#1 無神論のバシカル
「♪」
魔女機関本部、クリファトレシカ1階、執行官室。
鼻歌を歌いながら剣の手入れを行うのは、冷徹のバシカル。彼女の日課だ。
邪悪魔女1iバシカルの仕事は執行官及び兵士教練、そして機動部隊隊長。
どの仕事も忙しくハードなもの。それが三つで苦労は三倍。
そんな合間にゆったり自分の時間を過ごせるこの作業は、大切なものであり何者も邪魔することは許されない。
……はずだったのだが。
無情なるノックの音が鳴る。
バシカルは眉をしかめるが、急用ならば仕方なし、とため息。
「入れ」
「失礼します」
入ってきたのは灰の魔女シェリルス。バシカルの愛弟子。
「何用だ、シェリルス」
バシカルの眉がさらにしかめられる。くだらない用事であれば、シェリルスの命は無いだろう。
「伝令を預かってるッス」
「誰からだ」
「シャーデンフロイデさんから」
「……ほう」
「これッス、どうぞ」
伝令を受け取ったバシカルはざっと目を通す。
「──なるほど」
そう呟くとすぐに剣を取り立ち上がった。
「シェリルス、貴様この後職務はあるか?」
「アタシッスか? ないですけど」
「よし、それなら一つ頼まれてくれるか」
【残酷のアクセルリス/外伝】
魔行列車に揺られながらバシカルは伝令を読み直す。
その内容はシンプルだった。
まとめると、『ある外道魔女の潜伏先が判明したが、現在対処できる人員がいないため、代理の処分を頼みたい』という事だった。
シャーデンフロイデは己の任務に備えねばならず、アーカシャとアガルマトは非戦闘員。グラバースニッチは例によって療養中、アクセルリスは総督勅令、ミクロマクロはまた別の捕獲任務、イヴィユとロゼストルムは今も遠征中。ジェムジュエルとオルドヴァイスは殉死。
「現残酷魔女たちの落ち度──と言っては酷か」
たまにはこうしてかつての任務に興じるのも悪くはない、とバシカルは微笑した。
魔行列車はそんなセンチメントも置き去りにして、ただただ車輪を転がしていくだけ。
【冷徹なMission #1】
竜骨洞。
一見、単なるドーム状の空洞にしか見えないが、その正体は名前通り巨竜の骨によって作られたもの。
かつてこの地で竜種同士の巨大な戦いがあり、それの戦死者たちの骸が積み重なって生まれたらしい。
そんな空洞に二つの影。
一つは人間。その身体には至る所に大小さまざまな生傷があり、見るだけで痛々しい。
もう一つは魔女。まだ動いているウサギに喰らいつき、その肉を貪っている。
「ああ……ううう……」
呻きながら身をよじる人間。魔女は彼女を一瞥もせず、ただひたすら肉を喰う。
「ゆるして……ゆるして……」
「……うるせ」
魔女は掌から短剣を生み出し、人間の腹に刺す。
「ギャアアアアアアッ!」
「ンンン! それだよ、それ! そういうのもっと聴かせてくれよ!」
動かなくなったウサギを投げ捨て、短剣をさらに深く刺す。
「アアアアアアアッ!」
「ン~ン~いいねえ。次はどこに刺そうか? ああ?」
短剣を抜く。刃は一片の塗り残しもなく血塗れ。
「って、もうどこもかしこも傷だらけじゃねえか……これじゃレキュイエムへの土産にはならねえな」
自らが何となく口にした言葉で、魔女は思い出す。
「……そういえば、ここのとこ全然家に帰ってねえなあ……レキュイエム、心配してるだろうなあ……」
既に人間に興味はなくなっていた。想うのは住処で待つ同居人の事だけ。
「怒られるかなぁ……なんか土産持っていかねえとなあ……」
ふと顔を下げる。目に入ったのは、人間の足。
「──くるぶしッ!」
「アアアアッ!?」
「残ってんじゃねえか! こんなとこにくるぶしがよオ!」
訳の分からぬことを言いながらひたすらに足を刺す。
「くるぶしが! くるぶしが!! くるぶしがァ!!!」
「ああああ! ああああ! ああああああッ!」
地獄絵図。そうとしか形容できない。
この血と肉の狂乱がいつまで続くのか。
──否。止める。
その為にバシカルはここにやって来たのだ。
「外道魔女バズゼッジだな」
