#9 それは覇道の胎動たらん
【#9】
アクセルリスは影の翼腕を編み直し、トガネの槍と剣を拾い上げた。
「そのための答えは────」
刃を構え、身を屈めた。
「ずっと私の中にあるッ!!!」
そして跳び出した。加速の域は無い。ゼロから最高速で、神は駆けたのだ。
「何回目かしらね。結果は変わらないわよ」
対するアイヤツバスもまた神だ。故に、人智をとうに超越した残酷のスピードであろうとその瞳は捉え、的確な反撃を穿ち込むことができる。
「さぁ、どうするの──!」
突撃する彼、迎える我。戦災の魔神はそれぞれが持つ時を調律し、完璧な一撃を刻む──そのはずだった。
「こう、するッ!」
しかしその目算は、影鋼の魔神により狂わされた。
真っ直ぐに地を駆ける星となっていたアクセルリス──彼女は強引に翼腕を突き立て、アイヤツバスの寸前にてその足を止めていた。
銀と赤の眼前を拳が過ぎる。帳の先、視線を交わし合う二つの神は共に笑った。
「やるわね」
「隙、貰い!」
攻撃後の間隙、アイヤツバスに生まれたそれをアクセルリスは逃さない。剣と槍、並ぶ刃が走り──
「喰らうッ!」
彼女の前に延びる振り抜かれた右腕、その根元に深く喰らい付く。
「──ええ、本当は防御することも出来たわ」
食い込みながらも暴れまわる鋼と影の刃に目を細めながら、アイヤツバスは言葉を紡ぐ。
「そんなことを言うとはらしくない!」
腕を斬り落とすべし、とアクセルリスは力を籠めるが、奥へと圧し込むほどに濃縮される戦災の魔力がそれを阻んでいた。
「事実よ。だけど、あなたに一手先んじられたことへの反省として受け入れる」
「一手で済ませるかよ、私だぞ!」
「だから勿論、私も動くわよ」
アイヤツバスの右腕が根元まで赤黒の一色に染まった。不気味にして不吉──それは今にも弾けるかのように脈打つ。
「退──違うッ!」
銀色の脳裏上を刹那で駆けたのは『退避』を上回る『殺意』。元より、不退転を先に誓ったのはアクセルリスだ。
「トガネ! 動き合わせてッ!」
相棒へと呼び掛ける声。呼応するように一対の神器の影が実体を得、銀の本物と並び立ち──
「私とトガネなら──」
前後、両の側面からアイヤツバスの右腕を斬り裂いた。片側からでは半分にまでしか至らなかったその斬撃も、二つの力が重なれば十全に斬り落とされる。
「なんだってできる! そうでしょ!」
それはまさに一瞬の神事。アイヤツバスが爆破を命ずるよりも先に、残酷は為された。
アクセルリスは主から離れ魔力の塊と化したソレを吸収すべく翼腕で掴み取った──だが。
「流石ね。だけど遅いわ」
「──ッ」
触れた瞬間、全てを悟った。
アクセルリスが如何なる事を成そうが変わりない結末へと導くため、右腕の中に無数の炸裂魔法陣を隠していたこと。
そしてアイヤツバスがアクセルリスの神事を見守るのみだったのも、自身は爆発から免れるための防御魔法陣を幾重にも展開していたからだという事実を。
それからは遅かった。
「────ッ!!!」
魔力の塊を巻き込んだ衝撃波の暴発。それはアクセルリスただ一人を襲い、神たる彼女の身すらも嵐の中の枯葉のように吹き飛ばした。
「惜しかったわね」
入念な防御により無傷のままのアイヤツバスは、右腕を軽く再生させながらアクセルリスの行く末を見届ける。
「────」
彼女に最早動きはなく、ただ垂直に墜落し──地へと衝突する寸前、大量に伸ばした影の腕で辛うじての着地を成した。
「そりゃ当然まだ戦えるわよね。あなたなのだから」
「──まだ、だ」
既に創痍に達する身、重々しく上げながら、アクセルリスは言う。その眼から残酷と殺意が消えることはない──永久に。
「まだ、とは」
「まだ──まだこの程度では! あなたを殺すには足りえない──!!!」
燃え上がるのは、その内に秘める二つの魂。
「あなたを殺し、私を──世界を未来へ繋げる。だから過去の全てを! 今この瞬間にッ!」
咆哮、同時に銀と赤の両目が力強い輝きを放つ。それは彼女の旅路を映し出す夢幻の鏡──その戦い、その覇道全てを見届け、今に到らせる灯火となる!
