#2 黒龍アポクリフェイタリス
【#2】
「……さて、センチメントな時間は終わり」
一度閉じ、再び開いたその目には、永久に消えない残酷が宿っていた。
「『装置』も『素質』も私の想いも、全ての準備が整いました」
「始めよう」
キュイラヌートが指を鳴らした。どこからともなく黒い影が飛び、夜会室の中央に佇んだ。
「ガーッ」
「クリフェ?」
それはクリフェ。キュイラヌートの使い魔たる三つ目のカラスだ。
「イェーレリー、カイトラ、シャーカッハ、ケムダフ。持ち場に」
「了解!」
「は」
「はぁーい」
「かしこまりっ!」
四人がクリフェの四方を囲むように立つ。それはちょうど東・西・南・北に侍る守護獣のように。
そして一様に中央──核となるクリフェへと魔力を構える。
「これよりヴェルペルギースに貯蔵している魔力をこの場に集め、四人を媒介としてクリフェへと注ぎ込む」
「すると、どうなるんですか」
「それより後は語るより見るのが早い」
キュイラヌートが再度指を鳴らした。併せて、ヴェルペルギースの街が重低音を奏で、響かせる。それは魔都に根差す魔力循環機構がイレギュラーを起こし始めた証明だった。
「…………っ」
クリフェを囲む四人の表情が険しくなる。魔都の運営にも利用されるほどの魔力が圧し掛かっているのだから無理もない──しかし、世界を護るためならば軽いものだ。
段々と、その魔力の筋が可視化されるほどに濃厚になり、それを受け続けるクリフェの身体が黒い光、そして鋭い寒気を放ち始める。
「寒……?」
思わず身を震わせるアクセルリス。凍える身の中、思考は研ぎ澄まされる。
(クリフェは総督の使い魔だから、力が強まれば同じように魔力の冷気を出す……そんな感じだと思うけど、でもこの寒さは──)
そう考えを巡らせるアクセルリスに気付いたようで、見透かすようにキュイラヌートが言う。
「何か、勘付いたようだな」
「はい。この寒さ、『覚え』があります。どこかで感じたような、だけど決して敵対的じゃなくって」
「それも直ぐに理解する」
キュイラヌートは真っ直ぐにクリフェを見続ける。それは単に己が生み出した使い魔を見守る視線ではなく、まるで旧きからの友を見続けるようなものであり。
「ガ──、ア──」
やがてクリフェの唸りはくぐもり始め、力を蓄えるように空で身を縮める。
その姿は最早一つの黒い球体に。その状態でも尚魔力を得続け、心臓のように脈動する。
そして覚醒は突然訪れる。
「────!」
どくん。一際強い鼓動、それ見たキュイラヌートが声を上げる。
「目覚めよ、我が使い魔──《アポクリフェイタリス》」
「────、──!!!」
黎明──その瞬間の如き光が瞬いた。夜会室が黒い閃光に包まれる。
「「「────」」」
光はすぐ収まった。正しい世界への適応を取り戻した目で、魔女たちは見た。
「────龍」
ただ堂々、しかして凛々とある存在。
黒い、黒い、龍だった。
「黒龍、って……」
アクセルリスは目を見開く。忘れるはずもない、侵攻する巨大龍を共に退けた、かの龍──それが今此処にある。
「なんで……!?」
驚愕を見せる。それは真実を知らなかったアディスハハやシェリルスも同じように。
彼女たちに明かすように、キュイラヌートは語る。
「これが我が使い魔 《クリフェ》の真の姿──《黒龍アポクリフェイタリス》。それはヴェルペルギースを護る存在。隠されし運命。御伽噺と化した龍」
「「「──」」」
主の言葉に返事をするように、黒龍──アポクリフェイタリスは唸った。
「我と結んだ盟約により、黒龍は三つ目のカラスの姿を取り現世に顕現し続けていた。そして魔力を与えることで黒龍としての姿と力を取り戻す──それ以上の微細を語る時間は無い」
簡潔に、今語れる総てを明かす。
「ヴェルペルギースの守護竜たるアポクリフェイタリスは本来このような有事に覚醒させるものだが、魔神が相手では力が及ばない」
