#3 伝説が故
【#3】
ヴェルペルギース某所。
扉を蹴破り、アクセルリスたちは侵入する。
そこには、一脚の質素な椅子。
そして、それに座す一人の──魔女。
「おや。来客かい。待ちかねたよ」
オレンジ髪の、掴み所のない雰囲気を漂わせる魔女。
「──コック・リバラヘッド」
「──本物だ、初めて見た……」
リバラヘッドはゆっくりと視線を二人に向ける。
「きみは邪悪魔女の。また会うとは、奇遇だ」
再開を歓迎することもせず、アクセルリスは詰め寄る。
「洗いざらい話してもらいます、今回の件について」
「うん。私もそうするつもりだ。だが、如何せんどこから話せばいいものか」
「何を悠長に。言わぬのなら、無理矢理にでも吐かせます」
タランテラの口元から触覚が見え隠れする。あれを使うつもりか。
「大丈夫だよ、うん。そうだね、まずは誤解を解いておこうか」
〈誤解だと?〉
「今回の騒動、店荒らしの黒幕はわたしじゃない」
「……は?」
面食らうアクセルリス。タランテラは驚きのあまり、ムカデを零してしまう。
「言い逃れする気ですか? 私たちにそんなのは通用しませんよ」
「言い逃れじゃあない。事実さ。ホラ、わたしには敵対の意志はない」
両手を上げて立ち上がる。その体に武器の類は見受けられない。
「嘘は言ってない……みたいですね、アクセルリスさま」
〈うーん〉
「……そうだね」
アクセルリスの野生の勘も、目の前の魔女は敵ではないと囁く。
「ならどういうことなんです?」
「黒幕はわたしじゃない。そのままの意味さ。わたしが命令して店荒らしを行わせていたわけじゃない、ということさ」
「──」
アクセルリスの頭の中はもうぐちゃぐちゃだ。
「そもそも。彼らの経営を傾けたいのなら、私が直に出店した方が早くて効果的だ。そう思わないか?」
「……確かにそうです」
言われてみれば納得できる。
なにせリバラヘッドは《伝説のコック》。彼女がヴェルペルギースの何処かに店を出せば、それだけでタランテラを初めとする中小料理店の経営はガタガタになるだろう。
「なら、この騒動は一体何なんです?」
「そうだねぇ。『狂信者』かな」
「狂信……?」
「わたしの事を狂信する痴れ者な魔女が招いた事態ってコトさ」
「そんなのがいるなんて……伝説のコックってすごい……」
「たまったもんじゃあないけどね、当事者からしてみれば」
「どういう経緯でこういう状態に?」
「不意討ちさ。これでも一応護身術は身に付けているんだが、流石に不意討ちじゃ無理がある」
「逃げ出そうとはしなかったんですか?」
「した。というか、逃げようと思えばいつでも逃げられる」
〈じゃあなんで〉
「わたしが居なくなったのに気づいたら、そいつはどんなことをすると思う?」
「……血眼になって街中探し回ったり……?」
「そうその通りだ。そして、そいつはわたしを監禁するにまで至った者だ。いったいどんな手を使ってわたしを探し出すか、想像もつかないだろう」
リバラヘッドの言う通り。彼女はヴェルペルギースの安穏を守る為、甘んじてここに残っていたのだ。
「……なるほど、掴めてきた。となると、その者はそうとうな影響力を持ってるのか……?」
「そうですね、アクセルリスさまの言う通りです。大勢を己の配下として店荒らしに関与させたんですもんね」
「そういう系の魔法を使うのかな。記憶にある限りの外道魔女にはそういうのいないと思うけど……」
〈百聞は一見に如かずだぜ! とっととそいつをブッ叩こうぜ!〉
「うん、そうだね。トガネも私に似てきたね」
〈だろだろ!〉
「ともあれ、後はその魔女を探すだけですが……」
「その必要はないよ。彼女は定期的に戻ってくるからね」
「そうなんですか?」
「ほら、今も」
リバラヘッドが指差す先。そこに居たのは黒い影。
そして、飛来する包丁。
「な」
〈危ねェ!〉
間一髪、トガネがその影に入り込み、動きを制圧する。
「ナイストガネ!」
〈褒めてくれ! そろそろ!〉
「包丁を、人を傷つけるために使うなど……!」
憤慨を露わにするタランテラ。
「何者ですか!」
「私の名は、《サーディン》、《信心の魔女》サーディンだ!」
その目は正しい位置を見ていない。
「き、き、き貴様ららこそ、な、な、何者だ」
「店荒らしを止めるためにここに来た。お前が全ての元凶だな」
「げ、げ、げ元凶とは人聞ききの悪い、私はリバラヘッド様の素晴らしさを広めるためにこの行動に出たのだ」
「己の魔法を使って、一般人を洗脳してまで?」
「せ、せ、せ洗脳ではない。私と同じ価値観を分け与えてやったかたちだ」
サーディンの目は正気の色をしていない。
「そっか」
アクセルリスはため息を一つ。
