#4 眠れ姉妹よ春はまだ遠く
【#4】
軽いベルの音。エレベーターが長い道程を超えて目的地に達した音だ。
ゆっくりとドアが開き、その中にあるたった一人の乗客に旅の終わりを告げる。
「…………」
アントホッパーは浮ついたような表情と足取りで踏み入った。
クリファトレシカ99階。邪悪魔女の夜会室が存在する、まさに魔女社会の頂点とも言い換えられるフロア。
そして彼女の目線には、その部屋へと続く最後の通路が伸びていた。
「追手はない……任務は、果たされた……!」
厳かに静まり返る、暗い路。
それを速足で進むアントホッパー。数多の犠牲と艱難の上、遂に己の任務は完遂され、世界を護る力になるのだ。
希望を抱え、また一歩足を踏み出す。
「────」
その足首に、刃が刺さった。
「あ」
突然襲い掛かる激痛。生存本能が絶叫を上げようとしたが、それも暗闇から伸びた手で阻まれる。
「騒がないでね。ここで騒ぐと勘付かれるし、邪悪魔女総出だと流石の私も分が悪い」
「────!」
カーネイルだった。激しく息を切らすその姿から、壮絶な追走劇が感じ取れる。
「言うことを聞いてくれれば命は取らないわ。簡単なことよ、剣を渡してくれればそれでいい」
「……、…………!」
「逆らうなら殺す」
脅迫。ナイフをその首に突き付ける。選択肢はないも同然だった。
「……う、う」
アントホッパーの行動は早かった。足から全身に伝わる痛苦に耐えながら、抱えていた箱を掲げ、そして。
「うう……っ!」
残る全力で、放り投げた。
「──」
その行動に、カーネイルも思わず剣の行く先を見る。
宙に舞うそれを、力強く掴み取った手があった。
「──よくやった、アントホッパー。これでお前の任務は完遂された」
「バシカル様……お願いします…………!」
アントホッパーは後から追い着くバシカルの姿をしっかりと確認していた。ならば、後は彼女に全てを託すべきだと。
「……思っていた以上に立派な根性だったね、お見事」
カーネイルの称賛は、冷え切った声色で。
「でも約束は約束。死ね」
ナイフを深くまで抉り込もうとする、その直前。
「私は──死にません!」
アントホッパーが傷付いた足を強く振り上げた。迸り続ける鮮血が舞い、カーネイルの視界を奪う。
「……っ!」
予想だにしない行動、及び介入によりカーネイルの動きがほんの一瞬だけ滞る。そしてアントホッパーはその僅かな隙を突き、転がってその場から離脱を果たした。
「アントホッパー……!」
「私は死にません。死ぬわけにはいかない──私をここに至らせてくれた命たちのために!」
身を削り疲れ切った姿であっても、その魂は気高く輝いていた。
「醜悪な異形の癖に、偉そうなことを」
「よく言った。そうだ。私たちは想いを継ぎ、生きなければならない」
二人は正反対の感情を漏らし、そして互いを睨み合う。
「バシカル……!」
「……」
バシカルがアントホッパーの傷に手を当てる。彼女の得意とする治癒魔法により、傷が痕も残さないほどに塞がった。
「走れる程度にはなっただろう。下がっていろ」
「了解しました。バシカル様──どうか、お気を付けて」
そしてアントホッパーはその場を去り、黒き姉妹のみがこの場に残った。
「──っふ、あははははっ」
唐突に、カーネイルが笑い始めた。
「考えてもみれば。状況は何も変わってないんじゃない?」
言うと彼女は道を阻むように手を広げた。
「夜会室はこの先。あなたが剣を届けるには私を超えなきゃならない。なら私はあなたの道を妨げ続ければいい。そうだよね」
その言葉の通り。今のカーネイルはバシカルに──魔女機関にとって、文字通りの最後の壁となっているのだ。
「でもあなたは私を斬れない。つまり私を超えられない。なら私の勝ちじゃない?」
「戦う前から勝ち負けを決めるなど。いつからそこまで愚かな存在に堕ちていたのか」
嘲笑うように、そして追懐するようにバシカルは言葉を零す。
「……いや、『初めから』なのだろうな。私が気付いていなかっただけで」
それは、自分への言葉でもあった。
「だから私は咎を背負わなければならない」
言うと、バシカルはロストレンジで箱を切り裂いた。
「──」
その行動に目を歪ませるカーネイルの前で、その内より一本の剣を引き摺り出した。
「それが、これだ」
バシカルが新たに手にした剣──大きさも装飾も刃も、何の変哲もない一振り。
彼女の愛剣たるロストレンジとは比べるべくもない、平凡な姿だった。
「あなた」
それを察したカーネイルは見下すように目を細める。
「そんな剣を持って──ああ、そういうこと」
その思考の中で何かが合致したらしく、静かに溜息を吐く。
「鈍感なあなたと違って、私はあなたのことを好く理解している──命を張るつもりなんだね」
尚バシカルからの返事はない。カーネイルは続ける。
「私のことを斬ることが出来ないのなら、その命と引き換えに私の邪魔をし続ける。その間に邪悪魔女たちが目的を果たせるのならば本懐だと。それがあなたの考えでしょ」
「…………」
