#1 イユンクスの先で
【ACCEL・Re:Start】
ふたつの魔神による星戦が終わり、残酷のアクセルリスは復讐を成し遂げた。
──しかし、この物語に幕を引くには、まだ早すぎる。
彼女がひとつの終着点を迎え、そして新たな道を進み始めるまでの再起。
それこそが舞台の結びを彩るには相応しい演目となろう──
◆
【#1】
「…………」
あれから数日が経った。
アクセルリスは今、自室のベッドに横たわり、退屈そうに天井を見ていた。
「全然元気なんだけどな、私」
死闘の果て、アイヤツバスを討ったアクセルリス。彼女が負っていた創痍は魔神の力が消える直前に、その余波によってほとんど癒えていた。
つくづく便利な力である、が──医療部門長シャーカッハの懸念はそこではない。
曰く、こう。
「アクセルリス。貴女はごく短期間の間に魔女と魔神を往復し、魔力も大量に生成し、貯蔵し、そして消費した。その魔力量の目まぐるしい変化が貴女の体に害を及ぼすかもしれないのよ」
と。
そしてズブの素人であるアクセルリスが医療部門を統べる彼女の言葉に逆らえるはずもなく。
故に戦いの決着から数日の間、こうして自宅療養に励んでいるのが救世主の現実であった。
「んん」
アクセルリスは手を握り、開く。この数日間、何度この所作を繰り返したかなど数えたくもない。
「結局なんの異常もないままだ」
ぼんやりと。彼女の時間はただゆるやかに流れていくだけだった。
しかしそれは決して無為なものではなかった。この暇を総動員して考え、そして至った結論がアクセルリスにはあった。
それを改めて書き残そうと、彼女がベッドから身を起こしたその瞬間、チャイムが鳴った。
「ありゃ。変なタイミング」
アクセルリスはそう言って玄関へ向かう。その動作はよく手慣れたものだ。
それもそのはず、この療養期間の数日、毎日毎日魔女機関より健康管理のエージェントがこの工房に訪れているのだから。
その度にアクセルリスは問診にて異常のないことを伝え、最低限の診断を行い、そして見送るというルーティンを繰り返してきた。
「はーい。今開けまーす」
今日もそのときが来たか、と彼女は軽い気持ちでドアを開けた。
「おはよっ、アクセルリス!」
しかしそこに立っていたのは予想だにしていなかった人物──その名もアディスハハ。彼女はいつものような明るい笑顔をアクセルリスに向けた。
「え、アディスハハ!?」
「うん、私! 今日の担当は私なんだ! あ、上がってもいい?」
「もちろんだよ! お茶入れるからちょっと待っててね!」
その明るさが伝播し、アクセルリスもまた輝き出す。これまでの担当者は面識のない魔女たちであったという事実の積み重ねもまた一因であろう。
喜びのまま動くアクセルリスは極めて素早い。元々アディスハハも何度も遊びに来ていたという慣れもあり、あっという間に二人はティータイムの支度を整えていた。
「お待たせ! それで今日はアディスハハが問診とかするんだっけ?」
ドクヤダミ茶を配膳し、アクセルリスは問う。
「んー、実はちょっとだけ違うかな」
僅かに口を付け、アディスハハは返す。広がる闇の味ももはや馴染み切ったものだ。
「検診、というよりは報告だね」
「報告……? あっ、それってもしかして」
「うん、その通り!」
二人の間に言葉は要らず、ただ以心伝心のみがある。
「アクセルリス、明日から仕事に戻れるよ! 継続定期健診の結果、問題ないって認定されたんだ!」
「やっぱり! やったー!」
飛び上がらんばかりの勢いで喜ぶアクセルリス。それに反応してか、その腹の虫も大声を上げた。
「おっと、と」
「あはは、相変わらずお腹も元気だね」
「そりゃそうだよ、ここ数日は食事制限も課せられて全然満足できてなかったんだもん!」
「それも終わりだよ。今日からは好きなだけ食べていいからね!」
「やりぃ! じゃあ早速今から──」
と、残酷な食欲は今にも走り出そうとするが、理知がそれを押し留めた。
「いや違う! アディスハハ、今から私とふたりだけで祝賀会しない?」
「勿論、喜んで!」
当然の答えだった。断る理由など一つもない。
「じゃあごはん作ってくるから待ってて!」
「ううん、私も作るよ! アクセルリスを祝わなくちゃいけないんだから!」
「それもそっか! それじゃ一緒に作ろ!」
睦まじく、アクセルリスとアディスハハはキッチンへと消えていった。
それからも共に流れる時を分かち合う。
ふたりで他愛のない雑談に花を咲かせながら、ふたりで力を合せて料理を仕上げてゆき、ふたりで手分けして食事の用意を済ませ、ふたり揃って微笑みながら食卓を囲む。
「いただきまーすっ!」