「狂信そのものだね……これは少し手荒になっちゃうかな」
手元に短剣を生み出す。
そんなアクセルリスをタランテラは手で制する。
「いえ……あくまで私は、彼女に語り掛けます」
「タランテラさん」
タランテラは懐から包丁を取り出すが、それをリバラヘッドに渡す。
「包丁は、けして人を傷つけるものではない。そのことを証明したいんです」
「……分かったよ。けど、どうする気?」
「10秒。10秒だけ、彼女の動きを止めてください。私も手伝いますから」
タランテラはそう言いながら耳から小さなムカデを引き抜く。
「了解っ!」
アクセルリスは駆けた。タランテラを信じて。
「リバラヘッド様から、離れろォ!」
包丁を両手に構え突っ込むサーディン。アクセルリスも正面を切る。
「死ねぃ!」
カキンと刃がぶつかる音。アクセルリスの短剣は的確に包丁を抑えていた。
「……うん、筋は甘い。素人だ」
「き、きさま……!」
「よいしょっ!」
力で勝るアクセルリス。サーディンを包丁ごと押し返す。
「う、う、う、う」
よろめくサーディンの顔面を、アクセルリスの靴底が掠める。
「く、く、バカめ、蹴り一つ、入れられないかァーッ!?」
「うん、これでいい」
「な?」
現在、アクセルリスの右脚は、サーディンから見て右側に存在している。
そのまま、アクセルリスは膝を曲げる。すると当然、脚はサーディンの首に纏わりつく。
「なにを」
「よっ!」
身体を回転させながら跳ぶ。
そして。
「ぐああっ!?」
「そいやぁ!」
サーディンに両脚を絡ませたまま倒れ込んだ。
〈……無茶苦茶がすぎるぜ。せめて魔法を使えよな〉
トガネはぼやいた。
「は、な、せ!」
サーディンはのたうち回る。
「う……想像以上に暴れるなぁ!? これが火事場のナントカか!」
アクセルリスも抑え込むが、狂信から引き出される力は想像以上であった。
タランテラが叫んだ。
「あとは、任せてください!」
「!」
目を向けたアクセルリス。
タランテラは右手の手袋を外していた。
そして、そこに見えたのは、絡まり合い、手の形を成していたムカデだった。
「はぁっ!」
腕を振る。ほどけた三匹のムカデが、身を伸ばし、サーディンの体を拘束する。
「ぐ、ぐ、ぐ、う! 離せェェ!」
「く……強い!」
「タランテラさん! 急いで!」
「はいっ!」
先程のムカデを放つ。
それは高速で這い、サーディンの耳から侵入した。
「ぐ! 入って、来るな! な! な! な…………ア……」
狂乱のサーディンは、みるみるうちに大人しくなり、ものの10秒足らずで完全に大人しくなった。
「あ……」
「……これで?」
「これで大丈夫です。私が仕込んだムカデの影響で、彼女は今極度のリラックス状態にあります」
「デカい奴みたいな、精神操作は」
「していません」
「……なるほど。という事はつまり」
「はい。語り掛けるだけ、です」
二人は拘束を解き、座り込むサーディンに向き直る。
「サーディン。聞こえますか」
タランテラが言う。
「……聞こえる……聞こえるぞ……」
「私の言葉を、聞いて下さい」
「……承った」
「……サーディン。貴女の想いは決して間違ったものではない。誰かを敬い、愛すのは、とても素晴らしいこと」
アクセルリスは固唾を飲んで見守る。
「……ですが、このような言葉もあります。『おいしい料理も、食べ過ぎたら毒』と」
「ど……く」
「貴女の行為は、まさにこの言葉通りなのです。やりすぎは、いけない」
優しく諭すように語り続ける。
「たとえ、どんなに美味な料理であろうと、無理矢理食べさせられては嫌になる。そうでしょう?」
「そう……だ」
「ならば、どんなに素晴らしいものでも、押し付けがましくその輝きを広めれば、どうなるかはもうお分かりでしょう」
「……う……ああ……」
サーディンは慟哭を漏らす。
「わたし……は…………間違って……いた……?」
「……その通りです、サーディン。分かってくれたようですね」
「あ……ああ……! わたし、は……なんてことを……!」
打ちひしがれたように俯く。タランテラはその手を握り、まっすぐな眼で見つめる。
「……ですが、過ぎたことをあれこれ言っても始まりません。いいですか、サーディン。貴女がこれからやるべきこと、分かりますか?」
「……わたしは…………」
「貴女が支配下に置いた無辜の人々を解放し、己の過ちを悔いるのです」
「それで……わたしは……ゆるされるのか……?」
「むろん、直ぐには許されません。ですが、貴女が悔やみ続けるのならば、いつかきっと許される日は来るでしょう」
「……!」
サーディンは顔を上げ、タランテラの目を見つめる。
「それは……ほんとう……?」
「ええ、真実でしょう」
