#15 冷たき最後のフレイヤ
【#15】
「こうやって、生きて帰ってこれたからよかったけど……なんで飛べなくなってたんだろう」
今だ体に力は戻らず。立ち上がることすらできぬまま、アクセルリスは疑問を零した。
しかしその実、原因についてこの場に揃う者は皆勘付いていたが──誰かがそれを漏らす前に、寒気が空間を包んだ。それは比喩的なものではなく。
「寒……?」
「理由は一つだ」
続けて聞こえる氷のように透き通った声。それはアポクリフェイタリスと共に舞い降りたキュイラヌートのものだった。
「総督?」
「アクセルリス。お前から魔神の力が失われている」
「え」
全くの意識外からの真実に、アクセルリスは二の句を告げず。付け加えるようにキュイラヌートは続ける。
「つまり今のお前は単なる《鋼の魔女》に戻っている。魔神として手に入れていた力も全て失って、だ」
「そんなばかな」
と、アクセルリスはそこでキュイラヌートの周囲に浮かぶ氷に映る自身を見た。
確かにそこに映っていたのは魔神となる前のアクセルリスの姿そのものだった。右目は灼銀で、髪や装束も普段に戻り、翼など生えているはずもなく。
「ほんと、だ……」
瞳が夢うつつのように揺らぐ。信じ難いが、その眼で見たのならば確かだ。彼女一人の眼ではないのだから。
「──じゃあ、これからもみんなと一緒にいられるってことですか」
「そうならない理由がないだろう」
「────っ!」
冷たいが、真摯な言葉。生存の代わりに手放したものが返ってくる──その事実に、アクセルリスはただただ感嘆を漏らすしかなく。
代わりに感情を爆発させたのは横のアディスハハだった。
「よかったねアクセルリスーーーーっ!!!」
「んぎゅぅ」
「好きだよ! 大好きだよーーーーっ!!!」
強く抱き締め愛を叫ぶ。アクセルリスとの離別を誰よりも望んでいなかった彼女にだけ許されるラブコールだろう。
「……んぅ。私も好きだよ。ありがとね」
アディスハハにすら聞こえるかどうかの小声で、アクセルリスもそう返した。
「……でもどうして」
深い祝福と愛の一時。それを受け止めた先に生まれるのはまた新たな疑問だった。
「確か魔神から魔女に戻る方法は分かってなかったはずです」
それは鋼の神化の前に語られていた。
『魔神が魔女に戻るには有する膨大な魔力の殆どを消費し切り、その上で魔神を手放す必要がある』という理論──そしてそれも、推察に過ぎなかったものだ。
しかし現にアクセルリスは影鋼の魔神から鋼の魔女へと回帰していた。であれば、答えは一つ。
「我々の推察が正しかった、という証明だろう。お前はアイヤツバスとの決戦で魔力を使い果たし、そして魔神の権能を失った。故に今のお前がある」
「でも私、魔神を『手放した』記憶なんて」
「では──アクセルリス、崩れ往くアイヤツバスの中で何を見た?」
「それは」
遠くない過去の記憶を掘り返す。アディスハハたちに迎えられる前、如何にして彼女は落下を始めたかと問われれば、それは。
「そうだ、黒い影……! それに私は、斬られた──けど、斬られてなくって……?」
「その影が何者であるかは?」
「──きっと、バシカルさんだ」
それは先程浮かび、生存本能に上書きされた疑念の点だった。
「だけどなんでバシカルさんが? それに今はバシカルさんの姿が見えないし……」
そしてキュイラヌートは点を結び、事象の線を浮かび上がらせていく。
「全てを統合すれば事実は一つだろう」
氷決が下る。
「バシカルはアイヤツバスの空間に囚われているお前を解き放ち、同時にお前の中にある魔神との『縁』を断った。そしてお前を救った」
「魔神との、『縁』を……?」
無意識に言葉を反復し、胸に手を当てた。
確かにアクセルリスは幾度も幾度もアイヤツバスとケターの『縁』を断つべく戦い、そして最後には成し遂げた。だが当の彼女は『縁』を断たれる感覚を知らなかったのだ。
「そうか──そういうことだったのか。斬られたのに斬られてない、あの変な感じは──」
納得し、反射的に身を起こした。鋭い視線が空を刺す。
「じゃあバシカルさんは!? 私と入れ違ったバシカルさんはどうなって」
しかし、そこには変わらず空だけが在る。アイヤツバスが消え、何処までも広がる空だけが。
「どう、なって…………」
冷徹の行く末を悟り、アクセルリスの声は細く小さくなっていく。彼女の心を慮り、集う者の表情もまた悼むように。
「────ッ」
その中、渦巻くネガティビティを裂くような噴射音が近付いた。大空の果てへと飛び去ったシェリルスの帰還を示す音だった。
それは段々と弱まり、最後にシェリルスはゆっくりと着陸した。彼女の表情もまた、アクセルリスに似る。
「…………師匠は、何処にも居なかった。多分、もうこの世には」
「シェリルスさん」
「お前は何も言うな」
罪悪感に縋るようなアクセルリスの言葉を制し、明ける空を見上げ──ひとつひとつ、言葉を漏らしていく。
「師匠は…………ずっと冷徹だった。自分の感情を抑え付け、執行官というシステムとして魔女機関に仕え続けた」
託されたロストレンジ──今となっては形見のそれは、『バシカル』という在り方を見た者に覚えさせる。
「そんな人が、最後に、やりたいことを好きにやって死んだんだ。そんなの────カッコいいじゃねェか」
俯き、しかし口元には笑みを浮かべてそう言った。
「だからアタシも何も言わねェ」
振り切るように顔を上げ、決然と世界に言い放つ。
「そしてお前らが何かを気にする必要もねェ──ただ起こったことを、この先の未来を。それを考えて進むだけ、だ」
「よく言った」
キュイラヌートは微笑みを浮かべ、荘厳なる称賛をシェリルスへと送った。
「分かったな、アクセルリス」
「…………はい、ありがとうございます……!」
灰の中で燃える気高き魂に、アクセルリスはただ感銘を示す他になかった。
【続く】