「はぁッ!」
一本の槍が生成された。それは異常なほどに細く長い槍──言い換えるのならば『より鋭くより速い』槍だった。
「100%でダメなら! 200%で挑む! もっと、もっと、限界のその先へ──!」
「────」
アイヤツバスが倒れ込むアクセルリスを見たのは、その叫びと同時に響いた『異常な風切り音』が鳴った直後だった。そしてそれは同時に、魔神の本能に異常なまでの警告を与えた。
「──っ!?」
咄嗟に構えた右腕。アイヤツバスが認知するよりも早く、その腕は彼女の胴体に打ち込まれた。
「これ、は」
腕を貫き釘付けにするそれは、アクセルリスが放った槍。彼女が限界の先から生み出したその槍は、アイヤツバスの全てを超えて突き刺さったのだ。神の踏む土すらも貫く一撃。
「刺さった──けどまだ、まだ足りないッ!」
次の瞬間にはアクセルリスはアイヤツバスの眼前で拳を振り被っていた。影のガントレットが宿り、その堅牢を更に際立たせる。
「押し込めえッ!!!」
その命令は己へと下すもの。誰でもない自分自身が何よりも強く肢体に力を与える。それこそが今此処に咲く、死をも超える残酷の極限。
「うおおおおおおおおッ!!!」
「く、う、う…………!」
狙いを定め、アイヤツバスの反撃よりも速く、なお速く、銀色と影色の帯を残す連打が叩き込まれていく。
そして、達する。
「届け──ッ!」
終局の拳。渾身の一打によって圧し込まれた槍は、遂にアイヤツバスを貫き通した。
「く、ぐぁ──っ」
アイヤツバスは小さな呻きを零しながら、しかし眼を鋭く輝かせた。これ以上アクセルリスに勝手を許せば、そのまま負ける──魔神がそう悟ったのだ。
「はしゃぎすぎ、よ……!」
槍によって固定された前腕部を力づくで引き千切り、右腕の自由を取り戻す。そして赤黒い魔力が満ちる断面──『砲台』と化したに等しいそれを、アクセルリスへと向けた。
「消えなさい!」
「──ッ!」
放たれるのは光線。神体より発射される熱線に比べればずっと小規模なものだが、世界を滅ぼすには充分な力を持つ。
回避は不可能──咄嗟にその判断を下したアクセルリスは、全身を鋼と影で覆い尽くし、滅びを耐え凌いだ、が。
「それだけ離れれば十分、ね」
勢いを殺すまでには至らず。光線に押し出され、十二分な距離を開けられてしまった。アイヤツバスは腕の砲台からの光線を止めぬまま、刺さる槍を引き抜き傷を癒す。
「まさか! 私とあなたの間に安全地帯なんてないよ! 何処に居ようと殺してやる……!」
「その割には動けてないみたいだけど」
アイヤツバスが撃ち続ける光線。最小限の魔力のみを用いるそれは連射が効く上、その全てが致命の矢にもなる。故にアクセルリスは防御に専念されることを余儀なくされていた──だが当然、その現状を享受するアクセルリスではない。
「いや──勘を取り戻すのにちょっと手間取っただけだ」
言うと、アクセルリスは動きを止める。すくと立ち、真っ直ぐアイヤツバスを、その右腕を強く睨む。
「来なよ」
「言うじゃない──!」
アイヤツバスもまたその啖呵に乗る。一ミリの狂いもなく、照準をアクセルリスへと定め──そして、正確かつ強力無比な一筋の光線を放った。
「──ッ!」
眼前に迫る光線。それに対し、アクセルリスは鋼と影を混ぜ合わせた障壁を生み出した。それにより光線の進路は逸れ、アクセルリスの頭上を目指す。
「トガネ!」
トガネの切先が天を指差せばその先の空、光線の進路に更なる障壁が生成される。触れた光線はやはり進路を逸らす。
それを、繰り返す。
「何のつもりかしら」
光線が狂ったように宙を舞う。異様な光景を目の当たりにしながらも、アイヤツバスは落ち着いたまま右腕をも再生させた。
「──今だ! 行けッ!」
そして、天を示していた剣がアイヤツバスに向けられた。同時に最後の障壁が出現し、それを貫いた光線が逸れ、向かう先は──アイヤツバス。
「まぁ、そんなところよね」
不意を刺し討つ矢。無垢なる悪の光をも殺す矢だが──神には総てが観測の裡に在る。
