#4 Akzeriyyth:Answerer
【#4】
心配そうなシェリルスの視線の先、アクセルリスは未だ魔力の渦と戦っていた。
「ぐ…………う……!」
呻く。それは魔力の圧に耐えることよりも、魔力の手綱を握れない己への焦りが生む声。
「もう少し……それは見えてる、のに……!」
その言葉に虚勢はない。アポクリフェイタリスと重ね合わせる手の間には、既に宝珠の輪郭が生まれていた。
しかし、それは長い間輪郭に留まっていた。器こそ生まれたものの、そこに魔力を満たし完成させるには及んでいない。
「これが出来なきゃ、私も世界もアイヤツバスに殺される……! なのになんで……!」
確実に迫る『死』、それへの恐怖が首元に一筋の汗を生んだ。
その汗が冷え切った外気に触れ、アクセルリスの身体へと突き刺すような冷気を届ける。
それが、濁った熱を帯びていたアクセルリスに冷静さを取り戻させた。
「…………落ち着こう。何がどうダメなのかを冷静に分析すれば、きっとうまくいく」
灼銀の瞳が未熟なる宝珠を見る。冷徹に、殺伐に、その存在を観察する。
そして、気付くことがある。
「『核』……かな? 魔力を繋ぎ止めて一つにする核が足りてないっぽい。なにか、その役割を果たすものがあれば────」
その刹那、一つの可能性に思い至る。
そして、それと同時だった。その『可能性』が、気付かれるのを待っていたかのように、アクセルリスのポーチから飛び出し、重なる魔力の渦中に飛び込んだ。
「《調律の音玉》……! やっぱりこれなんだ!」
それはかつて、《伝説のコック》にして《調律の魔女》たるリバラヘッドがアクセルリスへと渡した魔石。
彼女は言った。『きっといつか役に立つ』と。それが、今なのだ。世界の果て、世界が上げる『生』への執着の声。彼女はその『音色』をも聞き届けていた。
「ありがとうございます、リバラヘッドさん──これで、これで────」
音玉は自ら宝珠の中心に佇み、そして渦巻く魔力を集め始めていた。
調律。異なる音色を繋げる希望の筋──それが何を指すか、もう誰にでも理解できる。
「これで、繋がる!」
希望、好転。アクセルリスの笑顔の元、輪郭だけだった宝珠に段々と色と中身が宿っていく。
それはアポクリフェイタリスの黒色から、一滴の赤を点したのち、アクセルリスの銀色に染まる。
そして遂に、満ちた。
「──来たッ!」
叫び、手を伸ばす。五本の指、その末端に至るまで力と神経を集中させ──遂に彼女は掴んだ。
直後、魔力を帯びた一陣の風が吹き荒んだ。
「────ッ!」
一瞬のち、完全な凪が訪れる。
平穏、静寂。そして魔女たちが見たのは、銀に輝く結晶──宝珠を手に、凛と立つアクセルリスの姿だった。
「成し遂げたのだな」
「はい」
キュイラヌートの言葉、アクセルリスは頷く。
「「「──」」」
アポクリフェイタリスの唸りにも満足げな色が見える。
あらゆる生、あらゆる魔の祝福の元、世界はパンドラの箱より最後の希望を手に入れた。
「…………もう、余計な言葉は要らない」
そう言い、ベルトを己の腰に巻く。その規格は寸分狂わずアクセルリスに適合する。まるで、初めから彼女が使うべきものだったかのように。
「全ては一つの答えにある」
宝珠を構え、魔力を籠める。銀色の内より赤い幾何学的な紋様が浮かび上がった。
それは戦火の宝珠が有していたものとは異なる紋様──則ち、『新たな魔神』として認められた証だ。
〈────〉
その瞬間、戦災の魔神を覆う氷──その一部、目に相当する器官の周囲の氷が砕けた。それは新たな魔神の誕生を見届けさせるという世界の作為か。
「私と世界は同じ意思を抱いてる。それは始原で純粋な一つの望み」
残光を残しながら宝珠をベルトに嵌め、アクセルリスは、言う。
「私の名はアクセルリス。私は、死にたくない────!」
銀色の激しい輝きが、アクセルリスの全身を、夜会室を、そして世界を包んだ────
「──────はあッ!」
輝きを切り裂き出でたのは、アクセルリスであり、鋼の魔女ではなかった。
「私は」
その存在は、世界へと刻み込むように、強く己の名を言った。
「《影鋼の魔神アクセルリス》!」
影鋼の魔神。あるいは世界の意思に答える者。
眩い銀色の輝きを讃えながら、それは一歩を踏み出す。足跡もまた銀の光となり、総ての生への導を成す。
「────これが、魔神の力」
新生の神は確かめるように口にし、自身の姿を見る。
基本的なシルエットは鋼の魔女アクセルリスより逸脱はせず。しかしその細部を見れば、『魔神』の存在を強く感じるものだ。
左目の銀色はその輝きのまま、より光を増す。そして灼銀だった右目は赤一色に染まり、瞳の中に銀色の紋を浮かべる様子へと変貌を遂げていた。
