#2 スープの中で溶け合う心
【#2】
「おはようございます、シェリルスさん」
「おう、おはよ。ちゃんと来てくれたんだな」
「先輩の頼みですので。それで、今日は何の用事で」
「話は後。アタシの家に着いてからだ」
背を向け歩き始めてしまう。アクセルリスもはぐれないように気を付けて、その後に付いて行った。
◆
どれくらい歩いただろう。
二人がやって来たのはディアンアーノ火山地帯、その麓に位置するシェリルス工房だ。
「まあ片付いてねェけどよ、適当に座ってくれや」
「は、はあ」
とりあえず、その辺りに投げ出されていた椅子に腰掛ける。
「それで、私はなぜここにお呼ばれしたのでしょうか……?」
「決まってンだろ、特訓だよ」
「とっ……くん?」
「……あ、もしかして言葉の意味が分からねェとか……?」
「いえいえいえ! いえ! 流石に分かります!」
「だよな。そうだよな。安心したぜ」
「……なぜわざわざ特訓を?」
「アタシな、去年の料理対決に負けてるンだよ」
「そうなんですか」
「アイヤツバスだ。あの女に一杯食わされた。去年はな」
「お師匠サマが……」
確かにアイヤツバスの料理の腕は確かだ。が、それがこのようにして厄介になるとは思っても無かった。
「だが今年は勝つ! アタシは負けず嫌いだからな」
メラメラと燃える闘志が目に見える様。
だからこそ、アクセルリスの心には疑念と重圧が燻っていたのだ。
「その為にはどんな努力も惜しまない! 今日お前を──」
アクセルリスは意を決す。禍根と疑問を断つために。
「あのっ!」
「──何だ?」
「…………私でいいんですか?」
「……あァ?」
「シェリルスさんは私のことを快く思っていないはずです。それなのにどうして」
「……何言ってンだ?」
シェリルスのギラついた眼がアクセルリスを見据える。
強張った緊張感の中、シェリルスが言葉を続けた。
「アタシはお前に対してそんなこと思ったことねェぞ」
「…………へ?」
想像と真逆の答えにアクセルリスの力が頭から抜け切る。
「お前の事はカワイイ後輩だと思ってるし、未来有望な新人だとも思ってる。ネガティヴな感情を抱いたことはねェんだが」
「え……え」
アクセルリスの頭の中は暗黒星雲、あるいは遥かな銀河の果て。
「一体何を根拠にそんなこと思ってたンだ?」
「いや……私が邪悪魔女になって、初めて夜会に参加したとき……」
◇
『はん。アタシは賛成してねェけどな』
『こんな小娘が邪悪魔女?冗談じゃねェ』
◇
「って」
「…………」
シェリルスはばつの悪そうな顔。
「思い出しました……?」
「いや……アタシはそんなつもりで言ったんじゃなかったンだが」
「え……?」
もうさっきから何が何だか訳が分からない。
「お前、戦争孤児なんだろ?」
「あー……自分で思ったことはないですけど、一応そうカテゴライズされるんでしょうか。戦争で家族を失ったのは確かです」
「多くは話さないけどな、アタシも似たような境遇なんだよ」
「……そうだったんですか」
「独り残される辛さや苦しみはアタシにも分かる。だからこそ、邪悪魔女という過酷な立場に身をやつす必要もねぇんじゃねえか、と思って」
「……そういう……」
そういう事だったのか。アクセルリスは歯車が噛み合うかのように合点がいった。
「…………お心遣い、感謝します」
礼を述べた後、拳を握り掲げる。
「……でも、私はそこまでヤワじゃありません。家族のためにも、私は今を強く生きるんです」
「……」
「そして、いつの日にか必ず復讐を果たす。その為なら全てを我が糧にする。楽しいことも、辛いことも、悲しいことも、苦しいことも、全部、全部」
ゆっくりと拳を降ろし、にっこりと笑った。
「それが私の生き様なんです」
「……そうか。どうやらアタシの早合点みたいだったな、悪ぃ」
恥ずかしそうに頬を掻き笑った。
その笑顔を見て、アクセルリスは確信した。
(なんだ、この人──不器用なだけなんだ)
「…………お前の信念は充分に伝わった。だが、だからこそ、一つ忠告しておかなきゃいけねェ」
「なんでしょう?」
「お前の師──アイヤツバスのことは、今だ信用できない、という事だ」
シェリルスのギラついた眼はその言葉の強さを裏付ける。
「……そうなんですか」
「ああ。あいつはどうにもいけすかん。特にあの表情──いっつもニヤついて、目の色も分からねェ。それがアタシは不安でしょうがないんだ」
「……分かりました。私も他者の意見にとやかく口を挟むほど無粋ではありませんから」
「飲み込みが早くて助かるぜ、全く」
目を見合い、静かに笑った。
「……よしッ! じゃ、しがらみも解けたことだし、作戦会議再開だ!」
