい判断力です」
ほっと胸をなで下ろすゼットワン。しかし。
「ですがわたくしの依頼は《パーティーメイカーズの排除》。誰もブツを保護しろとなど言っておりません」
「……は?」
「つまり。貴女は依頼達成失敗、並びにその隠蔽として余計なことに手を出してしまうという、禁忌を二つも犯した」
「ま……待て、私はよかれと思って……」
「ゆえに。貴女を粛清します」
「んなッ……!」
反論しようとしたが、やめた。側近のその眼を見て、『本気』と判断したからだ。
「……ッ!」
やるしかない。ゼットワンの決意は、必勝の盤を創った。
カイトラの時と同じように、ゼットワンは相手に悟られないまま《盤》を組んだ。
ただ違うのは、その手にナイフが握られていたこと。
「……」
「……」
お互いがお互いを見据え、出方を伺う。
ゼットワンはナイフを持つ高さを調整する。側近の首の高さにだ。
(……奴が何か仕掛けた瞬間に、隣のマスに移動、最小限の動きで首にナイフを突きつける……! 必勝、まさに必勝……!)
ゼットワンには勝算があった。この手法ならば必ず勝てる、と。
既に側近の首の高さは目算済み。後は奴の攻撃に合わせ仕留めるだけ──
──攻撃に合わせ。
側近はなかなか攻撃を行わない。
その右手には同じくナイフが握られていた。が、振るジェスチャーを繰り返すだけで、アクションを起こそうとしない。
(なんだ……? ブラフか? 挑発か? あるいはフェイントか? いずれにしても私は惑わされん)
決意を固めた眼で側近を睨み、睨み続けるゼットワン。
どれだけの時間が経ったか。アクセルリスが未だにこの場に現れないのはなぜだろうか。
(……いつだ、いつ動く……!)
ゼットワンもじわりじわりと焦りを感じ始めていた。
側近は澄ました顔で定期的に同じ動きを取るだけ。攻撃は一切行う素振りはない。
(……忍耐勝負か、いいだろう……!)
血眼で、側近の顔を穴が開くほどに見つめていた。
丁度その時。
「──!」
がくん、とゼットワンが眩暈を起こす。
(来た──!)
如何なる魔法かは分からないが、明らかに側近のもたらした事象。
ゼットワンは瞬時に側近のすぐ隣のマスに移動する。
「!」
よろめいてしまったため、ナイフは振り被り直す必要があったが、そのロスもわずか数秒。
(勝った──)
彼女は勝ちを確信した。
とん、とその体が軽く押される。
「──」
ナイフを振り被り、振り下ろすよりも小さく素早い動き。
「──ガッ!?」
ゼットワンの体を突き刺すような痛みが襲う。
側近を殺すこと叶わず、激痛に耐え後ずさる。
「な……なんだ……!?」
ふらふらと足踏みをするゼットワン。抑える胸は怪しげな熱を孕み、反対に体中の血の気は抜けてゆく。
「ぐ……!?」
熱──それは、血の熱だった。
「血……!?な、ぜ……!?」
力を失い、自然に首が垂れる。そしてゼットワンが目にしたもの。
己の胸に深々と刺さるナイフ。
「…………!?」
既に出血は深刻なもの。そんなゼットワンの頭では、その光景を受け止めることができない。
「な──」
そして、そのまま彼女の意識は暗転した。
「……バカな魔女。彼我の力量差を見誤り、破滅する。傭兵に有るまじき失態ですね」
そう言って、側近は指を鳴らす。
次の瞬間。
祠は激しく音を立てて燃え上がった。
「まあ、初めからここにはもう用はなかったのですが」
倒れたゼットワンを抱え上げ、立ち去ろうと焼ける祠に背を向けた。
その背に声が掛かる。
「待てッ!」
「──」
側近は振り返ることなく、その声の主を汲み取った。
「残酷魔女、アクセルリスさま……ですか」
「誰だお前!? ゼットワンをどうするつもりだ!」
「答えません」
「どうせそんなことだろうと思った……! 外道魔女はみんな話通じないからな!」
勢い任せに槍を生み出す。
だが、側近は身じろぎ一つせず、言葉を続ける。
「戦うこともやぶさかではありませんが、わが主から命じられております故、この場は穏便に対処したいと思います」
指を鳴らす。それに応じて、どこからか赤黒い煙が満ち、その姿を煙に巻く。
「では、ごきげんよう」
「うわ、逃げる気か! トガネ、眼貸して!」
〈ダメだ! この煙、ただの煙じゃねえ……!〉
「く……そんなことだろうとは思ったけど……!」
アクセルリスはがむしゃらに槍を振り回したが、手応えが残ることはなく、やがて煙が晴れた。
「……逃げられたか」
小さな苛立ちのまま、石ころを蹴飛ばした。
「今の煙……色といい、魔力といい……聞いてた通りの奴だったね」
〈ああ。《戦火の魔女》ってやつのお仲間さんなんだろ、あいつ〉
「ちぇっ! いいチャンスだったのになあ」
逃した魚は大きい。愚痴をこぼしつつも、ふと一つ心に残ったものがあった。
「……にしても、あの声どこかで……」
〈なあ主、何してんだ? とっとと戻ろうぜ、このいやーな魔力をこれ以上浴びたくねえよ〉
「ああ、うん。そうだね。お腹も空いたし、早く帰ろっか!」
アクセルリスには少し引っかかるものがあったが、彼女の食欲の前ではあまりに些細な問題すぎた。
「まったく先輩方……私のこと酷使しすぎだと思わない?」
〈主がバカ元気だからだろ〉
「バカは余計じゃ!」
〈グエーッ〉
軽く毒を吐き、制裁されるトガネ。もはやおなじみの光景。
〈……冗談はさておいて〉
「いつも冗談のつもりだったのか」
〈確かに今日の主は東奔西走大忙しだったな。オレがいたわってやるぜ!〉
「いや、あんたにいたわられても……」
〈そんなぁ!〉
「でもまあ、いたわりは欲しいね。ヴェルペルギースに戻ったらタランテラさんの店に……行……」
アクセルリスの言葉が不意に止まる。
〈どうした?〉
「……パーティーメイカーズだ」
〈え?〉
「パーティーメイカーズ! そうだよ! ずーっと忘れてた!」
〈え、え?〉
鬼気迫るアクセルリスにトガネはたじろぐ。
「今日の任務! なんかもう慌ただしくてずっと気にしてなかったけど! パーティーメイカーズの任務じゃん!」
〈そ、それが?〉
「パーティーメイカーズの任務は一つ! 邪悪魔女の夜会に並ぶ絶品の料理を選ぶこと!」
かつてないほどの勢いでトガネに迫る。
「だから! だから今日はいっぱい美味しいもの食べられると思って期待してたのにーっ!」
〈ステイ! 主ステイ!〉
「……だのに」
小さく震え、天を仰ぎ、叫んだ。
「だのになんだこの状況はーッ!」
悲しい咆哮が響いた。
【続く】