#2 ヘドロ泉に潜むヌシ
【#2】
駅から歩いてすぐにその町はあった。名は《アッパース町》。
町には川が流れており、それを生活に用いているようである。
……もっとも、その川は今現在酷く汚れてしまっているが。
「ひどいザマですわね……」
「このままじゃ長くはもたない……」
「……急ごう」
一行は歩く速度を上げた。
町を抜け、丘を抜け、森に入り、水源である泉に辿り着いた。
──彼女たちがこれを『泉』と呼ぶことが出来たのは事前に知っていたからに他ならない。
「なんじゃこりゃあ……」
「ひ……ひどすぎる」
視界に写るはヘドロ・ヘドロ・ヘドロ。
見渡す限り汚泥に覆われ、水面は一筋も見えない。
「……」
おそるおそる足を踏み入れてみる。ぐにゃりとした感覚がアクセルリスの足裏に伝わる。
完全な固形ではない。が、この上で行動するのが不可能というほどでもない。絶妙に微妙な按配だ。
「……さて」
ヘドロ池に立った三人は、泉の中央に建立されているドームを見据える。
見たところそのドームもヘドロによって作られたもののようだ。
「見るからに怪しいですわね……」
「あの中にいるんでしょうか、スラッジ」
「他に居そうなとこもないが」
慎重に観察を続ける。
「出入り口はこちら側にはないようだ」
「槍でも投げてみますか?」
「いや、ここは私に任せてくれ」
イヴィユが懐から取り出したるは二つの機構。
〈それも銃なのか? ここから撃って届くのか?〉
「黙って見てなさい、虫くん」
〈む、虫って……主にも言われたことないぞ……〉
「私がいっつも罵倒してるみたいな言い方やめてくれる!?」
騒ぐ外野には全く気を向けず、イヴィユは黙々と作業を行う。
「これをこうして、こうやって……」
ガチャガチャと音を立てながら組み合わせ、組み立ててゆく。
「よし、出来た」
出来上がったのは先程見たものとは違う、大型の銃。
「おお……これならここからでも届くんですね!」
〈ようできてるな……〉
「そういう事だ、っと」
慣れた手つきで組み立てた長銃を構える。そして。
「……」
狙い済まし、無言のまま、引き金を引く。
──着弾。
「うわっ、うわああ!?」
絶叫。
汚泥のドームから飛び出てきたのは少女。見た感じではアクセルリスよりも年若そうだ。
「よし、行くぞ」
弾を込めながらイヴィユは先導する。
少女はすぐに近づいてくる三者に気付く。
「な、なんだお前ら!?」
「お前がスラッジだな」
「なんで私の名を!」
狼狽するその少女こそ、スラッジその人だ。
「わたくしたちは残酷魔女! 外道魔女スラッジ、神妙にお縄に付いてもらいますわ!」
「残酷魔女だと! ついに来やがったか……! だが私の覚悟は強いぞ!」
足元のヘドロが渦巻き、スラッジの周囲を取り囲む。
「やはりというべきか、このヘドロ全てを操ることが出来るようだな」
「ご名答! この池に足を踏み入れた時点で、私の術中なわけだ!」
ヘドロの触腕が三人を襲う。回避は容易いが、着弾の衝撃で足元がぐらつく。
「ち……タダでさえ足場が悪いのに!」
槍を突き立てるも、支えにもならない。トガネの支えも効かない。
「しゃーない、浮くか」
両靴の裏に小さな鋼の板を生み出し、浮かせる。これならば足場の影響は受けない。
〈つくづく便利な魔法だな……〉
「さて、と」
スラッジを捉える。休むことなく降り注ぐ触腕を右に左に避けながら、槍を放つタイミングを伺う。
「行けっ!」
隙発見。二本の槍がスラッジ目がけて飛翔。
「うわ、危なっ!」
ヘドロの壁が生え、槍を受け止める。防御的にも申し分ない性能なようだ。
「厄介だな……」
アクセルリスはぼやく。槍が効かないとなると、自ずと打つ手は限られてくる。さて、何を試そうか。