出現した魔法陣が光線の勢いを阻み、有する魔力だけを持ち主の元へと返した。そして魔法陣の幕が上がった先、アクセルリスが放つのは無数の槍。群れは一挙して押し寄せ、たった一つの標的へと迫る。
「この一本一本があなたを噛み喰らう牙──『被食者』はあなただッ!」
「忙しないわね。必死さが感じられるから好きだけど」
突き動かされるように叫ぶアクセルリス。暴走に到るその様子を静観しながらも、アイヤツバスは完璧な対応を成すべく動く。
(全ての槍を防ぐ間にアクセルリスの接近を許してしまう──ならば今は『回避』ね)
そしてアイヤツバスが炎に身を沈め転移を成そうとしたとき──その身が、一瞬だけだが確かに硬直した。
(え?)
予測外の事象。己の体を己が制御できていない不具合。アイヤツバスは訝しみ、そして一つの可能性を持って己の影を見た。
赤い光が灯っていた。狡猾な煉獄よりの罠は、既に仕組まれていたのだ。
「生きるか死ぬかの争いの中なら、私はいつだって冷徹にある」
「──!」
叫びも遅く、全ての槍がアイヤツバスに襲い掛かった。辛うじての防御は行うが、神を穿つ槍もまた神のもの。その身体を着実に苛める。
「アクセルリス──!」
数多の感情が入り交ざった声が漏れる。それと同時にアイヤツバスの体が炎に包まれ、消える。槍の雨を喰らいながらも強引に転移を成したのだ。
「……」
アクセルリスは感覚を磨ぎ、息を吐いた。不気味な静寂。
それは一瞬の間に消える。
「────ここだッ!」
地に這うほど身を屈めながら刃を奔らせるアクセルリス。その頭上を通り抜けたアイヤツバスの両腕──それらは根元から斬り捨てられる。
「……よく、見切れたわね」
「私だからね。あなたに愛され、あなたと共に生き、あなたを殺す」
アクセルリスにとってアイヤツバスは、誰よりも近く、誰よりも長く共に過ごした家族。そんな存在が間近に在るのならば、その行動を知るために五感など必要無い──狂いし三月の兎でも理解できる摂理。
「だから殺す──ただ、殺すッ!」
屈めた姿勢のまま拳に鋼と影を宿す。そして両脚に貯め続けていた力を一気に解き放つ!
「せいやああッ!」
それは強靭極まるジャンプアッパー。両腕を失い無防備にあるアイヤツバスの顎を強烈に撃ち上げた。
「…………ッ!」
支配をも打ち砕くそれは神の力を持て余すことなく宿した一撃。例え同じ神であろうとも、僅かな意識を奪う衝撃となる。
無論、アクセルリスの前ではあまりにも致命的な空白であることは言うまでも無い。
「畳み! 掛けるッ!!!」
元々有する鋼の拳に加え、影で編み上げられた無数の拳までもが次々とアイヤツバスを襲う。
疫災をも祓う強硬の拳は止まず。その勢いにアイヤツバスは呻くことすらも許されぬまま。
「────!!!」
「うおらあああああああああああああああーーーーーーーーッ!!!」
極まり、極まり、極まり続け、やがて拳の暴風雨が止むと同時にアクセルリスは手を開き、更に影の腕の全てをそこに宿らせた。
構えられるのは血を食む処刑の如き手刀。駆ける残酷、影の尾を引く凶つ星。
「断つッ!」
振り下ろされたそれは神を容易く裂き、深く胸にまで到達した。
「ぐ…………あ、ああ……っ!」
そして今、ようやくアイヤツバスが声を上げた。掠れて消えそうなそれは、アクセルリスが与えた痛みを現す指標だ。
「まだ声を出すだけの余裕はあるみたいだね!」
「勿論……この程度では死なないわよ……!」
「だったらもっと! もっともっともっともっともっと! あなたに私の力を思い知らせる……!」
刺さったままの手刀。纏っていた影が解き放たれ、アイヤツバスを縛り上げる縄に変化した。
「はああッ!」
そのままアイヤツバスを蹴り飛ばす。二人の体そのものは離れていくが、アクセルリスの手から伸びる影はアイヤツバスを掴んだままだ。
「やっと手にしたあなたの命だ……絶対離さない!」
彼女が大きく腕を振り回せば、当然縛られたままのアイヤツバスはそれに追従しての乱飛行を強要される。遠心の力と風圧は手負いの神にとっては無慈悲な追撃だ。
「はああ────ああああッ!!!」
そしてアクセルリスは、全ての体、全ての力を振り絞り──アイヤツバスを叩き付ける!
