#8 Akzeriyyth:Argos Answerer
【#8】
「────ふ、う」
小規模な破滅の後、アイヤツバスは小さく息を吐く。終局の具現とも評せるかの剣、それを自分自身を媒体にして生み出したのだから、神の身に降り掛かる負担も十分に大きい。
「でも命を護るためなら、背に腹は代えられないものよね」
「しぶとい──私には及ばないけど、ね」
「ふふ。そんなことを言う余裕はあるのかしら?」
「……」
アイヤツバスが見たのは、アクセルリスが右手に握るトガネの下半分と、その足元に刺さるトガネの上半分。
「世界の希望であるそれ、折れちゃってるけど?」
「あなたにはそう見えるんですか」
嘲笑うかのようなアイヤツバスの言葉だが、アクセルリスは変わらぬ気丈さで返す。
「だとしたら、耄碌だな」
そうとだけ言うと、トガネの上部分を蹴り上げた。そして回転しながら宙を舞うそれに、下部分の刃を交差させた。
刹那、刃の十字が銀色に輝く。
「その刃が折れようとも、その意志は折れない──折れてたまるか!」
やがて光が収まったとき、アクセルリスは新たな二つの神器を手にしていた。
一つ。右手に宿る、トガネの下部を基礎とした一振の剣。
一つ。左手に宿る、トガネの上部を穂先とした一本の槍。
影の欠片に鋼を宿して鍛え直した、まさに影鋼の魔神に相応しい二つの武器だった。
「私が在る限り、トガネも折れない。それが私たちの残酷だ!」
「しぶとさを自負するだけはあるわね」
皮肉の様に笑い、しかし余裕と共に言葉を継げる。
「だけど結局何も変わってはいない。武器を改良しようと、あなたそのものが私を超えられていないのだから」
「かもね──認めるよ」
「……へぇ」
素直すぎる反応にアイヤツバスもその真意を量る。
「だから私も進化する」
次げる二の句は、決然と。
「あなたの力──戦災、あるいは戦火の魔力を浴びるたびに聞こえてくるものがある」
心臓に手を当てる。力強い鼓動が止まることなく鳴っている。
「それはトガネの声。あなたの魔力をルーツに生まれ、私のナカに還っていった」
「つまり?」
「戦火との殺し合いを続けるにつれてトガネの力が強まってる。それが私の力になるんだ!」
そして笑った。
直後、その翼が弾けた──鋼で覆われて翼を形成していた影が、その制御を超え迸ったのだ。
同時に周囲の影が沸き立ち、翼と共にアクセルリスの身体を包む。それは神としての進化を遂げ、高みへと昇華した彼女に相応しい衣を仕立てるための儀式であった。
「いくよ、トガネ────!」
銀色の残照が群れる。それは影の繭が内側から切り裂かれた証明。
ならば出でるのは──更なる格を経た神、アクセルリス。
「これが私たちの──そしてあなたの、はたて」
影を綿密に編み上げられて創り出された黒く絢爛、そして幽美な衣。その随所には赤い宝玉が散りばめられているように見えるが、その実それは彼女が魂に宿す『眼』の具現である。
特異なのはその腰──アクセルリスの腰元より生える一対の長大な影の腕。先端の掌には寒気立つほど鋭利な爪が宿されている。更にその腕は影を透かせた翼膜をも有していた。呼称するのならばまさしく『翼腕』。戦災の魔神が有していたものと同じ存在だ。
美しく、かつ力強く伸ばされたその翼腕は、影の神衣と併せて漆黒のウェディングドレスのように咲き誇っていた。
「──綺麗ね。そして禍々しい。その姿こそ魔神に相応しいわ」
「そうだね。少しばかり私が見たことのある『神』の姿を参考にさせてもらった」
翼腕が大きく広げられ、両掌で舞台を掴んだ。
「だから勿論、綺麗なだけの飾りじゃない」
と、全ての眼が鋭く光ったのをアイヤツバスは見た。
直後、その寸前に影の爪が迫っていた。
「っ!」
神速、かつ一息の間に手を伸ばす無限の領域。間一髪広げた魔法陣で阻むが、ならばとそれが引き裂かれる。形を壊され霧散するはずの魔力は、戦災ではなく影鋼へと吸収されていった。