「トガネ、何がいいと思う?」
〈どうせ全部試すんだろ〉
「あ、ばれてた?」
〈オレと主の仲だからな!〉
「へへっ、言うようになったなこいつめ!」
使い魔の成長に感動を覚えながら、アクセルリスはスラッジに急接近していた。その手には鋼の拳。
「突撃ーッ!」
「ウワーッ今度はなんだーッ!」
進路を妨げるヘドロ壁を避けながらスラッジを狙う。
「見えたッ!」
走りながら右拳。肉薄。スラッジに命中しかけた、その時。
〈主危ねえ!〉
「なに!? ぐえッ!?」
トガネの警告は間に合わなかった。ヘドロ触腕がアクセルリスを横から殴り飛ばしたのだ。
「油断した……ほんとにスキ無いなぁ!」
「甘いんだよ! ばーかばーか!」
「何だアイツ! むっかつくー!」
「やーいやーい! 悔しかったら当ててみろ!」
着地しスラッジを睨みつける。
「言わせておけばチョーシ乗りやがって!」
「チョーシなんて乗りこなしてやるよ!」
挑発の応酬。トガネが呟く。
〈……なんかアイツ、主に似てるな〉
「どういう意味!?」
〈いや、そのまんまの意味……〉
「あんなアホそうな娘と一緒にしないでよね!?」
〈……いや〉
「あ!?」
〈……なんでもない〉
『自重』というものを学んだトガネであった。
(……とはいえ)
アクセルリスは真剣な眼差しに戻る。
(ヘドロを自由自在に操る魔法、攻防共に隙が無い。厄介なのは確かだよね……)
ふと、イヴィユとロゼストルムを見てみる。
イヴィユの銃撃も、ロゼストルムの風も、ヘドロの障壁を破ることは出来ないようだ。
「イヴィユさん! ロゼストルムさん!」
アクセルリスに呼びかけられた二人。その意を悟り、眼を合わせる。
「よっと」
「ふう……」
三者はヘドロ池の外に一度集まる。
幸い、スラッジは泉の外には攻撃してこないようだ。
「これではキリがないな」
「鉄壁の防御ですわね……」
「ヘドロをどうにかしないことには始まらない、か」
「何か、作戦を立てましょう」
三人の魔女が頭を捻らせる。
「固めて砕けば無力化できるんじゃないか?」
「どうやって固めるんですのよ」
「……凍らせたり?」
「氷魔法使えるんですの?」
「私はほとんど鋼の魔法しか……」
「私はご存知の通りだ」
「じゃあダメね」
「ダメかあ」
「腹ペコ、貴女は?」
「アクセルリスです。防御よりも早く殴るしか思いつきません」
「出来る?」
「出来ません?」
「ダメね」
「ダメかー」
「うーん」
「うーん」
ああでもない、こうでもないと、唸っていた。
そんなとき、トガネがコッソリ呟いた。
〈ヘドロを纏めてふっ飛ばせればいいんだけどなー〉
アクセルリスにきゅぴんと電流走る。
「…………それ」
〈え?〉
「それだよ! トガネお手柄!」
〈え、え?〉
「何か思いついたのか?」
「はい! 少し乱暴な手段ですが……上手くいくと思います」
「では聞かせてもらいますわ!」
一方スラッジ。
「……何やってんだ、あいつら?」
攻撃の手が止んだと思ったら、輪になって何か話している。
「諦めたのかな?」
しばらく見ていたところ、輪を解き再びこちらを見つめてくる。
「諦めてないし……」
警戒。彼女の周りのヘドロが波打つ。
「ま、何が来てもへっちゃらだし! このヘドロがあればね!」
この発言こそ、敵の作戦の裏付けとなることを彼女は理解していない。
「準備はいいですか」
「問題ない」
「いつでもよくってよ!」
アクセルリスとイヴィユは脇に退き、ロゼストルムは手をかざす。
「……何だ?」
大技の予兆であろうか。危機を感じたスラッジは自身の周囲にヘドロを寄せ集め、防御を集中させる。
──それこそ、残酷たちの思惑だった。
「美しき薔薇よ──その棘を解放し──天を貫く風を巻き起こせ──!」
