#1 絶対零度の間
「はい、じゃあ言った通りやってみて」
「了解ですお師匠サマ!」
アイヤツバス工房・庭。二人の魔女が何やら特訓のようなものをしているようだが?
「はぁぁ……」
アクセルリスが念じ、魔力を収束させる。
すると、彼女の前方に銀色の魔法陣が生まれていく。
「今よ」
「破ッ!」
アイヤツバスの号令で、それを解放。
衝撃波が放たれ、囂囂とした風鳴音が響き、森の大樹たちが波に煽られ軋む。
「……」
「……」
二人は息を飲んだ。しばらく黙っていた。
「……お師匠サマ、これって」
「成功よ。大成功。私もここまでとは想像してなかったわ……」
「……やったー!」
飛び跳ね喜ぶアクセルリス。アイヤツバスもそれを見て微笑む。
これはいったいなんなのか。
答えは簡単。《魔法の練習》である。
これまでアクセルリスは己の専門である《鋼の元素の操作》のみで生き抜いてきた。
確かにこの魔法は異常なほどの汎用性を誇る、優れた魔法だ。
だが残酷魔女として働いているうちに、これだけではなかなか厳しいという現実が見えてきた。(主に鋼の元素切れ)
そこで他の魔法も兼用しようという話になったのだが、ここで重大な真実が発覚。
なんとアクセルリスは他の魔法をロクに使える身ではなかったのだ。
魔女となってから今に至るまでの十年間何をしていたのだろうか。アイヤツバスは何も教えてなかったのか。
色々な議論は起こったが、無い物ねだりしてもキリがない、とにもかくにも何か魔法を取得しよう、という事でこのように特訓をすることとなったのだ。
選ばれたのはベーシックな魔法、《衝撃波》であった。
「もう一回やってみて、今度は抑えめで」
「了解です! ……破!」
再び衝撃波が周囲に広がる。先程の物より威力は控えめだ。コントロールもバッチリのようだ。
「うんうん、完璧ね。さすが我が弟子」
「えへへ! トガネ見てた!? 私の雄姿! トガネ? トガネー?」
返事は無い。
「あれ。どっか飛んでったのかな。まあいいや」
相変わらず不憫な使い魔だ。
アイヤツバスも周囲を見渡しトガネを探す。
──と、別なものを見つけた。
「あれは……」
三つ眼のカラスが看板に止まっている。
「アクセルリス、来て」
「え? トガネ見つかってませんケド」
「いいから。大事な話よ」
「はーい」
アイヤツバスの後を追っているうちに、アクセルリスもその存在に気付いた。
「あれっ。あの子は確か」
「ええ。総督の」
「ガー」
応えるように鳴くカラス。その背には手紙の入った筒。
「伝令ですかね?」
「そうでしょう。それも、大事な」
アイヤツバスが手紙を受け取ったのを確認したカラスは空の向こうへ飛び立っていった。
アクセルリスがカラスに手を振っている間に、アイヤツバスはそれを読み終えたようだ。
「──アクセルリス、出かける準備をしなさい」
「え? 出撃ですか?」
「《総督勅令任務》よ。対象は、貴女」
「……ッ」
瞬時に強張るアクセルリス。ついにこの時が来たのだ。
【絶対冷帝】
【絶対冷帝 #1】
軽快な到着ベルが鳴り、アクセルリスとアイヤツバスはそのフロアに足を踏み入れる。
クリファトレシカ100階。魔都ヴェルペルギースの空を貫く塔、魔女機関本部、その最上階である。
ここにあるのは魔都を、魔女機関を、そして魔女社会を統べる帝王の拠点。即ち総督室である。
◆
「ここが……総督室……?」
「いいえ。総督がいるのはこの先」
二人の前には重厚な扉。『いかにも』といった感じだ。
青白い電灯が部屋と魔女を仄暗く照らしている。
アクセルリスは周りを見る。
右手側には長椅子。待機者が座る用なのだろうが、長らく使われていないようで、ホコリが被っている。
左手側にはタンス……タンス?