「喰らい、糧にする。全て、全て、私以外の万物を! それが私のエゴ、その極限だ」
「……素晴らしいわ。その眼。その顔。その魂。私が歪めた運命は間違っていなかったのね」
「あなたの間違いはたったひとつですよ」
翼腕で地を強く掴み、アクセルリスは身を屈める。
「私と決別したことだ────!」
そして、影だけを残し消えた。
「上、ね」
無数の残光を追い、アイヤツバスは空を見上げる。蒼穹に照らされシルエットとなったアクセルリス、その眼の群れだけが赤く輝き、死の光となる。
「そうだ。私を見続けろ!」
「言われなくて、も──?」
やり取りの直後、アイヤツバスは両足に違和感を覚えた。視線だけを足下に落とすと、影より伸びる糸が彼女の足を縫い留めていた。
「何処へも往けると思うな──二度と!」
「丁度良いわ。私もそのつもりだった」
「決して! あなたを離さない!!」
行動は同時に。アクセルリスが刃に影を纏わせ、アイヤツバスが拳に魔法陣を浮かべた。
「はあ──ああッ!」
「炎の中に消えなさい──!」
神の刃が振るわれる。影によって実体を得た斬撃が迫る──だが、巨大な炎の拳と衝突した。これまでの規模を遥かに上回るその競り合い、神と神の戦いが最終局面を迎えていることを世界に示す徴。
天空にて刃と拳は互いを削り、黒影と黒炎の雨を決戦場に降らせる。その間を稲妻のように抜け、アクセルリスはただ真っ直ぐにアイヤツバスへと翔けゆく。
「断つッ!」
「嫌よ!」
真ッ向勝負。神器と魔法陣が幾度と幾度と斬り結び、その度に黒い魔力の火花を散らす。
「アイヤツバス……ッ!」
影鋼が貫く残酷な殺意も。
「アクセルリス──!」
戦災が抱く破滅の愛情も。
共に、完全に達したこの均衡を崩すことはできない。そして魔神たちもその真理を、互いに伝わり合うエゴから察し取っていた。
故に、動く。
「はああッ!」
アクセルリスが両の刃を重ねて強く斬り込んだ。しかしアイヤツバスも束ねた魔法陣でそれを受け止め、競り合った。
「また一度、リセットしましょう──」
アイヤツバスの言葉に合わせ、魔法陣が弾ける予兆を見せる──その仕込みは全て、アクセルリスの『眼』が捉えていた。
「断るッ!」
漆黒の衣を靡かせながら身を翻す。一瞬後、魔法陣と競り合う存在は影の翼腕と入れ替わっていた。
であれば、起きる神事は前例のように。
「言ったよね。二度と逃がさないって!」
魔法陣が炸裂するより先に、影の鋭爪がそれを引き裂き、喰らった。そして残るのは無防備なアイヤツバス。
「だからここで死ねッ!」
強い意志のまま逆の翼腕を走らせ、戦災の胸部を引き裂いた。
「く、ぁ──っ!」
鮮血の代わりに魔力が弾ける。深い一撃だが、致命にはまだ遠く。
「なら死ぬまで斬る!」
「…………そうね、私の認識が甘かったわ」
アイヤツバスは震えながらも追撃の刃を片腕で受け止め、もう片方の手で血のように滴る魔力を掬い上げた。
「それなら、あなたも覚悟は出来てるわよね?」
「当然──ッ!」
冷酷な言葉、アクセルリスに残る本能は恐怖を叫ぶが、魔神の残酷がそれを凌駕した。
死角たる背後からアイヤツバスを切り裂くべく翼腕を伸ばす──だが、それは中途で切断される。
「……ッ!」
影で編まれたそれは程なく再生するが──その事実を差し置き、アクセルリスの心胆を寒からしめるものが眼に映ってしまっていた。
それは、魔力の血を纏わせた手刀が今まさに自身に突き刺さる光景。
「召し上がれ」
「あ」
そして、アクセルリスの躰に筆舌に尽くし難い激痛と嫌悪感、不快感が突き抜けた。戦災の魔力の直投与──それは単純に戦火が身を焼くことを超える苦痛だった。
たまらず双の神器も零れ落ち、さらに万全を期したアイヤツバスによって後方へ弾き飛ばされてしまった。
