#1 秋風とともに
【圧政・支配・外道女帝】
【#1】
「ん……あ」
甘い艶声が流れる。
場所はアクセルリスの部屋。声の主は当然アクセルリス。
「あっ……ん……ぅ」
絞り出るような声は途切れ途切れで聞こえる。
今、彼女はベッドでうつ伏せになっている。一糸纏わぬ姿で。
そしてさらに、彼女に馬乗りになっているアイヤツバスがいる。
「ふふ……大体わかってきたわ」
「おししょう、サマ……もっと、やさしく……」
「えいっ」
「ふゎぁぁっ!」
「すごい硬くなってる……相当ね、これは」
「しょ、しょんな……」
一際大きな嬌声。アクセルリスの眼は虚ろで、口もゆるりと半開き。
ここまで来れば、何をしているかは明らかであろう。
そう。マッサージである。
鋼鉄の留め具のせいで今だにガッチガチの肩を解しているのだ。
「……っと、こんなものかしら?」
「お……おわった……?」
「ひとまずはね」
ベッドから降りるアイヤツバス。アクセルリスも起き上がり、肩周りの感触を確かめる。
「おお、すごい軽い……!」
鋼のように固まっていた肩が、今は布のように軽い。
「お師匠サマってマッサージもできるんですね」
「《知識の魔女》だからね。一通りの生活知識は揃ってるわ」
「さっすが!」
ふと、アクセルリスは寒さを感じる。
既に秋半ば。そして今のアクセルリスは全裸。そりゃ寒い。
「これ、私全裸になる必要ありました?」
「『服を脱げ』って言ったら突然すっぽんぽんになったあなたの問題では?」
「いや、そう言われたら全裸になりますよ、普通」
「たぶん違うと思うわね」
「えー? そうですかね?」
アイヤツバスは愛弟子の貞操観念が心配になった。
「トガネ、どう思う?」
先程から部屋の隅で灯っていた赤い光に尋ねてみる。
〈知るか! オレに聞くな! っていうか、服着ろ!〉
「何をそんなに焦ってるの」
〈あのな。オレ一応生物学上はオスなんだぞ!?〉
「知ってるけど、それがどうしたの?」
〈なんかこう……ないのか!? 恥じらいとかは!?〉
「あるわけないじゃん! なんで今更あんたにそんな」
〈オレにはいいけどさ、他では気を付けろよ!?〉
「大丈夫だよ心配しなくても、他所じゃちゃんと配慮してから脱ぐから!」
〈脱ぐな!〉
魔女と使い魔は今日も仲良し。アイヤツバスは微笑んで見守る。
と、ベルが鳴る。玄関からだ。
「あら? 客人かしら?」
こんな森の奥にある魔女の住処に来訪者など少ない。故に、結構大事な要件の可能性が高い。
「じゃ、私は行くわね」
そそくさと部屋を出るアイヤツバス。
「私も後から行きますー」
〈ちゃんと着替えろよ!?〉
「分かってるってぇ!」
◆
ちゃんと着替えを済ませたアクセルリス。トガネを引き連れ、玄関を出る。
「ん、来たわね」
「おっす。元気そうだな!」
そこにいたのはアイヤツバスと竜人行商人ダイエイトだ。
「ダイエイトさん!こんにちは!」
ひょっこりと頭を出す。
「……」
ダイエイトはそんなアクセルリスをじっと見つめる。
「? どうかしました?」
「いや……アクセルリス、段々師匠に似てきたな?」
「本当ですか!」
アクセルリスの顔が明るくなる。
「ああ。具体的にはどうとか言えないけど……何となく」
「やったー! 嬉しいです!」
子供のように無邪気に喜ぶ。
「もう、この子ったら……」
とはいうものの、アイヤツバスもまんざらではなさそうだ。
「私みたいな悪い魔女にはならないようにね?」
「何を言いますか! お師匠サマほど素晴らしい魔女は他に存在しませんよ!」
「あらあら、言うようになっちゃって……」
二人から顔を背けるアイヤツバス。
〈あーっ。創造主顔あかーい〉
「ちょ、ちょっとトガネ……!」
「あはは、やっぱりお師匠サマにもかわいいところありますね!」
「はっはっは。相変わらず楽しそうで何よりだ!」
と、雑談に花を咲かせていた。
「……それで、そっちの子は?」
ふと、アイヤツバスが唐突に切り込む。
「?」
アクセルリスは何のことか分からなかった。身を乗り出し、ダイエイトの後方を見やる。
「!」
荷物の陰に隠れて見えなかったが、そこにはもう一人いた。
「ほら、来な」
ダイエイトが指でサインを送ると、その者が姿を現す。
それは少年。背丈はアクセルリスの半分もない。
低い背丈、尖った耳、短い角、緑の肌。どうやら種族はゴブリンのようだ。
「《バウン》だ。よろしくな」
「見ての通りゴブリンの坊主でな、用心棒をやってもらっている」
「私はアイヤツバス。この工房の主よ」
「私がその弟子のアクセルリス! んで、これが一番下っ端のトガネ」
〈下っ端ってなんだ! 使い魔! 使い魔のトガネだ!〉
「……なんか、愉快そうな奴らだな」
「あははー。まあ実際そうですよね、お師匠サマ」
「私まで愉快枠なのおかしくないかしら?」
疑念を抱いたアイヤツバスであったが、そんなものは丸めて投げ捨てた。
「それで、なんで用心棒なんて雇ったんです?」
「ん? 『アレ』の件知らないのか?」
〈アレってなんだ?〉
「超気になる!」
使い魔とその主は頭に疑問符を浮かべたまま静止する。
「《盗賊活性化》の事かしらね?」
「そうそう、その通り!」
「おお、流石お師匠サマ!」
〈……で、何なんだそれ?〉
「最近、ゴブリンの盗賊が行商等を襲撃する事件が多発しているんだ」
