#7 無千年アーマゲドン
【#7】
「いいわね、やっとらしくなってきた──」
狂おしく。アイヤツバスは満面の笑みを浮かべる。それは彼女史上、最も花開いた表情。
「だから楽しみましょう。もっと、もっと!」
「私が楽しむのは生きていることだけだ」
「なら、今最高に楽しいでしょう?」
「……かもね!」
神と神、星戦の火蓋が切られた。アクセルリスが剣の切先を向けるのに合わせ、全ての槍が同時にアイヤツバスを襲う。
「やられたらやり返すッ!」
「でも残念、相性が悪い」
手を交差させるアイヤツバス。その眼前の虚空に赤黒い炎が発生し、槍を阻み溶かす炎壁を生じる。
「確かに私の鋼じゃ分が悪い──けど!」
アクセルリスが右脚を振るった。それに追従するのは巨大な影の刃鞭、黒い斬撃が炎を裂き、アイヤツバスにすらも斬れ味を届かせた。
「私たちなら、どうかな!」
「誇らしいばかり」
アイヤツバスは傷口を燃やして再生させる。その間にアクセルリスは切り開かれた炎の壁を超え、双剣を振り被る。
「ぜやあああッ!」
神の剣。だが此度も神を断つには及ばず。魔法陣を宿らせた両腕でしっかりと防御されていた。しかしアクセルリスは笑う。
「もうあなたにとっても軽んじれない攻撃、ってことだ!」
「そうね、認めるわ」
二人が競り合い続けている中、取り囲むように魔法陣の群れが出現した。その全てが刃を宿し、アクセルリスへと飛ぶ。
「感じる──」
アイヤツバスから離れ、両の剣を振るった。その一瞬で無数に生まれた銀色の斬撃が全ての魔法陣を斬り捨てた。
「あと少しで、私の殺意が届くのを!」
「どうかしらね。先にあなたが滅ぶかもよ?」
「まだそんなこと!」
笑い、神速と共に姿を消す。
「私は滅びないって──言ってるだろッ!」
一瞬のうちに背後へと回り込む。だがアイヤツバスもまたその動きに追い着く。振り向いた彼女の視線がアクセルリスのものと交差した。
「はああッ!」
走る二つの剣。受け止める二枚の魔法陣。それぞれの神が宿す番の刃が真っ向からぶつかり合う。
「丁度いいわ。小細工なしで比べましょう? 私たちの強さを」
「上等ッ!」
戦場に満ちる熱気に乗せられ、二神は源流の闘争を始める。其れ即ち──『より速い方が勝つ』。
「しゃああああああッ!」
「ふふ──!」
神ならざるものでは観ることすら許されない太刀捌き。銀と赤黒の残像だけが無限光のように刻まれ続けている。それぞれの刃が相対する存在に触れることはない。ただ互角なまま、その剣戟は繰り広げられゆく。
超克の神事、最中にてアクセルリスの感覚は研ぎ澄まされ、純粋な『生』の境地へ突き進む──しかし、対するアイヤツバスはその心中に邪悪な笑みを浮かべていた。
(──私の言葉をすぐ受け入れちゃうあたり、変わらないわね)
彼女の提案により始まった『速さ比べ』だったが──元より、それを遵守するつもりなどない。
目の前の戦いにアクセルリスを集中させ、生まれた間隙を抜け目なく討つ。それが魔神の思し召しなのだ。
「殺す──殺す!」
そしてその思案通り、アクセルリスは神を超えた神速に至りアイヤツバスを殺すことへ執心する姿を見せている。全て、戦災の魔神が思い描くままに。
「なら、容赦はしないわ」
他の存在に届かぬほどの声で呟き、そして魔力を籠める。アクセルリスの背後に小さな魔法陣が出現し、すぐに炸裂した。
「────ッ!?」
意識外からの強烈な一撃、アクセルリスは狼狽と共にその姿勢を崩す。
とはいえ神に対しては非力すぎるような衝撃だったが、それもそのはずだ。
「はい、それじゃ」
