#2 沈黙の中で蘇る記憶
【#2】
「……よし」
ミクロマクロの影が見えなくなり、アクセルリスは眼前の敵と向き直る。
〈どうやって無力化する、かだよな〉
「迷惑野郎とは言え、外道魔女ではない部外者だ。なるべく無血で済ませたいんだけど……」
そう言いながらも、スクワリドの攻撃を紙一重で躱し続けていた。
「死ね! 死ねェ!」
ナイフを両手に持ち、仇の首を切り裂こうと迫るスクワリド。
「……速いし」
躱せているものの、その太刀筋の速さはアクセルリスに冷や汗を流させるに足りる。
(素人とは思えない俊敏性──復讐の力がポテンシャルを引き出したか)
「はぁ!」
アクセルリスは躱し際に踏み込み蹴りを放つ。
「ぐーッ!」
後方へ大きく吹き飛ぶスクワリド。だが彼女は吹き飛びながらにナイフを投擲していた。
「よっ!」
鋼の拳でそれを弾く、も。
「かかった!」
「──!」
アクセルリスの目は捉える。ナイフに引っ付いている糸を。
それはスクワリドの指先から伸びていた。
「カッ切る!」
指を振り抜く。それに追従して、ナイフが無防備なアクセルリスの顔面を狙う。
〈主! 危ない!〉
「ふん!」
ギャリン、と甲高い音が鳴る。
「なに!?」
アクセルリスは刃を止めた。どうやって?
「歯……で……!」
「GRRRRR……!」
唸り、吐き捨てる。
「……バケモノめ!」
僅かに芽生えた恐怖心を復讐心で包み込み、ナイフを投げつつ突撃する。
「防御任せた!」
〈かしこまったぜ!〉
鋼の防壁を一枚展開する。
トガネはその影に入り込み、ナイフを妨げる。
「ちぃ……!」
「これなら小癪な糸攻撃は効かない!」
〈主は攻撃に専念してくれ!〉
アクセルリス、肉薄。その間合い、まさにゼロ距離。
「はぁ!」
先に動いたのはアクセルリス。鋼の拳で顎を狙う。この一撃で昏倒してくれれば万々歳なのだが。
「ククク……甘い甘い! シロップ吐きそうになるくらいゲロ甘だぁ!」
スクワリドは両手の間に糸を蜘蛛の巣のように張り巡らせ、拳を受け止める。
「やっぱそう上手くはいかないか!」
拳を引く。だが、それよりも早くスクワリドの糸はアクセルリスの右腕に絡みつく。
「なんて悪い手癖だ!」
スクワリドが指先を少し動かすだけで、アクセルリスの腕は大きく曲げられる。
「まずはこのイタズラな右腕からだ」
スクワリドの操作で、右腕は身体の可動域を超えて曲がろうとしている。
「うわ、わ、わ」
踏ん張るアクセルリス。だが糸によってもたらされる力は予想以上に凄まじい。
「トガネ!」
〈言われんでも!〉
飛来する防壁。その縁は刃のように鋭く、糸を易々と断つ。
「切断には弱いみたいだね!」
自由になったアクセルリスの右腕。再び鋼を纏わせ、スクワリドを討たんとする。
「おりゃあああーっ!」
「かかったな」
はっとする。罠。アクセルリスは攻撃を中断し、退こうとする、も。
スクワリドの指がくいと動く。
トガネによって弾かれていた二本のナイフが宙を舞う。
それらを導く二本の糸は空で絡み合い、軌道を歪に曲げ──
「う」
──瞬きも許されない間に、アクセルリスの首に巻き付いた。
「しまっ」
本能が危険を叫ぶ。だが、遅い。
「ふっ!」
スクワリドが指先を軽く動かす。
きゅっ、と糸が絞まる。
「う゛っ」
〈主ーっ!〉
「あ……あ……ぐ」
アクセルリスの顔色が次第に色を失ってゆき、その瞳も虚ろになる。
〈主ッ!〉
トガネがすかさず助けに入る、も。
「させるか! 影のあやかしめ!」
スクワリドが指先を手繰る。アクセルリスの身体が街灯へと引き寄せられ、吊り上げられる。
「ん……ぐ」
街灯の明かりに妨げられ、トガネはアクセルリスの影に移ることが出来ない。
〈しまった!〉
「邪魔はさせない……! 貴様は必ずここで殺す!」
「が……あ」
アクセルリスの首がより一層強く絞められ、意識も吹き飛ぼうとしていた。
(や……やばい)
ゆっくりと、水面に溶けてゆく。
「──」
ゲデヒトニスは地上から数十センチ上の位置を滑る様に移動する。
その速度はどれだけ時が経とうとも一切減衰ぜず。
「ふぅ。いったいどんな魔法なんだ、それは」
それにやや息切れしながら追いすがるのはミクロマクロだ。だが彼女もまだまだ余裕そう。
「──」
カラクリのように振り向く。
「ミクロマクロ/しつこい」
「お? 私の名前、覚えてくれたんだ?」
「ミクロマクロ/同僚←アカ」
「アカ……アーカシャのことだね。今でも仲良しなのかい?」
「我/沈黙」
「っておーい、黙ってないじゃん。ジョークとしては上々だね」
「──」
ゆらりゆらりとしたミクロマクロの態度にも、ゲデヒトニスは眉一つ動かさない。