「──────!!!」
その様、正に潰滅の妖星が降るが如し。衝撃の強さは銀色の稲妻を迸らせるほどに。
鳴り響くのは恐ろしいほどに常軌を逸した破壊音。決戦場が大きく傾くほどだ。
「どう……だっ!」
仕掛けた側のアクセルリスですら重い負担に襲われる一撃。拘束の影は引き千切れ、アイヤツバスは何にも囚われぬまま宙を舞っていた。
「──」
彼女はもの言わぬまま無様な姿と音で墜落する。確実なる好機──今こそ『縁』を絶つべく、アクセルリスは両手にトガネを握り迅速に駆けた。
そしてアイヤツバスへと辿り着く寸前──視界は赤と黒の二色に染まり落ちた。
「ッ!」
急停止し躱そうとしたが、遅く。
「うおおああああああっ!!!」
その身体は炎の中へと突入した。邪悪なほどの嫌悪感を宿す灼熱が彼女を苛める。
それを見ながらアイヤツバスは立ち上がる。彼女もまた、激しい炎で全身を包みながら。
「ぐ…………あああああああっ!」
「痛かった。今まで生きてきた中で一番かも」
笑う。炎の中、彼女の体は再生する──否、それに留まらず。赤く黒く燃え盛る、悍ましき翼をも携えていた。不死鳥は炎に還り生まれ直すというが、そう例えるには禍々しすぎる。
「う、おおあああ……!」
「だからあなたにも味わってもらおうと思って。かつてないほどの苦痛を、ね」
彼女の周囲から放たれる火炎がアクセルリスを飲み続けている。衰える様子はなく、希望も灰になった。
「どう? どれくらい苦しい?」
「────全然!」
魂を焦がすような灼熱にもアクセルリスは立ち向かい続け、その両目でアイヤツバスを敵視し続ける。
「私の苦しみは──あの日! 全てを失った私たちの苦しみは! 到底こんなものじゃない!!!」
心の中で炎よりも熱い感情が迸り、そして──銀と赤の瞳が、輝く。
「私は残酷だッ!!!」
叫び、影鋼の魔力が弾ける。神の強い想いが込められた魔力──赤黒い炎はそれに耐え切れず、消えた。
獄炎から解放されたアクセルリスの身には、一つの焦げ痕すらなく。
「嘘」
「はああああッ──!」
そのままアクセルリスは再度駆け出し、アイヤツバスへと慈悲無き拳を叩き込んだ。
「ぐ────ッ!!!」
巨大なるエゴ、その衝突の前にアイヤツバスの体は軽々と、そして一瞬のうちに吹き飛ばされる。
だが──アクセルリスはそれに追いついていた。
「長い、長い道程だった」
両脚を包む影。それは一歩を踏むごとに弾け、アクセルリスを加速させる。構えるトガネにも影が集い、命と縁を断つ凶刃へと変わっていた。
「でも! これで! 終わるッ!」
そして斬り上げるようにトガネを奔らせる。万死の刃が遂にアイヤツバスに触れる──
「まだ──まだよ──!」
だがその寸前、強い執念でアイヤツバスは動いた。影の剣に添えるように魔法陣を生み出し、刃が身に届くことを妨げたのだ。
「──ッ!」
しかしそれでも、誕生さえも断つほどの一撃に変わりは無く。斬撃を阻まれたトガネは代わりに強い衝撃をもって、アイヤツバスの体を高い空へと撃ち上げた。
夜明け前の空にアイヤツバスが漂う。それは見上げる程の上空、魔神の翼であればすぐに届くが──なおもアクセルリスの残酷は揺るがない。
「さぁ、決める──!」
構える。その足元で影が激しく呻き、大きく編み上げたのは──竜の頭。口を開きその中心にアクセルリスを据えている。
魔神は脚へ鋼を、影龍は口元へ影を。それぞれの力を世界を刺し滅ぼすほど満たし、そして。
「今ッ!!!」
影龍が充填された影を撃ち放った。それはアクセルリスを乗せ、彼女の背を押す力となり、天空へ迫る!