そのどこまでも真っすぐで誠実な瞳に、サーディンの中で何かが決壊した。
「あ……ああ……」
上を向いたままの瞳から涙が滲み、一筋二筋と垂れてゆく。
「ごめんなさい……ごめんなさい……! ありがとう……!」
その体に縋り、泣きじゃくるサーディン。その耳からムカデが這い出る。
タランテラはその頭を優しく撫でた。
「うまくいったみたいだね」
〈だな〉
アクセルリスとトガネは、ほっと息を付いた。
「アクセルリスさま」
「うん。表に残酷魔女を呼んである。捕縛のプロフェッショナルだから、安心して引き渡してね」
「……私も、同行してよろしいでしょうか」
「いいと思うよ。サーディンの事を見届けてあげてね」
タランテラの目が決意に色めく。
「アクセルリスさまにそう言われたのならば、このタランテラ、最後まで全うしてみせます」
「……いや、そこまで気負わなくても……」
よろよろと立ち上がるサーディン。タランテラはその手を取り、優しく導いてゆく。
「では、行ってきます」
「あ、ちょっとまって」
「如何なされました?」
「えっとね」
アクセルリスはタランテラに耳打ちする。
「……かしこまりました」
「うん、お願いね」
僅かな会話を交わした後、タランテラとサーディンは牢獄であった一室を後にした。
「ふう。一件落着か」
立ち上がったリバラヘッドは大きく伸びをする。
「長らくこんなところにいたおかげで、身体が鈍ってしょうがない」
肩を回し、数回屈伸をしたのち、アクセルリスの方を向く。
「にしても、助かったよ。最悪ここで年越しも覚悟してたから」
「いえいえ。おいしい料理店が無くなるのは、私にとっても死活問題ですので!」
「本当に食いしん坊なんだね、きみは。うん。助けてもらったお礼だ、いつかきみにはわたしの自信作をご馳走してあげよう」
「本当ですかっ!?」
アクセルリスの銀の瞳がこれまでにないほど輝く。
「うん。わたしは嘘を言わないよ」
「やっ…………やったぁ~!」
今にも飛び跳ねそうなくらいに、喜びが溢れ出る。
「それじゃ、わたしはこの辺でおいとまするよ。また会おうね、アクセルリス」
「はいっ! リバラヘッドさんも、お元気で!」
別れを済ませ、リバラヘッドは消えた。
それからしばらく経った。
アクセルリスの高潮も収まったころ。
〈……なあ主〉
ふと、トガネが静かに問う。
「どしたの?」
〈魔女って、ああいうのもいるんだな〉
「……何が言いたいの?」
〈あいつが多くの人々を同じ狂信状態に落として、騒動を引き起こしてたんだよな〉
「そうだね。《信心の魔女》っていう称号からも伺える」
〈その割にはなんかあっさり説得できたし、根は良い奴なのかな。魔法も使いようによっては良い方向に発揮できそうだし〉
赤い光がフラフラと揺れる。
〈魔女になる前から誰かを想う気持ちが強かったりしたのかな〉
「……逆だと思うよ」
〈え?〉
面食らうトガネ。
〈どういうことだ?〉
「魔女ってのは、与えられた称号に応じて、魔力の性質が決定するって教えたよね」
〈どんな称号になるかはわからないんだよな。うん、知ってるぜ〉
「そして、魔力性質は、その個人の心身にも影響を及ぼす」
〈……え?〉
どうやらこれは、トガネにとっては未知の情報らしい。
「だから、魔女になったことが原因で、肉体や精神が歪んでしまった者もいる」
〈そんなこと……あるのか!?〉
「ある。例を上げるなら、カイトラさん」
〈カイトラ……触手の姉さんか?〉
「あの人の称号は《変異》。その魔力により、カイトラさんの肉体は、本人の意思とは関係なく、数十年単位で変異をする」
〈……じゃあ、あのタコみたいな体も……?〉
「あの人にとっては望まぬ姿なんだよ」
〈そんな……そうだったのか……〉
新たな世の理を知り、赤い光をきらめかせるトガネ。アクセルリスは言葉を続ける。
「だから、きっとサーディンも逆なんだ。《信心》という称号を得て、それに依る魔力の影響を受けて、あそこまでの妄信を得たんだと思う」
〈……そういう関係だったのか。なんつうか、魔女ってのも、完璧じゃあないんだな〉
「完璧な生き物なんていないよ。人間を捨てた以上、大なり小なりの皺寄せは必ず来るんだ」
〈……それは〉
主も同じなのか。
言いかけて、トガネは口を噤んだ。
これは、彼女の逆鱗に触れるかも知れない。
アクセルリスを護ることが使命のトガネである。命は流石に惜しい。
「……さて。辛気臭いのはここまで」
笑いながらアクセルリスは言った。
「帰ろっか。元気に走って、ね!」
〈……だな!〉
後10日足らずで年が変わる。
だが、彼女は、彼女たちは変わらないのであろう。
──少なくとも、もうしばらくは。
【続く】