語り始めたのはバウンだ。
「ほう?」
〈でもよう、ゴブリンが追いはぎとかするのって、普通なんじゃないのか?〉
「普通じゃないのはその量ね。一昨日の時点で先月の3倍以上の被害が出ているのよ」
「ヒェッ……そんなに?」
「俺も襲われちゃあたまったもんじゃない、と思ってな。用心棒を探してみたら、バウンと出会ったってワケだ」
「……なるほど。ゴブリンの盗賊から身を守るために、ゴブリンを用心棒にするのか……」
「そういう事で、俺はダイエイトさんに雇われたってワケだな」
「はー、なるほどなるほど」
柔軟な逆転発想にアクセルリスは感心する。
「……にしても、なんで活性してるんだろう?」
「理由についてはまだ分かっていないわ」
「そうですか……バウン、なんか知らない?」
「……」
「バウン?」
彼は複雑そうな顔で口を噤んでいる。
「……知ってるのか?」
「……実は、心当たりがある」
「マジ?」
「話してくれないかしら。我々魔女機関にとっては貴重な情報となり得るわ」
「……わかった」
◆
バウンの話を纏めると、こう。
とあるゴブリンの集落があった。
彼らもゴブリンらしく、行商やその類を見つけるたびに襲撃・略奪を試みていた。
──『試みていた』。それはつまり、成功例が無いことを意味する。
そう。この集落に住まうゴブリンたち。彼らは略奪行為が致命的にヘタクソだったのだ。
原因は分からない。類が友を呼び、非好戦的なゴブリンだけが集まったのだろうか。
ともあれ、こんな様子ではまともにゴブリンらしく生きることは出来ない。
なもんで、彼らはある時期から己らの運命を割り切り、農耕や狩猟を生業としてひっそりと生きていた。
──そんな集落に、一人の来訪者があった。
その者は腑抜けたゴブリンたちの姿を見て、彼らの指導者となった。
それから彼らは目まぐるしい成長を遂げた。
その者は圧政と支配をもってゴブリンたちを隷属させ、骨の髄まで略奪を教え、一流の盗賊へと鍛え上げた。
反抗を試みる者も当然いた。だがそういった者たちは、たちまちのうちに排他の対象になり、惨い道を辿った。
かくして、血も涙もない極悪外道の盗賊一味と変貌を遂げたその集落が、今こうして世間を騒がせているのだった。
──そして、バウンはその集落から逃げてきたのだった。
◆
「……心当たりもなにも」
「一から十まで話してくれたわね」
「……あんたたちになら、話していいと思った」
アクセルリスとアイヤツバスは顔を見合わせる。
「お師匠サマ、どうします?」
「そうねえ、やはり邪悪魔女としてはその盗賊団を鎮圧したいところだけど……」
「バウン、今奴らがどこをアジトとしているか分かるか?」
「分かりません。俺が抜け出してきた時には、奴らはもう移住の準備をし始めていた」
「うーん、困ったなぁ」
一同頭を悩ませていた。
……実を言えば、アクセルリスはアイヤツバスの知識がなんとかすると思っているため、考えるフリをしているだけだが。
助け船は突如として現れた。
「話は聞かせてもらったわ!」
ぬっと姿を現したのは少女。死んだ妖精の森を警護する勤勉なエルフ、ファルフォビアだ。
「うわっファルフォビア」
「いつぞやは弟が世話になったね」
「いつから聞いてたの?」
「アクセルリスが喘いでたとこから」
「…………最初も最初じゃん!?」
「私は働き者だからね。森の異変は見逃さないよ」
「異変扱い!?」
「それで? 貴女はどうしてこのタイミングで出てきたのかしら?」
「知ってるよ、私。その一味の拠点を」
「本当かい!」
僥倖だ。
「勤勉だからね。奴らがいるのは《バンディーの森》」
「というと……エントラッセの隣の隣の隣町に近いあれか」
「ガセネタじゃないだろうな?」
「信用に足りるよ。その森にいるエルフからの情報だもの、偽りはない!」
「……そっか、森ならエルフがいるもんね」
光明が見え始める。
「じゃあ私、この案件を正式な任務として報告します」
「潰しに行くのね」
「はい。それが私の仕事ですから」
「アクセルリス……立派に育って……」
涙ぐむダイエイト。その横でバウンは声を上げる。
「俺も……連れて行ってくれないか」
「バウン?」
「すまねえダイエイトさん。でも俺は、自分の手でこの騒動にケリを付けなきゃいけない……そんな気がするんだ」
「……」
そのまっすぐな眼。ダイエイトはすぐに頷いた。
「いいぜ。だけど約束してくれ」
「?」
「必ず決着をつけるんだ。そして必ず帰ってこい」
「……はい!」
静かな熱に満ちたやり取りを、黙って見ていたアクセルリス。
そんな彼女に横から声が掛かる。
「私も付いて行っていい?」
「ファルフォビアが? どうして?」
「ん……まあちょっと……色々あって」
言い淀むファルフォビア。
「ま、いいけど。理由は追々でいいよ」
「……ありがと」
「ただ、足は引っ張らないでよね!」
「ヘッ、それはこっちのセリフよ」
笑いながら脇を肘で小突きあう。
それぞれの目的が交錯し、今一つの光射す道となってゆく。
アイヤツバスはその渦の中、一人微笑んでいた。
「じゃあ、バウンを頼んだぜ」
ダイエイトは去っていった。
バウンはアクセルリスに同行するため、アイヤツバス工房に残った。
ファルフォビアもまた残った。
「……あんたが残る必要なくない?」
「まあまあ、ノリよ」
「エルフわかんないなー……」
【続く】