「あ…………ぐ、が──ああああああっ!!!」
「どう? あなたの好きな私の魔力よ。いっぱい食べてね」
「ぐあ……おお、が、あああ…………っ!」
呻く。喚く。魂の奥底から無理やりに引き摺り出されるかのようなその呻吟こそ、戦災の魔神への讃美歌となる。
「いい音色ね。私も感じるわよ──あなたの命が消え往く様が」
刺し込む手、そこから直に伝わる心臓の鼓動。それが不規則に、かつ揺らいでいるのをアイヤツバスは確かに味わっていた。
「最後の言葉は思いついたかしら? 直ぐに世界も滅んじゃうけど、私が聞き届けてあげるわ」
「…………」
嘲りの慈愛。それを満たしてアイヤツバスは顔を寄せた。
そのときに彼女は、アクセルリスの表情を見てしまった。
笑っていた。
「え」
どくん。鼓動が、確かな強さをもって刻まれた。
それからは余りにも遅く。気付けば、影鋼の拳がアイヤツバスを穿ち抜いていた。
「──っ!」
「ぐあ──は、あっはははははは!」
苦しみ藻掻き、しかしアクセルリスは尚笑う。
「大好物──あなたから直々に貰えるとはね!」
「まだこんなに動け……!?」
「動くよ! 生き続ける限り、ずっと!」
再びの拳、再びアイヤツバスに突き刺さった。
「────っ!!!」
彼女は悶えながらも今最も優先すべき行動を判断した。それは即ち、手刀を引き抜きアクセルリスから離れる事。アイヤツバスはすぐにそれを行動に移す──が。
「逃げるなって! 言っただろ!!!」
それをアクセルリスは許さない。刺さった手を掴み、アイヤツバスの逃走を妨げた上で、三度拳を握った。
「アイヤツバス!!!」
「ッ……ごめんね」
瞬時の状況判断。アイヤツバスは己の肩口に斬撃の魔法陣を浮かび上がらせ、固定された腕を切り捨てて離脱した。
直後に影鋼の拳が虚を穿つ。衝撃が大気に伝わり、世界をも震撼させる。余波だけでアイヤツバスを平伏させるほどの一撃だった。
「……約束は破りたくなかったけど、仕方ないこともあるの」
「ずるい人」
抉れた肩を抑え、震えた足で立ち上がるアイヤツバス。対するアクセルリスもまた心臓を抑えて覚束ない様子、だったが。
「こんなところで死ぬつもりはないだろ……!」
鼓舞されるように強く胸を抑え付けた。赤い右目が光を放ち、同時に心臓の位置からも銀色の光が漏れた。
「はああ────」
ゆっくりと、呼吸を魔力を整え、魂魄の深淵に宿る残酷を強く確かめる。
そして、飲み込んだ。
「──はぁッ! ごちそうさまでした!」
どくん、どくん、と正常で強い鼓動が響き始めた。神の躰を血と魔力が巡るたび、その肢体が薄く銀色に明滅する。
戦災の魔力、その直投与は影鋼の魔神であるアクセルリスにとっても強い死を感じさせるほどのものだった。
しかし、それこそがアクセルリスに限界を超えさせた。残酷の化身、生存本能の具現であるアクセルリスは、その命が脅かされるほどに『生きたい』という想いを強まらせ、無限の活力を得る。生と死、その光と影が産み出す永久炉心がここにある。
「とっくの昔に誓ってた。残酷を成すためならば私は全てを糧にすると! 戦火の魔力もそうだった──だからその力が神に達しようとも変わらない」
「流石の欲望ね。私が見てきた魔女の中でも桁外れ──だからこそ私が選び、神にまで至ったのだけど」
アイヤツバスは激しい炎に身を包む。その身体がゆっくり、じっくりと再生する。
「どれだけ傷付けようともすぐに回復する。本当に無尽蔵なんですね」
「私にだって限界はあるわ。ただ、『世界滅亡』を成し遂げるという想いでそれを誤魔化してるだけ」
「何だろうとあなたの中にある『縁』を斬らなきゃいけないことに変わりは無い」
アクセルリスは影の翼腕を編み直し、トガネの槍と剣を拾い上げた。
「そのための答えは────」
刃を構え、身を屈めた。
「ずっと私の中にあるッ!!!」
【続く】