重なる声が森に響く。直後、アクセルリスは凄まじいスピードで祝賀の食事を消費し始めた。タガの外れた食欲が今解き放たれたのだ。
「流石の食いっぷりだね! 詰まらせないように気を付けてよ?」
「アディスハハの料理だもん、止め処なく残さず食べてみせる!」
「かっこいいー!」
幸福論に埋め尽くされ、二人を包む世界は浮つく。
「うおおおおーーーーっ!」
「食べて食べて! 全部食べちゃってーっ!」
狂乱の給餌、それを囃し立てる花畑。歪んだ饗宴の様相だが、ふたりにとっては何よりも幸せな時間と空間だった。
◆
やがて全ての料理は喰い尽くされた。想像の通り、ほとんどはアクセルリスの腹の中に納まっていた。
多幸の残響、そこに身を置くアクセルリスが至るのは追想の渦。
「……もうアディスハハが私の傍にいるのは当たり前のことになったけどさ」
「うん?」
「落ち着いた今だから考えるんだ。アディスハハと出会う前と、出会ってからとを」
その覇道を支え続けてきた愛の花。灼銀を取り戻した瞳はそれを見ていた。
「初めて会ったのは夜会のときだったよね。あのときアディスハハに話しかけられてすごい安心したんだよ」
「緊張してるって思って。私が邪悪魔女になったのはアクセルリスよりちょっとだけ先だったけど、初めて夜会に参加したときはありえないくらい緊張してたからさ!」
「やっぱりアディスハハもだったんだ」
「うん。そのとき私に声を掛けてくれたのがシェリルスさんだったの。それですごく安心できたから、私も次やってあげようと思ってたんだ」
受けた施しをまた別へと届けることができる。この善良性こそがアディスハハをアディスハハたらしめる芯であるともいえよう。
「んで、この工房に初めて来たのは」
「お宝探し! 忘れるわけないよ、アクセルリスとの最初で最大の思い出だもん!」
アディスハハが克明に刻む記憶。宝探しは森の王の試練に飛躍し、達成こそ成されなかったがその絆に王より証を賜与された一連の物語と、後に襲い来た剣。
「思えばあれが初めてのデートだったのかな」
「にしては色々過酷だったような……」
「ま、今となってはいい思い出ってことで!」
「アディスハハが気にしてないならいいけどね!」
共にあまり過去を引き摺る性格でもなく──というよりは、引き摺ってばかりでは前に進めないのだろう。この二人の来歴ならば無理もない。
「それからも色んなことがあったね」
「不法侵入とか」
「言い方が悪いよー!」
「暴走列車とか」
「本当にピンチだったけどあのときのアクセルリスかっこよかったな!」
「お料理対決とか」
「ちょっと! 私のチームは蚊帳の外だったじゃん!」
「あはは」
いちいち反応が面白いもので、ついアクセルリスも笑い出す。
一応、メラキーの件のような重くて暗い話題は避けたが、きっと今のふたりならばそれさえも笑い飛ばせてしまうだろう。
「楽しいことも辛いこともいっぱいあったけど、アクセルリスがいたおかげで今の私がいるんだ」
「私もだよ」
「結局、私たちの愛は永遠ってことだよね! これからも愛してるよ、アクセルリス!」
「ああ──そうだ。そのことなんだけど」
『愛』。切欠は何ともない、恋仲同士の会話より。
不意にアクセルリスの声色が急転する。アディスハハも勘付いたようで、訝し気な目を向ける。
「私ね、この数日で考えて決めたことがあるんだ」
「……なに?」
「怒らないでね」
まるで死の宣告を伝えるかのようなアクセルリスの様子。身を強張らせ、アディスハハは聴き届ける──
「アディスハハ──私たち、友達に戻ろう」
それは事実、終末を告げる声にも並ぶ絶望の音韻だった──少なくとも、アディスハハにとっては。
「…………なに、それ」
当然、受け入れられるわけもなく掠れた声を漏らす。
「なんで……急に。私たち、ずっと愛し合ってるって──」
「だからなんだよ、アディスハハ」
「なにがさ! だったらなんで、私とアクセルリスが!」
「……じゃあ聞いてよ、私の話」
「────わかった、よ」
「ありがとね」
身を焼く理解不能に苦しみながらも、アディスハハは確かな『答え』を求めた。
アクセルリスが何の考えも、葛藤もなくこんな答えを出すはずもない──そして、アディスハハよりも辛そうな表情を見せるはずもないのだから。
「……まず、私はアイヤツバスを殺して復讐を果たした。ここまではいいよね」
「うん。アクセルリスがずっとずっと望んでいたこと。遂にそれが叶ったんだ」
「それは実際祝福されるべきことなんだ。私一人にとってはそう──だけど」
アクセルリスは見渡す。がらんどうの工房。二人があるリビングルーム以外には、虚ろに渦巻く空しさが満ちている。
