#2 三月の兎
【#2】
乗員控室。左右には棚などの収納スペースが立ち並んでいる。
しかし、アクセルリスの目に敵は映らない。
「……いないね」
「奴がいくら《敏捷の魔女》といえど、この一瞬で1車両移動できるとは思えない」
「ということは、ここのどこかに隠れてる訳だね」
「不意討ち狙いかも知れない。気を付けよう」
警戒しながら、ゆっくりと歩んでゆく。
「……槍で纏めてブチ抜ければいいんだけどね」
「こういう狭いとこだと危ないから駄目だよ!」
「分かってるって。ったく、ここ最近ロクに槍を使えてない気がする……」
「さ、お喋りは終わりだよ」
半分過ぎた。気配はなかった。
「…………!」
その時。
「はッ!」
アクセルリスが鋼の剣で虚空を裂く。
──否。虚空ではない。
「手応え、あり」
振り向く。そこには腕の掠り傷から血を流すマーチヘア。
「……お前、なぜ私の動きを観測できた?」
「私には性能の良い《眼》があるんでね」
彼女の影の中、眼の位置には赤い光が輝く。
「お手柄だよ、トガネ」
〈へっへーん! 余裕だぜ!〉
「なるほど、使い魔か」
マーチヘアは血を舐め取り、嘲るように笑った。
「そいつは想定外だったが、もう問題ない」
アクセルリスは剣を、アディスハハは樹の棒を構える。
「振り切ってやる」
そう言った直後、マーチヘアの姿が消える。
「速……!」
「危ないッ!」
アクセルリスはアディスハハの背後に立ち彼女を護る。
「ぐ……ッ!」
「えっ、え!?」
何が起こったか分からない、といった風のアディスハハ。彼女ではマーチヘアのスピードに付いて行くことは困難のようだ。
「ほう?まだ付いてこれるか」
「まだまだ……遅いな!」
周囲に剣を生成し発射。マーチヘアは姿を消し回避。
「くくく。私としては、このままじゃれ合っていても構わないのだが」
後方に現れたマーチヘアはそう言う。
「なんだと?」
「この列車がニューエントラルに着くまでおおよそ20分といったところか」
「っ!」
「はてさて、お前らは私に勝ち、この暴走列車を止めることが出来るのかな?」
「……待って。もしも列車が止められなかったとしたら……あなたも巻き込まれるんじゃないの?」
「ふむ。そうなるな」
「あなたも死ぬんだよね……!?」
「今さら何を恐れることがあるか」
平然と言ってのけるマーチヘア。
「私は私の名が歴史に刻まれるのならば、例えこの身がどうなろうとも構わないのだ」
「あー……やっぱりそういうタイプか……」
やれやれ、とアクセルリス。
「そういうのが一番やり辛いんだよね。生きる執着が無い奴」
「歴史に名を遺すこと、それはつまり永遠に存在し続けることといえるだろう。ならば、この矮小な命に価値など無い」
「死人に口なし、栄光なし。光り輝くのは今を生きる者だけだ。死を忌避して必死に生きるからこそ命は輝くんだよ」
それぞれの主張が真っ向から衝突する。
「……ふん、バカバカしい」
「……そうだね。こうしている時間も、今は惜しい」
両手に剣を持ち、攻撃に備える。
(──一刻を争う状況とは言え、相手は高速移動を得意とする魔女。能動的に攻めては向こうのペースに飲まれる。ここはカウンター狙いで行く)
確実に勝つため、アクセルリスが下した判断。
「アディスハハ、下がってて」
「う、うん」
「ふ──!」
マーチヘアの姿が消える。
(来るッ!)