「我/逃亡←続行」
再び背を向け去ろうとするゲデヒトニス。だが。
「逃がさないよ、もう」
ミクロマクロがそう言い放つ。直後。
「──」
神出した二匹の蛇がゲデヒトニスの体に巻き付く。
その体は甲冑のように硬質で、堅牢で、頑丈。
「私の使い魔さ。種族は《スロウスネーク》。っと、君のような魔女ならこんな説明はいらないか」
ゲデヒトニスの力ではその拘束から逃れることは出来ない。
「なに、手荒なことは避けたい。少しお話でもしよう」
「検討」
「一つ聞こう。君の魔法による記憶改竄はいつまで続く?」
「十数分/一律」
「嘘ではないよね?」
「ゲデヒトニス嘘つかない」
「そうか。信じよう。では次は──」
その時、ミクロマクロの目に映る、己の使い魔。
──首が無い。
「ッ」
ベテランの判断は敏速だった。
瞬時に後退し、ゲデヒトニスから離れる。
ゆえに、彼女の首は落ちなかった。
耳をつんざく音が鳴る。
石畳が裂かれるほどの斬撃。
それを放ったのは、勿論ゲデヒトニスではない。
傍に立つ、青白く透けた影。
「──剣の魔女バズゼッジ、か」
青白いバズゼッジはノイズを放ちながら、刃と視線をミクロマクロに向けた。
「これはなかなか、骨が折れそうだ……!」
どこからか現れた鉄輪を構え、ミクロマクロは笑った。
「糸門月舌ぜ糸雲シ糸門月?ず」
喉からノイズを撒き散らしながら、バズゼッジは二本の長剣でミクロマクロを襲う。
「っと!」
鉄輪と長剣がぶつかり合う。その度にバズゼッジと剣からノイズが散る。
「糸門月ャ糸雲ュ糸門月・糸雲、糸雲ィ糸門月?」
「まったく、不気味でやりにくいなぁ……!」
剣の魔女、バズゼッジ・マーデルラー。
彼女はあのとき、戦火の魔女に殺されたのでは? その疑問ももっともだ。
死者は蘇らない。これは天地に刻まれた理である。
ひとり、その理から外れた魔女も存在するが、彼女は既に棺となった。
ではこの様子のおかしいバズゼッジは一体?
カギとなるのはゲデヒトニスの魔法。
《記憶の魔女》である彼女の魔法は、生物の記憶を解析し、それを魔力で『再現』するというもの。
再現できるものには(理論上)制限はない。生物だろうと無生物だろうと。
つまり、この不自然なバズゼッジは、ゲデヒトニスが己の記憶にある『バズゼッジ』を解析・再現したものである。
「──」
そのゲデヒトニスは二人の剣戟に巻き込まれぬよう、位置を調整して立ち回る。
その場から逃げない様子を見るに、記憶転写魔法にも何らかの制限があるようだ。
「それは……好都合ッ!」
腕に無数の鉄輪を這わせる。その外観は手甲にも似る。
「渓谷コ漣」
仮初の手甲で再現体の刃を止める。
「さて、こんなのはどうだい?」
瞬間的に、手甲を形成していた鉄輪たちが巨大化し、再現体の腹部を打つ。
「呈巾失つ」
後ずさりよろめく。ミクロマクロの攻め手はまだ続く。
「まばたき禁止。あっという間に変わっちゃうよ」
「糸雲イ糸門月?ヲ」
巨大化した鉄輪が再現体を囲んでいた。
「レッツゴー」
ミクロマクロが指を鳴らすと、鉄輪が収縮し、再現体を拘束する。
「どうだい? 驚いたかい?」
動きを妨げられた再現体に容赦の無い拳が叩き込まれ続ける。
拡大と縮小を繰り返す鉄輪。
これはミクロマクロの固有魔法によるものである。
彼女の持つ極めて特異な魔法は、物体の大きさを2倍~半分の間を自由に変動させる力を持つ。
変化させる物体には魔力を伝わらせる必要がある為、元々が大きければ大きいほど規格操作までに時間がかかる。
が、彼女の得物、鉄輪は質量が控えめであるうえ、特殊な魔石との合金で作られている。
そのため、魔力伝達が迅速に行われ、鉄輪は一瞬の内にサイズ変動を行う事が可能となっているのだ。
と、彼女の力を紹介している間にも、戦いは続いていた。
どうやら依然としてミクロマクロの優勢のようだ。
「糸門月医ル糸雲ケ」
再現体の刃が走る。が、瞬間的にミクロマクロが消える。
残ったのは、鉄輪だけ。
「後ろだよ」
「漣」
再現体では反射的な反応が出来ない。
側頭部を狙う蹴りをモロに喰らい、その存在が揺らぐ。
「こうして、鉄輪を全てパージすることで、ちょっとばかし速く動けるんだよ。すごいでしょ?」
「隔泌・ウ言危霆ク」
「うんうん、遅い」
また消える。また蹴る。また消える。
──そんな戦いの中、ミクロマクロは目ざとくゲデヒトニスの表情を見ていた。
ゆえに、その僅かな揺れを見逃さなかった。
(魔法が──解けたか)
そんな事を一瞬察知したが、直ぐに朦朧に消えた。
今はただ、目の前のまやかしを打ち倒す。
【続く】