「お師匠サマ、これは一体」
「それは防寒服の貸出よ。貴女も使った方がいいわね」
「防寒服!?」
アクセルリス、驚愕。そんなにとんでもないところなのだろうか、総督室は。
白いコートを念入りに着込んだアクセルリス。黒コートのアイヤツバスと対照的。
「開けるわよ」
黒い扉に手を当て、魔力を注ぐ。
黒地に水色のラインが浮かび上がる。そして、ひとりでにゆっくりと扉が横に開く。
「う……!」
溢れ出る冷気。アクセルリスは思わず顔をしかめる。
そして目にしたのは、せまっ苦しいスペース。どこからどう見ても総督室ではない。
「寒い地域では扉を二重にすることで外の寒さを屋中に入れないという工夫をするらしいわよ。バシカルがそう言ってたわ」
先程の扉が閉まったのを確認し、アイヤツバスは二枚目の灰色の扉に手を当てる。
水色のラインが浮かび、扉が開く。
「う゛」
先程よりも強い冷気。そしてアクセルリスの目に映るのはせまっ苦しいスペース。
「ええ。三重扉よ」
灰色の扉が閉まったのを確認し、アイヤツバスは三枚目の白い扉に手を当てる。
「この先が総督室。寒さ、覚悟してね」
アクセルリスは無言で頷く。
白地に水色のラインが浮かび、扉が一層ゆっくりと開く。
「う゛う゛う゛う゛……」
極めて強い冷気が流れ込む。目を開けているのでやっとだ。
何とか開けている銀の目は、凍り付いた機材だらけの部屋と奥の方に浮かび上がっている数個の画面、そして部屋の中心に鎮座する巨大球状装置を写す。
これが魔女機関総督、キュイラヌートの城。総督室である。
「邪悪魔女9i・研究部門担当アイヤツバス・ゴグムアゴグ。そして」
「邪悪魔女5i・環境部門担当アクセルリス・アルジェント、ただいま参上しました」
凍り付いた空気を切り裂いて、どこからか声が聞こえる。
〈────よく来てくれた、二人とも〉
氷のように鋭く冷たい声。これがキュイラヌートの声なのだろうか。
〈既に伝令は読んでいるな〉
「はい、しっかりと」
〈ならば多くは語るまい。アクセルリスよ、汝に総督勅令を与える〉
「……はいっ」
「して、内容はどのようなものでしょうか?」
〈《西果ての島》は知っているか〉
「名前なら聞いたことがあります」
「……」
アイヤツバスは無言であったが、その顔がやや変わる。彼女は知っているようだ。
〈そこへ向かい、魔女フロンティアと接触してもらう〉
「……え? それだけですか?」
「……まあ、何も知らないんじゃそんな反応よね」
「お師匠サマ、何か知ってるんですか?」
「勿論。私は《知識の魔女》だからね」
〈ではアイヤツバスよ、我の代わりに説明をせよ〉
「了解しました。じゃあ、ちゃんと聞いててねアクセルリス」
「はいっ」
アイヤツバスの説明はこうだ。
《前線の魔女》フロンティア。彼女は己の魔法と類稀なるサバイバルスキルをもって、魔女機関環境部門での開拓部長として活躍していた。
およそ二十年前、彼女は無人島である《西果ての島》の開拓へ向かった。
西果ての島への航路は険しく苦しいものであったが、何とか彼女は辿り着き、開拓を始めた。
だが、島は予想以上に広く、さらに興味深い生態が出来上がっていた。
そこでフロンティアは島に定住し、工房を建てることにした。当時の魔女機関もそれを承認した。
こうして、フロンティアは栄えある一人目の島民として、島での暮らしを始めた。
……問題が出来たのはその後だった。
工房を作った以上、彼女も魔女機関に税を納めなければならない立場にあった。
魔女機関は西果ての島に税納の使節を送った。
──彼らは帰って来なかった。
荒れ狂う波、安定しない天候、島への航路を遮る数々の原生生物。
フロンティアが西果ての島に辿り着いたこと自体が奇跡だったのだ。
魔女機関は何度も挑んだが、良くて生還、海の藻屑となるのがほとんどだった。
これ以上の被害は許容できないと判断し、十五前から西果ての島への探索は打ち切られていた。
「……それを私が」
〈難度の高い任務だが、汝ならば必ず成し遂げるであろう〉
キュイラヌートからの期待を受けても、アクセルリスの心は安らぎを求める。
〈通常の総督勅令であればその魔女本人以外の助力は認められないが、今回は事情がやや異なる点を留意しておけ〉
「助力……あ、一つ質問いいですか?」