アイヤツバスは『己の手』でアクセルリスを滅ぼすことを望んでいたのだから。
その膨大な魔力を右手に集中させる。そうして生まれるのは手刀──それを超えた『破滅』そのものが宿った神の手。
「死になさい」
「ッ!」
心臓を狙って走る手刀。しかしアクセルリスの神体が反射的に動き、滅びの手が貫く先を心臓から腹部へと逸らした。
「ぐ! が、ぁ…………っ!」
そして手刀が突き刺さる。急所は免れたとはいえ、邪悪な神の魔力が込められた一撃は神であっても身に余るものだ。アクセルリスは苦悶の表情を見せる。
──だが、それはすぐに笑顔に上書きされた。
「……やっぱり、だ!」
「何を」
只ならぬ様子にアイヤツバスは身を退かせようとするが、刺さったままの腕をアクセルリスが掴んで離さない。
「どうせあなたのことだ、何かのインチキをしてくると思ってた!」
「それが分かったのなら、何故攻撃を受け入れたの?」
「……悲しいけど、私たちは本質的に分かり合えていない──というか、永遠に分かり合えないんだと思う」
不敵な笑みはそのままに、哀しみの影をも宿す。
「だからあなたが搦め手を使ってこなかったときのことも想定したんだ。もし使ってこなければそのまま速さで勝って、一撃を叩き込む」
「なら……使ったときは?」
「今、確かめてみろ」
その言葉の直後、アイヤツバスは背後から強い殺気を感じ取った。それは彼女にあらゆる行動の隙を与えないまま、役割を果たす。
「────ッ!」
魔神の背を切り裂いたのは、影のアクセルリスが握る名も無き妖精の剣だった。それは生が極まりし報いの一撃。深い傷にたまらずアイヤツバスも身を崩す。
「因果応報ッ!」
待ち望んだ一瞬。当然アクセルリスが逃す筈もない。再び右手に剣を握り、その残酷を振るう!
「抉れろォ──ッ!」
「がぁ……っ!」
刺突がアイヤツバスの腹部を貫いた。彼女がアクセルリスを刺したように──否、それよりも深く。
呻く。だがその口から血は流れない。それはまだアイヤツバスの『縁』がケターと共に在ることを証明する。
「先に! 命のほうを絶ちたかったけど!」
剣を引き抜き、その勢いのままアイヤツバスの胸を袈裟に切り裂く。当然左手では腕を掴み、逃さないまま。
「ぐううぅっ!」
「頑丈すぎるでしょ、マジで!」
互いに深い傷を負ったままでの鬩ぎ合い、神であろうと逃れられぬ生と死の際。それを直に感じてか、アクセルリスは無意識で笑っていた。
「なら先に『縁』を斬るか!」
「させないわよ、そんなこと……!」
「嫌だッ! 私は私のやりたいようにやるッ!」
「ワガママね……!」
二つの斬撃が同時に光った。
銀色のそれは、アイヤツバスの逃走を阻むために彼女の両脚を切り裂いたもの。
赤黒のそれは、アクセルリスの剣を阻むために彼女の右腕を切り裂いたもの。
「があ……ッ!」
「く……!」
共に切断にまでは至らなかった──だが十分な戦果は挙げた。
傷を負わされたアイヤツバスの両脚は主の命令を拒む。後退すらままならず、その場に膝を付く。
アクセルリスもまた、その腕を繋ぎ止め剣を握らせるための力が失われ、トガネを取り落とす。
痛み分け──その局面から先に動くのはアクセルリスだ。
「逃がすか……この程度でッ!」
赤い右目が強く輝く。彼女の影から伸びた腕が落ちるトガネを掴んだ。
「はあ──っ!」
そして魔力と想いが込められる──刀身が銀色に輝く。それは『縁』を絶つ力を得た証明。
「これで、斬れるッ!!!」
「────!」
トガネが放つ只ならぬ気配に恐怖を覚えたアイヤツバスは、苦渋の術を選んだ。
