#2 命の音色を奏す鎮魂歌
【誰が為の鎮魂歌 #2】
闇の中。
命を掻き鳴らす様なストリングの音色が聞こえてくる。
朦朧としていたアクセルリスの意識も段々と明瞭を取り戻す。
「……んあ」
目を開ける。まだぼんやりとしているが、明らかに先程までの部屋ではない。
その事実がアクセルリスの覚醒を強く促す。
「はっ!?」
完全覚醒。そして、自分がいま置かれている状況を確認する。
「な……なに……!?」
異常事態に脳が『闘争/逃走』の指令を出すが、身体は応答しない。
その両手両足は強く抑えつけられていたからだ。
ここでやっとアクセルリスは己の置かれた状態を把握する。
シンプルに説明するなら──磔にされているのだ。それも下着姿で。
「これは……一体……!?」
拘束を破壊しようともがくも、そう上手くはいかない。かなり頑丈なようだ。
──と、視界の端に人影が映り込む。
椅子に座り、優雅にヴァイオリンを奏でる魔女の姿。
「プレルードさん!? 何をして……!」
「しーっ」
人差し指を唇の前に持ってきて、わざとらしくアクセルリスを黙らせる。
「鑑賞は静寂と共にある。感傷は苦痛と共にある」
ヴァイオリンを机に置き、アクセルリスへと近づく。
「観たまえ」
彼女が手をかざすと、壁のように見えていた収納が開き、中に飾られていた楽器たちがアクセルリスにその姿を晒す。
「うっ……!?」
「これが私のコレクションだ。美しいだろう?」
「美しい、だって……!?」
遠目からでも分かる。そこにある楽器たち。チェロやオルガン、トランペット。
それら全てが『有機的な素材で出来ている』ことを。
「なに……あれ……!?」
「私は楽器が趣味でね。作るのも、弾くのも」
そう語る顔には狂気の影。
「──特に、人間を素材として作るのがお気に入りさ」
「お前……まさか……!」
「では、改めて自己紹介しようか」
その魔女は芝居のように一礼し、名を名乗った。
「我が名は《レキュイエム・プレルード》」
「外道魔女レキュイエム……!」
プレルード──すなわちレキュイエムは不気味に笑った。これが本性か。
「そうその通り。君たち魔女機関とは永遠に相容れない存在さ」
「失踪事件の犯人も、お前だったのか……!」
「ご名答~♪」
何が楽しいのか、レキュイエムはアクセルリスの周りを踊る様に回る。
「私を騙していたのかッ!」
「そうなるのかな。でも、私は一度もウソを言っていない」
「なぜ医者に成りすましていた!?」
「成りすましなんかじゃない。私はこの地で確かに医師として働いていたさ。そっちの方が都合がいいから」
「都合だと……?」
「この町もね。私が嗜好を満たすのに丁度いいのさ」
アクセルリスは舌打ちし、言葉を吐き出す。
「結局何をしたんだお前は!」
「この町ではお互いに必要以上に関係を作らない。孤独であり、一つであるのさ」
「……」
「役所もあるにはあるけど、住人をすべて把握しているわけじゃない。一人や二人居なくなっても誰も気がつかない」
「まさか……それを利用して……!」
「そう。はじめはこの町の人間を攫い、楽器に加工していたのさ。でもいくら気付かれないとはいえ、あまりに減ると感づく者も出始める。だから場所を移した」
「それが失踪事件の真相か……!」
「ケヒヒ、そういうことだねぇ」
「何てことを……!」
怒りに震えるアクセルリス。だが我を忘れた訳ではない。
レキュイエムから情報を引き出しつつ、拘束の破壊を試みていた。
だが一向に外れる気配はない。秘密裏に解除した後の不意討ちを狙っていたが、背に腹は代えられない。
鋼の元素を集約し、剣を生成し、枷を壊す。
──はずだった。
「あ……れ……?」
何も起きない。全く何も。
狼狽するアクセルリス。その様子を見てケタケタ笑うレキュイエム。