「くるぶ──アァン?」
ゆっくりと声の元、空洞の入口へと首を回す。
「誰だテメェ」
「邪悪魔女1iバシカル・キリンギ。お前を殺しに来た」
剣の切先をぴっとバズゼッジに向ける。それには一切のブレも無く。
「アタシを……?」
「そうだ」
「……キ、キッヒヒヒヒ……え? アタシを? 殺すって? 聞いた? ねえ聞いた?」
倒れる人間に執拗に話しかける。人間は痛みと出血で返事どころではない。
「返事しろよ」
「ア゛ッ」
踵から生み出した刃でその首を断つ。バシカルの眉が僅かに動く。
「アタシは。死なねえ。テメェじゃ。殺せねえ」
「何を根拠に?」
「アタシはな、神に守られてるんだよ。すっげー神に」
「──馬鹿馬鹿しい。神などいないというのに」
「嫉妬か? 信心がない奴には神は見向きもしないからか?」
「お前は脳ミソまでズタズタなのか。普通に考えれば分かる話だろう」
「分からねえ、分からねえ! 普通の考えなんて分からねえ! ヨー!」
「……対話しようとした私が馬鹿だったか」
両手で剣を持ち、腰を落とす。臨戦態勢。
「キヒヒ……来い」
バズゼッジも脇腹から生み出した二本の長剣を構える。
バシカルは一瞬の躊躇もなく駆け出した。
「おぉ速え!」
真っ向からの不意討ち。だがバズゼッジも一筋縄ではない。
「……ほう」
胸の傷から生み出した剣で受け止める。
防御をしつつ両手は自由。一種のカウンターとも言えるか。
「ハーッハァ!」
長剣での同時攻撃。退路ごと断つつもりか。
だがそのような攻撃はバシカルに通用しない。
受け止められたままの剣を手放し、後ろに倒れ込む。いわゆるブリッジ回避。
「何!」
「はっ!」
そしてそのまま上段に蹴りを叩き込む。受け止められたままの己の剣を蹴り上げ、バズゼッジの肩口に斬傷を付ける。
「ぐ……あ……」
一回転したバシカルは剣を回収し、距離を取る。
「ケ、ヒヒ……やるじゃねェか」
「鍛えているからな」
構えた剣がギラリと光る。
次の瞬間には既にバズゼッジの眼前にいた。
「ハハヘヘハハ! 二度も同じ手は喰らわねえっつーの!」
刃と刃がぶつかり合う。二度、三度、四度、五度。
今度は互いに小細工を用いず、正面から打ち合う。
鈍い鉄の音が鳴る。一本の剣と二本の長剣が鍔競り合う。
「なかなかやるじゃねえか、エエッ?」
「当然だ。私は魔女機関の兵士教練官。指導を行うものが実力を伴わないなど言語道断」
「ハハハ! ご立派ァ!」
ギリギリと刃同士が擦れる。いまだ互角。
「なら……これはどうだ!」
バシカルの剣を弾く。よろめいたその体に長剣を同時に振り下ろす。
「キーハッハァ!」
「む……」
受け止める。衝撃を逃がしきれず、バシカルの身体が反動で後退する。
「ハッハッハ……なまくらめ」
「……ほう?」
「一応これでも剣士なんでねェ。やりあえば得物の優劣くらいは分かるんだよ、ナァ」
長剣を投げ捨て、太腿から二本の剣を生み出す。
「その剣、全然大したことねェな。二流以下のクソ凡剣だ」
「はっ、それがどうしたと?」
「そんなもんじゃ……アタシは楽しめねえんだよッ!」
バズゼッジは手を緩めず。
その追撃を時に躱し、時に受け止め、バシカルは体勢を立て直す。
「キハハハッ!」
横からの剣。最小限の動きで的確にガード。
「ハーッハァ! ハァ! ハァーッ! !」
バズゼッジはその防御に対して執拗すぎる攻撃を加える。
「……!」
耐えるバシカル。連続する衝撃は休まる様子を見せない。
──そして。
「ハァーッ!!」
ひときわ強い一撃。
バキッと嫌な音が鳴る。
「!」
その音を聞くや否やバシカルは後方に回避。
「……折れたか」
剣を見る。無残に半ばで折れてしまっている。
「キハハァ! なまくらァ、なまくらァ!」
だが当然バズゼッジの攻撃は止まらない。
バシカルはそれらを紙一重で躱していく。だが劣勢は覆らない。
「蹂躙! 圧倒!! 制圧!!! キーッハハハッハハッ!」
このままではジリ貧だ。何か、突破口は。
「──」
バシカルは天井を見た。
【続く】