「「「──」」」
「だが、ヴェルペルギースを護る手段、そして力は在る」
「「「──、────!」」」
アポクリフェイタリスは重い唸り声を上げながら、首をもたげ翼を大きく開いた。
「今、アポクリフェイタリスがヴェルペルギースの魔力を集めている。魔女が複数で行うより効率も良く規模も大きい」
「それは、魔神を生み出すための魔力」
「アクセルリス──お前はアポクリフェイタリスを媒体としてその魔力を取り込み、魔神となる」
キュイラヌートの眼がアクセルリスの持つベルトを映す。
「そのためには魔力を《装置》に適応した形──《宝珠》とする必要があるだろう」
魔神の前例たるアイヤツバスも、自身が集めた魔力を赤黒い《戦災の宝珠》としてベルトと共に利用していた。ならばそれが最適たる形なのだろう。
「進め。アポクリフェイタリスが魔力を凝縮し抽出する。その魔力と己の魔力を共鳴させ《宝珠》を生み出せ」
「分かりました!」
やったことはない。できるかどうかは分からない──だがやるしかない。でなければ、全てが死ぬのだから。
「また会ったね……って、本当ははいつも会ってたか」
「「「────」」」
黒龍へと語りかけるアクセルリスと、視線を交わし静かに息を吐くアポクリフェイタリス。
「あなたはヴェルペルギースの守り神。ならきっと世界を護る力にもなる! だから、私に力を貸して!」
「「「──!」」」
アクセルリスが両手を向ける。アポクリフェイタリスもその手に重なるように前脚を翳した。
そして、魔女と龍との手の間に、静かだが強く魔力が渦巻き始める。
「いくよ」
重なる魔力は急速に勢いを増していく。それはアポクリフェイタリスの力──ヴェルペルギースの守護竜であるからこそ、なによりもヴェルペルギースの魔力を集約し利用することができる。
まさに魔都そのものともいえる、強い存在を持つ魔力。アクセルリスはそれに対して有する鋼の魔力を突き刺し、己の存在を刻み込もうと闘っているのだ。
「くぅ、強い……! だけど私は、もっと強い…………!」
己を奮起させ、懸命に魔力を繋ぎ合わせ一筋の糸口を探し続ける。
それはまさに神事──そして漏れ出す魔力が夜会の場をも包み始めた。
「これは……」
ふと誰かが呟いた。
その魔力は本来、魔都ヴェルペルギース及び魔女機関本部クリファトレシカの活動に充てられるほど、膨大な魔力。
それが溢れ出している──ならば、この場に居合わせる魔女たちにもその恩恵を振りまく。
「なんか──すごい。身体がみなぎってくる……!」
魔女にとって魔力は純粋なるエネルギー源だ。それが満ち溢れているともなれば、その心身は研ぎ澄まされていく。
実際にそれが顕れた例としては、多量の魔力を得たことでその体に更なる変化を起こすカイトラや、魔力によって構成されている義体が急速に成長し、幼い少女の姿からシャーカッハにも並ぶほどの妖艶な美女になったケムダフなど。
この場に渦巻いているのはそれほどまでに凄まじい魔力なのだ。
「余波だけでこれとは、魔神とは恐ろしいものだね」
しかし、至福の感受は長くは続かなかった。
「ッ!」
バシカルが何かを察知し振り向く。その目線は遥か──遠景にて凍り付く戦災の魔神を捉えた。
「師匠……?」
「感じた。奴の命動を」
「それって」
どくん。シェリルスが聞き返すよりも早く、その鼓動が世界に轟く。
一様に、魔女たちの眼差しが魔神へと向けられる。
「時が満ちてしまったか」
キュイラヌートの呟き。直後、戦災の魔神を覆う氷に激しい亀裂が走り、そして粉々に砕け落ちる。
〈──────!!!〉
咆哮。終焉からの天声は、夜会室全ての窓ガラスに無数のヒビを刻み込む。
無数の氷塊が魔神より放たれる赤黒を屈折させ、禍々しき光のパレードを織り成す。
〈あぁ全く、面倒だった──流石は魔女機関総督の魔力、ね〉