「だけどそれも無駄になっちゃった。守り届けるべきだったその剣もこうして阻まれて。だから自棄になって、それを手にした」
見透かし、嘲笑う。そして一本、鋭いナイフを握った。
「無様。妹のそんな姿を見たくはなかった」
「…………妹、か」
「楽にしてあげる」
刃が邪悪に輝いた。数々の殺戮を成してきたそれは、カーネイルの意志そのものともいえる。
それを見たバシカルは、ほんの一瞬だけ笑みを浮かべ、言った。
「どうやらお前も、私のことを理解できないようだ」
「負け惜しみを。あなたの最後の言葉にしては、つまらない──」
カーネイルが地を蹴り、迫る。
バシカルが剣を構える。
そして。
「────!」
一閃。
「────え」
暴力的すぎる太刀筋が、その道に存在した全てと諸共に、カーネイルの胸を切り裂いた。
「これで、終わりだ」
勝敗は、決したのだ。
「な────ぜ」
ナイフが砕ける。信じられない、といった表情を浮かべながらカーネイルがバシカルを見る。
「あなたが、私を、斬ることが、できる──?」
振り向いた顔に返り血を受けながら、バシカルは口を開く。
「私の信頼する刀匠は、剣を二本作る」
言葉の最中、カーネイルが膝を付く。傷は限りなく深い。
「『試作品』である一本目でその力を見定め、それを基に『完成品』である二本目を仕上げる。それがその者のやり方だ」
「それが……なんだと…………おぐぁ……ッ!」
夥しい血の塊を吐き捨てるカーネイル。バシカルはそれに何の感情も見せずに。
「その試作品の試し斬りを私が行った。そしてその剣は十全にその力を見せた」
「だから、それが一体何だと……!」
「『縁』を斬る力、だ」
「────!」
それを聞き、カーネイルの中で全ての歯車が噛み合った。
「あなた、それで私との『肉親』の縁を」
「ああ。斬った」
『斬った』。それが全てだ。
「お前は気付いていなかったようだがな」
「馬鹿な……そんなこと……! 私はあなたの唯一の肉親だというのに……!?」
「この期に及んで家族の縁に縋るのか? どこまでも揺らいでいるのだな、お前は──私と違って、な」
その言葉。バシカルが既にカーネイルとの『縁』を断ち斬っていることを強く示す。
「が……ぐ……!」
喉奥から溢れる血を抑えながら、カーネイルは傷口に手を当てる。そこに魔力が満ちていくのをバシカルは見たが、しかし動くことなく言い捨てる。
「傷を塞ごうと? 無駄だ。私の対極にあるお前は、治癒魔法を得意としていないのだから」
「…………!」
どれもこれも真実だ。バシカルとカーネイルが互いに有していないものを補うように生まれてきたというのは、他でもないカーネイルが言った言葉なのだから。
「どこまでも……私のことをバカにして……!」
「お互い様だろう」
意味を成さない受け答え。その間にも、カーネイルの血は留まらず流れ続ける。
「う…………ぐ、ぅ……」
「とはいえ、目の前で死に往く様を見るのは忍びない」
その言葉と共に剣を構えた。処刑の構えだ。
「──楽にしてやる」
「……! 待って、待て……!」
「時間の問題だ。そして私は今時間が惜しい」
迷うことなく歩み寄る。カーネイルはもう反抗の意志を見せることすらできない。
「待──!」
「待たない。斬る」
剣はそっと、撫でるようにカーネイルを斬った。
「────?」
しかし身体に傷は生まれず、また痛みもなく。ただ『何か』が斬られたという感触だけが通り過ぎた。
「これ、は」
その異常、そして付随する変化にカーネイルは目を見開く。
「まさか、まさか」
「邪魔だろう。だから斬った」
「お前、私をも……!」
斬られたものが何かなど、最早言うに及ばぬだろう。
「何……何よこれ…………!」
不快感、そして開放感。鎖から解き放たれ煮え滾る己の心がカーネイルには理解できなかった。
その感覚こそが、今の彼女にとって肉体に与える苦痛よりも致命的なものとなる。
身体的なものか精神的なものか、四肢の力が遂に失せ、仰向けに倒れた。
「バシカル…………! お、前……!」
「そうだ。私を怨んで死んでいけ」
「あ…………!」
限りなく深い憎悪、嫌悪、憤怒、怨嗟。黒濁極まる表情を浮かべていたが──不意に、無になる。
そして事切れる。
それが、外道魔女カーネイルの迎えた終わりだった。
◆
「ほんとうは、話したいことがいっぱいあった」
ぽつり、バシカルが呟く。
「だがもうあなたは揺るがない外道に、私は熱を持たないシステムになった。言葉など必要なくなってしまった」
姉妹は遂に、交わり合い理解し合うことはなかった。
「『肉親の縁』か」
静かに、無の表情を張り付けているカーネイルの死体。バシカルはそれをひとり見下ろす。
「それを失ったからこそ出来ることがあるというのも、皮肉だな」
言うとおもむろに膝を付き、カーネイルの顔を覗き込んだ。
そして、その唇にそっとキスをした。
「────」
黒く冷たい姉妹の、最初で最後のキスだった。
「…………ああ、成程」
その味は、バシカルだけが知る。
【最後のキスの味 おわり】