「鋼が……なんで……!?」
「ケッ……ヒヒヒ……! 思った通りに動く奴ってのは見てて面白いなぁ……!」
レキュイエムはアクセルリスの下腹部を指差す。
「それだよ、それ」
「……!」
先程は気付かなかった。へその下、腰から上あたりに紫色の幾何学的な紋章が刻まれていることを。
「《鎮魂の紋》。私の魔法。それを刻まれた魔女は『最も得意とする魔法を封じられる』」
「なんだと……!?」
「ケヒッ。お前の事は調べてあるんだよ、アクセルリス・アルジェント」
レキュイエムが取り出したのは数枚の資料。
「『鋼の魔法しか取り柄のない新人残酷魔女』ってね。私自身あの組織には入ってないが、その力は利用させてもらっている」
「魔女枢軸か……!」
「バズゼッジも相手したんだってねえ」
「──!」
剣の魔女バズゼッジ。その名を耳にして、アクセルリスの記憶がフラッシュバックする。
『それだけじゃない。奴は犠牲者の死体を持ち帰り、それを材料に楽器を作っている』
『あー、それは同居人の趣味だ。アタシは生きた人間の悲鳴にしか興味がねえ』
「お前か、あいつの同居人って……!」
「かわいい奴だったろう。自慢の嫁さ」
そう語るレキュイエムの眼は邪悪に歪んでいる。
「──ただ、最近あいつここに帰ってこないんだ。一週間ほど留守にすることはたまにあったが、二週間以上帰らないとなると流石に心配になる。お前、何か知らないか?」
「知ったことか、あんなやつ」
「……そうか。それならそれでいいさ」
背を向ける。
「ならば、もうお喋りはお終いだ。これから作業に取り掛かるとしよう」
振り返ったレキュイエムが手にしていたのは、メスをはじめとした手術道具。
「……何をするつもりだ」
「ケヒ。言わなくとも分かっているだろう? 《楽器作り》だよ」
「……!」
「魔女を素材に使うのは初めてでね、心が躍るよ」
「そんなこと……させるか」
「何とでも言うがいい。今君の力は使えないんだからね」
「それはどうかな」
「……何?」
レキュイエムが怪訝に目を細めたときにはもう、それは完成していた。
銀の魔法陣。
「これは──」
「破ッ!」
「ぅぐあッ」
衝撃波に飲まれ吹き飛ぶ。幾つかの楽器が巻き込まれ、破壊される。
「良し、今のうちに」
アクセルリスは己の背後に魔法陣を作り始める。拘束具を破壊するつもりだ。無論自分も巻き込まれるが、四の五の言っている状況ではない。
と、震えた声が聞こえてくる。
「…………知ってるかい、アクセルリス」
「あ……?」
「この世界には……『やっていいこと』と『悪いこと』がある」
「な」
異変に気付いた時にはもう遅かった。
レキュイエムはアクセルリスの目の前にいた。
無防備なみぞおちに拳が叩き込まれる。
「うぐァ……ッ!」
意識が途切れかけ、魔法陣が消えてしまう。
「念のため」
二撃目。
「ぐぷ……っあ……」
胃液が逆流し、咽喉から塊で零れ落ちる。
たった二発。それだけでアクセルリスの腹は赤紫に変色してしまっていた。
「医学的見地に基づく完璧な腹パンチさ。お気に召したかな?」
「が……あ……」
「まったく。今どき魔法陣など、古臭くて悪趣味だ」
散乱した手術道具を拾い集めるレキュイエム。アクセルリスは虚ろな目でそれを見るしかできない。
「さて、と」
一通り回収したレキュイエムは、おもむろにアクセルリスの腹にメスを刺す。
「ぐううう!?」
急な激痛に暴れるアクセルリス。だが拘束されているためほとんど動かない。
「大丈夫だよ。そこは刺されても痛いだけで、失血死するには結構な時間がかかるから」
レキュイエムは笑う。当然、長く苦しませるための傷だ。
「じゃあ、再開しようか」
笑顔のままメスを構える。
「う……ぎ……!」
「普段なら、生きてる奴相手には局部麻酔をかけて、解体されていく様子を見せるのだ・け・れ・ど」