〈許可する〉
「ありがとうございます。総督勅令は私の力のみで成し遂げる任務、という訳ですけど、使い魔の同行は許可されていますか?」
〈使い魔か。許可されている。古来より使い魔も魔女の力の一部とされていたからな〉
「そうなんですか。なら大丈夫かな」
アクセルリスのトガネに対する重篤な信頼が伺える。肝心の彼本人はこの場にいないが。
〈それともう一つ。任務の際には監視役として我の使い魔も同行させる〉
「総督の?」
〈そうだ。来い〉
球状装置のラインが青白く光る。すると、部屋の奥から三つ眼のカラスが飛んできて、氷によって生み出された止まり木に止まる。
〈我が使い魔、《クリフェ》だ〉
「ガーッ」
「この子使い魔だったんだ……」
意外な事実。やはりアイヤツバスは知っていたようで、黙って静かに微笑むのみ。
◆
〈では今一度総督勅令の確認をする〉
「はいっ」
〈対象者は邪悪魔女5iアクセルリス・アルジェント。任務内容は西果ての島へ向かい、二十年以上社会から隔離されてしまっている魔女、フロンティアと接触すること〉
冷たい声は淡々と任務内容を述べていく。
〈発令は五日後。重要な任務となる、心して挑め〉
「了解です!」
〈それでは解散だ。外との温度差に気を付ける様に〉
「あっはい」
〈後、貸し出したコートはこちらで洗濯しておくから、使用済みのカゴに入れておいてくれ〉
「はい」
翌日。クリファトレシカの食堂にて。
食事をとるは三人の魔女。アクセルリス、アディスハハ、そしてイェーレリーだ。
「そっかぁ。アクセルリスももう総督勅令かあ」
「もうそんなに経っていたとはな。魔女になってから時間の流れが速く感じる」
それぞれサラダと骨付き肉を食べつつ思い出話に花を咲かせている。
「アクセルリス、緊張してる?」
「は、はっ!? 緊張!? して、してねーし!?」
そう言う口の周りには鶏ステーキのソースが散乱している。
「……正直に」
「してます」
スムーズな白状。
「……まあ、ほんの少しだけどね。流石にあそこまで動揺はしないよ」
口の周りを拭きながら言う。
「そうだね。アクセルリスが鶏肉の前であんな感じになるわけないしね」
「ははは、一理ある」
「なにおう」
既に二人はアクセルリスの事をよく知っていた。気を許せる良い友である。
「ま、アクセルリスなら大丈夫だろう」
「そうだね。緊張なんて串焼きにして食べちゃえ」
「私どんだけ腹ペコキャラになってるの?」
「……じゃあさ、二人はどんな感じだったの?」
一通り食事を済ませた後、アクセルリスは二人に話を振る。
「ん? 総督勅令か?」
「うんうん。話聞かせてよ、せっかくだから」
「私は『《キセキソウ》の採取』。イェーレリーはなんだっけ?」
「『《世界のヘソ》の探索』だ」
「おおぅ……二人とも凄そう。詳しく教えてよ、詳しく!」
アクセルリスの眼が好奇心の輝きを放つ。
「詳しくっつてもねー。めっちゃ高い山に登って草をむしってきただけだよ?」
「表現が淡白すぎる」
「落ちて死にかけたりしたけど、特に何も起きなかったよ」
「起きてる」
「イェーレリーは? 世界のヘソ、どんな感じだったのさ」
「世界のヘソ……あのパワースポットだよね?」
「ふん。実際行ってみるとろくでもないところだぞ」
「あぇ、そうなの?」
「ああ。空気中の魔力が濃すぎて鎧骨がないとまともに行動することもできない」
「そんなに!?」
「苦労して探索した割に見つかったのは得体の知れない小さな石塔一個だけだ」
「他に何もなかったの?」
「なかった。しかもその石塔を見つけたことを報告したら、任務完了だと言われた」
「なんか不思議で不気味だね……」
「パワースポットと言うよりは心霊スポットみたいな感じだね……」
恐々とする二人。
「ただまあ、楽と言えば楽だった」
「あーそれは私も感じた」
「死にかけてるけどね」
「だからアクセルリスもきっと大丈夫だよ」
「ああ、きっとそうだ」
「アディスハハ、イェーレリー……」
「頑張ってね!」
「応援している」
「二人とも……ありがとう! よーし! そうと決まれば今から腹ごしらえだ!」
激励を受けたアクセルリスはおかわりを求め立ち上がった。
「まだ食べるの!?」
「無尽蔵だな……」
【続く】