#3 暴風・軍勢・大海獣
【絶対冷帝 #3】
曇りが晴れたアクセルリスの心象とは裏腹に、空は灰色を帯び遠くでは不穏な轟音が聞こえてくる。
「これは……」
「そろそろだな。《第一関門》だ」
アクセルリスは師の言説を思い出していた。
──荒れ狂う波、安定しない天候、島への航路を遮る数々の原生生物──
「……っ」
身を引き締める。
「《竜門》と言ってな。まるで竜たちが己の縄張りに敵を入れまいと起こしているような暴風からその名が付いた」
「とんだロマンチストですね、命名者は」
「その中でもここのは《大竜門》と呼ばれる、規模の大きいもの……覚悟しとけよ」
「言われるまでも……ッ!」
段々と風が強まり、波が荒れてゆく。
「気張れッ! 来るぞッ!」
アドミラルの怒号が船内に響く。船員たちも腹を括る。
数十秒後、暴風が彼女らに襲いかかった。
「ぐぐぐうう!」
〈おわーッ!?〉
踏ん張るアクセルリス。トガネも手助け。
「大丈夫か?船室で休んでてもいいんだぞ?」
一方、平然と仁王立ちするアドミラル。幾度とこのような苦境を潜ってきたのだろう。
「この位、平気ですよ……ッ!」
「はっはっは! 流石は残酷のアクセルリス、そうこなくては! さあ、もっと揺れるぞォ!」
腹に響く音と共に船が右に左に前に後ろに激しく揺れる。
「ふんぐぐぐぐぐ!」
〈ひえ、ひえええええ!〉
甲板に全力でしがみ付き耐える。
「何のこれしきいいいいッ!」
〈うぎゃあああああ! うぎゃあああああ!〉
「トガネうるさい!!」
〈しょ、しょうがねえだろ!?オレこういうの慣れてな、うわあああああっ!?〉
「私の使い魔なら根性見せろッ!」
〈無茶ああああああ!〉
「はっはっはっは! 面白くなってきたな!」
〈どこがあああああ!?〉
「がああああああッ!」
バキッという音がアドミラルの耳に入る。
「なん──」
彼女の目に飛び込んできたのは異様な光景。
「はあああァァァ……ッ!」
アクセルリスの指先が鋼鉄の甲板を抉り掴んでいる。
(バ──バカな。素の力だけで……!?)
「私は──私はッ!」
銀色の眼をした獣が吠える。
「うおおあああああああああああああッ!」
暴風の爆音すらも掻き消すほどの、魂の咆哮。
(こいつは……こいつはマジで面白れェ……!)
アドミラルは無意識のうちに笑っていた。
(バケモンだ……紛れもない……!)
銀眼の狂獣。その覚悟に、笑うしかなかったのだ。
影の中では赤い光がフラフラと漂っていた。
◆
「……う」
〈……あ?〉
じきに風は暴威を止め、空が晴れ渡った。竜門を抜けたのだ。
「ふう! 第一関門は無事突破だな!」
手で日を遮りながら天を仰ぐアドミラル。その様子を見て両者も胸をなで下ろす。
〈お、おわった……のか……〉
「うわっ! トガネ大丈夫!?」
〈あまりだいじょうぶではない……〉
妖しく揺らめく赤い光。しばらくはダウンだろう。
「おっと! 油断はいけねえぞ。すぐに《第二関門》が来るだろうからな!」
〈マジ……?〉
「第二関門、今度は一体何が」
アクセルリスのその疑問にはすぐに解答が出された。
背後から聞こえる鳴き声。
進行方向からだ。振り向いた銀の眼が捕らえたのは空飛ぶ群れ。
「あれは……竜種……?」
「惜しい! 竜種の近縁種、《海飛竜カイバーン》だな! 海の上を主なナワバリにする、小型の飛竜だ」
「カイバーン……って、結構な数いませんか!?」
アクセルリスが捉えただけでも十数匹。後続にはその何倍もの数がいるだろう。
「奴らは臆病な性格でな。幾つもの群れがナワバリを共有するんだ」
〈いち、に、さん……たくさん!〉
「あんなの全部相手してちゃあキリがない……」
「勿論そんな気はサラサラないさ」
「何か秘策が?」
「ああ。『アレ』、準備しろ!」
「了解!」
アドミラルの指示で何かしらの準備がされ始めたようだ。
その間にもカイバーンたちはどんどん近づきどんどん増えていく。
「船長、そろそろ接触しますよ!」
「……今だ! 耳を塞げ!」
「え?」
言われるがまま耳を塞ぐ。
直後、海賊船から耳をつんざく様な甲高い爆音が大海原に響き渡る。
「うっわああああああ!?」
〈うっわああああああ!?〉
耳を塞いでいても感じる爆音。思わずトガネも正気を取り戻す。
「くううう……船長、今のは!?」
「《竜笛》ってあるだろ。山登りとかするときに、竜に出遭わないように吹くアレ」
「……まさか」