トガネの眼を宿している今ならば、ある程度動きを追えることが出来る。
「上ッ!」
剣を交差させ防御。
〈右ッ!〉
盾を右腕に生成し防御。
〈左ッ!〉
体を回転させ、右腕の盾で再度防御。
〈真ッ正面、ど真ん中ッ!〉
「待ってましたッ!」
眼前に剣を投擲。それが弾かれると同時に、鋼を纏わせた強烈な前蹴りを放つ。
「ぐ──!」
ゴロゴロ転がり壁に叩き付けられるマーチヘア。
「これは、これは。手痛い一撃だ」
「あんたなんかがアクセルリスに勝てるわけないんだよーっだ!」
アディスハハのヤジが飛ぶ。同時にアクセルリスの槍も飛ぶ。
「フン、仲のよろしいこって」
その槍を蹴り上げる。天井に突き刺さり、細かい瓦礫が落ちてくる。
〈壁際に追い詰めたぜ!このまま圧殺しちまえ!〉
次々と槍を発射する。マーチヘアはその全てを蹴り上げてゆく。降ってくる瓦礫も段々と大きくなっていき、そして。
「──っ危ない!」
鋼の障壁を生み出す。その一瞬のち、槍によって穿ち抜かれた天井が崩落する。
「……これが狙いだったのか……」
アクセルリスの判断で二人にケガはなかった。だが障壁の向こう、マーチヘアは?
「──いない」
忽然と姿を消していた。
「隣の車両に逃げた……とか?」
ひょっこりと首を出すアディスハハ。彼女の推理も真っ当なものである、が。
「いや、ドアが閉まったまま。開けられた痕跡も見当たらない」
「と、なると……」
二人の魔女と赤い光は同時に見上げる。天井にぽっかりと口を開けた穴を。
「……屋根の上!? この暴走する列車の屋根の!?」
〈イカレてんな、やっぱ〉
「……ま、都合がいいや。トガネ、吹き飛ばされないようによろしく」
〈了解だぜ!〉
やはりというか、アクセルリスに一瞬もの躊躇は無い。
「あ、やっぱり行くのね」
「当たり前でしょ。アディスハハは操縦室で待ってて。必ず倒してくるから」
「……うん、分かった。信じてるよ」
「言われなくても分かってるさ」
そう言い、アクセルリスはマーチヘアを追った。
「……」
アディスハハは目を閉じ祈った後、操縦室へ向かった。
──ニューエントラル駅まで、あと15分。
「くくく。やはり追ってきたか。命知らずめ」
「喋る時間も惜しい。倒す」
激しい風を背に受けながら、アクセルリスはマーチヘアに向かって一直線。
「バカめ。速さで私に勝てるわけなかろう!」
消えるマーチヘア。だがその動きは捕捉済みだ。
〈右後方!〉
「言われんでも!」
自身の右斜め後ろに数本の槍を発射。振り返るよりも速く弾かれた音が聞こえる。
アクセルリスが振り向いたときにはもうマーチヘアはそこにはいない。見失ったか。
いや。既にアクセルリスは全方位に鋼の槍を生成し発射していた。
「久々の槍だ、存分に使うよ!」
いくら速く動き攻撃を避けたとしても、全方位に展開されてしまえば回避は困難。足を止めて弾くしかない。
真後ろから快音。
「捉えた!」
アクセルリスは間髪入れずに、その方向に数え切れない量の槍を仕掛ける。
絶え間無く襲いかかる鋼槍。対処に負われるマーチヘアの姿をアクセルリスは捕捉する。
(一瞬でも隙を与えれば奴は動く。なら、一瞬も隙を与えず、圧殺する!)
アクセルリスが手をかざすと、赤い魔装束を包むように槍が生み出される。
「大盤振る舞いだ! 行けッ!」
号令の元、全ての槍が同時にマーチヘアを襲う。
「ぬうううう!」
苦し気な声。
十二分なダメージを与えただろう、と誰もがそう思うような攻撃。
──だが、そこに立っていたのは無傷のマーチヘアだった。
「な──」
「ふ、バカめ。何も高速移動は攪乱・逃走にしか使えないわけではないのだ」
何をしたのか。それは影に潜む赤い眼が捉えていた。
〈超高速で回転し、全部弾きやがった……!〉
「……なるほどね。やはりタダモノじゃないか」
狙いが外れた程度で狼狽えたりはしない。それが残酷のアクセルリス。
「……そろそろ受け身とも言ってられなくなったかな」
右手に槍、左手にも槍、周囲にもやはり槍。魔力全開。
「ふはは、次はこちらの番だ!」
姿が消える。
「逃がすかッ!」
マーチヘアの動きを捉え、槍を放つ。
着弾した音は聞こえない。敵は何処へ?
