#3 時来たれども氷は融けじ
【#3】
かつて常夜の都だったヴェルペルギース。魔神の暴威によって烈日の元に晒されたそれは、今だ永久の夜闇を取り戻せぬまま世界に佇む。
しかしその内部は今も変わらぬ機関を稼働させ続けているのもまた事実。それは心臓──魔女機関が不変な存在として脈動し、全ての循環を保ち続けているからに他ならないだろう。
そして、その中枢たる魔女機関本部クリファトレシカ。その東中庭に溢れんばかりの群衆が集っていた。
視線の先は一つ、大いなる力によって設けられた氷の舞台。誰もがその舞台に立つプリマドンナを今か今かと待つ。
時は不意に訪れる。
「────これより会見を行う」
中庭の気温が下がると同時に冷たい声が響いた。そして、舞台に一人の魔女が顕れる。
「魔女機関総督キュイラヌート・ヴォルケンクラッツァー。ここに」
氷の礼装を纏った絶対零帝。その威圧、その荘厳、その冷気──滅多に晒されることがないキュイラヌートの真体を拝む者は、みなその存在に圧倒され言葉を失う。
静寂は彼女によって都合が良い。切り裂き、言葉を続ける。
「我が言葉を聴くために集まったこと、心よりの感謝を。我も誠心誠意それに応える」
余分な感情はなく。ただ真っ直ぐな感情だけが籠ったそれが突き抜ける。
「本日の会見内容は《戦火の魔女アイヤツバス》に関してだ」
キュイラヌートが人前に姿を現すからには、当然相応の理由がある。今回のそれは言うまでもなく、史上最悪の外道魔女かつ史上初の魔神であるアイヤツバスに関するものだった。
「皆々もよく知っているであろう《戦火の魔女》。その正体は我々魔女機関の最高幹部である邪悪魔女のひとりであるアイヤツバスであった」
悍ましき真実。戦火の魔女は魔女機関さえも欺くほどの権能を有していた。それが世界にとってどれほどの脅威だったことか。
「そしてアイヤツバスはそれに留まらず、魔神と成り世界を滅亡させるべく動いた。結果的にアイヤツバスは斃され世界の存亡は護られたが──払った犠牲、そして奴が残した傷痕は余りにも大きい」
黒き冷徹をはじめとする尊き命の対価。そして今此処に在る、陽が刺すヴェルペルギースも傷痕の一つ。
「全ては我々の責だ。邪悪なる本性に気付かぬままアイヤツバスを野放しにし、数多の犠牲を生んでしまった────故に」
そして、キュイラヌートは──
「魔女機関総督として、全ての魔女に代わり──深い謝罪をここに示す」
その場に跪き頭を垂れた。そのまま凍り付いてしまったかのように彼女は暫く動かなかった。
やがて群衆のどよめきが治まったころ、キュイラヌートは再び立ち上がり、言葉を続けた。
「これからは未来のことについて話す」
過去を斬り捨てるようなその言葉はむしろ、何よりも起こってしまった宿業を断つための意志であった。
「戦火の魔女こそ消え去った。しかし先にも言ったが、それが遺した悪しき影は数多にある」
死して尚、この世界に多大なる影響を残す。それこそが神のスケールなのだろう。
「邪悪魔女1i・魔女機関執行官バシカル・キリンギの死。戦災に巻き込まれ、或いは失われた命。局地的な破滅に見舞われた世界──挙げていけば終わりはない」
魔女機関の根底から世界の果てまで、魔神が伸ばした悪縁は果てしなく。
「それに対して我々が何を成すか。如何様にして世界を完全な正常に正すか、だ」
「違うね」
キュイラヌートの演説の最中。不意に、群衆の中の一人──とある魔女が、目元を帽子で隠しながら口を開いた。
「違う。私達が聞きたいのは魔女機関の今後の方針なんかじゃないよ」
「……であれば、何だ?」