「原理はそれと同じだ。その発音機関を超巨大化し船に搭載した、言うならば《大竜笛》って奴だな!」
「……豪快すぎる……!」
「はっはっは! その分効果も強力だ、ほら見てみぃ!」
見上げてみると、そこは大パニック。
カイバーンたちは悲鳴のような鳴き声を上げ、四方八方にフラフラと跳び回る。お互いに衝突してしまっている個体もいる。
「うっひゃぁ~大惨事だあ」
「よし、今のうちに突破するぞ! 全速前進、いっぱァーい!」
海賊船は飛竜の坩堝を置いてけぼりにしてさらに進む。
第二関門を抜けた一行。
「順調ですね、ここまでは!」
「あァ、そうだな」
「……?」
ここまでは目立ったトラブルもなく進んできた。だがアドミラルの様子が変だ。その面持は決して明るいとは言えない。
「……感じるか、アクセルリス」
「え?いや……何も」
「そうか……」
「えっと……?」
「……《第三関門》が近い」
「……ッ」
重い声色。アクセルリスもその厳しさを直観する。
「第三関門って、一体」
アクセルリスはさほど考えることは無かった。
なぜなら、その答えが向こうからやって来たからだ。
突如船体がグラグラ揺れる。
「……来やがった!」
「うわっ、おっ、えっ?」
〈うわわ、なんだなんだ〉
休んでいたトガネも目を覚ます。
「腹括れよ、アクセルリス……ここが最後にして一番の難所だ……!」
「え」
アドミラルがそう言った直後、強烈な水飛沫が上がる。結構な距離はあるはずだが、こちらにも飛沫が届くほど。
「な……何!?」
身を乗り出し沖合を睨む。
「……ッ!?」
海中から現れたモノ。巨大な竜の頭部。
「あ……あれは!?」
「《海竜リヴァイアーク》……なぜだか分からんが、西果ての島へ近づく船を片端から沈めてきたと」
〈で……でけえ……!〉
「KSSSYAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」
咆哮。海面を揺らし、小さな波が立つ。
「アイツを退けなきゃ西果ての島には辿り着けない」
「……分かりました。倒しましょう」
迅速な決断。アクセルリスに迷いはない。始めっから。
「両舷の大砲はレプリカですか?」
「いや、兵器だ」
「威力は?」
「命中すれば結構なダメージにはなるだろう。だがあくまで大砲だ、命中には期待できない」
「……だったら、私が直で奴を叩く。皆さんは隙を見つけて確実に命中させてください」
「直でって……お前」
「大丈夫です! こういうの、慣れてるんで!」
笑顔で親指を上げる。
アドミラルは初め驚いた顔をしていたが、すぐに笑ってこう言った。
「……そうだな、お前さんなら大丈夫だろう」
「はいっ! じゃ、早速行ってきますね!」
「気を付けろよ!」
「分かってますって! トガネ、準備はいい?」
〈もちろん! 今回も抜群のコンビネーション、見せてやろうぜ!〉
「よく言った! それでこそ私の使い魔!」
〈へへん!〉
生成した鋼の槍に乗ってリヴァイアークへ向かったアクセルリスを見送り、アドミラルは振り向く。
「……よし。覚悟はいいかお前らァ!」
「「「オーッ!!!」」」
船員たちの鬨の声があちこちから聞こえてくる。準備は万端だ。
「さあ……行くぜッ!」
リヴァイアークへ接近するアクセルリス。その巨大さに改めて圧倒される。
「ほんとにおっきいな……」
その大きさは以前邂逅した森の王にも勝るとも劣らない。
だがサイズなどこの場においてはさしたる問題ではない。相手が誰であれ、生き残るためならば排除するのがアクセルリスだからだ。
──そんな彼女に、一つの懸念材料があった。
〈ま、いつもみたいにババババーッて串刺しにすれば、すぐ尻尾を巻いて逃げていくだろ!〉
「あー、あ。いやー、そのー、ね。今回はそれできない」
〈え?なんでだよ!?主の魔法はほぼ無尽蔵に武器を生み出して攻撃するのがウリだろ!?〉
「『ほぼ』無尽蔵に、ね」
〈……あっ、まさか……〉
「考えてもみてよ、トガネ。こんな海のど真ん中で、鋼の元素が取れると思う?」
〈……思わねーわ〉
そう。ここは鋼の元素が少ないのだ。
鋼の元素は水中には存在しない。頼りになるのは深い海底にあるもの、風に乗って漂ってくる微弱なもの、あるいは船に付着したこれまた微弱なもの。
使用できる鋼の元素は陸上の十分の一以下だろう。
「……要節約」
〈じゃあどうすんだ!?主から鋼の魔法取ったら残るの大喰らい女だけじゃねえか!〉