〈真後ろっ!〉
「ッ!」
迅速に振り向き、槍を交差させる。直後、強い衝撃がアクセルリスを襲う。
「ぐ……強い!」
一撃にして二本の槍がひしゃげる。これほどの力を隠していたのか。
「──なら」
槍を投げ捨て、拳を構える。じっと待ち、機を伺う。
〈…………来る! 右!〉
「ここ!」
トガネの啓示を聞き、体をわずかに傾ける。それと同時に鋼の拳を打ち放つ。
歯車が噛み合うように、その拳に衝撃が伝わる。
「──ぐァ」
アクセルリスに殴り掛かっていたマーチヘア。だがその攻撃は紙一重で躱されている。
そして、その顔にはアクセルリスの鋼拳がしっかりと入っていた。
「……やるな」
口から一筋、血が流れる。
やっとの思いの有効打。だが致命打には程遠い。
追撃を与える前にその姿は消えてしまう。
「ちぇ。好感触だったのにな」
〈なかなかよかったじゃん!この路線でも行けるんじゃないか?〉
「んー、遠慮しとこうかな」
マーチヘアは少し離れた場所に留まり、口を拭う。
「……動かないのか?」
〈チャンスチャンス!〉
動きを見せないマーチヘアへと槍を穿つ。
が、案の定それらは高速移動によって躱される。
「前言撤回、やっぱりカウンター狙いしかないみたいだね」
槍の手を緩めないまま、あちらの攻撃に備える。次の一撃で必ず仕留める、と。
──だが、マーチヘアは一向に攻撃する様子を見せない。
どれだけ槍を撃っても、右へ左へ避けるだけでこちらには全く攻め込んでこない。
「……」
〈なあ、主〉
「分かってるよ」
銀と赤は同時に何かを悟った様子だ。
「逝く気だね、諸共に」
「フ──」
その言葉を聞いてマーチヘアは不敵に微笑む。
「……というか、最初からこうすればよかった話じゃん? お前には私たちと戦い続ける理由は無かったはず。逃げ続け、共に死ねばいいのに」
「どうしてだと思う?」
「さあ。興味ない。外道魔女が考えることなど理解したくもない」
マーチヘアの挑発を噛み潰し、吐き捨て、改めて今成す事を宣言する。
「お前を倒し、この列車を止める」
「──ふん。ならばその方法を教えてやろう」
「生憎だけど、間に合ってるッ!」
数本の槍と共に肉薄する。
槍たちは微妙に異なるタイミング、異なる軌道で飛ぶ。アクセルリスの計算だ。
抜け道を作り、自らもそこに突っ込むことで、真正面からのカチ合いに持ち込める。
影に潜む赤い眼は捕らえる。マーチヘアが想定通りのルートで迫ってくるのを。
「はぁッ!」
顔面を狙った右の拳。だが手ごたえは無く、その手首を掴まれる。
「この暴走は魔石によって引き起こされている」
マーチヘアは余裕ぶって語り掛ける。アクセルリスは聞く耳を持たず、己を捕らえる腕を払いのける。
「《暴奏石》という魔石でな、物体の運動を高出力で維持させる力を持つ」
鋼の魔女は攻撃の手を緩めない。むしろ激しくなる一方だ。
「本来なら土人形などの炉心に使われる代物」
だがマーチヘアは、闇雲なようで的確なアクセルリスの拳を全て完璧にいなす。
「それを使って魔石炉心をフルパワーで稼働させ続けているのだ」
拳の連打を受け流しながら語り続ける。
「仕組みなんて聞いてないんだよッ!」
「やれやれ。とんだじゃじゃ馬だ」
距離を取り、魔装束を手で払うマーチヘア。
そして、おもむろにその懐から、手のひら大の石を取り出した。
「──と、これが暴奏石だが」
「!」
邪悪に笑い、それを持った手を振り上げる。
「ま──待て! まさか──」
制止は届かなかった。