不敵な様子、慇懃無礼たる態度にキュイラヌートは目を細めながらも問い返した。
「確か……初代邪悪魔女は9iケターが叛逆し、1iティエラがその命と引き換えにケターを斃し、その後10iザミエルが全ての責任を負い辞任した。だろう?」
「ああ、全て正しい」
肯定を返す。如何なる情報網か、魔女が語った初代邪悪魔女の末路は正確なものだった。
「そして今は、9iアイヤツバスが叛逆し、1iバシカルがその命と引き換えにアイヤツバスを斃した。不思議な一致が見られるね」
「つまり?」
「あなたが負う『責任』とは何か。それが一番知りたいんだよ、私──私たちは」
挑発するような言葉だった。
だがキュイラヌートが感情に熱を帯びさせることはない。その問いすらも己の語る言葉のように、ただ冷たく。
「知りたい、という声があるのならば我はそれに応えるのみ」
「じゃあ、教えてよ」
「戦火の魔女であるアイヤツバスを魔女機関に就かせながらも野放しにしていた。その事実は魔女機関の罪であり、それはつまり我一人が受けるべき罰でもある。故に我は全ての責を取り──」
冷たき帝は、己へも冷酷に氷決を下す。
「戦火の魔女がこの世界に遺した全ての残滓を祓うまで、魔女機関総督として指揮を執る」
それは強き選択、その表明だった。
かつて──5000年前の動乱のように、全ての責任を取り辞任することは、キュイラヌートにとってある意味では最も簡単な道だろう。総督の立場と引き換えに、戦火の残照から逃れられるのだから。
だがキュイラヌートはそれに抗った。
「それが我に科された、魔女機関総督としての最後の任務であると見なす。遺された怨恨が完全に消え去ったとき、我は改めて清算として総督を辞任しよう」
誠実で力強く、そして何よりも勇気を要する選択に、聴衆たちは皆沈黙のまま呆気に取られるばかりであった。
そしてかの魔女は、再び目元を隠し、誰にも届かぬほどの声で呟いた。
「相変わらず、バカマジメだね」
◆
決意表明、或いは徹底抗戦。その後程なくして魔女機関の会見は終わり、冷たい風の中群衆たちが消えていく──その果て、一人の魔女だけが残っていた。
それは会見の最中、声を上げたあの魔女だった。
「…………お前」
その姿を改めて見下ろし、キュイラヌートは呆れたような表情を浮かべた。
「何しに来た」
「いやぁ。元同僚ががんばってる様子だったからね。私もナワバリを出て見に来たってだけだよ」
「よほどヒマなんだな──クロノクリシス」
「えへ」
クロノクリシス──それは魔女機関の歴史に名を連ねる存在の一人。つまり──初代邪悪魔女7i《時の魔女クロノクリシス》に他ならなかった。
「立派に総督やってるみたいで安心したよ」
「おかげさまで。お前こそ今は何をしているんだ」
「私は何も変わらないよ? ずーっとナワバリでゆっくりさ」
クロノクリシスは飄々と、しかし底知れぬ雰囲気を漂わせる。だがキュイラヌートにとっては今更取り立てる程の様子でもないようであり。
「ふぅ、しかしココは時の流れが早いね。息が詰まりそうだ」
「お前の領域以外はどこも同じだろう」
「えへっ。ま、そんなわけだからもう行くね」
「帰るのか。わざわざヴェルペルギースまで戻ってきたというのに」
「もう用はないからね。この街も見飽きてるし」
彼女もまたかつての邪悪魔女の一人。であればヴェルペルギースの街並みなど、掌中の庭に等しいのだろう。
「応援してるよ。じゃね」
そうしてクロノクリシスは去っていった。キュイラヌートに並ぶ大魔女はしかし、何を負うこともなく、誰にも気付かれることなく、消えていった。
「……全く」
溜息を零す──しかしその表情は、どこか和らげに。
【続く】