「なんだとこのやろう!?」
アクセルリスは思わず怒声を上げるが、すぐに冷静さを取り戻す。
「……じゃなかった。ちゃんと対策はしてある。何のためにお師匠サマと特訓したのか、それを今見せたげる!」
もう敵はすぐ近く。あちらはこちらに見向きもせず、海賊船へと一直線。
「私らは眼中にないってことね。それならそれで好都合! とう!」
鋼の槍からリヴァイアークへ飛び移る。
「トガネ、バランス調整よろしく!」
〈承ったぜ!〉
アクセルリスの影に潜んだトガネはその体を支える。
「よし、これならここでも平気だね。さて、と」
リヴァイアークの体を観察。どこもかしこも厚い鱗に覆われている。
試しに鋼の剣で斬ってみるも、擦った痕が残るのみ。
「ふうん。まあこんなもんだよね、真っ当にやってちゃ勝ち目はない」
〈何か手はあるのか?〉
「まあ、いくつか。でもこっちには余裕ないし、できれば最善の手だけを打ちたいところ」
次に打つべき手は何か。アクセルリスが考えていたところ、足場──すなわちリヴァイアークの動きが激しくなったのを感じる。
「何だ?」
前方を見てみる。海賊船が近い。
「突進してるのか……!」
〈お、おい大丈夫なのか?〉
「信じるしかないね……」
心配半分、信頼半分といった心持でアクセルリスは鋼の槍を手にした。
リヴァイアークはゆっくりと、だが力強く確実に迫っていた。
「リヴァイアーク、急接近しています!」
「的が来てくれるなら好都合だ! 両舷、打ち方用意!」
「KCYAAAAAAAAAAAAA!!!」
咆哮と共に迫りくるリヴァイアーク。迎え撃つアドミラルたち。
「今だッ! 左舷撃て!」
アドミラルの号令の直後、紫色の粒子を迸らせながら虹色の光弾が放たれる。
ただの大砲ではなかった。魔力を動力とし、魔石にエネルギーを満たし放つ兵器、《魔砲》だ。
当たればあの巨体だろうとひとたまりもないだろう。
──だが、あくまでもそれは『当たれば』の話。
「……何ッ!」
リヴァイアークはこれまで見せなかった俊敏な動きで魔砲を回避した。
そしてその勢いのまま更に迫る。
「まずい! 面舵一杯!」
海賊船は右側に旋回し、衝突から逃れようとする。
だが怪物は執念深かった。離れていく船を追うがごとく、突進の手を緩めない。
「く……!」
〈主! ヤバそうだぞ!〉
「私らが何とかしないと……」
〈何とかできるのか!?〉
「できる! 私なら!」
アクセルリスは鋼の槍を鱗と鱗の隙間に突き刺す。それでもリヴァイアークの動きに変化はない。
だがアクセルリスの狙いは更に上だった。
「うがあああああッ!」
刺さったままの槍を思い切り下に押す。
次第にメキメキと音が聞こえる。鱗が段々と剥がれていく。
「今だッ!」
腕に鋼を纏わせ、強烈なアッパーを鱗に喰らわせる。
ベキッという不快音が鳴り、鱗が完全に剥がれる。
「よしっ!」
〈や、やった!〉
テコの原理。咄嗟にしてはシンプルで有効な手段だ。
鱗の下には無防備な肉体。この好機を逃してはならない。
「うおおおお!」
十数本の鋼の槍が次々とリヴァイアークの生身に突き刺さる。
「KKYAAAYAAAAAAAAAAAAAA!!?」
悲鳴。そしてリヴァイアークの前進が止まる。
〈お、おい!?節約するんじゃなかったのか!?〉
「お師匠サマが言っていた! 必要な時には惜しまず使う、それが節約ってものだと!」
〈な、なるほど! また一つ賢くなったぞ〉
狂乱の慟哭を上げながら、リヴァイアークは海賊船の寸前で停止した。
だがその巨体から生み出されたパワーは、接触せずとも海賊船に重大な影響を与える。
風圧、そして水流だ。
「うおおおおおっ!」
直撃は免れたとはいえ、その余波も桁違い。
風と波に煽られ、海賊船はどんどんと右に傾いてゆく。
「船長! このままでは転覆します!」
「臆するな! 左舷撃て!」
再び左舷の砲門から魔砲が放たれる。
傾き空を仰いだ状態で放たれたそれは大きな放物線を描く。
そして、巨竜の死角からその体に着弾する。
「KGYAAAAAAAAAAA!?」
「今だ! 右舷斉射!」
間髪入れずに逆側の砲門全てが魔砲を放つ。
逆側。もちろんリヴァイアークとも真逆。この期に及んで狂ったか?否。
あの巨体に大ダメージを与える兵器、魔砲。その分反動も大きい。
一門による砲撃ならばまだ問題ない範囲ではある。だが、もし三門全てが同時に砲撃を行ったなら?
