#3 記録再演
【#3】
時は少し、遡る。
(やるしか……ない)
消えかけの意識を必死に手繰り寄せながら、アクセルリスは決意を固める。
(意識が……あるうちに……!)
「ぐ……ぐ」
アクセルリスは手首に刃を生み出す。
「なんだ? 今更なにをしようともう遅い!」
だがアクセルリスが取った行動は、スクワリドの想像を上回った。
「あ゛あ゛あ゛ッ!」
切り裂いたのだ。首に絡まる糸を。己の首もろともに。
「──な」
絞首糸から解放されたアクセルリスは、血を撒き散らしながら無様に着地する。
〈あるじーッ! 無事かーッ!〉
「ハァーッ……ハァーッ……なんとか……」
〈無茶苦茶がすぎるだろーッ!?〉
「無血は……やっぱ……ムリだったか……!」
いまだ流血は留まらない。今彼女にできるのは溢れる血を手で押さえることのみ。
「…………さて」
その眼は怒りと充血で赤く染まる。鬼気迫る顔でスクワリドを見据える。
「ヒ……ヒィ」
本能から来る恐怖心。それに飲まれつつも、己の宿敵を討たん、と必死に奮い立たせる。
と、その時。
「うっ」
ビクン、とスクワリドの体が跳ねる。
「あ……?」
〈な、なんだ〉
「あっ、あっ、アバッ、アババーッ!」
その様子はまさに、ゲデヒトニスに記憶を弄られたときと同一。
「……」
〈……〉
ふたりは固唾を飲んで見守っていた。
やがて。
「ア……」
動きの止まったスクワリドは落ちる様に俯く。
そして、呟く。
「…………うあ」
ゆっくりと顔を上げ、アクセルリスを一目見る。穏やかな、正気の眼で。
「…………え?」
魔法が解け、正気に戻ったスクワリド。そんな彼女が一番に目にしたのは。
「……お前」
首から血を流し、鬼気迫る殺意の眼差しでこちらを見据える銀色の魔女。
そんな光景を目の当たりにした者が、真っ先に抱く感情。
「ヒ……」
「ひ?」
「ヒィィィーッ!? オバケーッ!?」
『恐怖』である。
泡吐き、ぱたり、と倒れるスクワリド。
迷惑犯、鎮圧完了。
「え、ちょ?」
〈……まあビビるわな〉
「え、今の私そんなヤバい?」
〈ヤバい。早く血を止めないとヤバい〉
「ああ、そういう系? 早いとこ処置しないと」
応急処置セットを取り出そうとした丁度そのとき、アクセルリスは引っ張られるように地に伏す。
「あっ」
〈え?〉
「あー。だめか。悪いけど、あと、頼み……」
要点だけを告げ、銀の瞳は瞼に星食された。
〈あ……主!? 待て! オレ、使い方なんて分からない!〉
だがもうアクセルリスは答えない。
〈主ー!? あるじーッ!!〉
トガネの悲鳴が夜闇に響いた。
もはや、これまでか。
一方、その頃。
「害谷サ漣ュ」
複数の鉄輪に身を囚われているバズゼッジ再現体。
「これで……終わりだ」
ミクロマクロがそう言って指を鳴らすと、鉄輪は突如として収縮し、再現体の体を等分に引き千切る。
「ウ」
青白い身体がノイズに変換され、夜空に蒼く散ってゆく。
「ふう。この手法はえぐいから普段使わないんだけどね」
肩を回しながら鉄輪を回収し、ゲデヒトニスに向かい合う。
「さて。これから私は君を捕獲するつもりなんだが」
「我/捕まらない」
「その可否は兎も角として、今の私は1つの疑問を抱いてる」
双方警戒心は解かないまま、ミクロマクロは飄々と言葉を紡ぐ。
「君ほどの魔女がどうしてこんなことをしている?」
「理解不能」
「そのままの意味さ。思えば不自然なことが多かった」
己の記憶を読み返しながら続ける。
「なぜスクワリドのような凡庸な魔女に手を加えたのか。なぜ移動魔法ではなく陸路で我々から逃げたのか」
ミクロマクロの眼はしっかりとゲデヒトニスを捕らえて離さない。
「そうだろう? 今考えてみればおかしな話だろう?」
「──」
「ああ、皆まで言わないで」
何もしていないゲデヒトニスを手で制する。
流石のゲデヒトニスも、その様子に心の奥では苛立ちを覚えていたりするのだろうか。
「うん。私は推理小説が好きでね。よく読むんだ。だからその真似事も少しは心得がある」
「推理?」
「そうだ。私はこれから『君の行動原理』を推理する」
「理解不能/再度」
「といっても、ある程度の推察は出来てるんだ。後はそれを言葉に直すだけで……でもそれが難しくて……」
額に手を当て、ああでもないこうでもないと考え始める。
ゲデヒトニスは逃走を試みたが、油断ならないミクロマクロは大げさな仕草を取りながら一片の隙も見せず。
「ンー。ンッンー……よし」
言葉が固まったのか。首を振り、勿体ぶった末、言う。
「今日、アーカシャは非番だよ」
「──!」
ミクロマクロのその言葉に、初めてゲデヒトニスの表情が揺らぐ。それはほんの、ほんのわずかだが。
「……ビンゴ」
