#13 ペル・アディス・アド・アクセル
【#13】
「────はっ!」
アクセルリスが気付いたとき、その身体は遥か天空から墜落するさなかにあった。
「私は消え──てない! 生きてる! よし!」
己の生存証明を確かめ、命の炉心に熱を送り続ける。
「さっきのは──」
視線を自分が落ちてきた先へと向ける。見えたのは巨大な白い光──アクセルリスをアイヤツバスを包んでいた白い空間だったであろう、戦災の神体が果てしない空へと消えていく光景が映った。
同時に最後に観た黒い影をも想起し、事象の点と点とを結ぼうとするが──落下し続ける感覚がそれを阻んだ。
「ッ! このまま落ちたら流石に死ぬな……!」
生存本能の叫びのまま、影の翼を編み上げ飛行に移る────ことが、できない。
「え」
アクセルリスの背に翼は生まれない。何度試そうと全て徒労に終わる。
絶望に染まりながら、アクセルリスはただ落ちていくことしかできなかった。
「まだ魔力が回復してないのか……!」
確かに先の戦いにおいてアクセルリスは全ての魔力を振り絞りアイヤツバスを打ち滅ぼした。その際に使い果たした魔力が、影を編み上げられるほどに回復していないのもまた事実──しかし、それより根本的な問題があり、同時にアクセルリスはそのことにまだ気付いていない。
「どうする──どうする!? なんとかしないとマジで死ぬ……!」
回転する脳裏、次々と過ぎる顔、顔、顔。彼女の旅路の中に現れた数多のそれだ。
「せっかく復讐を果たしたのに死ぬとか絶対ありえない! 私は生き続けるんだ! たとえもう二度とみんなに会えなくたって、私は私だから……!」
残酷は揺るがず。全てを振り切り、尚も生き続ける意思がその中で輝いたとき──彼女の体を抱き留めるものがあった。
「大丈夫──どこに行ったって、何になったって、アクセルリスには私がいるから!」
「え──」
正面からぎゅっとアクセルリスを抱きしめ、満開の笑顔を向ける彼女が誰かは──もはや言うまでもないだろう。
「アディスハハ!? どうして」
「私だけじゃないよ!」
その言葉に同調するように、アクセルリスとアディスハハを纏めて抱きかかえる腕が伸びた。数多の骨──骸で構成されたその腕の主は。
「そうだ。皆がお前の帰りを待っているんだ、アクセルリス!」
「イェーレリーまで……!」
イェーレリーだ。アディスハハと二人、堕つアクセルリスを迎えに来たのだ。
「二人ともなんで」
「アクセルリスが危ないからだよ!」
「このまま着陸すれば間違いなく死ぬ、それはお前自身が一番分かってるだろ」
「それはそうだけど!」
「だからみんなでアクセルリスを護るって決めたんだよ!」
「みんな、って──」
銀の瞳が下を見た。もうすぐそこにまで地上が迫っていたが、そのおかげで見えた。
「────!」
アクセルリスを待つ魔女たちの姿を。邪悪魔女、残酷魔女、機関の者から伝説のコック、果ては魔女の域を超えるまで、彼女が結んできた縁が今この瞬間に集まっていた。
「本当にみんなじゃん!」
「だから言ったでしょ!」
「さぁ、もうすぐ着弾だ! 衝撃に備えろよ!」
アディスハハの植物とイェーレリーの骸が集い、衝撃を受け止める球を成す。
そして大地を砕かんばかりの勢いで迫る────
◆
時は暫し遡る。
星槍が戦災の魔神に突き刺さり、星となった影鋼の魔神がそれを貫き、全てが決した後のこと。
「────終わった、の?」
本部クリファトレシカ99階より星戦を見守っていた邪悪魔女たち──アディスハハが初めに声を漏らした。
影鋼の魔神アクセルリスの極みの一撃は、遠くから観ていた彼女たちにすら『終わり』を悟らせるに十分なものだった。
「そのようだな」
バシカルが落ち着いた声色で言った。
戦いの終わり。アクセルリスの勝利。即ち世界は救われた──その事実を誰一人諸手を上げて喜ばないほど、世界は静謐に震撼していた。
それは或いは、全ての生命が『この先』を感じ取っていたからなのかもしれない。
「……おい、何だ」
シェリルスが声を漏らす。他の魔女たちも同じ感情を覚えていた。
彼女たちが見る中、終焉の一撃を受けた戦災の魔神が崩落していく──その内から白い光の輪郭が生まれる。
光は人型──アイヤツバスに似た形を朧げに保ちながら、ゆっくりと上昇し始めた。
「何が起こってるんだ……!? アイヤツバスは倒されたんじゃ」
「終わりを見届けるにはここは遠すぎる」
そう言ったのはキュイラヌートだった。
彼女はガラスの割れた窓辺に零度の魔力を送った。刹那で生まれたのは、神々の戦場へと繋がる氷の道だ。
「ゆけ。そして世界の命運に立ち会え」
冷たく暖かい、零帝の勅命。魔女たちは皆それに従うのみだった。
「ありがとうございます、キュイラヌート様!」
先陣を切ったのはやはりアディスハハ。残る魔女たちもそれに遅れるまいと続き、あっという間に夜会室にはキュイラヌートひとりとなった。
残された彼女は、途絶えぬ冷気の中呟いた。
「5000年続くケターの遺志が祓われ、魔女機関は新たな時代を迎えようとしている」
目を伏せ、その言葉は誰かに語るように。
「……わたしたちの時代も終わるのだろうか、みんな──」
◆
邪悪魔女たちが終わりの地へ辿り着くのに、そう時間はかからなかった。