──そう。一斉射の反動で、傾いていた海賊船が正常な姿勢を取り戻したのだ。荒療治が過ぎる。
「さあ! 今がチャンスだ! 左舷、砲撃を休めるな!」
〈おお、何とかなったみたいだぜ!〉
そう言うトガネ。だがアクセルリスに船を気にする余裕はもはやなかった。
言葉を発する事すら無駄。余計な思考を行う事すら無駄。
ただ目の前の肉に槍を突き刺すことだけを考えていた。
迸る血。アクセルリスの体は半分以上がリヴァイアークの返り血に染まっていた。
「KY、KY、KYAGAGGAAAAAAAAAA!!!!」
暴れ回るリヴァイアーク。だがアクセルリスは振り落とされない。トガネのサポートが光る。
「……そろそろ頃合いか」
呟いて槍から手を離す。
「もう鋼の元素も少ない、ここで仕留める!」
〈了解だ!〉
アクセルリスはその手に一際大きな槍を生み出す。
「はあああああっ!」
全身を使い、思い切りそれを突き刺す。
「GAAAAAAAAA!!」
「これで終わりだ!」
跳び上がったアクセルリス。彼女が槍の先端に立つと、足元に銀色の魔法陣が浮かび上がる。
「破ッ!」
魔法陣が弾ける。強い衝撃波が放たれ、槍は根元まで刺し穿たれる。
「GGGGYAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!」
悲鳴。そしてリヴァイアークはのたうち回りながら海賊船に背を向け、海中へ沈んでいった。
沈みゆくリヴァイアークの背では。
〈やった! やったぜ! 追い払った! 成功だ!〉
赤い光が狂喜に舞う。だが。
「……いや、まだ」
〈え?〉
「……帰りの分の元素が──ない」
〈な──〉
「でももちろん、諦めた訳じゃないよ。策はある」
跳び上がる。
「トガネ! 先に戻ってて!」
〈わかった、信じてるぜ!〉
鱗の破片にトガネを潜ませ、海賊船へ向かって投げる。
「さて、と」
海面へ自由落下するアクセルリス。虚空で体勢を変え、空を仰ぐ。
「綺麗な空だ」
呟く。
彼女の背に、銀色の魔法陣が浮かび上がる。
「ふう」
深呼吸。身構える。
「破!」
放たれた衝撃波は落下中のアクセルリスを高く跳ね上げた。
衝撃波魔法で自らの体を打ち上げるなど、アイヤツバスが見たらどのような反応を示すだろうか。それほどの無茶。
「くぅぅぅー! 痛ってえ!」
あちこちが痛むが、体に別条はない。だがもう一度これをやるのはさすがに嫌だ。
どうしようかと悩んでいたそのとき、アクセルリスの体に縄が絡みつく。
「おっ」
その縄はまるで生きているかのように蠢き、彼女を海賊船へ引き上げた。
そう、トガネだ。
「ナイストガネ!」
〈へへん! もっと褒めていいんだぜ?〉
「それは保留!」
「だからなんで!?」
トガネによって確保されたアクセルリスは、問題なく海賊船に引き上げられる。
「アクセルリス! 無事か!」
「はい! 無傷ではないですけど!」
「まったく、ヒヤヒヤさせてくれるぜ」
安堵した顔のアドミラル。
「いつもこんな感じなのか?」
〈ああ、そうだな。死にたくないくせして無茶苦茶しやがる〉
「死なないために無茶苦茶やってるんだよ!」
「無茶苦茶なのは否定しないんだな……」
「さあ、これで全ての関門突破だ!」
「わーい!」
〈やったー!〉
「さあ、アレを見てみろ!」
アドミラルが指差す先には小さく見える島。
「あれが西果ての島……!」
「そうだ。二十年もの間、誰も足を踏み入れることのできなかった地」
「そこに、辿り着くんですね」
「感慨深いぜ……」
いざ、西果ての島へと。
【続く】