#3 夜行前のシンデレラグレイ
【#3】
両手を重ねて翳し、照準を魔神に合わせる。掌に魔力と熱が満ち始め、毛先が赤熱する。
そして、叫ぶ──!
「だからアタシが! テメェを拒絶する!」
〈五月蠅いわ。塵になりなさい〉
返答、魔神の熱線が放たれた。
それはかつての初撃と変わらぬ力を──否、初撃を超える力を以て迫る、全てをゼロへと滅ぼす審判だった。
(…………?)
しかしアイヤツバスは、魔女機関の消滅を感じていなかった。それどころか、かの熱線が『拮抗』している感覚すら味わっていた。
ありえない。魔神の真価、その象徴たる熱線が阻まれるなど。だが彼女はそれを放つことを止めなかった。止めれば、逆に自らが迸る熱に身を焦がされると直感していたからだ。
(何が起きてるの?)
口部から熱線を放ち続けている彼女では目に映せない。しかし、間近から見守っている邪悪魔女たちであれば映せる。戦いの光景──あるいは。
「────ああああああああああああッ!!!」
シェリルスが放ち続けている凄まじい勢いの爆炎が、魔神の熱線を食い止めている光景が。
「テメェがアタシを超えられると思うなよ、アイヤツバス────!!!」
絶叫。極めて強い敵意を声と魔力に乗せ、シェリルスは燃え盛る。
「シェリルスさん、すごい……!」
「本当に、魔神と渡り合っている……」
思わず声を漏らすアディスハハとイェーレリー。
「シェリルスのやつ、いつの間にこんな力を」
「これも貴女の教育の賜物なの? バシカル」
「いいや」
疑惑を向けるケムダフとシャーカッハに、バシカルは答える。
「魔力燃費に優れたシェリルスといえど、本来ならば魔神と拮抗するだけの魔力はない」
「では、なぜ」
「答えならば私たちも感じているはずだ。先程からずっと」
「──そうか。部屋に満ちるこの魔力、アクセルリスとアポクリフェイタリスから溢れる魔力か」
カイトラが答えに気付いた。魔力の影響をその体で濃く受ける彼女だからこその着眼だった。
「そうだ。魔神に至るための魔力。シェリルスはそれを魔神に抗うための魔力へと利用している」
「魔女機関の全てがシェリルスの背を押してるんだね」
「シェリルスさん、頑張って……!」
アディスハハが祈るように目を閉じた。
「────へへッ!」
その声は、その祈りはシェリルスに届く。
「可愛い後輩に応援されたんじゃ、俄然力が湧いてくるぜェッ────!!!」
大きく大きく目を見開く。魔力は未だ衰えない。背から感じる二つの力が、シェリルスの活力にも繋がっている。
「うおおおお、オオオオオオオオオッ!!!」
熱量は増していく。炎とシェリルスのボルテージが上がり続けるのに応じ、彼女の髪も赤熱の一色に染まる。
「まだまだァ! アタシはどこまでも燃えてやるッ! それがアタシ──《拒絶のシェリルス》だッ!!!」
己の存在と役割を戦災の魔神へと刻み込ませるべく、声が枯れるほどに叫ぶ。
「あああああああッ、あ────?」
一瞬、覚えた違和感があった。競り続けている魔神にも、見守っている魔女たちにも分からない、シェリルスだけが気付く違和感。
(指が──?)
それはすぐに確信へと変わった。それだけの材料と根拠が、その手の中にはあった。
(アタシの身体が、燃え尽き始めている)
熱線との拮抗を続けている爆炎。その根源たるシェリルスの身体が、耐え切れなくなっている。
元より魔女が己の放つ炎で身を焦がすようなことはない。出力が上がるのに応じて媒体である魔女もそれに耐え得るように調節されるためである。
しかしシェリルスは今、イレギュラーな外部の力によって神炎の力を手にしている。なれば導かれる結末は一つ。
(このまま続ければ、アタシの身体は全て灰になる)
彼女の世界が鈍化する。
(指先の感覚がない。たぶんもう燃え尽きて灰になった)
自分の身体が自分でなくなっていく感覚。逃れることが出来ないそれは、あらゆる存在に恐怖を満ちさせるもの。
しかしシェリルスは、抗った。
「──だったらどうしたァーーーーーーーーーッ!!!」
纏わりつく恐れ、迷い、憂い。全てを炎の中に振り切り、シェリルスは叫ぶ。
「アタシがやるべきことは決まってるッ! 必ず、必ずテメェにスキを生ませてやる、アイヤツバス!!!」
一点、ただその目的の為に己の全てを注ぎ込む。一念、堅牢なる魂を穿ちながら。
やがて、時と共に代償は進む。
(ぐ……! もう指が全部燃え尽きた……! 早く仕掛けないと、アタシが先に燃え尽きる!)