マーチヘアはそれをあっさりと放り投げた。まるでゴミを捨てるかのように。
そして暴走列車はあっという間にそれを置き去りにする。
「──!!」
声に成らぬ激憤。怒りに任せ槍を放つが、全て躱され、腹に膝蹴りを入れられる。
「ぐっ……!」
膝を付く。その背後でマーチヘアは高笑い。
「はぁ、はぁ」
「……ク、クク。ハーハハハ! これで貴様らが木端微塵になるのも時間の問題ということだなぁ!?」
槍を杖代わりに立ち上がるアクセルリス。マーチヘアを睥睨する。
だがマーチヘアは己に向けられた強い殺意などどこ吹く風、高らかに喝采を叫ぶ。
「怯えろ! 怯えて怯えて、消し炭になるが良い! ハーッハハハ!」
「て、めぇ……!」
槍を構える。
「まだ足掻くか。まだ足掻くか!」
勝ち誇ったかのように歩み寄るマーチヘア。
「そうだ、その顔だ!希望が潰え、絶望に塗り固められたその表情!お前の相手をしていた価値がある……!」
「ふざ、けるな!」
斬りかかるも、憤怒だけの刃ではその首に届かない。
「ぐあッ!」
背後からの攻撃。倒れかかるも、なんとか踏み留まる。
「まだ立つか。絶望に覆われようとも」
「絶望とかより、ただお前が許せない……ッ!」
握りしめた槍を振るう。やはりマーチヘアには届かず、代わりに列車の屋根が鈍い音を立てて凹む。
「ふはは。私には絶望したようにしか見えないが?」
「黙れ!」
声のした方向へ即座に槍を放つ。手応えは無い。
「ファーハハハハ!どうした?筋が乱れているようだが?」
残像の帯を残しながら、マーチヘアはアクセルリスを翻弄する。
〈主! 落ち着けって! 怒りに身を任せてもどうにもならない!〉
「分かってる! 分かってるけど! あいつを一発ブン殴らないと気が済まない……!」
「小さい、小さいな! ほれ、殴りたいのなら殴ればよい!」
隙を見せながら歩み寄るマーチヘア。いつものアクセルリスならば、このような安い挑発には絶対乗らない、が。
「……うおあああああッ!」
鋼の拳を構え、突撃。
〈主ッ!?〉
アクセルリスの怒りそのものと言える鋼拳。狙い外さず、その顔を狙う。
──マーチヘアは避けず、その打撃を受け止める。
「ぐ」
ダメージこそ受け流すものの、衝撃は残る。彼女を列車から押し出すには充分な衝撃は。
〈え……!?〉
「ふ──」
列車から落ちゆくマーチヘア。自殺か。否。
「かかったな」
彼女が背中に隠し持っていた装置を起動させる。
そこから展開されたのは傘の様な形状をした布──すなわち落下傘であった。
それに風を受けたマーチヘアは急激に減速してゆく。
「な──!」
「さらばだ! 残り僅かな時間、有意義に使いたまえ! ハーッハッハッハッハッハ!」
マーチヘアの笑い声が段々と遠くなり、そして消える。
──ニューエントラル駅まで、あと5分。
「…………あああッ!」
アクセルリスは怒りのまま屋根に槍を突き立てる。
〈……おい主、どうするんだ……!?〉
「もう真っ当に止める手段は潰えた……となれば、他に手段を探すしかない……」
〈でもよう、こんな暴走列車、止める手段なんてそうそうないぜ!? オレでも無理だ!〉
「そんな事ッ!」
激しく声を荒げるアクセルリス。
「…………分かってる……!」
握られた拳が震える。
「何でもいい、僅かなチャンスさえあればいい、何か……手は……」
絶望のまま顔を上げる。
その目に映ったのは、屋根に刺さった槍。
「────」
何かに気付き、銀の瞳が大きく開く。
「──これだ」
〈え?〉
【続く】