否、彼女たちに留まらず。銀色の神と星を見、それに縁を覚えた者たちも一様にこの地へと集っていた。
「──」
不思議な感覚に包まれ誰もが口を閉ざす中、アディスハハは息を呑み空を見上げる。空に浮かぶ神の残影は、ゆっくりと端から消滅を始めていた。
魔神の消滅──勝利を意味するそれは、しかし同時に不安をも抱かせていた。
「アクセルリスが、戻ってこない」
「あの中にいるのだろう」
「何をしてンだ……?」
「分からない──が、アイヤツバスの消滅に巻き込まれれば、恐らくはアクセルリスも」
「そんな……!」
どこまでも冷徹なバシカルの判断にアディスハハは言葉を失う。
「なんとかしないと!」
「だけど」
唱えたのはケムダフだった。
「神と神がぶつかったんだ、生身で突っ込めばどうなるか分かったもんじゃない──事実、あそこは異常な魔力の力場になってる」
「更に言うのなら──高高度過ぎて手が届かない、という根本的な問題もある」
「そうね。私達にはどうしようもない──アクセルリスを信じるしか、ないのかも」
カイトラ、そしてシャーカッハに至るまで、その結論を覆すことはできない。
「いやだ……いやだ! アクセルリス! 帰ってきてよ……もう会えなくなるんだとしても! 最後に私は、愛してるって言いたいだけなのに…………!」
絶望に染まる瞳、大粒の涙を流し叫ぶアディスハハ。他の邪悪魔女たちもまた、同じ感情を抱いていた──たった一人を除いては。
「────シェリルス」
バシカルの冷たい声が響く。
「師匠?」
「これを」
彼女が手渡したのは愛剣ロストレンジ。唐突にそれを手放す意味を、シェリルスはまだ理解できない。
だが次の言葉で、すぐに悟る。
「後は任せた」
「え」
そうとだけ残し、バシカルはカイトラの元へ歩む。
「カイトラ。私を投げろ。天に──神に届くように、だ」
「バシカル──」
カイトラはその瞳を見た。何処までも黒く、感情を読み取らせない瞳を。
「本気なのか」
「私が本気でなかったときがあったか」
「……無かったな。そういう人だ、あんたは」
そうとだけ言い、触腕の一本をバシカルの足に絡ませた。バシカルはそれを確かめると、その手に剣を──『縁断ち』の試作を構えた。
「さぁ、やれ」
「──了解」
「待て、師匠、カイトラ! 待て!」
シェリルスは手を伸ばす──それが届くよりもずっと先に、バシカルは高く空へと飛び立っていった。
「────ッ!!!」
黒い残像を超え、灰の手はカイトラを掴んだ。
「てめぇ……!」
「わたしが断ったとて、バシカルは納得するか」
「…………するわけ、ねェだろ……!」
シェリルスは誰よりもバシカルのことを知っているからこそ、その感情を受け入れることが出来ない。
彼女が俯き歯を食いしばる中、魔女たちは冷徹の影を追い、目を凝らした。
「冷たい」
誰かがそう呟いた。その直後に事は起こる。
「────ッ!!!」
煌めいたのは空間をも裂くほどの剣閃。僅か一瞬、世界が歪むほどの余波を残し──白影のアイヤツバスが、両断されていた。
「────」
神を否定する斬撃に、誰もが言葉を失った。白い影は急速に存在を消滅させていく。
その静寂の最中、『一つだけ』影が産み落とされる。誰よりも早くアディスハハが気付いた。
「アクセルリスだ!」
誰もが望む銀の帰還──だが同時に、彼女の異変を知ることをも意味する。
「アクセルリス……落ちてきてないか?」
「でも魔神になったアクセルリスは飛べるはずじゃ」
「戦いで魔力を使い果たしたか、あるいは気を失っているか」
「どんな理由があろうと、あの高さから落ちたら一たまりもないぞ……!」
「どうして……アクセルリス……!」
絶望を超え、新たな絶望が顔を出す。打ちひしがれるアディスハハ──彼女を掴む手があった。
「師匠は行った──だったら、よ」
「シェリルスさん……?」
「今こそお前が、お前ら全員が」
「待て、私もか!?」
「アクセルリスを助ける番だろうが!」
彼女はアディスハハとイェーレリーを掴んだまま、足裏から激しい炎を吹き出し空へ飛び去った。
「…………全員が、助ける──か」
余熱の中、残された者たちはみなその言葉の意味を受け止めていた。
◆
「うううう────!」
高速飛行、強風を浴びアディスハハは呻く。イェーレリーもまた同じく──そんな二人にシェリルスの言葉が燃え盛る。
「アクセルリスを救うンだったら! ここで気張って見せろ! 返事!」
「──はいっ!」
「良しッ! 行けェ!」
それだけを叫ぶと、シェリルスは飛行速度を緩めぬまま、運ぶ二人を放り投げた。当然、アクセルリスを目掛けて。
「必ず救え! 必ずだ!」
その言葉を残し、彼女は炎の勢いを強めて更なる上空へ飛び去って行った。黒い冷徹の残滓を追いかけるように。
「アディスハハ、準備はいいか!?」
「うん、もちろん!」
残された二人はアクセルリスに迫る。
「今度こそ、私達がアクセルリスを救う番──」
最中、今だこちらに気付かぬアクセルリスの吐露が聞こえた。
それは避け難い死と離別を前にして尚、己のエゴを固く保つ生存本能が洩らした声。
「────」
アディスハハは、それに応える。
正面からアクセルリスを抱き留め、そして言った。
「大丈夫──どこに行ったって、何になったって、アクセルリスには私がいるから!」
愛が神に届いた瞬間だった。
【続く】