「はいっ!」
元気よく仕切り直す二人。こういう面では最も息の合った組み合わせだろう。
「アクセルリス、料理はできるか?」
「一応はできます。得意というわけではないですけど……」
「百聞は一見に如かず、だな。あるもん自由に使っていいから、何か作ってみてくれ」
「分かりました。キッチンお借りしますね!」
アクセルリスが作り上げたのは鶏肉ステーキ。やはりというべきか。
シェリルスはナイフとフォークを鮮やかに操り、それを食べる。普段の態度からは想像もつかない、まるで王族のような優雅な仕草だ。
「……んー、ん」
一口一口深く噛み締め、味わい、飲み込む。それを繰り返し、すぐに食べ終わる。
「どうでしたか」
「ん。流石はあいつの弟子、悪くはねェが……これじゃあアディスハハにも勝てねェな」
「おーん、そうですか……アディスハハ料理上手いですもんね」
「だが安心しろ。アタシと組んだなら、その腕前を数倍にまで引き上げてやるさ!」
「おお! 頼もしいです!」
勢いに乗って走る。疑問は後から付いてくる。いつものアクセルリスである。
「……シェリルスさんは料理が上手なんですか?」
「お? 知らんのか? アタシは料理の腕前には自信があるんだぜ」
「マジですか!」
「マジだぞ! 邪悪魔女で一二を争うくらいだ!」
「わぉ! すっごい頼もしいです!」
「今年こそアタシが勝利を掴む! 打倒アイヤツバスだ!」
「お師匠サマと対立するのは複雑だけど……勝負事なら手加減はしてられませんね!」
調子に乗りこなし勢い付く。が、募る不安もまた事実。
「……でも勝てるでしょうか」
「おいおい、いきなり弱気になるなよ」
「でも相手は師匠コンビですよ? それが手を組んだらどれだけの力を持つか……未知数です」
己の師匠がいかに素晴らしい人物かは自身が一番知っている。だからこそ、アクセルリスは取り止めの無い不安に駆られていたのだ。
そんな彼女をシェリルスは怪訝な目で見つめる。
「なんだお前、知らないのか? アタシの師匠は──」
◆
ところ変わって魔都ヴェルペルギース。
ケイトブルパツ地区に存在するアパートメント。その一室に二人の黒い魔女がいた。
「邪魔するわ」
「あまり片付いていないが、まあ適当にしていてくれ」
黒コートの魔女アイヤツバスと黒鎧の魔女バシカルだ。
ここはバシカルの自宅。
自宅とは言うものの、バシカルは任務や職務の都合上、戻らないことも多い。なので実質的にはカーネイルの住居となっている。
さて、彼女らは何が目的でここに集まったか。答えはシンプル。
当然、作戦会議である。
「お前と組めたのなら百人力だ」
「うふふ、ありがと」
「……で、今日はお前に折り入って頼みがあるのだが」
「料理を教えてほしいのでしょう?」
単刀に斬り込むバシカルに対し、アイヤツバスもまた直入で斬り返す。
「……お見通しか、まったく」
「誰だって分かるわよ、うふふ」
「では、早速だが、私の手料理を試食してはくれないだろうか」
「百聞は一見に如かず、ね。分かったわ」
「助かる」
バシカルは言うとすぐに立ち上がり、真っすぐキッチンへ向かった。
(ふふ……熱心ね)
(さて……)
アイヤツバスもバシカルもけっこうな回数この料理大会に参加している。
が、こうやってコンビを組むのは意外にも初めてなのだ。
なので、バシカルの腕前はアイヤツバスにとって未知数。
(魔女機関の執行官サマの手腕は、如何ほどかしらね)
バシカルがキッチンへ向かってから数分。
「……」
アイヤツバスは物音に聞き耳立てていた。
「……ふぅん」
彼女の耳が捕らえていたのは、火を付ける音とグツグツと何かが湯立つ音。
(包丁の音は全く聞こえてこなかった……事前に用意していたのかしら? バシカルならやりそうだけど)
あれやこれやと思案を巡らせていたが、答えは出ない。あと少し経てば分かる話だ、とアイヤツバスは軽く息をした。
それから更に数分後。
「待たせた」
バシカルが皿を持って戻ってくる。鎧の上にエプロンを付けた奇ッ怪な姿で。
「早かったわね?」
「簡単な料理だからな」
「じゃ、頂こうかしら」
「召し上がれ」
アイヤツバスの前に出された皿。その上には──
「──え?」
目を疑った。夢なのかと思った。だが夢ではない。
「──これが?」
「そうだ。僭越ながら、私の得意料理だ」
「…………嘘でしょ」
その皿の中にあったのは、茹でられたシノビジーン一本。のみである。
「これが……料理?」
「そうだ。ぜひ味わって食べてくれ」
どうやらバシカルは本気の様だ。彼女のまっすぐな瞳には一筋の曇りも見えない。
だからこそ、どういったコメントを返すのが最適解なのか、知識の魔女にも分からないのだ。