「はぁぁぁぁぁ──────」
鋼と影、極み殺す存在へと昇華したアクセルリス。全ての眼を赤く輝かせ、アイヤツバスを見据え。
「せいやぁぁぁぁぁーーーーーーッ!!!」
「────!」
渾身の蹴撃が突き刺さる。それは死を超越した巨龍ですらも葬り去る一撃。直撃を受けたアイヤツバスの右肩から胸にかけて崩落するが──しかし魔神を殺すには、まだ足りない。
「アクセルリス…………!」
失った右腕の代わりに燃える魔力の炎。アクセルリスを狙って伸ばされる。
「今更この程度なんのつもり!」
斬り捨てる。それは神の斬撃の前に容易く分かたれるが──分かたれた先にも更なる腕を形成し、遠呂智のようにどこまでも獲物を追う。
「なんじゃこりゃ!」
「ちょっとしたものだけど、これも私の進化よ」
絶え間ないトガネの斬撃。しかしアイヤツバスの心火の腕は幾度斬り裂かれようとも無限に枝分かれし、遂にアクセルリスの身を掴むまでに至る。
「うわ!」
それからは早く。次々と腕がアクセルリスに辿り着き、やがて結合して彼女を覆う炎の球になる。
「さっきのこれ、だいぶ痛がってたわよね? だからもう一回してあげる」
笑い、翳した左手を握ろうとした──だがそれよりも先に、激しく燃えていた火球が細切れになり完全に消滅した。
「進化だろうと、心火だろうと! あなたのものであれば私は斬る! それだけだッ!」
「悪い気はしないけど、いい加減しつこすぎよ……!」
残酷なその執念はアクセルリスの覇道の果てに相応しい凶暴さを醸す。
アイヤツバスもまたそれに抗うべしと、再生の余波となる火炎を放つが、翻る影翼に追い縋ることは出来ず。
「『上』に」
そしてアクセルリスが至ったのは更に上層の空。頭上の影にアイヤツバスが気付き見上げたとき、既にその構えは為されていた。
「私はもっともっと上に行く──生きるために! だけどあなたは違う。ここで死に、止まる」
「いいえ、いいえ! 止まるのは私だけじゃない! この世界とそこにある総ての命!」
「だったらまず私を止めてみろ、アイヤツバス!!!」
激情の咆哮と共に降るのは、アクセルリスが蹴り飛ばした剣──勤勉な妖精の剣。奇しくもそれは、『彼女』が妖精であったころに得意とした武技を模したものだった。
「そんなちっぽけな剣じゃあ!」
アイヤツバスは両手を構え魔法陣を生み出す。その中央に剣が突き刺さるが、貫通にまでは至らない。
「私は殺せないのよ」
「──勘違いしてる?」
呟きを残した直後、アクセルリスはアイヤツバスの目の前に居た。
「あなたを殺すのは私だ」
そして、銀色の帯を引く蹴りを刺さったままの剣に叩き込んだ。
「あ」
魔法陣が粉々に砕け散る。剣はその勢いのままアイヤツバスさえも貫き、一瞬にして地上へと叩き落した。
「────く、うあ……!」
戦災の魔神は仰向けに倒れたまま苦悶の声を零す。妖精の剣は腹部に刺さったまま、全身を強く打ちあらゆる部位から血を流す。神が見る中、峻厳さえも殺す一撃だった。
辛うじて開かれる目に映るのは、殺意だけを二つの刃に満ちさせた流星。それが届くまで僅か数秒──その刹那、アイヤツバスの思考を過ぎる。
「せめて、あなたには」
「っ!」
小さな言葉。それに導かれるように、多重に重なった魔法陣が出現した。それらを眼にし、アクセルリスは──本能的に急停止し、逃げるように離れた。
(あれごと貫けば殺せた──だのにどうして私の生存本能は動いた?)
