#3 鋼蕾の咲くとき
【鋼蕾の咲くとき】
華の空洞、アディスハハ工房。
「……」
「……」
二人の魔女がそこには居た。鋼の魔女と蕾の魔女だ。
向かい合って座っているが目線は合わせず、会話もない。まるで相手の出方を伺っているかのような――否、実際にそうなのだろう。
ティーカップのドクヤダミ茶が静かに波打つ。
長い長い沈黙の後。
「アディスハハ」
「アクセルリス」
同時。寸分違わぬタイミング。
「あ……ごめん、そっちからでいいよ」
「いや、ううん、私が後でいいや」
「いい? じゃあお言葉に甘えるね」
息を整え、言葉を紡ぐのはアクセルリスだ。
「私の……過去の話をしようと思うんだ」
「えっ?」
「やっぱりいきなり過ぎるよね、ごめんね」
「いや、そうじゃなくて……私も同じことを話そうと思って」
「まじ?」
「まじ」
「凄い偶然だね、あはは」
「……偶然じゃなかったりしてね、ふふ」
一通り笑いあった後、アクセルリスは覚悟を決める。
「…………じゃあ話すね」
「うん」
「もしかしたら、ちょっと重いかもしれないけど」
「大丈夫だよ、アクセルリスの事なら何でも」
「……ありがとね」
喉の奥で言葉が絡まる。イメージトレーニングは何度もしたはずなのだが。
彼女自身も気付いていない心理の水底で未練が蠢いているのだろうか。
だがアクセルリスはそれを断ち切る。未来のため。アディスハハと共に歩む道のため。
「私は……小さい頃に家族を失ってるんだ」
「……」
アディスハハの表情を伺う。微妙そうな顔。分かってた反応だ。
「村の近くで起こった戦争に巻き込まれて……村ごと滅んで無くなった」
「……じゃあ、前に言ってた『妹が二人と、弟が一人』っていうのは」
「うん。もうこの世にはいない」
「……ごめんね、嫌なこと聞いちゃって……」
「大丈夫だよ。傷は……多分癒えてるし、お姉ちゃんっぽいって言われて嬉しかったから」
果たして本当に、あのときの傷は消えて無くなったのか。アクセルリス自分の言葉に疑問を覚えたが、無理矢理記憶の海に沈めた。
「……それで、私は一人になった。しばらくの間、一人で生き延び続けた」
「……一人」
「このままいつまで生き永らえるのか。そんな事を考えながらもただひたすらにがむしゃらに生きた」
アクセルリスの脳裏にあの修羅のような日々が蘇る。
料理はある程度母から教わっていたが、器具や調味料はほとんど使い物になっていなかった。
ゆえにアクセルリスは、食材をそのまま食べていた。野菜も、鶏も。
空腹で死にかけたこともあった。
野生の猫と獲物を奪い合い、死にかけたこともあった。
だが。それでも。彼女は生きた。
「ある日、村だった所に一人の魔女がやって来た。私はその魔女に言われるがまま従い、弟子になった」
「アイヤツバスさんだね」
「うん。お師匠サマが何で私のところに来たかは今でも分からないけど、今の私がいるのはお師匠サマが拾い上げてくれたおかげ。命の恩人で、たった一人の家族なんだ」
「家族……」
「感謝しても……し足りないよ」
ドクヤダミ茶を一口。闇の味が広がる。砂糖入れ忘れた。
「その、村を巻き込んだ戦争って……」
「うん。《戦火の魔女》によるものである可能性が高いって」
「……アクセルリスは、どうするの?」
「決まってるよ」
アクセルリスはにっこりと笑って、言う。
「殺す」
「っ」
静かなる迫力、かつ迸る怒りの感情にアディスハハは一瞬『死』を感じた。
「復讐。それが今の私の目的」
握る拳に力が籠っていく。
「……きっとお師匠サマは、私に復讐のチャンスを与えるために邪悪魔女にしてくれたんだ」
「そう、かもね」
「だから私は、必ず戦火の魔女を殺して、復讐を遂げる」
強く、強く、言い切る。鋼のごとく鋭く固い決意。
「私の話は、これで終わり」
「……がんばってね。私も応援してるから」
「うん。アディスハハが応援してくれるなら、絶対大丈夫だよ」
「えへへ」
◆
「……さ、次はアディスハハの番だよ」
「うん」
アディスハハはドクヤダミ茶を一口飲み、言葉を生む。
「突然だけど……アクセルリスはさ、《デドウメドウ家》についてどのくらい知ってる?」
「デドウメドウ? アディスハハのとこの?」
「……そうだね」
「そうだなぁ、魔女社会ではかなり有名な家ってくらいは流石に知ってるよ」
「まあ、世間的にはそんなもんだよね」
アディスハハは軽く笑う。諦観、あるいは嘲笑?