意地悪そうに口角を上げる。
「感情を抑圧しきった記憶の魔女でも、抑え切れない衝動はあるみたいだ。ねぇ?」
「──黙れ」
ゲデヒトニスは手首から半透明の触手を伸ばし、己の頭に突き刺した。
「ミクロマクロ/死」
此度は何の記憶を読み込んでいるのだろうか。
ミクロマクロは邪に微笑んだままそれを見守る。自殺願望か? 否。
空からの介入者。その刃によって触手は断たれ、記憶の解析は中断される。
「──」
ゲデヒトニスが見たのは、銀の瞳──
「遅れました! アクセルリス、ただいま到着です!」
ミクロマクロの横に滑り込んだアクセルリス。その首に巻かれた包帯は赤く滲む。
「おつかれ。結構無茶したみたいだね?」
「無茶は私の得意技ですので!」
そう言ってのけ、明るく笑う。
〈こっちはめっちゃ心配したんだぞ……〉
赤い光は朧げに揺蕩っている。
「邪悪魔女5i──否:アクセルリス」
「……私の名前を」
「ミクロマクロ/察知←何故」
「彼女らさ」
二人の背後から姿を見せたのは数体の人形。それぞれが同じ声を発する。
〈〈な、なかなか優秀な後衛でしょぉォぉ?〉〉
「──3人」
アクセルリスとミクロマクロ、二人の伝輝石。子機同士のためそれぞれを繋げることは出来ないが、親機であるアガルマトを介することで、互いの状況を把握し合えていたのだ。
「状況/理解」
ゆっくりと目を閉じ、細く息を吐く。
もはや全ては終極に至った。今回も、また。
「終焉/終結/終止」
ゲデヒトニスの身体がノイズに包まれてゆく。移動魔法が発動しようとしている。
「待って」
当然、アクセルリスの言葉に耳など貸さない。はずだったのだ。
「待ちなよ、ゲデ」
「──!」
ノイズが止む、ゲデヒトニスは振り返る。
「────ア、カ」
アーカシャだ。記録の魔女アーカシャがそこに立っていた。
「……驚いたな」
ミクロマクロはアクセルリスに耳打ちする。
「アーカシャは非番の筈では?」
「偶然です。とても不思議な、偶然」
手負いのアクセルリスを手当てしたのも他でもない彼女だった。
〈〈ゥ……クク……これは面白くなるわねぇェぇ……〉〉
「やっと会えたね、ゲデ。何年ぶりかな」
「────やめろ。私を呼ぶな。私を見るな。私は──」
「あれから何度も貴女の名を呼んだ。だからこうして会えた」
「やめろ……やめろ! 私は……おまえを!」
「殺すんでしょ?」
「──ッ!」
「驚かないよ。だって、私も貴女を殺すから」
「何を──何を言う! おまえに私は、殺せない! 殺せないのだ!」
「……ゲデ。貴女を変えてしまったのは、何なの?」
「変えた……変わった……? 私は──私は……! 分からない……!」
顔を覆うゲデヒトニス。その指の隙間からは涙が滴る。
「分からないんだ……! 私は……!」
「……そっか」
アーカシャの目も悲し気な色を語る。
「う……ううう……」
すすり泣きの音はノイズに掻き消されてゆく。
「!」
アクセルリスは反射的に飛び出そうとする、が。
「よしなよ。無粋だよ」
「……それも、そうですが」
〈〈センチメント、ね〉〉
「…………ゲデ」
一行は消え往くゲデヒトニスをそっと見守っていた。
「……」
「……」
闇の中、佇むアーカシャ。
アクセルリス達は、その寂しげな様子ゆえに、声をかけられずにいた。
「……よし、帰ろっか」
一番に言の葉を蒔いたのはそのアーカシャである。
「アーカシャ」
何か言おうとしたミクロマクロを指で制し、あくまで己の言葉を通す。
「気にしないで。これは私とゲデヒトニスの問題だから。私が終わらせるの」
「……分かった」
アクセルリスも黙ってうなずく。恐らくは、本部で待つアガルマトも。
「じゃ、行こう」
アーカシャは一行を待つことなくヴェルペルギースに向かって歩き始めた。
二人もそれに付いて行く。
「そういえば、スクワリドはどうしたんだ?」
「アガルマトさんが複数の人形で運搬しましたよ」
〈〈つつがなく確保したわぁァぁ〉〉
「そうか、ならよかった」
ふう、と息吐き、肩の荷を下ろすミクロマクロ。
「任務完了だね、今日も」
「そうですねー。急な任務でしたけど、なんとか終わらせられてよかったです!」
「そうだねー、うん」
空を仰ぐミクロマクロ。アクセルリスはその横顔を見て、少し笑った。
緊急出動任務、完了。
「……そうだ。アクセルリス、お腹空いてないか?」
「お腹ですか? 今はそんなでもないですね」
「いやぁ、せっかくだし何か食べに行こうかと思ったんだが」
「え! 行きます行きます行きましょう!」
豹変。
「うわっ。お腹空いてないんじゃないの?」
「空いてなくても行くなら行くんですよ!」
「……わからないなー……」
【うろゆめの 想いを手繰る 人形師 おわり】