己への問い。その答えはすぐに──すぐ背後に。
「────!?」
禍々しい魔力の歪みを感じ、飛行したまま振り返るアクセルリス──そこにあったのは、彼女を追うように次々と出現する赤黒い魔法陣だった。
「なんだこれ……!」
神すらも脅かす異様さに目を疑いながらも、決して追い付かれてはならないと感じ逃避し続ける。だが魔法陣は全く途切れる様子を見せず、永遠にアクセルリスを追い続ける。
「どこまで……!」
「どこまでも、よ」
答えるようなアイヤツバスの声。倒れたまま、煌々と赤黒く光る眼だけを強く見開いている。回復・再起に費やすべき魔力を全てこの無限追跡魔法陣に捧げている証明に他ならない。
「世界の果てだろうと、世界が滅びようと。届くまであなたの命を辿って追い続けるわ」
虚勢に非ず。アクセルリスが振り切ろうと飛行速度を上げれば魔法陣が生まれる速度も上がり、執念くその後を──命を追い続ける。
「だったら……!」
この逃走劇に意味は無いと理解したアクセルリスは策を講じる。それは極めてシンプルかつ原点に立ち返ったもの。
「先にあなたを殺せばいい、だろ!」
影を纏う隼は激しく空を舞い、そして獲物を見定めた。
「そうね。正解」
「うおおおお──ッ!」
そしてただ真っ直ぐ、命を奪うために駆ける──
斬られたのはただ決戦の大地だけだった。
「え」
そこには漏れる赤黒い炎が残る。それはまるで何かが引き摺り込まれたかのような。
〈焦ってたから忘れてたのかもね。決戦場も私の体だってこと〉
どこからか聞こえる声は全ての種を明かす天声か、或いは死神の宣告か。
いずれにせよ、アクセルリスは止まってしまった。
〈その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない──それが進化、らしいわよ〉
赤黒の女王はそう言った。ならば、追い付かれるのみ。
「そんな──」
アクセルリスの体に魔法陣が浮かんだ。彼女が動くより先に、地よりアイヤツバスが出で、その拳でアクセルリスへと触れた。
「残酷。その報いを受けるときよ」
「あ」
魔法陣が炸裂しアクセルリスを吹き飛ばす。その先にある魔法陣もまた、彼女の存在を感知して炸裂し、吹き飛ばす。
それが繰り返される。逃げ続け、増やし続けた魔法陣の数だけ、だ。
「ぐ──ああああああああああっ!!!」
魔神の衝撃波は一撃一撃が命を容易く滅ぼすほどの威力を有する。今のアクセルリスはそれを数え切れないほど連鎖的に味わっているのだ。それはまさに終わりさえ見えない苦悶の無間地獄。
天へと遡行する銀の星。呑み込む神の身から鮮血を散らしながら輪廻を描くように飛び続け、そして淵源──アイヤツバスが佇むその御前へと、潰し堕とされる。
「────」
その音、呻き声にすら成らず。アクセルリスが放つのはただ肉が潰れ空気が漏れる鈍い音のみだった。
伏すそれは全身を濁った赤色に覆われている。しかしまだ立とうと動く──きっと、永遠に。
「あなたの隊長──シャーデンフロイデも似たような末路の中、尚動いていた。彼女の意志は継がれているのね」
冷静な声色のアイヤツバスが想起するのは、戦火の力を取り戻した直後に交えた殺伐の魔。その記憶にも刻まれるほどの脅威であったそれが、今眼前のアクセルリスと重なる。
「あのときは余裕と慢心ゆえに面倒な事態を招いた。同じ轍は踏まない──いえ」
腕を掲げる。その手刀が、アクセルリスの首に定められる。
「あなたに見せる余裕は元々ないわ」
鎮魂、そして剣が振り落とされる──
【続く】