「だけどアイヤツバスは、私の仇でありながら──『師匠』であり、孤独の中で完全な野性に堕ちかけていた私を救って育ててくれた『親』でもあるんだ」
「そう、だね」
喉を詰まらせながらもアディスハハは返す。
「でもその葛藤は乗り越えたはずじゃ」
「そう。乗り越えて、私は『家族』を失ったんだ」
一つを得て一つを失った。その等式は、果たして等価交換に相応しき天秤だったのだろうか。
遠い眼差し、アクセルリスの言葉が逸れる。
「私のエゴ──残酷。それが何なのかはアディスハハならよく知ってると思うんだけど」
『極めて強い生存本能を持ち、生き伸びるためならばあらゆる存在を犠牲にする』。ただし、例外として『家族のように深く愛する存在に対しては自身の命を捧げてでも護る』。それがアクセルリスを形成するエゴである。
「……うん」
「だったらさ──何か、気付かない?」
「気付く……? いや、何も……」
「ヒント。私がこれまで、命に替えてでも護ろうとした存在たち。『実の家族』である父さんや母さん、アズール、ギュールズ、パーピュア。『相棒であり弟』だったトガネ。『救ってくれた育ての親』のアイヤツバス」
羅列される名たち。それらが有する共通点に、アディスハハも気付く──気付いてしまう。残酷な、真実に。
「まさか」
「みんな死んだ」
感情を籠めることもなく、ただ言い捨てた。
「私の目の前で──望まれないまま、この世にやり残したことを置いたまま」
まだ生きたいと願い続けていたアルジェント家の命。それが何かは隠し通したまま空へ消えたトガネの命。世界滅亡を望み続けていたアイヤツバス。皆、望んで死を迎える者などいない。
「でも、だけどそんな……!」
「私が大切にしようとしてきた命は、みんな私の前で消えたんだ」
見出してしまった『死のジンクス』。鋼の意志が護ろうと決めた命は皆その前で散る。神が定めた摂理ならば、余りにも残酷すぎる。
「……だから、アディスハハがこれ以上『私にとって大事な存在』になればなるほど、アディスハハもそうなるんじゃないかって、私は強く想像してしまうようになった」
孤独の日々、その中で灼銀が浮かべていたのは何よりも恐ろしい空想。
「そんなの……私はいやだ」
恐怖は彼女の眼から残酷を奪って薄れさせてしまう程に。
「……もう、私が何を言いたいか分かるよね」
「私とアクセルリスが関係を離せば、そのジンクスも薄れて、私がアクセルリスの前で死ぬようなこともなくなる、ってこと」
「そうだね」
ばつが悪そうに、アクセルリスは早口で付け加える。
「別に他人になろうって話じゃない。ただ友達の関係に戻ればそれでいいんだよ。だから──」
しかしアディスハハは──その言葉を遮って叫んだ。
「いやだっ!」
それは力強く真っ直ぐな拒絶の意思だった。
「そんなの絶対いやだ……私は認めない!」
「でも、アディスハハ」
「何がジンクスだ! アクセルリスらしくもない──アクセルリスだったら! そんなのも全部噛み砕いてみせてよ!」
「私も、それだけ怖いんだよ……!」
「だったら──私が代わりになる」
決然と言い切った。それはアディスハハがずっと有していたエゴ──『無感動』。その感情は全て、己ではないものへと向けられる。
誰かの代わりになること。誰かの為に身を捧げること。その『誰か』とは、今の彼女にとってはアクセルリスだけでしかない。
そして今や、それは自己犠牲の範疇をも超えた花弁として咲き乱れる。
「私がアクセルリスの代わりにそのジンクスを打ち破ってみせる!」
「────」
尊く輝かしき決意の表明。その光はアクセルリスに渦巻いていた宿業の鎖を解き払う。
「どれだけアクセルリスの傍にいても! どれだけアクセルリスに愛されても! そんなジンクスで死ぬことなく添い遂げるよ、私は!」
「アディスハハ──」
無意識のうちに、アクセルリスはアディスハハへと手を伸ばしていた。
その手を両手で握り返し、揺れる目を真っ直ぐに見つめ、そしてアディスハハは──言う。
「だからアクセルリス──私、アクセルリスの家族になりたい」
「──え」
導く結論、それは意外で突拍子もない告白のようにも見えるが──当然、そうではない。
惑うアクセルリス、数多の感情を纏め切れぬままに問い返す。
「それっ、て」
「……続きは、あなたが言って」
アディスハハが望む、最初にして最後の恋心。
その言葉、その一瞬で彼女の感情全てを飲み込んだアクセルリスから一切の迷いが消える。
極めて冷静に、そして大胆に、アディスハハに捧げる想い全てを籠めて、言った。
「……アディスハハ。結婚しよう」
「────よろこんで!」
鋼の蕾が開き、咲いた銀の華は今──満開に咲き誇る。
【続く】