刃が届くより先に、アクセルリスに刺さったままの腕に魔法陣が浮かび上がり──そのまま爆発した。
「ぐぅ──ああああああああっ!」
「く──ううううっ!」
両者は等しく吹き飛び、同時に墜落した。
「う、ぐ……無茶苦茶だ……!」
「生き延びるためよ、あなたなら理解できるでしょ……」
共に揺らぎながら立ち上がる。互いに満身創痍の中、視線だけが絡み合う。
「…………」
「…………」
共に声を発さず、動くこともなく。
ただアクセルリスは影を、アイヤツバスは炎をそれぞれ纏い、先の拮抗にて負った傷を癒した。
息を整え、先に口を開いたのはアイヤツバスだった。
「本当に──本当に、立派になったわね」
「どういう意味?」
斬り掛かりながら訊く。それを逸らしながら返す。
「そのままの意味よ。出会ってから幾星霜、私はあなたのことを最も近くで見続けていた」
「それは認めるけど!」
「だからこそ理解できるの。全てを失い己の生へと残酷を研ぎ澄ませていたときから、今神となり私と殺し合うまで、至る途の全て」
赤黒い腕の一振りでアクセルリスを退かせ、尚もアイヤツバスは語りを止めない。
「数多の出会いと別れ。邪悪と残酷と外道。それらの先、あなたの瞳に映り、宿るものを」
「なんか言いたいならハッキリ言え! あなたの悪い癖だ!」
「『成長』よ」
両手に魔法陣を宿らせる。同時にアクセルリスの周囲、全方位を埋め尽くすように魔法陣が浮かび上がった。
「……!」
「あなたを生み、あなたを育てた親として。子の成長は何にも代えがたい喜び──滅びへの旅路の中、私はそれを幾度も感じた」
魔力を籠める。拳の形状を成した黒炎が全ての魔法陣から絶え間なく放たれる。破滅の雨、中心に在る命を決して逃さない滅びであろうが──アクセルリスの生存本能はその掟を上回り、破る。
「だから、もっと見せて──!」
「これであなたが喜ぶなら、幾らでも!」
四肢に満ちる魔力をフルに稼働させ、迫る火球の全てを躱し続ける。彼女には『死』の予兆が糸として見えているのだろう。
「死が! 私の命を脅かす存在が強ければ強いほど! 私の生存欲求も強くなり続ける! それを一番証明し続けたのはあなたでしょ!」
まさに光と影。滅びという光が強まれば、残酷という影も強まるのだ。やがてその影は形を成して牙を剥く。
「だから私が──私たちがあなたを殺さなきゃならないんだ!」
「……」
言葉に何かを感じたアイヤツバスは、攻撃の手を止めその場から消えた。その次の瞬間には黒い残火を影の刃が斬り裂いていた。
「油断も隙も無い」
「そういうフウに育てたのはどこの誰?」
「素質があったのよ、元々」
「その素質を求めたのはあなたでしょ!」
影を編み創り出した分身三体、そのどれもが本体と同じ残酷を宿して突撃する。
「いたいけだった私の本性に目を付けて、私の家族を巻き込んでまで私を手に入れて! そして今がある!」
「ごめんね。本当に申し訳ないとは思ってる──でも、私の夢のためだったから」
アイヤツバスは右手の手刀で分身の一体を切り裂く──すると解けた影が網となり、アイヤツバスの右腕に絡み付き、その動きを封じ込める。
「あら──罠」
「一時も忘れたことはない──私の怒りを、私の哀しみを、私の汚さを…………!」
残る分身がアイヤツバスに迫る中、アクセルリスは一人その場を動かずに、ただ俯きながらに弓を取り出した。
「何を──」
明らかに感じ取れるアクセルリスの策略。しかしアイヤツバスはそれよりも先に目の前の影分身に対応しなければならない。
彼女が指を鳴らすと、瞬間的に魔法陣が炸裂し、その衝撃波で二体目の分身を弾けさせた。