終焉が観える。だがシェリルスはそれを観ない。彼女が観るのはその先──燃え尽きる己と、燃え盛る最悪の世界。
(死ぬのは怖くねェ! だが──任務を果たせないのだけは絶対許せねェ!)
永遠にも感じられる拮抗の苦痛、それを打開するためならばと、シェリルスは一つ、決断した。
(どうせ燃え尽きンならド派手にやる! 炎の出力を上げてアタシごとアイヤツバスに突っ込めば、必ずスキを見せる──ならアタシは迷わねェ!)
心の底にて、終わりの炎は灯った。
「おおお────」
シェリルスが全力で地を蹴り、飛び込もうとしたその瞬間。
「──え」
とん、と。彼女の肩に手が置かれた。
強さ、冷たさ、そして優しさ。見ずとも紛れもない、彼女の師のもの。
「師匠」
「振り返るな。お前はずっと前を見据え、炎のように力強く生きろ」
「──ッ!」
言葉は冷徹に。しかし何よりも深い温もりで、シェリルスを激励する。
「──ああそうだ! アタシには師匠がいる! まだ死ぬわけにはいかねェか!」
その四肢に、その思考に、その魂に力が満ちていく。まるで灰から生まれ変わる不死鳥のように、シェリルスの全てに活力が吹き込まれる。
そしてそれは決して比喩的な表現ではなかった。シェリルス自身も気付かぬうちに、彼女の指は元通りに再生を果たしていた。
大いなる奇跡が起こったのか? 否だ。その再生は単なるバシカルの治癒魔法に過ぎない。彼女が得意とする、何の変哲もないシンプルな魔法。しかしその魔法も、残酷と黒龍の交わりの影響を受けていることは言うに及ばない。
「うおおおおおお、おおおおおおおおおお────ッ!!!」
だが肉体の再生よりも、シェリルスの力となったものがある。
それはバシカルが託した想いだ。魔女機関の執行官たる偉大なる師が、今はただ自分を信じ、背を押している──その事実が何よりも力となる。
それこそが命と命の交差。即ち『縁』であろう。
「いくぜ…………師匠ォッ!!!」
「ああ、好きにやれ。お前を見せつけろ──!」
師が見守る中、弟子は快活に笑う。二人の感情が重なり、一つの巨大な力を成す!
「はァ──あああッ!!!」
持てる総ての力を以て、シェリルスは爆炎を放ち続ける掌を上に向けるとともに、腕を真上に振り上げた。
爆炎もそれに従い軌道を捻じ曲げ──その変化に、魔神の熱線をも巻き込んだ。
「────」
一息。世界を滅ぼすための力、その先端が大空を穿っていた。
隙が、生まれた。
「今だ総督ッ!」
「上出来だ」
一言。言うも早く、キュイラヌートの指先から糸の様に細い冷気が放たれ、直ぐに魔神へと着弾する。
〈あ────〉
それを受けた戦災の魔神は、呻きさえも間に合わずに、透き通った氷の内へと封じられた。
「良し。想定よりも上手く運んだ。十分な猶予は取れるだろう」
冷たさの中に安堵を見せるキュイラヌートの声色。そして彼女は大仕事を終え、膝を付くシェリルスを見た。
「く──あああっ…………」
その様子は酷く疲弊し消耗しているようだった。無理もない。膨大な魔力リソースを得ていたとはいえ、魔女の身で魔神に抗い、打ち克ったのだから。
「無事か」
「なんとか、ッス……まァ相手がアイヤツバスなら、アタシが負ける道理がねェってもんスよ! 師匠のおかげで怪我もねェですし!」
「それは良い事だが。ならその髪もか?」
「髪?」
バシカルの言葉、訝し気にシェリルスは己の姿を確認する。
「あ、え」
瞬間的な超火力の代償だろうか、いつの間にか彼女が誇るツインテールが灰となって消えていた。
「あーっ!? アタシのチャームポイントが!?」
余りにも悲愴なシェリルスの様子に、バシカルもキュイラヌートも思わず微笑んだ。
「…………まァ、髪で済んだなら幸運ッスかね」
「そうだな。さて、軽口を叩けるのもここまでだ」
一時の安らぎ、それを超えた先には依然として世界の脅威が待ち受けている。
「アクセルリスは……上手くいってるのか?」
心配そうなシェリルスの視線の先、アクセルリスは未だ魔力の渦と戦っていた。
【続く】