ヴェルペルギースにまで響くその声はまるで世界の終わりを告げる喇叭の如く。
そしてキュイラヌートは手元の時計を見、言った。
「丁度三日、だな。一瞬の猶予も与えないとは、流石は魔神といったところだ」
〈時間は守る主義なの。時間は何よりも大切と、昔からずっと感じていたもの〉
「こちらの声も聞こえているか。全てが規格外だ」
〈私と喋るのは嫌? なら安心していいわ。直ぐに、音もなく消えるのだから────〉
そしてゆっくりと口に該当する器官を開く。そこに魔力が凝縮されていくのが見える。
「またあの熱線を撃つつもりか……!」
「どうするんですか!? まだこっちは魔力の抽出が終わってないのに……!」
「落ち着け、アディスハハ! また総督がやってくれるッスよね!?」
「いや」
キュイラヌートがシェリルスに返した答えは、無常だった。
「相手はアイヤツバスだ。一度受けた攻撃に対して対策を講じないわけがない。恐らく今の熱線は初めのものよりも強力なものだと考えられる」
その言葉の間にも続く、長い充填。それが一番の解答でもあった。
「我の冷気をも上回る力だろう。真っ向から凍らせることは、不可能だ」
「そんな……何か手は!?」
「そうだな──『真っ向から』ではなければ良い」
指し示す道筋は『搦手』にある。
「これから放たれるであろう戦災の熱線。それを僅かにでも弾く、或いは逸らすことが出来れば、その隙を狙い我が冷気を放つ。それならば足止めにはなる」
キュイラヌートの魔法を以てしてもそれは『足止め』に留まる。一度味わった氷結など、戦災の魔神は容易く砕くことは間違いないだろう。
それでも時間を稼ぐには十分だろうが──しかし、それ以上の問題が存在している。
「そのためには襲い掛かる熱線に対抗する術が必要となるが」
そう。キュイラヌートは簡単に言ってのけたが、時間稼ぎを実行するには『弾く、或いは逸らす』必要がある。ほんの僅かで良いとはいえ、あの暴威に喰らい付かなければならないのだ。
成し遂げるためには大いなる力とより大きな勇気が不可欠となる。
その事実を知り──尚、名乗りを上げる魔女は。
「アタシがやる」
此処に一人。灰の魔女シェリルス。
「アタシはずっとアイヤツバスの存在を拒絶し続けていた。なら今も、それをするのはアタシの役目だ!」
決然と言い切る。しかしその姿に、バシカルは目を細めながら尋ねた。そこに迷いと不安を抱えながら。
「シェリルス……やれるのか」
「やる──なにがなんでもやってみせる! そうする力と意志をくれたのは師匠、あなたじゃないッスか!」
答えは確固と、揺らがなかった。聞き届けたバシカルは目を見開き、その後息を吐いた。
(そうだ──何を心配することがあったのか。シェリルスにこの強さを植え付けたのは私自身だというのに──)
迷いを振り切り──初めから真っ直ぐな弟子の目を見据え、言った。
「──そうだな。ならば完全に遂行しろ。私の弟子であるならば!」
「勿論、上等ッ!」
強く不敵に啖呵を切り、そしてシェリルスは窓辺に向かう。
「聞こえてンのか、アイヤツバス」
決意と共に握りしめた拳でガラスを叩き割る。冷たい風が吹き込むが、熱く燃え滾るシェリルスの体温の前には掻き消える。
「ずっと──初めて見たときからずっと、テメェにはムカついてた。理由は分からねェけど、とにかく許してはならない存在だとアタシは感じてた」
想起する3と9の交錯。シェリルスの魂は純粋かつ高貴にある。だからこそ、アイヤツバスが秘め隠し続けた本性をも感じ取っていたのだろう。
「それが見ろよ、大正解じゃねェか! 周りにはあれこれ口出しておきながら身内にいた一番ヤベェ奴を見過ごしてたなんて、全く威力部門の名折れだ!」
両手を重ねて翳し、照準を魔神に合わせる。掌に魔力と熱が満ち始め、毛先が赤熱する。
そして、叫ぶ──!
「だからアタシが! テメェを拒絶する!」
【続く】