レキュイエムは何の処置もしないまま、アクセルリスの右脛にメスを入れる。
「あがああああああッ!」
「魔女がどこまでの痛みに耐えれるかの実験、そして個人的な恨み。その二つを鑑みてこのままやらせてもらうよ」
「ぐぎあァああ……ッ!」
苦悶の嬌声を上げるアクセルリス。
「君の艶やかで美しい肌をこうして傷つけるのは、何物にも代えがたい快楽だ」
狂ったような恍惚顔。否、とうに狂っている。彼女の同居人、バズゼッジよりも。
すいとメスを下ろす。アクセルリスの肉が綺麗に裂け、血が足を伝って床に垂れる。
「い゛っぎいいいい……!!」
涙と涎が滴る。だがそんなもので痛みは和らぐはずもなし。
「これでも気絶しないか。魔女の頑丈さを恨むんだね」
血濡れたメスを投げ捨て、新しいものを手にする。
「さぁ──楽しもうじゃあないか」
新たなメスを逆の足に刺し込もうと迫る。
──直後、豪快な音と共に天井が派手に壊れる。
「っ何!?」
「あ、あ……?」
危険を察知したレキュイエムはアクセルリスから離れる。
その代わりとしてアクセルリスの側に降り立ったのは、黒コートの魔女。
「アクセルリス、大丈夫?」
「お、ししょう……サマ……?」
「お前は……ゴグムアゴグ……!」
そう。アクセルリスの師、アイヤツバス・ゴグムアゴグだ。
「これは酷いわね……」
彼女はアクセルリスの腹に刺さったままのメスを引き抜き、レキュイエムへと投げつける。レキュイエムは別のメスでそれを弾く。
そのわずかな間に、アクセルリスに手を当てる。すると、輝きながら傷痕が塞がってゆく。
「う……あ……?」
「応急処置よ。逃げなさい」
刃となっている魔法陣の縁を用いて、拘束具を簡単に壊す。アクセルリスの身体が自由となる。
それと同時に赤い光がその影に入り込む。
「トガネ、アクセルリスをよろしくね」
〈合点承知! 主、行くぞ!〉
「お師匠サマ……トガネ……? なんで……?」
「話は後。今は早く逃げなさい」
レキュイエムの攻撃を魔法陣で防ぎながらアイヤツバスは言う。
〈そうだ! 行くぞ!〉
「う……ありがとう、ございます」
トガネの助力もあって、アイヤツバスが開けた穴から逃げ出すことに成功した。
「……さて」
それを見送ったアイヤツバスは改めて敵──レキュイエムを見る。
「……なるほどね。あなたの弟子か、あれは。道理で魔法陣なんて古惚けた使う訳だ」
レキュイエムは苛立ちを露わに机を蹴り飛ばす。
「古惚けたとは失礼な。由緒正しき魔法の基礎よ?」
「なぜここに?」
「弟子の窮地を救う。理由としてはそれで充分でしょう?」
「……本当の事を言えよ」
「たまたま近くに来ていたら、何か嫌な予感がして、気付いたらここにいただけよ」
「意味わからん……」
頭を振るレキュイエム。
「……なあ」
「何?」
「見逃してくれないか。あなたと戦って勝てるわけなど無いから」
「駄目よ」
「どうしてもか」
「どうしても、駄目よ。貴女は私の愛弟子を傷つけ、命の危機にまで追い詰めた。そんな魔女を許すわけにはいかないでしょう」
「……だよなあ」
「それに。そもそも。私は魔女機関の幹部である邪悪魔女。貴女は魔女機関に背き叛逆する外道魔女。であれば、私が貴女を殺すのは誰にだって理解できる道理よね?」
「そうなんだよなあ……やれやれ」
瓦礫の中から楽器を探し出すレキュイエム。
「私のコレクションもめちゃくちゃだ。もう駄目みたいだね、こりゃ」
「そうね」
「ま、私は抗うけどね」
一本、ヴァイオリンの弓を拾い上げ、剣のように構える。
「……そう、抗ってやるさ。死ぬまで」
「やめた方が身のためよ」
アイヤツバスの周囲に無数の魔法陣が展開される。
そこから放たれる光を浴びながら、レキュイエムは静かに微笑んだ。
「──いくよ」
【続く】