麗しい銀髪もまた輝きを増していたが、その陰影には対照的な影色をも宿していた。片側で纏めていた髪はそのままに、神々しき尾のように伸長する。
神たる衣は魔装束の面影を残しながらも変化し、その神事に適応するような姿となった。
そして最も目を引くのがその背より生えた巨大な翼だった。形を持ち蠢く影を、無数の鋼の槍で覆い装飾した一対の翼。それこそが《影鋼の魔神》が持つ二つの力の象徴。
更にその翼に重なるように、銀色で半透明な翼も存在していた。二対生える副翼も合わせ、六枚の翼が神の身体には咲き誇っていた。
「アイヤツバスを──お師匠サマを、殺す力」
「然り」
己に確かめさせるような言葉。キュイラヌートがそれを肯定する。魔女帝の詔は、確かな神の誕生を認めた。
続いてバシカルが神の御前に歩み出で、かの存在が手にすべき力を示した。
「これを」
それは一振りの剣。
極限まで研ぎ澄まされた斬れ味と、緻密で美しい装飾の対比が特徴のその剣は、魔神が振るうべき神器に相応しい。
「これが、あの」
「『縁』を断つ剣だ」
異形の半身と黒い冷静を犠牲にして届けられた、奇跡の輝き。刀身にはただ神だけが写る。
神を斃すために神へと捧げる剣。その役割をバシカルは語り出す。
「何も想わぬまま振るえば、その刃はただの刃として万物を切り裂くのみ」
ただの刃──そう呼称されたが、この世界でも頂点に君臨するだけの斬れ味を持つ。
しかしこの刃が神殺しの神器たる所以はそこにはない。重要なのは、『何を斬るか』だ。
「だが魔力と強い意志を重ねることで、その刃が斬るものは有形の存在ではなく無形のもの、つまり『縁』となる」
そう──『縁』。それを斬ることがこの剣の本懐であり、そして同時に世界を生き続けさせるための前提となる。
「試し斬りの余裕は無いが」
「問題ありません。斬れねばどの道全て死ぬ、ならば私は斬る」
影鋼の魔神アクセルリスは決然とそう言った。神と成ろうと、彼女のやることは変わらない。ただ生きるため足掻く。
「そうか。そういうものだったな、お前は」
バシカルは目を伏せ、首を振った。まるで己の言葉を愚問だと自重するように。
「もう一つすべきことがある。その剣は未完成だ。そしてそれを完成させるのは他でもないお前だ、アクセルリス」
「私が?」
「名前だ」
名。遥か前より、世界においてそれは何よりも尊重されるもの。形、魂、意思。その全てを決定づけるものこそが名なのだ。
それを定めることは万物の創造にも等しい。そしてアクセルリスには、以前に経験がある。
「その剣にはまだ名前が無い。ならば名付けるのはそれを振るうべき存在──魔神であるお前しかいないだろう」
「──わかりました」
アクセルリスは、僅かの逡巡もなくその剣へ名を授けた。
「《トガネ》」
その一瞬、彼女の影が揺らめいたように見えた。
「私の剣となるならば、それ以外の名前は無い」
「良い名だ。数多の意味と深い愛を感じる」
「ありがとうございます」
神は微笑んだ。トガネを右手で握りしめる。不思議と、熱を帯びているような感覚を味わった。
そして同時に、左手にも一振りの剣を握った。トガネとは異なり、装飾もない機能美に優れたシンプルなものだった。
「それは?」
「友達から借りた剣です。これでアイヤツバスに一太刀を浴びせてこいと、そう頼まれました」
「成程。心強いな」
「はい、まったく──」
妖精──あるいは森。その力をも感じ、最早アクセルリスはかつてないほどに満ち満ちた。
「────よし」
そして神は、もう一柱の神を見た。
〈────〉
異なる神の凝視を受けた戦災の魔神は、その瞬間に再起を遂げた。直後、神体を覆っていた氷が砕け、その熱で跡形もなく溶けて消える。
〈アクセルリス──〉
「──アイヤツバス」
神と神は、互いの名を呼び合った。大いなる視線が交わされた。
「終わらせましょう」
〈ええ、終わらせる〉
アクセルリスが低く身構える。アイヤツバスは悠然と待ち構える。
〈この世界を──〉
「私の──復讐を」
戦災の魔神が嗤う。影鋼の魔神が吠える。
そして、二つの意志と、二人の言葉が重なった。
「〈今、ここで────!」〉
刹那、アクセルリスの姿が消えた。その残滓たる颶風が夜会室を襲う。
「く────!」
魔女たちは苦悶したが、皆耐えた。その先に見たのは、遠くに舞う六枚の翼持つ神。
「一瞬で、あんなに遠く……」
「あれが魔神の力──世界を滅ぼす、あるいは世界を救う力、か」
口々に感嘆を漏らす中、アディスハハは窓辺に寄り、そして祈った。
「アクセルリス、がんばって──!」
【続く】