しかしその影も一体目と同じように解け、縄となってアイヤツバスの両脚を絡め捕る。
「しつこい」
その執念がアクセルリスの生存本能の具現とも言えるだろう。
斬ろうが爆ぜようが神へと辿り着く影、残すは一体。
「なら燃やし尽くす」
指先に黒炎を灯し、撃ち抜き燃やす。それがアイヤツバスの選んだ三手目──だがこの期に及んでは、その試みすらも捨て払われる。
黒炎弾が撃たれるよりも早く影を射抜いたものがあった。アクセルリスが放った銀の矢だ。
それを引き金に影は三度解ける。最後に形成されたのは長い鎖。アイヤツバスを包むように伸び、全身を完全に拘束し尽くした。
「……!」
「…………だけどもう、過ぎたことには何も言わない」
アイヤツバスは力任せにその拘束を解こうと藻掻くが、三重にまで絡まった神の力は例え戦災の魔神であろうと易々超えられるものではなかった。
そしてアクセルリスは吹っ切れたように顔を上げる。どこか晴れやかな表情で、目標を定めた。
「その代わり! 今確かにここにある私を──私の復讐を成し遂げて、生き延びる!!!」
弓を構えた。そこにつがえるのは矢ではなく、トガネ。
「だからその為に、あなたは私が殺す──!」
引き絞る。その肢体に銀色の血管が浮かび上がり、世界を仄く照らす。
「私は──」
「動くなッ!」
アイヤツバスが僅かに動きを見せたのと同時に、その影より生えた無数の刃が彼女を貫いた。
「────!」
「もう、動かないで」
「嫌よ──私だって足掻くわ。もうすぐそこに、追い求めていた夢があるのだから……!」
周囲に幾つもの魔法陣が浮かび上がる。あるものは刃となってアイヤツバスの拘束を解こうと、またあるものは火球を放つ砲台としてアクセルリスを狙おうと光るが──それらが行動を起こすよりも早く、アクセルリスの影分身が砕いていく。
「何もさせない、この一撃で先にあなたの命を絶つ!」
「アクセルリス…………!」
戦災と影鋼の攻防。二つの魔神は、ただ己にのみ集中し、それを見守る。
「あと……少し……!」
その間にもアクセルリスが引き絞る弓は強さを増し続け、彼女の身体そのものも漲る魔力で輝きを増し続ける。
数多の願い、数多の感情、数多の命と声。その全てが神と神の間で渦巻き、実る。
「これで、終わりにさせて」
そして。
「行けッ! トガネッ──!!!」
その輝きが最高潮に達した瞬間、アクセルリスはトガネを放った。
神の全力によって引かれた弓、そこから射られた矢はあらゆる神よりも早く駆け、アイヤツバスの命を貫く────!
「そんなの……」
アイヤツバスがぽつり呟いた。眼前にトガネが在った。
「認めるわけないでしょ──!」
彼女の身体が拘束を超えて反る。同時に赤黒い剣が心臓より生え──トガネと触れた。
「な」
剣──アイヤツバスの剣。それは純粋な魔力の熱を刃の形状に生成した、触れたもの全てをゼロに還す光。
例外はない。生物、無生物、正義、悪──そして、トガネであろうと。
「トガネ」
アクセルリスがその名を零す中、戦災の剣と触れてしまったトガネ──その刀身の中心が解けて光に消え、真っ二つに分断された。
「ああ、ああ──ああ!」
「──ッ!」
そしてなお苦痛を唄うアイヤツバス。黒い光が乱反射し、不穏なる破滅の予兆を招く。
火中、アクセルリスは冷静な状況判断で分かたれた一対のトガネを回収し、アイヤツバスから十分に距離を離した。
直後、アイヤツバスの全身から『剣』が生えた。
それは影の拘束を纏めて無へと還元し、魔神の躰を自由へ戻した。
「────ふ、う」
小規模な破滅の後、アイヤツバスは小さく息を吐く。
【続く】