「……デドウメドウは《枯れ野》という意味なんだ」
「へえ、そうなんだ」
「デドウメドウ家は由緒ある魔女の家系で、多くの魔女を輩出してきた」
「うん」
「デドウメドウの魔女は、生物のエネルギーを枯らし、命を萎れさせる魔法に長けている。《枯れ野》が意味するように」
「……うん?」
アクセルリスは違和感に気付く。当然だ。
目の前にいるこの魔女――アディスハハ・デドウメドウ。彼女の称号は《蕾の魔女》。
「…………無論、例外も存在する」
アクセルリスは息を飲み、黙って耳を鋭くする。
「数十年に一度、デドウメドウとは真逆の――つまり、生物にエネルギーを与え、命を育む魔法に長けた魔女が生まれる」
「……なるほど」
合点が行った。アディスハハはその例外の子だったのか。アクセルリスその程度の呑気な認識でいた。
「――そして」
「……」
言い淀むかのような様子にアクセルリスの残酷な直観が機敏に働く。
「その魔女は異端とされ、邪悪なものとして扱われるようになる」
「……え」
背筋が凍る。異端? 邪悪なもの? だとすれば――アディスハハは。
「…………楽しかった私の生活は一瞬にして裏返った」
「……」
声が出ない。
「苦しかった。苦しかった。ただ苦しくて、苦しくて、苦しくて」
俯いたアディスハハの顔には影が掛かり、表情が見えない。
「だから。私は逃げ出した。里の周りは荒野だったけど、どうせ死ぬなら一人で楽に死にたかった」
「……そのあと、どうなったの?」
「歩いて、歩いて、歩いた。知らない間に荒野は抜けて、草原に着いてた。そこで意識を失った」
「……それで?」
「目が覚めたら、ここにいた。倒れてるところを拾われたらしい」
「それが師匠の?」
「うん。当時ここに工房を構えてた、《花弁の魔女》ブルーメンブラット。行く当てもなかった私はそのまま弟子になった」
「それで邪悪魔女にまで昇進したわけだね」
「そうだね。私も師匠には感謝してもし足りない」
そう言ってアディスハハはドクヤダミ茶をまた一口。
「私の話はこれで終わり。聞いてくれてありがとうね」
「……まさかアディスハハにそんな壮絶な過去があったとは」
「あはは、びっくりした?」
「そりゃもちろん」
「でも私はアクセルリスの過去の方がびっくりしたよ」
「え? そう?」
「だってアクセルリス、普段すごい明るいから」
「あー、まあもう昔の話だし、いつまでも引きずって暗くいるのもなんか嫌じゃん?」
「あー、わかるわかる」
「だよね! やっと共感してくれる人がいたよー」
「まあこんな話共感できる人なんてめったにいないもんね」
「そうそう!」
「やっぱり私たち、相性良いみたいだね」
「……うん、そうだね」
「じゃあ……改めて」
「うん?」
「これからも……よろしくね、アクセルリス」
「……うん。ありがとう、アディスハハ」
二人は共に関係を確認し合い、少し恥ずかしくなった。
アクセルリスは目を逸らして笑い、アディスハハはドクヤダミ茶を飲んだ。
二人の時間はゆったりと流れてゆく。
「……ところでさ、アディスハハ?」
「ん? どうかした?」
「よくそんなドクヤダミ茶飲めるね?」
「え? だって砂糖たくさん入れたから」
「……え?」
「え?」
「私の……入って……な……」
「…………あ」
【鋼蕾の咲くとき おわり】