「……あのねバシカル」
意を決した。
「なんだ? 食べないのか?」
「これは『料理』ではないわ」
「……?」
何を言っているのか分かっていなそうな顔。
「バシカル。これは『料理』じゃない」
「では、これは、何だ?」
「『茹でられたシノビジーン』ね」
「それはつまり料理ではないのか?」
「いや……うーん、広義に解釈すれば料理……かもしれない。とても広義に解釈すれば」
「なら料理でいいじゃないか」
「そういう問題でもなくて、ね? その、えっと……」
言葉を見失い、淀むアイヤツバス。
バシカルはただただ疑問符を浮かべているだけだった。
◆
「料理が致命的にヘタだ」
「ええ……マジなんですか?」
「マジだぞ。意外だろ」
「とっても意外です」
「そういう人なんだよ、師匠は。《執行官》という立場上、身を取り繕ってはいるが、その性根はすっげー大雑把なんだ」
「真面目というか、何というか」
「……だもんで、アタシらの敵はアイヤツバス一人ってことになる」
皿を洗いながらシェリルスは語る。
「アディスハハたちは大丈夫なんですか?」
部屋を片付けながらアクセルリスは尋ねる。
「ンー、まあ問題はないだろう。あいつら二人の料理の腕はそこそこだが……」
◆
「いっきし!」
こじんまりとしたクシャミの主はアディスハハ。
「寒いか?」
「ううん、大丈夫。多分アクセルリスが私のウワサしたんだと思うよ」
「あ、そう」
向かいに座るはイェーレリー。
二人がいるのはクリファトレシカの食堂だ。
「そんでね、そんときアクセルリスが……」
どうやら惚気話を聞かされ続けていたようだ。どれだけの間話し続けていたのだろうか、イェーレリーが口を挟む。
「なあ」
「うん? こっからが面白いんだけど……」
「そろそろ始めないか?」
「…………あ」
「私たちは料理大会の対策を練る為に集まったんじゃないのか?」
「そうだった、そうだった。ごめん、アクセルリスの話だとつい盛り上がっちゃって」
照れ笑い。
「もう始めてから2時間たってるぞ」
「えー、でも最初の方とか真面目に話してたよね」
「5分程な」
「そんな短かったけ!?」
「短かったぞ。オマエ、すぐ話逸れるからな」
「たははー、失敬失敬!」
「全く、悪い癖だぞ」
「以後気を付け魔女!」
「……なんだソレ」
「魔女ジョーク! いや、魔女ーク!」
「……おもしろくない」
「ひどい!」
様子を見るに反省の色は無さそうだ。
「……ってまた話が逸れてるじゃないか!」
「あ、本当だね!」
「いい加減! 真面目にやるぞ!」
「はーいっ!」
やっとこさ話し合いが再開されようとした、その時。
鐘の音が重く響く。ドラゴンの0、即ち正午を示す鐘だ。
「あ、お昼だ」
直後、イェーレリーのお腹の鐘も鳴る。
「……」
「お腹空いた?」
「……まあ」
「じゃ、何か食べよっか。話し合いはその後で!」
「……仕方ないな。うん。仕方ない。これは仕方ない」
◆
「……話、進まなそうだし」
「ああ……」
するりと飲み込むように理解する。様子がありありと目に浮かぶ。
「とまあ、あいつらに関しては心配するだけ無駄だろ」
「……そうですね」
「それで。これからの事に関してなんだが」
「これから……といっても当日まであと5日ありますけど、何をするんですか?」
「向こう4日はとにかく料理の練習だ。みっちり仕上げるから腹括れよ?」
「では前日は?」
「前日は──食材調達だ」
シェリルスは鋭い歯を見せてニヤリと笑った。
「ある程度の食材は魔女機関で用意される。が、勝ちを狙いに行くならコッチで調達するべきだ」
「他のチームも用意してくる可能性があるから……ですね」
「その通り! よォく分かってんじゃねェか」
「でへへ、それほどでも!」
褒められるとすぐ調子に乗る。アクセルリスの長所であり弱点だ。
「それで、調達するのは何なんですか?」
「それは当日に発表する。楽しみにして待ってなァ!」
──それから。
「肉から目を離すな! 最善の焼き加減は一瞬しかもたない! 見逃すんじゃないぞ!」
「はいッ!」
スパイスの滲むような特訓の日々が続いた。
「火を見ろ! 火と対話しろ!! 火と語り合え!!!」
「はいッッ!!」
己の影をも燃やすほどの闘志を迸らせて。
〈あっつ! あ、主! 飛び火が!〉
「うおおおおおッ!」
〈ダメだ聞いちゃいねえーッ!〉
二人の魔女は止まらない。その目に映るビジョンは『勝利』のみ。
「火加減には常に気を配れ! 初めちょろちょろ中ぱっぱだ!」
「はいッッッ!!!」
〈……いや、それはなんか違うんじゃあ……〉
──そして、4日が経った。
【続く】