ロゼストルムの髪が強くたなびく。
「はぁッ!」
魔力全開。彼女によって集められた風が解放され──
「うわぁ!?」
スラッジの元に集っていたヘドロを天高く舞い上げる。
「今ですわ!」
イヴィユとアクセルリスは鋼の道を走る。無防備なスラッジへと。
「しま、しまった!」
「これで終わらせる」
懐から取り出したのは手のひらサイズの銃。これまでの物とは形状が異なる。
「やめ──来るなぁ!」
「チェック」
それをスラッジの顔に近づけ、引き金を引く。
パンッ、と快音が鳴る。
「────」
気を失ったスラッジは膝から崩れる。アクセルリスはそれを抱き止める。
「閃光と爆音で意識を奪う銃……そういうのも開発されてるんですね」
「なかなかいいモノだろう?」
「はい、そう思います!」
「欠点としては……安全性を加味した結果、かなりの至近距離でないと効果を発揮しないといったところか」
〈おいおい! 呑気に喋ってる場合じゃないぞ!〉
トガネの焦った声が聞こえる。
「分かってるって!」
アクセルリスは天に手をかざす。半球状の鋼の障壁が頭上に生まれる。
直後、ロゼストルムによって巻き上げられたヘドロが着地する。
落ちてきて、当たり所が悪ければ最悪死ぬ。そんな量のヘドロだ。だが、堅牢な鋼のドームは破られない。
イヴィユは微笑み、こう言った。
「良い鋼だ」
「お褒めに預かり光栄です!」
こうして、三人の残酷魔女はそれぞれの力を結集し、無事にスラッジを生け捕ることに成功したのだった。
「う、うーん」
呻き声。スラッジの物だ。
「気が付いたか」
「はっ! ここは!」
カッと目を見開きキョロキョロと見回す。
「う……!」
己の状態に気付いたようだ。簀巻きにされている状態に。
「御用ですわ。もう逃げられませんわよ」
「離せー! くそー! このー!」
身を捩らせ暴れるスラッジに、アクセルリスは声をかける。
「スラッジ」
「なんだ!」
「なぜ今回の様な行為に及んだの?」
「……それを聞くか」
「その為に生け捕ったんだからね。話してくれると、こちらとしても助かる」
「…………復讐だ」
「……というと」
「アッパース町。お前達もここに来る途中通っただろ」
「何をされたの?」
「元々私はあそこの出身だった。でも寄りの無い身だった」
ぽつりぽつり語り始める。
「そんな私を育ててくれたあの町に、恩返しがしたかった。だから魔女になったんだ」
「魔法を役に立てたかったってこと?」
「うん。私に与えられた称号は《汚泥の魔女》。いまいち使い道が分からなかったけど、きっと何かに使える。そう思って町に帰ってきた」
「……それで」
「でも、あいつらは……あいつらは……!」
顔が紅潮し目には涙が浮かぶ。
「……ごめん。それ以上はいいよ」
僅かな沈黙の後、アクセルリスが口を開く。
「でも気持ちは分かるよ。もし私が同じ境遇だったら、同じことしてる。絶対に」
「分かってくれるのか」
アクセルリスは強く頷く。
「『復讐』っていうのは、最も強い行動原理のひとつだから」
「……よく言い切れるな、あんた」
「──私にも、覚えがあるから」
悲しげな笑顔でそう零した。スラッジは何も言えなかった。
「……ならばアクセルリス。お前はこいつをどうする?」
背後からイヴィユが問いかける。
「……同情はできるけど、私たちの仕事は外道魔女の処理。ヴェルペルギースに連れて帰り、魔女裁判を受けさせます」
イヴィユは静かに頷いた。
「満点だ」
「……どっちにしろ、捕まることには変わらないわけだ! とほほー!」
「ま、多少の擁護はしてやろう」
「乗り掛かった舟って奴ですわね、致し方ありませんわ」
「うれしくない!」
「あはは」
これで一段落。各々が一息ついた。
【続く】